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次はどこの病院へ?

東京都  小 林 尚 子

にもふれたことがありますが、「ちょっと家族旅行に出かけるので、おじいちゃんにその間入院してもらいました」といった形の入院を、病院が空床を埋めるために受け入れるのは、そう珍しいことではない時期がありました。

ある程度年を重ねれば、人間どこかにガタが来るから病名は付けられるし、保険も適用されます。
近所の中規模病院でこうした常連さんが病室で仲間同士お茶を飲んで楽しい入院生活をしているのを微苦笑で眺めさせてもらったこともありました。決してすすめられることではないけれど、分からないでもない複雑なものを感じたものです。

が移り、入院の是非、特に長期入院をめぐる議論が起こり、医療保険財政の悪化と共に徐々にこうした光景は減少することになります。
そしてバブル崩壊、「入院患者が減ってますよ。今までなら通院で良いといっても入院させてくれと言った人達が、今は入院が必要と言っても通院にしてくれですよ」
知り合いの開業医がこんな言葉を洩らしたことがあります。入院先がなくて困っている患者さんがいたらベッドが確保出来る、医師としても真面目に取り組んでいるからと頭の中にインプットしておきました。

さんは五〇歳台独身男性です。心境の変化、三年程前長年勤めた店を急に辞め、しばらく今までの貯えでのんびりすると決めたのです。暇になって結局好きな酒にのめり込み、食事代わりに酒の生活一年半余り、肝臓が悲鳴をあげ、肝性昏睡で緊急入院となりました。入院二ヶ月で奇跡的に?回復しはじめた頃、退院又は転院の打診がはじまります。退院前の検査で肝臓に腫瘍が見付かり結局Mさんは打診からさらに一ヶ月入院することになりました。現在の保険診療では入院期間により管理料が漸減されるようになっています。無駄な入院が減る一方で、通院にはきつい状況での退院を余儀なくされる患者さんも出て来る訳です。
Mさんは小さなアパートに移り、月二回の通院、自業自得とはいえ、乏しくなる貯えに医師の許可なく再就職しました。働きはじめて二週間、またもや仕事場で意識不明となり緊急入院二週間、やや快方という状況で退院です。
すぐ職場復帰、そして三日目またもや同様の症状で職場から今度は大学病院の救急外来へ搬送されました。この時Mさんは階段で意識を失い、肝機能障害に加え、頬骨、手掌骨骨折のおまけつきの身となりました。不思議なことに大学病院では骨折の治療が不可能という理由で応急処置もないまま、関連病院へ移送されました。
Mさんからどこか次の病院を探してほしいと相談を受けたのがこの段階です。無謀とも言える職場復帰も含め、日常生活を改めたとしても、確かに彼の病状では近い将来また入院生活が必要となるのは明白です。思いついたのは前述した病院でした。この様な入院を受け入れてくれるだろうか?
"今年が病院存亡の正念場ですという言葉と共に二週間程のサイクルでいくつかの病院を移動するという、その一つの病院としてならいつでもどうぞ"という答がかえってきました。
二週間、これは一番効率の良い入院期間です。入院生活なんて短いにこしたことはありません。それでも長期入院が必要な時 "次はどこの病院へ?"という形を考えのうちに入れておく必要がありそうです。両サイドの事情が分かるだけに形容しがたい気持ちになりました。
真に長期入院が必要なら、保険診療上何らかの措置をとれるようにしたら、それがまた悪用されることもあり得るでしょう。今のところMさんが安心して生活出来るためには、サイクルと称されたいくつかの心当たりの病院に打診してみる、私に出来るのはそこまでです。無力ですね何とも。いっそのこと "私たちはサイクル病院です"という情報でも流してくれたら迷わずに済むのですが…。

が退院間近の時のことでした。医師からしっかり固定した右大腿骨の出来映えについての話がありました。「左側はまだ固定してませんので、その節はよろしく」考える前に私はこんなことを口走ってしまいました。医師は非常に複雑な表情で沈黙のままでした。
娘から後で「おばあちゃんのように、言う事を聞かないわがままな患者はもうここでは受け入れてくれないよ。空床ありませんでオシマイよ」と注意されました。「そうだね、もう一つ万一の時のために病院を探しておかなくちゃね」と私。

やはり病む側は弱者です。