・清水市立病院(静岡県)の原告の一人です。被害をくい止めるため、売上のため病院が作られている現状がある限り、カルテ開示が強制されるだけで被害はくい止められるので、1日も早くと願っています。
・保険請求の件で、レセプトを出す段階で、第三者のチェックがあるから、との話が出ましたが、病院の様子を原稿にするため取材に同行した時、職員の 何も書いてないカルテを保険請求用に書き直すのが研修医の仕事だと聞き、驚いたことがあります(今年五月)。
・証拠保全して1年近くたつ(12月で1年になる)遺族がいて、弁護士の怠慢もある現状では、やはりカルテ開示が進むだけで、この針のムシロ状態には防げる。今だにカルテを見せてもらえていない(私からも再三催促している)。
・法制化反対の理由の一つとして、環境整備の立ちおくれが多くの方から指摘されました。会場の中からもタイムリミットを決めて、法制化を進める案が提案されました。人間は本来「怠け者」ですから、法制化によって怠け心に歯止めをかけることは必要ではないかと思われます。
医療報酬が安価であるという指摘がありましたが、先進諸外国との比較ではなく、日本国内での医師の収入は、医師以外の人と比較してどうなのでしょうか。
昨年、母が骨折で入院しました。老人病院で患者に対する扱いはもの凄いものがありました。何人もの家族の方から「人質を取られているので、言いたいことも言えない」という言葉を聞きました。母もその一人であり、患者の病状が良くないにも拘わらず、受け入れてくれる病院が見つかったのを幸いに我が家ではその病院を脱出できました。情報開示の法制化の必要性を痛感した経験でした。急患の場合は病院の選択はほとんど不可能でした。私自身歯科大学で教鞭をとっていました。現在の医師の養成に多くの問題があることを指摘したいと思います。すべての大学ではないかもしれませんが、勉強不足の多くの医師が目につきます。現在の医学の限界を医師も一般の人も知るための情報開示も大切ではないかと思われます。
・「カルテは医師のメモ、備忘録である。従って見せたくない」という主張があった。しかし、プロであるなら、職場でプライベートなメモを書かないでもらいたい。(不備であっても)これは診療録である、という意識が必要では?
・「知りたくない権利」は反対の論拠にならない。法制化したとしても、「読まされる義務」が生じるわけではないのだから。
・日本医師会の意見の中に必ず出てくるのですが、日本にもカルテの管理を行っている診療情報管理士(診療録管理士)が数千人おりますのに、いつも日本には管理士がいないという話になってしまいます。確かにドクターの言葉そのままを紙におこす仕事を専門にしている立場の管理は少ししかいませんが、日々カルテと闘い、内容もある程度判断する仕事なので、カルテ開示が進んだときにも協力できると思います。ただ、この資格も公的資格ではないので病院内での立場も弱く、人員削減の嵐にも巻き込まれています。これからのカルテ開示を進めるためにも管理士の身分の確立や病歴室の設置等の条件整備も同時に行われることが必要ではないでしょうか。
診療情報管理士の一人として
・ディベイターによる討論は新しい試みでしたが有意義なものであったと思います。ご苦労様でした。
「私はカルテを見せてくださいと言われたことがありません。患者との信頼関係が出来ているから」という医師の発言がありました。この意識の誤りに多くの医師が気付いてほしいと思います。
入院患者のベッドサイドにカルテを置くという実践をされている医療機関もあります。環境整備も大切ですが、カルテ開示を実践してみることにより、医師の意識も変わっていくのでしょう。
・カルテが医師の備忘録だという話。それなら、なおさら、時間がとれないなど言ってる場合じゃないと思う。書かなければ忘れちゃうじゃないか!ひとりひとりの状況・状態は、忙しい分医療であればなおさら、忘れそうじゃないですか。書いてほしい。下手でも、わからなくても。そして、それは、いつでも見せてほしい。
要求されたら、見せてほしい。隠されるから見たくなるんだよ。確かに済生会中央病院で通院しているときは、カルテを自由に見られました。ところが、入院した時は見られないんですよ。おかしいでしょう。でも実際に私は、入院した時は見せてくれなくて、入院中の治療過程は、その後通院しててもわからないままです(偶然ですが、ほんとうの経験です)。