東京都 小林 尚子
肝臓病のKさんから血液検査のコピーが送られてきました。やっと大学病院に出かける元気が出たので検査を受け、いつものようにチェックしてほしいというものです。
病状が快くなったから病院へ出かけて検査を受け、そして結果を知りたいからコピーを送ってくるという何とも奇妙な、そして医療の現状を反映したこうしたやりとりも随分長くなりました。
”あまり変化ないですよ”という医師の返答に何かフォローがほしいという気持ちからだと思います。
Kさん自身も検査の本などを買って勉強しているので、私の方も彼女のデータを毎回真剣に検討してきたつもりでした。しかし、それには私の思いこみがありました。はっきり言って説明と同意のいちばん大切な部分の欠如があったのです。
Kさんの血小板値はこのところ下降気味です。返信の時、赤丸を付けて「血小板値が減ってきています。一つの指標ですから注意して経過をみましょう」という言葉とその意味を書きました。するとその返信にKさんが電話をかけてくれました。
「PLATというのが血小板のことなんですね。検査結果って暗号みたいでしょう?値が異常かどうかは分かるけど、その暗号が何なのか、異常なのはどういうことなのか分かりません」
「Kさんごめんなさい。一応注意しなければいけないところだけ暗号の解読を送ります」
何ということか、私自身ごく当たり前にみえたデータの文字、確かに患者さんは正常かどうか分かっても、暗号が正常、異常という感覚でもって何となく分かったように安心したり、心配している場合があったことになぜもっと早く気付かなかったのだろう。全く申し訳ないの一言でした。
それから暗号?を日本語に書いてみました。グルタミン酸何々・・・と書いても、それだけではまだ暗号の続きみたいなものです。丁度訪れた友人と二人、解読した暗号をさらに分かりやすい日本語にする作業を進めました。そして検査結果の内容すべてを三分間診療の中で、詳しく分かりやすく説明し、理解してもらうのは到底不可能という結論に達しました。
それならどうすれば良いのでしょう?分からないことは何でも聞くのがまず大切ですが、時間がないとそれに応じられません。分かりやすい小パンフレットを作ったらどうかと考えてみました。それを見てゆっくり自分の検査結果を照らし合わせ、その上でまた疑問の点を聞くという形です。
こんなことを考えつつ、ホスピスのAさんのところへ出かけました。その日午前中、Aさんは持続的に血管確保のため、頚からの点滴の処置をとるというFAXが入っていました。それは又、緊急のためにも必要であると説明があったとのこと。ホスピスで緊急とは何だろうと考え、その処置の終わる午後Aさんが落ち着いた時刻をみはからって出かけたのです。
”ただいま”と部屋に入った時、Aさんの頚部に点滴はありませんでした。何回もトライしたが失敗に終わったということ。Aさんはどんなに辛かっただろうと心が痛みました。
夕刻、医師が訪れ、再度トライするという説明がありました。看護している娘のOさんは、睡眠、鎮痛剤でウトウトしている母上のベッドサイドで説明に聞き入っています。しかし聡明な彼女のいつもの表情ではありません。看病疲れのせいでしょうか?一緒に聞いていた私にはそうとばかりは思えませんでした。医師は頚部の血管の走り方や針を刺した時のリスクなど細かく説明しているのですが、それは聞き手がある程度解剖などの実際を分かっていてはじめて納得できるものなのです。後刻、
「ドクターの説明分かりました?」
「いやー、まあもう一度人を替えて違うところから刺す、危険もある、それだけ」
やはり本当のインフォームド・コンセントにはなりません。
帰宅後、考えました。一つの方法として頚から肺への血管の流れと中心静脈栄養の方法を簡単な絵にしてみることを思いつきました。次回訪れるまでに絵を書き上げよう、再トライは来週だからと何度か書き損じているうちに日が経ち、そしてそれが仕上がる前にAさんはもう声を聞くことのできない世界へ旅立ってしまいました。
Aさんとの最後の日々、思いこみではいけないことを感じたことはまだありますが、それは次の機会にしたいと思います。
Kさん、そしてAお母さん、お二人のことから今回私の感じたこと、聞いただけでは分からないことも、後で字や図を見てゆっくり考えると分かりやすくなります。
”もうそんな事、ずっと前からやってるよ”そんな医療従事者の方の声が聞けたら、こんなうれしいことはありません。
最後にKさんの言葉を記します。
週一回薬膳のサークル、そして日常の買い物、体調の悪い時はそれも大変だけれど、どうにかこなしています。いちばん疲れるのは病院での待ち時間です。毎日病院へ行ける体力が付くよう頑張っています。
やはり病院は元気でないと行けないということでしょうか?