福 本 京 子
編集部より
「抑制廃止福岡宣言」をご存じでしょうか。福岡県直方市の有吉病院をはじめとする一〇病院が、従来老人医療施設において当然に必要な処置としてされてきた「抑制」を廃止することを宣言したものです。各紙に取り上げられ、反響を呼んでいます。福本京子さんはその有吉病院の婦長さんです。こちらからお願いして原稿を寄せていただきました。
九八年一〇月三〇日、「抑制廃止福岡宣言」が福岡県の一〇病院より発信された。縛らない看護の広がりは、九九年一月には二八病院となり、熊本、宮崎、沖縄でも抑制廃止に向けての運動が繰り広げられている。
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考えるきっかけは二年前、東京都八王子市にある上川病院を見学したことから始まる。
「抑制」とは点滴や栄養チューブの自己抜去防止のための、抑制帯で手を縛るなど目に映る拘束的な行為しか思いつかなかったので、そういう工夫のノウハウを少しでも持ち帰ることが出来たらという気持ちで、上川病院を訪れたのである。「眼から鱗が落ちる」とはまさにこういうことなのだろう。あの時の感動は、今でも鮮明に覚えている。これが病院なのかと思うくらいおだやかな雰囲気で、何より患者さんがステキなのである。
ステキに見えるに幾つもの理由があった。まず決められた病衣ではなく、それぞれが自分に似合った自由な装いで、お化粧をしている方もいる。食事と水分補給が行き届き、適切な入浴で顔色も良く、肌にツヤがありきれいなのだ。スタッフの言葉かけは優しく、患者さんの訴えには、誰もが立ち止まって耳を傾ける。「ダメよ。」とか「忙しいから後で。」がない。頭ごなしに否定されることがない。上川病院では痴呆性老人が、自分の存在価値を主張することが認められる。だからステキでいられる。もちろん、ゆったりとした時間の影には、個別に組み立てられたケアを実践するスタッフの迅速な動きがある。私の病院の患者さんも、もっとステキになってもらいたいと思った。ステキに笑ってもらいたいと思った。
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最初に取り組んだのが、起きることの工夫としてのティータイムだった。寝たきりの患者さんに車イスに坐ってもらい、コーヒーをコップに入れてテーブルの上に置いてみた。段々と坐る姿勢も良くなり、表情も明るくなり、自分の力で飲むようになったのである。患者さんの変化に、私たちは驚いた。「多分、出来ないだろう」という思い込みの中で、実に有り難くもないケアが展開されていたのである。縛ることを止め、良い姿勢で起きてもらい、食事、排泄、入浴をその方なりに援助することで、患者さんは明るく元気になり、私たちは仕事に誇りを持てるようになってきた。今までしかたないとあきらめていた部分を何とかクリアしようと考え工夫し始めたのである。
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意識改革の背景には、それを可能にした環境整備も忘れてはいけない。九〇年特別許可老人病院に対し「入院医療管理料」の包括制が導入され、薬漬け検査漬けではないケアに重点を置く方向が生まれ、九二年「夜勤看護等加算」で夜勤スタッフの人数強化が可能となった。九五年ケアプランMDSの導入で、職員教育とチームアプローチが定着し、九六年「療養環境加算」でベッド脇まで車イスで行けるような、ケアしやすい環境が整ったのである。振り返ってみると、いつの間にか人手も増え、ハード面が整い、私たちの意識が変わり、「抑制」しないケアを考え工夫することで、全体の質を向上させていた。
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慣れとは不思議なもので、「抑制」をしないことが、最近では当たり前のことになってきた。正直なところ、はじめは特別な良いことに取り組んでいるという気持ちがあった。自分たちへの自信が、そう思わせていたのかもしれない。病院という閉鎖された特殊な世界での常識が、実は世の中の非常識だと気付いたのも、ここ数年のことである。よく考えてみると、高齢者を取り巻く入院生活のほとんどが、本人の望むこととはかけ離れていたような気がする。何らかの理由があるにしても、衣・食・住のほとんどが同じ部屋で行われ、個人のプライバシーも保護されない環境での生活と、「しかたない」で縛ってでも行われる医療が、果たして望まれることなのだろうか。中にはどうしてもしかたない場合もあるのかもしれない。だが、医療を受ける側の意見が反映されずに、医療を提供する側の都合ばかりが強調され、あきらめだけで終わるにはあまりに悲しい。
自分たちが高齢者になって、受けたくないケアを終わらせる勇気を持ち、誰もがこうありたいと思えるケアを考え工夫していくことが、当たり前のことを当たり前にしていく第一歩なのだ。「抑制」を考え続けることは、人が人として人らしく生きていくことを見つめ続けていくことであろうと、しみじみと思えるようになってきた。あるべき姿を目指して、私たちの取り組みは、まだ始まったばかりである。