東 京 小 林 尚 子
大分昔の話になりますが、麻酔科で訓練を受けはじめた頃の事です。都内でも著名人が多く受診し、特にお産をするので有名な病院がありました。
土曜日の朝にその病院から麻酔の依頼が定期的にあるのに気付きました。気になったら聞くしかない。アルバイトに出掛ける医師に直接尋ねたところ「カイザー(帝王切開)だよ、だって今日産まれれば、日曜のゴルフ出来るだろう?」という答えが返ってきたのです。
帝王切開の適応が、医師の休日予定に合わせてのものだったのです。ウィークデイにお産が多いというデータ、陣痛促進剤の事故等々、気になることは今尚続いています。
「妊婦が患者に変わるとき」に続き、会員Yさんのお産にかかわる力作を拝読する幸運に恵まれ、ずっと心に引っかかっていたことを少しまとめてみました。
私とお産、はじめての出会いは医学部臨床実習です。産婦人科病棟勤務医師の九割が女医、その中で既婚者がただ一人という不思議な状況下、既婚医師はたまたま妊娠六カ月過ぎ、彼女に対する同僚の対応は大変冷たいものであったのを今もしっかり覚えています。何か妊娠しているのが悪いかの如き厳しい言葉に、働きながら子供を産むことは女性が多数の職場でさえこれなのかと感じました。
分娩室で「産みの苦しみ」を分かち合うのは主に助産婦さん、医師は同じ女性でありながら他人事のようにみえ、赤ちゃんの産声に感動して思わず涙した私は「何なの?」とにらまれ、もし将来自分が産む時、ここでだけは産まないと思った瞬間です。
私たち夫婦は、亡き夫が放射線障害を持っていたため、蕫種なし﨟という評価が下されていました。笑って受けてはいましたが、内心その言葉を聞く度にやり切れぬ思いをしたものです。しかも体型からお腹が目立たない、マタニティドレスも市販の物は大きすぎて無用の長物、妊娠に気付かぬ人も多かったのです。胎教が大切ならずい分すごい状況でした。勉強と家事、結構きつい条件でのお産に際し、産科だけを標榜する開業の医師を選びました。つわりは七カ月過ぎまで、それも緊張している仕事中には起こらない。ひとたび病院の門を出るとはじまるのです。さらに妊娠中毒症のむくみ、高血圧、目のかすみ等々、せっかく選択した産科医院での出産は、実家で過ごしていた夏休み中の早産となり、電話で探した病院でのかけ込み出産となり、訳の分からぬまま夢中の出産でした。
初産で学んだこと、いかにお産は生理的なものだとはいえ、やはり母親となる身となったら、無理は禁物。妊娠、出産は個々人の選択と事情がある故、周囲はたとえ冗談でも発する言葉に配慮してほしいということです。妊娠中毒症の体験は、その後患者さんを診る身となった時、高血圧の方の訴える症状、利尿剤を服用した時の感覚等ずい分役に立ったのは確かですが、渦中にあった時の苦しみは、相当なものでした。
第二子の出産は少し楽な状況でと考えてのものだったはずが、上司から資料作りと論文の担当をおおせつかり、その期限と産み月がほぼ重なることになり、「妊娠は個人的な事、仕事は仕事」とまた少々きつくなりました。
病院はかけ込みで第一子を産んだ所を選びました。緊急で受け入れてくれた事、陣痛が途中で微弱になった時、注射より食事という私の要求を受け入れてくれ、分娩室で一休みの食事を坐ってさせてくれたという単純な理由からです。
産み月に入りかけた時、論文も清書の段階、少し早めの検診に出掛けたところ、(大分疲れていました)医師から疲れを理由にちょっと入院という提案があり、即入院しました。正直休めるとほっとした気分でしたが、後から考えるとこの入院、すでに産みの態勢だったのです。
点滴の内容さえ聞かぬまま、ベッドで休む心地よさ、ところが夕刻何となくお腹がチクチク痛みはじめましたが、この時点では陣痛のはじまりという意識は皆無でした。午後六時過ぎ本物の陣痛です。痛むお腹を抱え、ナースステーションへ、そして当直のナースとの会話、
「もうすぐ産まれそうです」
「えーっ、先生今夜は宴会です。連絡しますから」
「いや、待てないと思う。分娩室へ連れていって下さい」
「私、お産の介助経験ないんです。外科勤務ですから」
「大丈夫、私の言うとおりに手伝ってくれれば良いから、とにかく早く!」
かくしてお産介助経験なしのナースと経産婦というだけの妊婦でのお産がはじまりました。仰臥位で、自分の見えぬことを感覚で産婦がへその緒の切り方、吸引などかけ声をかけ、夢中でナースがそれを行う、手のふるえが垣間みえます。
Yさんの著書を読んだ時、もしこれが坐位だったら、もう少しお互いの協力はスムーズであったろうとあの時のもどかしさと不安がよみがえりました。アルコール臭と共に医師が現れた時、我が子は産着もなくバスタオルにくるまれ、元気に泣いていました。
何となく一人で産んでしまったようで、病院にいるのも申し訳ないような気分、私たち親子は三日目、寝巻姿のままタクシーで退院しました。
良い気持ちでうけた点滴は、疲労回復のものでなかった。陣痛促進剤が入っていたのだ。入院の時、きちんと自分の状況について説明を受けなかったために、またもやドタバタ劇の出産でした。元気に産めたから良かったものの、考えると怖いような出産です。
皆さん、お産は生理的なものと言うけれど、こうしたドタバタもありますよ。よく自分の目と耳で確かめて下さい。
大部分の場合、病気ではない。それがお産です。それだけに私たちはもしかしたらどこかで深く考えない面もあるかもしれません。母子共に健在は当たり前、それは統計上のこと、一人一人の妊婦さんにとっては五分五分、二人分の命を懸けているのです。母体の状態ではなく、病院の医師の都合で、お産が決められたらたまったものではありません。
おまかせお産にならぬよう、妊産婦の権利もしっかり考えなければと感じます。
先日不妊治療について、その費用に大きな巾があるという記事を目にしました。考えてみるとお産についてもどの様な基準でその費用が決まるのか、私自身今一つ理解できないで現在にいたっています。
医師が論文を書く時、「はじめに」の部分にはよく医療の進歩という言葉を使います。進歩って何なのだろう。何か置き忘れた進歩という気のするこの頃です。