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らい予防法違憲国賠訴訟

弁護士  藤田 光代

本年七月三一日、国立ハンセン病療養所である鹿児島県の星塚敬愛園と熊本県の菊池恵楓園の入園者一三名が「らい予防法」違憲国家賠償訴訟を熊本地方裁判所に提訴しました。
ハンセン病はらい菌による慢性の感染症ですが、その感染力は非常に弱く、発病力も弱いものです。また、発病しても適切な治療により治癒する病気でもあります。そしてこのことはかなり以前から知られたことでもありました。

今回の提訴で問題にしている「らい予防法」は1907年(明治40年)の「癩予防に関する件」に遡ります。富国強兵による大国化を目指した明治政府は、浮浪するハンセン病患者を国の恥と考え、治療よりも取り締まりの対象とするこの法律を制定しました。また、その後1916年(大正五年)の改正では、同法に基づいて作られた療養所の所長に懲戒検束権を与え、療養所内に監禁室まで設け、所長の言いつけに背いたり、もちろん無断で療養所を出るなどしたときには懲罰をもって臨むという厳しい統制を行ったのです。
この強制隔離政策は1931年(昭和6年)の「癩予防法」によって益々強固なものとなっていきました。

このような強制隔離政策のもとでは、様々なそして激しい人権侵害が行われました。療養所内での強制労働によって益々病気を深刻なものとされ、外出禁止や検閲、懲戒検束によって自由を奪われ、強制堕胎や断種(主にワゼクトミー)が法律の根拠もなしに行われたのです。
そしてこのような強制隔離政策は社会の偏見差別をもたらしました。そのため入所者のみならず、その家族まで迫害を受け、その中で入所者は家族とのつながりを絶たれ、故郷を失ってしまったのです。

1947年(昭和22年)基本的人権を侵すことの出来ない永久の権利として保障した日本国憲法が施行されました。本来であれば、この「癩予防法」は憲法にそぐわないとしてその時に廃止しなければならなかったのです。しかし国は廃止するどころか、1948年(昭和23年)にはハンセン病が遺伝病でないにもかかわらず、しかも国はそれを当然知っていたにもかかわらず、優生保護法を制定し、ハンセン病患者に対する優生手術を明文で認めたのです。
そしてさらに入園者らの命を掛けた強制収容反対や退園の法定化に、懲戒検束規定の廃止を求めた運動を尻目に「癩予防法」を改正し、「らい予防法」を制定したのでした。
このような経過で出来た「らい予防法」が違憲であることは明白であると考えます。また、そもそも「癩予防法」が違憲であり廃止すべきであったのです。

1996年(平成八年)三月、国はようやく「らい予防法」を廃止しました。しかし、入園者らが奪われた人生、苦しみに対する償いは何もされていないのです。国のハンセン病政策の誤りを明らかにし、入園者らの人権を回復する闘い、それがこの裁判です。

入園者が真に社会へ復帰できたとき、この裁判が終わるのです。