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介護の後で...

東京都  小 林 尚 子

しい年、我が家は奇妙な食卓風景で迎えました。小さな重箱につめたやわらかいオセチと煮込んだ雑煮の母、お粥にOさん手作りの梅干しの私です。
年末に疲れてふらふらの身体で入浴中の母の背中を流しました。そのツヤに大病もなく年を重ねた人のすごさを再認識し、逆もあるかもしれない、その時老いた母はどうなるのか。そんな思いがかすめたものです。そして迎えた新年の食卓でした。  

さんは七〇歳台後半の女性、亡夫の長年の患者さんです。ご主人が定年退職後、故郷へ引っ越しました。それでも二ヶ月に一度新幹線で亡夫の外来へ通っていました。胃癌、婦人科疾患と何度かの開腹手術を体験しています。夫の死後、もう東京まで出て来る意味がないと故郷での医師探しをしました。話し合えて薬の投与量が少ない医師が基準、患者さん達が選ぶ医師、病院というパンフレットで自分に合った人を見付けました。
元気だったご主人も八〇歳台、昨年はじめから前立腺肥大の症状が出現、この時もそのパンフレットを参考に近所の医院を選びました。
数カ月経過し、悪性化の疑いがあるとこの医師から何軒かの病院を提示され、精密検査を勧められました。
その中にパンフレットにある医師のいる公立病院があったので、迷わずその病院への紹介を受けました。
ところが病院では必ずしも目当てとする医師が毎回診てくれる訳でないと気付いたのは検査を開始してからです。検査は予約、いずこも混んでいます。結果が出るのに何と三ヶ月近くかかり、前立腺癌の診断の下、放射線治療がはじまったのはもう秋の気配が感じられる頃でした。
治療終了間近、通院のバス停で尻もちをついたご主人が腰椎圧迫骨折のため、思うように動けなくなってしまいました。
Mさんの介護、換言すると重労働のはじまりです。結婚五〇年以上、はじめて夫婦で入浴するようになったのも骨折のためです。ご主人、この年代にしては大柄、浴槽から出すのも大変です。それでも ”ありがとう、さっぱりした”という言葉に支えられ、どうにか時が過ぎました。ご主人が少し元気になった頃、今度はMさんが買い物に出かけ、重い荷物を持って自宅マンションの階段で転び足首を捻挫し、思うように動けなくなったのです。そこではじめて気付いたのです。彼女を看てくれる人が傍らにいないことに…。足を引きずりながらの介護、夕食の片付け後にはもう疲れて動けません。時には午後一一時を過ぎる日もざらです。

「お父さんを看る。それは私のつとめですから良いんですよ。離れて住む息子夫婦がたまに来てくれる。それはうれしいけれど又後片付けが大変、ふと気付いたんですよ。もし私が一人になって寝込んだらどうなるかと。こんなグチを言っても何の解決にもならないけれど誰かに話したかったんです」

電話の向こうでため息です。聞くだけで何も答えられません。Mさんごめんなさい。

人のTさんは九一歳の母親を介護後一年。仕事と介護の両立は出来る範囲と気負わず、スタートしたけれど生易しいものではありません。昨年末彼女も急に頭痛、耳鳴り等でダウンしてしまいました。つたい歩きでの介護の最中、やはり自分が倒れた時は一人ではい上がるしかない現実にはっとしたと話してくれました。

年来、八〇歳台後半の両親を介護しているFさんは結婚しているから両親の家へ通いの毎日です。
家族の考え方は、男の兄弟は経済的支援、介護は女性というものらしいのですが、介護は女性だけの仕事なのでしょうか?むしろ力のいる場面では男性の体力があったらという思いを持つ女性はたくさんいると思います。これはナースの仕事にも共通したことと思います。
Fさん曰く、「親が死んだ時、悲しさより先にほっとしてしばらく自分の身体をいたわりたくなるんじゃないかと時折思ってしまうの。これって不謹慎でしょうか?」
「いいえ、精いっぱいの世話をして、自分にご苦労様、ちっとも不謹慎じゃない。頑張ってねはいつものことだけど私、言いませんよ」これが私の答です。
在宅介護の重要性が唱えられ、国の支援策とやらも伝えられます。ただ現実問題として、個々のニーズを満たすものはあり得ないし、何かを判断する困難さも明らかです。区の入浴サービスを申し込んだ隣人は二週間後の予約がとれました。その間に病人の容態が急変しかえらぬ人となってしまいました。
人を頼むということは、たやすいようでそれなりの気苦労もあります。この辺の割り切りも問題点です。
私の場合、娘の全面的協力で今はどうにかやれる段階です。しかし、第二、三章とすすむ時はどうだろうか、その時人の力を借りるのに何の抵抗も持たないでいられるか、正直その自信はありません。
時折母を看てくれる妹はこの頃老人ホームの広告ばかり気になると言います。それは誰のため? もちろん自分のためです。

「私達の時代、子供に看てもらおうなんて考えは駄目、今から考えておかなくてはね」

母の怪我を機に、週に一度デパートに行かないと落ち着かないという今までの妹からは想像だにしなかった変身です。行政もあてには出来ない。長期入院なんてさせてもらえない世の中(これは又別の機会に)、Mさんの電話を聞いて、都会の冬、短時間の貴重な陽射しをあびつつ、気持ちよさそうに昼寝中の母の傍らで、いつものように「まあ、仕方ない、ぽっくり寺だね、私は」そこに落ち着く以外ないのが現状です