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思いこみではいけない-その二

東 京  小 林 尚 子

室に見舞い客が、素晴らしい真紅のバラを持って訪れました。しばらく楽しそうに話して「御大事に」の言葉を残して帰ってゆきました。その靴音が遠ざかるのを待っていたかのように、起き上がった患者さんはバラの花束を激しく床にたたきつけました。先刻までの見舞い客との穏やかな対応とは一変した状況でした。

「私の大嫌いな色、私がいちばん恐れている血の色を持ってくるなんて・・・」
この患者さんは出血で入院していたのです。見舞い客の善意は耐え難い恐怖の色だったのです。
思い込みという言葉は言い過ぎかもしれませんが、病む人の状況を知っていたら避けられた出来事でした。この話はその場に居合わせたHさんという患者さんが話してくれたものです。

さんは心臓の弁の一つである僧帽弁がよく締まらない閉鎖不全という病気でした。10年前、60才台で人工弁を入れる手術をしました。この時、医師から人工弁は実験上100年はもつと聞かされ手術に踏み切ったそうです。実験上100年は人体内のそれとは違いますが、Hさんは100年という言葉にしっかり反応して、これなら自分の寿命がつきても動いているのだと前向きになったのです。
術後数年、医師から弁に逆流がまた出たと言われ、実験と人体での弁の寿命、状況を理解できたからといって、再手術はもう考えられない、大事に身体をいたわって過ごし、入退院を繰り返していました。
術後10年頃からは、自由に動ける状況ではなくなりました。ベッドで寝てくれない、いつも椅子に座って居眠りをしている、どうしたものかと同居している娘さんは案じていました。
ベッドで休むことが身体に良いと考えるのは、健康な人は当然です。椅子で時にガクリと前転びしそうな姿は見ていて大変そうです。呼吸が苦しくなると仰臥位で休めなくなります。いちばん楽なのは、座った姿勢だと娘さんが理解してから、倒れないようクッションに囲まれてHさんは最期の日々を過ごしました。
ベッドに横になるのが楽だと思い込んだままで、無理にでもベッドに母を寝かさないで良かったとは娘さんの述懐です。

スピスのAさんもそうでした。
最初の頃は、投薬で短時間ずつでしたが仰臥位で睡眠がとれました。それでも時折、無意識のように起き上がりベッドサイドに足を下ろします。
頚部から点滴をという前後からAさんのベッドは上体を立てている時間が多くなりました。付き添っているOさんと話す時、体位のことは話題にはなっていましたが、ヒソヒソ話(Aさんの睡眠を妨げぬため)の中ではそれ程詳細には語り合わぬままに時が過ぎました。
ホスピスの人もそして私も呼吸困難になった時の体位は分かっています。分かっていながら、というか自然な経過として自分たちの中では分かっているため、介護する人に詳細に伝えるということの大切さを軽んじていたように思います。
通常にもまして、疲れてみえるOさんに代わってAさんのベッドサイドで過ごした時、そんなことを感じました。Aさんはこの頃ほとんど座位でした。うとうと眠りはじめると、介護者は倒れぬよう病人の背後から抱きかかえるように支えるか、前方に座って顔を支えなければなりません。病人の左右はいっぱいの枕で垣根を作ります。文字にすれば数行ですが、実際二四時間のそれは並ではありません。
夜、部屋を辞す時、新聞の余白にOさんへのメッセージとして「起座呼吸」が今の状況と書きました。それで何となく伝えたつもりで私は帰宅しました。これも又私の思い込みによる説明不足です。
たまたまナースが処置をしている時、Aさんのベッドが少し平らに近くなりました。Aさんの呼吸が荒くなり、酸素濃度が急激に落ちたのです。前傾に近い姿勢と酸素吸入で改善しました。
この時もOさんが「ああ、この姿勢なのね、分かった、これが楽なのね、寝ている姿勢じゃないのね」とつぶやいたのです。
ナースも私も姿勢の話は何度かしていたのですが、看る人に内容が伝えきれなかったのです。
それからOさん、母上の楽な姿勢のために枕や膝掛けを総動員しての奮闘、その姿は直視するのも辛い、涙ぐましい間断のない枕との闘いでした。
医師が来室の時、「こうした姿勢に対応できるベッドは考えられませんか?」と質問してみました。しばし沈黙の後「まあ、枕がいちばんでしょう。皆さんそうしていますよ」という言葉が返ってきました。
確かに枕はよく機能してくれます。それは私自身亡夫で体験済です。我が家の押入れには何種類もの枕があります。病む度に楽な体位のために求め続けた結果です。Aさんがホスピスに入った時、この枕を持参しようかと考えたこともあったくらいです。
しかし、完全看護が建て前の医療では、枕だけでは患者さんは楽に過ごせないのです。枕は動きます。積み上げても体動で崩れます。また積み上げです。これは二四時間体制、家族の役割です。ほんの少しベッドの工夫ができたら、この積み上げ作業が軽減できないかと思うのは素人の考えでしょうか? 病者、介護者共にやさしいベッドの広告をみる時、現実をみてのものなのかと質問したくなりました。

ンフォームド・コンセントをはじめ、善意のお見舞いも相手あってのものです。 
自分だけで納得してのものでは相手に伝わりません。最後に私の思い込みのホスピスの感想。
生があって死があります。入院があって退院があります。ホスピスからの退院は大部分が死を意味します。でも生の退院が正面玄関からあった方が病む人も、そして医療従事者にも自然ではないか?
隣室の名札の名前が変わることは隣人の死です。だから次に訪れる時も、どうか名前が同じであるようにと祈る気持ちになった日々そう思いました。
これはホスピスの本質を消化しきれない者の思い込みなのでしょうが、QOLを重視してのホスピスでの毎日、Aお母さんにはやはり今も、「お母さん、お疲れさま、苦しいのによくがまんしてくれましたね」 その言葉がいちばんと思えるのです。