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臓器移植に想う

東京都  市 村 公 正

も一応臓器移植提供についてのドナーカードに記入して持っている。それほど真剣に考えていたわけでもない。お役に立つことがあれば灰にする臓器を提供してもよいくらいの軽い気持ちである。今回の臓器移植法成立後はじめて法のもとに実施された高知赤十字病院の騒ぎを見ると、これは大変なことなのだと改めて考えさせられた。

何となく脳死になってひっそりと死の判定を受け入れ、家族も了承し、人知れずその善意だけが臓器移植をしなければ助からない方に移しかえられるなら、これは悪いことではない。
しかし病院中が大騒ぎになり主治医も病院長もマスコミの取材の前にさらされ、更に肉親の死に面した悲しみの家族さえも、報道の自由の名目の前にさらしものにされるのは許されることではない。人権無視さえ感ぜられる。
これはあくまで科学の問題であり、一つの医療である。あたかも凶悪犯罪の犯人の如く、騒ぎ立て、高速道路を運ばれてゆく心臓をヘリコプターで追跡する必要があるのだろうか。そこに死の尊厳は全く失われている。

 

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脳死の判定も今のままで良いのだろうか?二回もの無呼吸テストは死を期待する実験であって、それにより数%の助かるべき可能性も奪っている。多くの取材陣の「ケイタイ」やテレビ機器は脳波の誤作動を来す恐れもある。
あらゆる電波を遮断した脳波室ならともかく救急治療室では仮に電波を遮るテントを張っても多くの電磁波の影響によって脳波が異なってくる。しばらくの如く、死の判定は法律によるマニュアルだけでは決定し兼ねる要素を持つ。
脳死と判定された後に現に人工呼吸器によって動いている心臓を切り取ることについて、移植チームの医師は何も感じないのであろうか?たとえそれによって心臓病の患者が救える大義名分があるにせよ、実験動物にメスを入れる如く生きた心臓が取り出される。改めて医の倫理について考えたい(法のもとに為される殺人との考えもある)。

 

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かつて人の心は心臓にあると長い間想われてきた。その心、肺、肝、腎、角膜がバラバラになって日本全国のレシピエントに移されて、果たしてその人の魂は(もし霊魂があるとして)どうなってしまうのであろうか?

 

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考えれば考えるほど、難しい臓器移植、多分これから好むと好まざるとに拘わらず、日本の医療の中に定着するであろう。少なくとも死が間近に迫った患者の権利だけは守られたいものである。