東京都 佐田 子
五年前、回転性のめまいと吐くという病気を体験した。最初は内科にかかり、耳が変なので耳鼻科へ受診した。「突発性難聴」とのことであった。通院が始まり、毎日聴力検査だった。が、何も説明がなかった。当の私は、「dB」の意味すら知らなかったのだから、患者への説明は大変だということなのか。一〇分で歩いていける診療所へ五〇分もかかり、交通事故にでもあったらと思い、その後はタクシー通院になった。発症以来、一ヶ月間、ひどくなるばかり、希望する病院へ転院する旨、申し出ると、「めまい」の専門の医師がY市立病院にいると、最初のこのM診療所の医師は紹介状を書かれた。
Y市立病院では「メニエール病」と病名が変わった。そして、ここのK先生も、病気について説明をされない。
「突発性難聴」、「メニエール病」と二つの病名が出てきたので、何の説明もない現実に不安を感じた。三ヶ月も過ぎようとしているのに、めまいを止めてくれないので、とうとう私は文句を言った。「いつになったら、めまいを止めてもらえるのですか?」と。そしたら、その当日、めまいを止められた。言わなければ、いつまでも漫然と様子を見ている感じだった。だんだん、怒りが出てきた。三ヶ月もめまい、吐く状態が続けば、体力は消耗して気力を失ってしまう。気分は、憂鬱そのもの、いつ、めまいが起こるかわからないという不安がつきまとう生活になっていた。
病気について何も知らされないということは、通院の意味もないし、医師に対する信頼感も生まれない。不安と見通しのないあせりだけが出てきていた。自分で知る努力をするしかないと悟って、入手可能の本を片っ端から読み出した。おおよそ、「突発性難聴」と「メニエール病」の病気の性質を知ることができた。後で忘れて報告ができなくなる危険を感じて、一日の病状変化をメモしていた。
体力消耗して動けないあり様になっているのに、医師は、「どんどん、仕事していい」と言ったり、「めまいが出てきたら、薬を取りに来たらいい」と言われた。まるで、再発を待っているような言い方である。
決心して、今度は紹介状なしで転院した。K大学病院では、担当医師は、「以前のデータが分からないから・」としきりに言われた。それでも、以前のデータは、ひとまず置いておいてということで、病状安定へ努力していただいた。ただ、病名は、「突発性難聴」と「メニエール病」と医師により、病名が変わった。
医師の転勤で、再び転院することになり、今度は、J大学病院へ行くことになった。それで、この際、以前の検査データのないのが障害物になっていることを痛感し、初診時のM診療所、Y市立病院での聴力検査のデータを取り寄せる決心をし、実行に移した。
Y市立病院では、「診療情報提供書」を通して検査データを渡された。渡されたぶ厚い大袋には、「開封厳禁」と赤字で書かれていた。少々、妙な気持ちでその封書を見たものだった。
今度は、全ての検査データが揃うから、J大学病院での診断に、大いに期待しつつ、神妙な面持ちで、受診した。発症から、五年過ぎていた。
ところが、先生が何か様子がおかしい。これまでの病院でのやり方とまるっきりやり方が異なり、聴力検査、語音検査の検査データを全部、見せられたのだ。
病気が発症する以前、Y市立病院で聴力検査したデータもあった。正常値である。それから五年後に、病気は発症したのであるが、M診療所では、三〇dB、Y市立病院で、四〇dB↓五〇dB↓六〇dBと進行していた。そして、K大学病院では、六九dBになっていたことを知った。明らかに、メニエール病だと思った。大変、ショックであった。知りたかった情報を知ることが、転院することで可能になった。
後で知ったことではあるが、メニエール病は、めまいと吐くということを繰り返すたびに難聴が進行するとのことである。これに対し突発性難聴は、最初から高度の難聴で、めまいは繰り返さないとされている。
医師は、この病気(両方)には特効薬がないと言われる。しかし、めまいを早急に止めること、めまいを引き起こさないようにすることはできるのだ。大学病院によっては、メニエール病を完治させているところもあることも知った。
そして、不快な文章を目にして憤りを感じた。Y市立病院からの診療情報提供書には、「本人が開封する恐れがあるから、・」と赤線を引いて書かれていた。あきれてものが言えなかった。一体、Y市立病院のK医師は、誰のために仕事をしておられるのか。全く、ナンセンスこの上なしと言いたい。
このように、カルテ開示どころか、病気について、検査データについても教えない医師が現実にはいるのである。しかも、病状についてたずねると、うるさがられ、訴えが多いとされる。
こういう医師にとっては、カルテ開示は、抵抗があるかもしれない。しかし、患者に関する検査データを患者本人に伝えず、カルテの中にしまっておいて何になるだろう。
患者は病気について無知である。無知をいいことに、適切な治療、説明をしない医師は、その事自体が無知ではなかろうか。患者の不安、病状にまつわる辛さ、痛みを感じないのだから。
カルテ開示が法制化されれば、こういうトラブルはなくなるであろうと思う。患者は病気に対して前向きに自覚して生き方を変える努力をしないといけないことを知るのだ。