権利法NEWS

カルテ開示法制化の現状(三)~日本医師会ガイドラインについて~

患者の権利法をつくる会事務局長  小林 洋二

月号でご報告したとおり、カルテ開示法制化は、現在、厚生省による要綱案作成の段階に入っています。厚生省としては今通常国会に、カルテ開示法制化を含む医療法改正案を提出するというスケジュールで動いていると伝えられています。そしてこの法制化を阻止しようとして日本医師会が持ち出してきたのが、「診療情報提供に関するガイドライン検討会」中間報告です。今回はこのガイドラインについて少し詳しく見てみましょう。

川淵回答にみる中間報告のポイント

月五日付の日医ニュースは、この中間報告の答申を一面トップで取り上げ、その要旨及び記者会見での検討会委員長のコメントを紹介しています。また三面の日医総研フォーラムというコーナーでのQ&Aでは、日医総研主席研究員であり、かつこの検討会のメンバーでもある川淵孝一氏が、中間報告のポイントは何かという質問に回答しています。この川淵氏の回答は、中間報告の趣旨を理解するために大変参考になります。
川淵氏の挙げているポイントは以下の四つです。
第一に、診療情報提供、診療記録開示の問題は法律によって強制されるべきものではなく医師の職業倫理、医師団体の倫理規範に委ねるべきことを改めて確認したものであり、法制化断固反対という日医の姿勢を会員内外に明らかにしたこと。
第二に、このガイドラインがわが国の過去に類例がないものであること。
第三に、このガイドラインの作成及び実践表明により、日医が反対のための反対を唱えているわけではないことを内外に明らかにしたこと。
第四に、ガイドライン作成及び実践表明が、法制化の審議過程に大きなインパクトを与えるものになると考えられること。

ポイントの真意は何か~川淵回答の読み方

第二のポイントについて言えば、個々的な医療機関は別として、日本医師会のような医師の団体が、カルテ開示の方針を明らかにし、そのガイドラインを作成したことは確かにわが国の過去に類例はありません。その意味では確かに大きな評価に値することであると考えられます。しかしこのことは同時に、従来、日本医師会がカルテ開示に対して極めて後ろ向きの姿勢をとってきたことを意味しています。この中間報告の前文には「日医は患者に対して積極的に診療情報を提供することの重要性を、機会あるごとに会員及び医療関係者に訴えてきた」という趣旨の、いかにも我田引水的な言明があるのですが、そのような自負があるのであれば、何故今の今までカルテ開示の方針を示さず、厚生省の「カルテ等診療情報の活用に関する検討会」が法制化の提言を行った後になって、泥縄式に検討会を設置したのでしょうか。
この疑問に応えるのが第四のポイントです。つまりこのガイドラインは、法制化の審議過程に影響を与えること、つまり法制化反対論の根拠をつくるために作成されたものに他ならないのです。このことは一月号で引用した日医常任理事会での坪井会長の発言からも明らかなことです。
では第三のポイント「反対のための反対を唱えているのではない」というのはどう読むべきでしょうか。このガイドラインが法制化反対を目的とするものであることは既に明らかです。おそらく「法制化には反対だが、カルテ開示そのものに反対ではない、むしろカルテ開示を推進するために法制化に反対しているのだ」というのがこの川淵回答の趣旨でしょう。少なくともそういう建て前を取らなければ、現在の法制化の動きに影響を与えることはできないというのが日医の情勢認識のようです。
では本当のところ、法制化はカルテ開示の推進に有効なのでしょうか、あるいは有害なのでしょうか。この点に関する日医の見解が、実は第一のポイントなのです。

法制化はカルテ開示の推進に有害か

こういう問題提起をしたら、「そんなバカな」という以外の答えはあり得ないでしょう。ところが日医の見解は違うのです。それが第一のポイントに挙げられている「診療情報提供、診療記録開示の問題は法律によって強制されるべきものではなく、医師の職業倫理、医師団体の倫理規範に委ねるべき」という考え方であり、その根拠として述べられているのが以下のような考え方です。

「日常診療の中で、患者の自己決定権を尊重し、医師・患者関係の信頼関係を醸成するための診療情報の提供は、元来法的な権利・義務関係、特に法的な強制になじむものではない。なぜならばこの種の問題は、法による強制ではほとんど効果が期待できず、関係者の自発的、積極的な履行によって初めてその実を挙げうるものと言えるからである。」

これは極めて奇怪なロジックです。
確かにカルテ開示が法制化された場合、患者から開示の要求があるにもかかわらず医師が開示しなければ、患者は法的手続によって開示を求めることが可能になるでしょう。その結果開示されたとしても、その時には既にその患者と医師との間の信頼関係は崩れているであろうことは想像に難くありません。その意味では「法による強制によってカルテが開示されても、信頼関係醸成のための診療情報提供にはならない」というのはそのとおりです。しかしこの場合、法律が存在し、法的手続によってカルテが開示されたことによって信頼関係が崩れたのではなく、カルテ開示を求められたにもかかわらず、医師がそれを拒否したことによって信頼関係が崩れているのではないでしょうか。法的手続によって強制されるまでもなく、「法律に従って」患者にカルテを開示していれば、信頼関係は保たれるはずです。

つまりこの日医のロジックは、法律の存在そのものを法的手続による強制に置き換えることで成り立っているわけです。しかし考えても見て下さい。借りたお金を返さなければならないのは法律上の義務です。お金を借りた人は普通はその「法律に従って」、自発的かつ積極的にお金を返しています。貸した人も普通に返してもらえればそれで差し支えないわけですから、別に裁判を起こしたり差押えをしたりはしません。「法律に違反して」支払わない場合に初めて法的な手続が取られることになります。カルテ開示も同じことです。法律の存在と「自発的、積極的な履行」は全然矛盾しません。「法律に従って」、「自発的、積極的に」患者の求めに応じて開示している医師に対して、誰がいきなり裁判を起こすでしょうか。法制化がカルテ開示の推進に有害であるかのような日医のロジックは、常識のある人には全く通用しないものです。

ガイドラインがあれば法律は不要か

このように考えてきた場合、日医が法制化に反対する最後の理由は次のようなものでしょう。

「確かに法制化が有害とまでは言えないかもしれない、しかしガイドラインがあればそれで十分であって法律までは必要ないではありませんか」

極めて薄弱な反対理由になりますが、実はこの反対理由も成り立っていません。
まず第一に、日本医師会は任意加入団体であって、日本には日本医師会に加入していない医師も存在します。さらに日本医師会は会員の医師に対してもなんら統制権を持っていません。
中間報告のいう
「医師の職業倫理、医師団体の倫理規範に委ねられるべき」という考え方は、いわば「専門家のことは専門家に任せておけ」という考え方であり、その当否は別として伝統的に存在する考え方です。しかしこの考え方の前提としては、その専門家集団が、構成員たる専門家に対して統制権を持っていることが必要です。つまり専門家集団が決定した倫理規範に違反した構成員を排除し、専門家としての資格を剥奪するという自浄作用があって初めてこの考え方は正当化されうるものです。それがないままに「専門家のことは専門家に」などと言っていたら、専門家の名の下にわがまま言い放題になってしまうことは目に見えています。

第二に、既に述べましたが、日本医師会は従来カルテ開示に対して一貫して後ろ向きの姿勢をとってきたものであり、法制化の議論無しにはこのガイドラインもあり得なかったということです。そういった日医の姿勢から考えて、法制化が立ち消えになってしまえば、このガイドラインも骨抜きになってしまうことは当然懸念されます。勿論法制化実現以前にこのガイドラインに従ったカルテ開示の実践を始めてほしいと期待するものですが、だからといって法制化不要と考えるほどお人好しであってはならないでしょう。

第三に、法律的な話になりますが、カルテ開示が法制化された場合と、ガイドラインで倫理規範に留まった場合の最も大きな違いは、患者がカルテ開示を要求して医師が拒否した場合にあらわれます。法制化された場合は、最終的には裁判という形で、開示すべきか否かの司法判断が下されます。倫理規範に留まった場合、その患者は諦めざるを得ないか、あるいは医師会の設置する苦情処理機関でなんらかの判断が下され、その医師に対して指導なり勧告なりが行われる可能性があるということになるでしょう。おそらく日医が法制化に反対する本当の理由もここにある、と私は見ています。開示すべきか否かの判断に関して、医師以外のもの、特に法律家に関与してほしくないというのが日医の本音なのではないでしょうか。

ここで注目してほしいのは、こういう状況になった場合、先に述べたとおり、その患者と医師との信頼関係は既に崩れていると見るべきであり、その情報に基づく自己決定というインフォームド・コンセントの問題よりも、専ら個人情報コントロールというプライバシーの問題が前面に出てくることになるということです。中間報告が「医師・患者間の信頼関係を醸成するための診療情報の提供」という表現を使って、情報提供の趣旨を限定しているのは、個人情報コントロールという観点を敢えて無視し、医師が開示を拒否した場合の取り扱いを議論から除外しようとしているかのようにも読めます。つまり日医の立場は、「その場合でも患者は医師を信頼して諦めるべきだ」あるいは「医師団体の決定を信頼すべきだ」というものでしょう。

しかし信頼関係は相互に信頼し合ってこそ成り立つものであり、どちらか一方が相手方に信頼を要求して成立するものではありません。患者が開示を要求し、医師がそれを拒むというような状況においては、信頼関係といった曖昧なものによりかかることなく、その情報が患者の個人情報として開示されるべきものか否かという観点から公平な第三者の判断を仰ぐのが筋ではないでしょうか。そういった判断を仰ぐ途が確保されていてこそ、患者は医師の判断を信頼することができます。開示すべきか否かがその医師個人の最終的な判断であり、公平な第三者によってその判断の正当性が検証される機会がないとすれば、患者は医師の都合によって開示、非開示が決定されるのではないかという疑念を捨てきれないでしょう。
この検証の機会を保障するのは、やはり法制化であるということになります。結局のところ、日医のいう「信頼関係醸成のための診療情報の提供」のためにも、法制化が必要なのです。

法制化を前提としたガイドラインを!

但し、このガイドラインは、法制化反対を目的とするものであるというところを除けば(それが本質的なことだというのは残念ですが)、内容的には別段悪いものではありません。勿論問題点もたくさんありますが、その検討は別の機会に譲るとして、とにかく日医がカルテ開示の方針に転換したということは重要なことです。
また私は法制化さえ実現すれば、このようなガイドラインは不要であるとは思っていません。カルテ開示が、本来医師の職業倫理であることを明らかにし、医師の自覚を高めることは、「自発的、積極的な履行」に有意義であるはずですし、また法制化では必ずしも煮詰まらない細かい点について、日医として方針を示すことは重要なことです。日医は是非、これまでカルテ開示に後ろ向きであったことの反省に立ち、自らカルテ開示を推進していく役割を果たしてほしいと思います。今回はあくまでも中間報告であり、引き続き検討の上、最終報告として理事会の承認を経た上四月一日の代議員会で協議されるとのことですが、「法制化反対のためのガイドライン」から「法制化を前提としたガイドライン」への質的転換を期待したいものです。カルテ開示を推進する立場をとった以上、理性的に議論すればそれ以外の結論はあり得ないはずであり、そうであってこそ日医は専門家団体としての社会的信頼を得ることができると私は思います。