権利法NEWS

カルテ開示時代の幕開けに際し「医師の会」に期待する

患者の権利法をつくる会常任世話人
NPO患者の権利オンブズマン理事長
弁護士 池 永  満

「カルテ開示時代」の幕開け

日本医師会が制定した「診療情報の提供に関する指針」(日医指針)が本年1月1日から施行されている。日医指針は「医師および医療施設の管理者は、患者が自己の診療録、その他の診療記録などの閲覧、謄写を求めた場合には、原則としてこれに応ずるものとする」と定め、医療記録の原則開示を明確にするとともに、「この指針は単なる宣言的指針ではなく、日本医師会あるいは都道府県医師会などの倫理規範の一翼を構成する」としている。

「カルテ開示だけは絶対阻止しなければならない」と主張しつづけ、世界医師会総会がカルテ開示を含む「情報に対する権利」を明記した「患者の権利に関する改定リスボン宣言」(1995年)を採択した際にも敢えて賛成しなかった日本医師会が、大きな世論となった「法制化」をくい止めるためとはいえ、医療記録を患者に開示することが「医の倫理」に属することであると宣言したのであるから、患者に対する「カルテ秘匿政策」の「歴史的転換」と評することも出来よう。

もっとも日医指針では、開示対象記録を施行日以降に作成したものと限定しているので、昨年一二月の手術の結果をカルテで確認したいと思って請求しても開示されない。「患者本人のインフォームド・コンセントに資するための情報提供」だからという理由で遺族を対象外とし、弁護士による代理請求も認めない。それのみか、「裁判問題を前提とする場合」は「指針は一切働かない」。患者が医療行為の内容や結果に不審を抱き確認のためにカルテのコピーを請求するような場合、将来訴訟に発展する恐れがあると考え全て非開示にするのであれば、患者の不信感は一層強まり、「改ざんの恐れ」を理由とする証拠保全方式が固定化され、自ら裁判問題を招来することにもなりかねまい。

そうした中で少なくない医療機関が、日医指針どおり実施すればかえって患者との紛争を引き起こすことに気付き、どうすれば患者・家族の期待に応え信頼関係の強化につながる記録開示をすすめることができるかと模索している。日医指針自身、これが「最小限基準」であり、それぞれの医師や医療機関の判断でさらに進んだ開示を行う事は妨げないと明記しており、結局のところ自主的開示制度の実質を作り上げていく責任は全て個別医療機関の手に委ねられているといっても過言ではなかろう。

去る2月13日、NPO患者の権利オンブズマン協力医療機関・福祉施設連絡協議会(3月5日現在30施設)が主催した合同研修会においては、遺族を含め全面的な開示制度を昨年10月から実施している福岡市の千鳥橋総合病院から報告を受け、さらに医療事故の不審を抱かれた時にも自ら積極的にカルテを開示し患者・家族の疑問に正面から応えるべきであるとの問題提起と討議が行われた。

また、都立病院における医療記録開示制度も、本紙102号で紹介したとおり昨年11月からスタートしている。

いずれにせよ「カルテ開示時代」の幕が切って落とされたのである。

求められる開示論の前進と権利性の明確化

(1)インフォームド・コンセントのためのカルテ開示の意義と限界

日本における「カルテ開示賛成派」の中には、新たに参入した日本医師会のみならず、カルテ開示を患者のアクセス権という側面から捉えるのではなく、専ら患者のインフォームド・コンセントに資する「医療側の情報提供」という観点に立脚し、目的においても情報提供による医療効果と信頼関係の強化のみを強調する論者が少なくないし、国立大学ガイドラインなども基本的には同一の立場からカルテ開示を論じている。

もちろんインフォームド・コンセント論がカルテ開示を推進する有力な根拠であったことは、カルテ開示の医療上の効果を確認するために試みられた内外における実証的研究によっても明らかである。

日本においても、例えば「医師の会」のメンバーなどカルテ開示推進派の医療機関により実践されてきた「私のカルテ」方式やベッドサイドにおける「カルテ配布」、或いは「カルテの返却」など医療側の創意に基づく日常的なカルテ情報の提供が、医療記録に集積された情報を単なる「記録情報」から患者と共有し医療関係に活用出来る「生きた情報」に転化し、病気に対する患者の理解を一層高め、インフォームド・コンセントにもとづく医療を実践して行く上でも積極的な機能を果たしていることは多くの人々が認めるに至っており、それらの医療実践こそが患者・市民の強い開示要求と結合し、日医の反対にもかかわらずカルテ開示の大きな世論を生み出してきた原動力になったことも明らかであろう。

しかしながら患者がインフォームド・コンセントの権利を行使する前提として患者に対し提供されるべき情報の内容は、言うまでもなく患者の「自己決定に必要な」全ての医療情報であり、その提供手段にはカルテ・コピー等の文書も含まれるが、通常は検査結果のデータやレントゲン・フイルム等を示しながら行われる口頭説明(情報提供)が大部分であり、全ケースでカルテ・コピーの交付が必要となるわけではない。

更に言えばカルテに記載されている情報の中には、当面の自己決定に不必要なものもあるし、又、インフォームド・コンセントの前提となる情報提供であれば、(コンセントを行う前に)提供された情報内容を患者自身が正確に理解することが不可欠であるから、逆にカルテ・コピーが提供されたとしても、それだけでは十分でなく付加的な口頭説明等を要する場合が少なくなかろう。つまり、患者がインフォームド・コンセントを行う前提として、他の医療機関からセカンド・オピニオンを得るためにカルテ・コピーを使用する場合などを除いて、インフォームド・コンセントのための情報提供がカルテ・コピーの交付をもって完結することはほとんどないであろう。

要するにカルテ・コピーの提供をインフォームド・コンセントの権利との関連において考察した場合、情報の包括性や記録性において最も優れている手段では有るが、それだけで完結するものではなく、あくまで「情報提供の一環」をなすところの附随的な方法、一部分にすぎないのである。

その意味において「カルテ開示」或いは「開示制度」の根拠としてインフォームド・コンセントのみを指摘するのは充分でないのみか、形式論理的には自己決定すべき事項に関連しない部分は提供しないことを正当化する、つまりは情報内容によって開示するか否かを決めるという医療側の「裁量性」を残存させる根拠としても機能しうるものである(日医がカルテ開示の根拠としてインフォームド・コンセントを援用しているのは、インフォームド・コンセントの確立に熱心だからというのではなく、それにより患者のアクセス権を前提とする「カルテ開示」論を退けるとともに少しでも「情報提供」を制約する裁量の余地を残したい、つまりは開示の幅を狭めたいと考えているからにほかならないことは日医指針を一読すれば明らかであろう。)

とすれば前述の「私のカルテ」方式なども本質的には患者のインフォームド・コンセントに資するための裁量的な情報提供の一形態であるから、これをもって患者のアクセスを権利として保障する「カルテ開示制度」の代替物とみなすことが出来ないことも明らかであろう。

(2)カルテ開示制度が第一義的に保障すべき患者の権利の内容は何か

患者が自己の医療記録にアクセスすることを権利として認める趣旨で国際的に制度化されてきている「医療記録の開示」或いは「情報開示」という概念は、ともに患者の人格権に関わるという意味においてはインフォームド・コンセントの権利と密接な関連を有しつつも、患者のアクセス自体を患者のプライバシー権に由来する別個独立の権利として捉えるものである。

患者は医療記録の中に自己にかかわる情報がどのように蓄積されているかをチェックし、誤りを是正したり第三者による目的外利用を規制するなど、要するに「自己情報をコントロールする」ためにこそ、自己のカルテに自由にアクセスできなければならない。つまり、自己の個人情報が蓄積されているカルテに自由にアクセス(開示請求)し、自己のコントロール下におくこと自体を患者のプライバシー権の内容を構成するものとして承認することが今日の国際的な基準であり、カルテへのアクセスの権利性を保障することこそが医療記録開示制度の第一義的機能として求められているのである。

患者のカルテへのアクセス権、或いは自己情報コントロール權は、自己に関わる個人情報を集積している医療記録に、何時でも自らアクセス(開示請求)し、その内容を把握した上で保管者の利用を規制することが本質的なものであるし、その対象は第三者に関する個人情報を除き記録された全ての個人情報に及ぶものであって、一部であっても医療側の裁量によって開示対象となる情報が除外されたり、或いはアクセスする時期や目的が制限されるとすれば、それ自体が自己情報コントロール権を侵害するものである。

「患者は、自分の医療記録や専門記録及び自分の診断、治療及びケアに付随するその他のファイルや記録にアクセスし、自己自身のファイル及び記録或いはその一部についてコピーを受領する権利を有する。第三者に関するデータはアクセスの対象から除外される。」(WHO宣言4-4項、1994年)

この権利は、患者がインフォームド・コンセントを行うために利用することを主眼とするものではなく、第一義的には記録されている個人情報の正確性を点検したり古くなった情報の更新を要求するためにこそ保障されるものである。従って、いわゆる「危害情報」も開示対象からはずされておらず、「第三者に関するデータ」のみが除外されている。

「患者は、自己に関する個人データ及び医療データについて、それが不正確、不完全、不明瞭だったり、古くなったり、診断や治療及びケアの目的と無関係である場合には、その訂正、補完、削除、明瞭化、更新を要求する権利を有する。」(WHO宣言4・5項)

このような個人情報の取り扱いに関する一般的な国際基準が確立されたのは経済協力開発機構(OECD)が『プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する理事会勧告(1980)』として、いわゆる個人情報処理に関する八原則を確認して以来のことであるが、当初はコンピュータ情報を主眼としていた「自己情報コントロール権」の原則が、その後、医療を含む全ての個人情報を集積している分野の共通ルールとして制度化されてきたのである。

WHO宣言は、そうした国際的背景を正確に反映して、前記の「医療記録に関するアクセス権」の項を、インフォームド・コンセントを規定している第三章ではなく、患者の秘密保持とプライバシーを規定している第4章の中に配置していることに留意される必要があろう。WHO宣言と同様にプライバシー権の内容としてカルテ開示を位置付けて法制化している立法例として「オランダ医療契約法」(一九九三年)が有る。(*1)

(3)「情報提供」と「情報開示」を区別し、記録開示制度の本質的意義の明確化をはかる

前述のとおり、裁量的「情報提供」とアクセス権を保障する「情報開示」の区分が明確に認識されるならば、これまでのカルテ開示是否論や法制化是否論において多くの言葉を費やされてきた、

<1>患者が見てわかる記録になっているか否か、

<2>正確なカルテを書ける時間があるか否か、

<3>悪性疾患の患者で病名を伝えてない場合にどうするのか

などの論点や検討課題は、「情報提供」の方法論として検討されるべき課題であることが容易に理解されよう。開示法制化に先立つ「条件整備」論として主張されている多くの内容も、実は同様なものである。

こうした「情報提供」にかかる検討課題を、患者の自己情報コントロール権に応える役割を第一義とする「情報開示制度」の課題に混入させれば、いたずらに議論を錯綜させるのみか、極めて複雑な「カルテ開示マニュアル」を創出することにもなりかねまい。

昨年10月から実施されている福岡市の千鳥橋総合病院(549床)の開示制度確立に向けた議論について、取りまとめ責任者であった鮫島博人副院長は、最終段階において「情報提供」と「情報開示」を明確に区分する認識を確立したことが、すっきりとしたカルテの全面開示制度を作り上げるうえで極めて重要であったと述べている。

単純、明解に患者のアクセス権を承認し、「請求があった場合には、カルテの閲覧に応じ、コピーを交付する」という原則的な医療記録開示制度を整備するためには大がかりな体制や費用も要しないし、複雑なマニュアルも不要であろう。

にもかかわらず、そうした制度の存在自体が、医療側の裁量ではなく患者自身のアクセス権行使により患者と医療従事者間における「隠し事のない」医療情報の共有を保障することにより、現実の医療記録にまま見受けられる記載上の不備などから生じうる不審等をはるかに凌駕する信頼を生み出すことになる。加えて、医療記録が常に患者や患者を通じて他の専門家の目にさらされる可能性が現実化するという緊張関係のもとでこそ、前述の三つの論点をはじめとするより情報提供上の問題点を実践的に克服し、より良い医療記録づくりにむけた真摯な取り組みが全ての医療関係者において始まるであろう。

そして又、原則的な医療記録開示制度の存在は、インフォームド・コンセントのための情報提供においても非開示事由に関する安易な議論を許さず、仮に「打撃的」と思われる情報であっても患者支援の環境を整えつつ誠実に真実の情報提供にむけた努力の強化につながることが、前述したオランダ医療契約法の施行をはじめとする内外の経験が示すところでもある。

法制化是否論争の決着と法制化の新たな展望

(1)法制化とプロフェショナル・コード(倫理規範)の関連

カルテ開示が「患者の権利」に関わるものであれば、都立病院の例を見るまでもなく法律(条例)によって保障する事こそが最も確実であり、市民社会における通常の方法でもあろう。ところが、医療関係者の中には歴史的に「法制化」により専門家としての権能、とりわけ「裁量」が制約されることを恐れることもあり強いアレルギーが残存しているし、「法制化」の意味を誤解した議論も少なくない。

中でも滑稽なのは、「法制化を阻止する」ために急遽作成された日医指針が、想定されていた法律の基準よりも低く自ら「最小限基準」と言わざるを得ない「倫理規範」を制定したという事態であろう。

言うまでもなく、何処の国でも法律は、それが何人にも強制されるが故に最低限の基準として設定される。しかし専門家集団は法律により強制される最低限基準に甘んじることなく、自らより高い基準を設定して宣言し自主的に実践することにより、その専門的権威と信頼を広範な市民から獲得するとともに、より効果的に社会的な権能を果たすことができる。これがプロフェッショナル・コード(倫理綱領)である。従って最高とまでは言わなくても、少なくとも法律が設定している基準を上回ることが常識である。

ところが日医の考えによれば、法律が最高で、倫理は最低であり、最低の基準に違反した場合にも内部的な処分以外にはなんらの社会的制裁はない。もちろん日医の会員以外には内部的処分すら出来ない。こんな「倫理規範」しか持てない専門家集団に対する市民の信頼が増すことがあり得ようか。まさに自滅行為とすら私には思われる。

例えばアメリカにおいては、一九七〇年代後半から各州におけるカルテ開示の法制化が進み始め(ミネソタ州など二九州)、一九八五年に至り合衆国全体に適用される連邦法として「統一医療情報法」が制定されたことによりカルテ開示が法制度としては完成しているが、その直後にアメリカ医師会(AMA)は「法律の規定にもとづき開示する」という従前の消極姿勢を転換し、州法などの存否や非開示事由規定の相違にかかわらず自らの倫理としてカルテの全面的な開示に応じるという態度に転じている。

(2)患者の権利の法制化に反対することは世界医師会の倫理規定違反

先のインフォームド・コンセントの法制化(医療法の改正)問題に引き続く今回のカルテ開示法制化阻止など、患者の自律権促進に関わる法制化に消極或いは敵対する日本医師会の態度は、医療専門家の世界において国際的にも稀な存在であるのみならず、世界医師会(WMA)の倫理規範に明確に違反する行為である。

一九九九五年に採択された『患者の権利に関する改定リスボン宣言』は、その前文において「医師および患者ならびに社会一般の人々の間における関係は、近年著しい変化をとげてきた。医師は常に自己の良心に従って行動し、かつ、常に患者にとって最善であるように行動すべきであるとされているが、患者の自律権と正義を保証するためにも同等の努力が払われなければならない」「以下の宣言は、医療専門家が確認し促進する患者の基本的な権利の一部を表すものである」「医師は、立法、政府の行為或いはその他の行政機関や組織が患者に対してこれらの権利を否定する場合にはいつでも、これらの権利を保証しもしくは回復するために適切な手段を講じなければならない」と定めている。

今年度、日本医師会の坪井会長が世界医師会会長に就任する予定と聞いているが、そうした記念すべき時に、是非とも先のWMA改定リスボン宣言の採択に賛成しなかったという日医の態度を明確に清算するとともに、自ら率先して世界医師会宣言を実践する立場にたち、日本における患者の権利の確立と法制化のために旗ふりの役割を果たされることを強く期待したい。

(3)患者要求の高まりと開示基準の統一に対応しうる法制化の展望

NPO患者の権利オンブズマンに寄せられている苦情相談の内容においても、カルテを見られない事自体を苦情とするものが少なくない。これに対し積極的にカルテを開示し、日常的に医療情報を共有する事こそより質の高い医療サービスを提供し患者との信頼関係を強化出来る道だと考え、或いは、患者や家族から不審が提起されたときこそ速やかにカルテを開示して説明を尽くすべきだとする医療機関も増え始めている。どのような開示制度を持っているのかも医療機関を選択する際の一つの基準となる時代が始まりつつある。

昨年10月、福岡県内の21施設でスタートした患者の権利オンブズマン協力医療機関・福祉施設の連絡協議会は、2月に開催した合同研修会においてあるべき医療記録開示制度等をテーマとして経験交流を行ったが、登録医療機関はその後も着実に増え、2000年三月現在30施設を超えた。

一方で患者自身による開示請求行動が日常化され、他方で全国各地の先進的医療機関が患者要求に誠実に応える日常的な実践で良質の開示制度を作り上げる作業を促進させる中で、本格的な条件整備をすすめると共に開示基準の全国的な統一をはかるためにも、患者側からも医療側からも新たなレベルで開示を含む医療記録制度の整備と法制化の要求が提起されるに違いなかろう。

「医師の会」結成前夜をふりかえり情勢の「歴史的転換」後における「医師の会」の役割を考える

患者の権利法をつくる会は、1995年の夏合宿において当時先進的にカルテ情報の提供に取り組んでいた王(東京)橋本(大阪)井ノ口(宮崎)の三医師から実践報告を受けカルテ開示の意義について確信を深めると共に、10の権利法総会において「医療記録開示法要綱案」を採択してカルテ開示法制化運動をスタートさせたが、当時日本の医療界の大勢はカルテ開示に懐疑的であったのみならず、患者や市民団体においてすら理解を示すものは必ずしも多くなかった。そうした情勢を打開するためには、どうしても現行法上カルテの管理責任を有している医師自身による開示実践を普及して、カルテ開示によって医療効果が上がると共に医師・患者間の信頼関係も高まること等、その医療上の意義を実証的に明らかにしつつ制度化していく上での問題点の解明と解決のための政策化を推進するなど医療界における合意をつくり出していく作業が不可欠であった。

この役割を率先して引き受けられたのが、前記三氏と権利法の常任世話人から加わった藤崎、近藤両氏をはじめとする「医師の会」の呼びかけ人の皆さんであった。「医療記録の開示をすすめる医師の会」が実際に発足したのは翌96年3月となったが、その間にも大きな追い風があった。

世界医師会総会(WMA)が95年9月にバリ島で開催した総会において前述の「患者の権利に関する改定リスボン宣言」を採択し、医療記録の開示を中心的内容とする「情報に対する権利」を明確に宣言したのである。この宣言採択に賛成しなかった日本医師会は、その訳文をなかなか公表しなかったため患者の権利法をつくる会は日本医師会国際課より原文を入手し、『けんりほうニュース』96年1月号に全文仮訳を発表すると共に、いち早くそのコピーを「医師の会」準備会に提供した。期せずして「医師の会」準備会はWMA宣言を支持し世界の同僚と共に自らWMA宣言を実践する日本最初の医師集団として公然と旗揚げするという歴史的使命を帯びたものとなった(そうした背景事情が、若干の異論がある中でも「医師」の会の名称を維持することとされた一つの理由でもあった。)

「医師の会」の結成が与えた社会的インパクトが極めて大きかったことは私が論述するまでもない。社会的インパクトの大小は、必ずしも構成人数の大小により左右されるものではないことも明かとなった。時代の流れを読み先取りする旗印を鮮明にしつつ、誠実に実践することにより小さな団体でも巨大や役割を果たすことができる。「医師の会」発足以来、急激にカルテ開示をめぐる情勢は展開した。及び腰ではあるが日医の「カルテ秘匿政策」が放棄されるに至ったのも「歴史的変化」であろう。

何よりも医療現場における様々な形態によるカルテ情報の提供による「情報の共有」をめざす試みとその効果は、確実に多くの医師をしてカルテが、つまり記録された医療情報がそれ自体有力な医療手段となりうるものであることを実感させ始めている。医療記録が持っている意義の再認識であろう。

しかし患者のアクセス権を保証するものとして「カルテ開示」をとらえ、その「制度化」を推進するためには、カルテ情報のとらえ方に関して、もう一つの、かつ医師にとっては深刻な発想の転換が必要である。即ち、再度の転換を迫られているのは、自分が苦労して集積した(と信じている)医療記録にある「情報」を医療効果を促進するために「患者にも出来る限り提供し共有しよう」という、せっかく身についてきた新しい発想や意識を更に一歩進め、「情報提供」ではなく「情報開示」という視点からとらえきることである。

医療記録に集積された情報を情報論や法律論の立場から本質的に考えた場合、実は患者の依頼と同意のみを根拠とし、或いは患者の指示のもとに集積されたものであり、その情報の利用方法を決める権限を持った主人公は患者本人に他ならないこと、つまり医療記録の開示は「個人情報開示制度」の一環であり、本質的には情報の主体である患者本人の求めに応じて何時でもその内容を示して報告するものであるという、単純かつ厳粛な事実を受け入れなければならない。

しかし、そうした意識変革が迫られているのは決して医療の世界だけではない。従前、いわゆる専門家や官僚或いは権力が支配してきた全ての分野において、情報の独占と秘匿が非難され、行政情報は広く「情報公開」されるとともに、集積された個人情報は当該個人に「情報開示」して、そのコントロール下におくという社会的なルールとシステムの確立が進行しているのであり、二一世紀型市民社会、いわば自己決定社会の形成に向けて世界が動いているのである。従前のように情報を独占する方法で自らの権威と特権を維持し、市民社会のルールを受け入れない「専門家」はもう御用済になりつつあるとも言えよう。

「医師の会」は、医療記録に関し開示を含めた基本的な在り方につき法律によって定めるべき全国一律かつ最低限の基準について、全国各地における先進的な実践に裏付けられた政策提言を行って、日本医療に対する国民の不信感の増大に歯止めをかけるとともに、カルテ開示に関し近い将来制定されるであろう法律や条例のレベルを超えて医療専門家として自主的に実践されるべき、より高い倫理観に裏打ちされた水準によるカルテ開示方策などについても引き続き経験交流をすすめることにより、日本における「患者の自律権と正義」の促進をはかりつつ医療界全体の透明化を推進するパイオニア的役割を引き続き果たして頂きたいと念じている。

(*1)『オランダ医療契約法』における関連規定については小論「危害情報の取扱いをめぐってーオランダの場合などー」(『けんりほうNEWS』1998年9月号と『イギリスと、ちょっぴりオランダでの24ヶ月』・リーガル・ブックスに収録)を参照下さい。