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癌になっても家ですごせます

東京都  小林 尚子

題はある在宅ホスピスケアのパンフレットにあった文字です。かかりつけ医、薬局、訪問看護ステーションなどを核とし、家族が病者を支え、安心して自宅ですごせる形が紹介されています。

スピスに入院中のAさんは友人Oさんの母上です(先月ちょっとふれました)。Aさんのベッドサイドで一夜をすごした朝、帰途につく私とAさんの会話、
「お母さん、また来て良いですか?」
「いってらっしゃい」
「なあに?ごめんなさい。うまく看病できなくて、私また来ても良い?」
「いってらっしゃい」

鎮痛剤、眠剤でうとうとしながらAさんは気力を振り絞ってきれいな小さな手を振りながら何度もいってらっしゃいを繰り返してくれました。
Aさんの闘病も長くなりました。手術、放射線治療、その間入退院、自宅療養、そしてまた転移、今回のホスピス入りまで色々ありました。Oさんの許可を得、同時に私の反省も含め、その流れの中で感じたことの一部を記してみたいと思います。揺れ動く気持ちで冷静に表現できぬ点はご容赦下さい。
Aさんとの関わりは膀胱癌(転移性)の放射線治療の時からです。治療は成功し、自宅での生活が続きましたが、昨秋頃から不定愁訴が増し、特に左胸の痛みが耐えられぬほど強くなったのは今年の冬のことでした。
肺への転移も視野にありながら、Oさんからの電話で胸部レントゲン写真も撮っていて変化ないと医師から伝えられている由、他の原因をあれこれ考えて、痛みに対する対応療法など話し合いました。
ところが、再度の検査で肺転移、さらに肋骨の病的骨折も認められたのです。激しく起こった痛みはこの骨折によるものだったのかと検査結果を信頼してあれこれ話したこと、その間のAさんの苦しみを思うとごめんなさいではすまない気持ちに今も責められます。

Aさんの痛みに対する適切な処置がなされぬまま、その過程でOさんは在宅ホスピスケアの存在に出会いました。母上の闘病を通じOさんはいろいろ情報収集をし、常に二段、三段のそなえを考えていました。
検査、検査、そしてその結果を待つ間もAさんの痛みは待てません。ともかく疼痛、不眠を在宅ホスピスで何とかしようということになりました。これもまた省みての話になりますが、在宅ホスピスを長時間支えるのは家族です。医師、看護婦の訪問、滞在時間はそれに比してごくわずかです。個々人の症状に応じての治療というより、ある病態に対しての治療マニュアルがあって、薬剤量などがすでに決定されているようです。Aさんは不眠症に対し日頃薬を用いていたので、マニュアル通りの薬剤量では強すぎたようです。何故なら痛いながらも日常生活をそれなりに送っていたのに治療開始後はほとんどベッド上の生活になったからです。不穏状態になり医師に連絡するとさらに薬の量を増やす指示です。看続けるOさんは母上の世話に加え、慣れぬ医療器具の扱いまで一手にやらなければなりません。Oさんとの電話は、日を追ってというより時間を追って緊迫したものとなりました。在宅の場合、病状把握のための指導が必要ですが、机上の理論は実際とは違います。病状変化の時、運よく医療者の訪問があれば良いが、多くは家族が対応しなければなりません。脈は?呼吸は?という問いにOさんはナースのメモをみてPとかRとかつぶやきます。Pは脈拍の略ですよね。あーそうか!冷静な時なら何でもなく推測できる略語も分からなくなります。母上には申し訳ないが、会話は最悪の状態も想定し、呼吸の変化、手首で脈が分からなかったらどうするかまで及びました。交代の家族もままならず、長くなれば共倒れです。安心して在宅ケアをするには、看る側のケアも重要です。こうした家族の心労を医療サイドは果たしてどこまで分かっているのでしょうか?家族も含めてのケアがあってはじめて「癌になっても家ですごせます」と言えるのです。二週間あまりの在宅ケアを経て、Aさんはホスピスに移りました。ホスピスはどういうところかという認識が100%あったとは言い難い病状でした。そしてここでの生活も二ヶ月あまり、季節も変わりました。 
容態の変化に応じてくれる専門職の存在、完全看護でも家族の同居(?)可能、久し振りに入浴とホスピスはホッと一息のスタートでした。

べてにベストを求めるのは無理でも、ベターと思えるところで折り合う現状でしょう。ホスピスでは病者のQOLを重視し、安らかに日々をすごせると期待しますが病気はそううまくゆきません。Aさんも吐き気、全身倦怠感、等々の訴えは解消されません。結局、呼べば答えられる最低限のコンタクトをとれる状況の薬剤量でAさんは終日ウトウトの状況です。
ベッドから落ちたこともあります。ということは、完全看護とはいえ二四時間監視体制ですから家族の介助なしではすごせません。
「完全看護なのに家族はヘトヘトになりますね」
「ホスピスでは患者は楽にすごせるというけれど、ちっとも楽そうじゃない」
「何も治療しないんだからこういう所のドクターは気楽だと思う」
「何かできないんですか?この間アメリカで癌の新薬が出たでしょう。あれはどうですか?何もしないのって飼い殺しみたいじゃないですか」
動物実験段階の癌治療薬にもすがりたい気持ちを含め、ホスピスでそこを訪れる方の話(漏れ聞いた)のいくつかです。
時が経つにつれ、Oさんも疲れ体調を崩しています。患者さんも含め周囲の人もホスピスが分かっていながら、それでも何かできないかという思いが捨てきれない会話の数々です。私たちにできることは介護する人にほんの少しでも休める時間を作れるような人手の提供でしょうか。

Aさんの"いってらっしゃい"の声を後にホスピスの玄関を出ます。最初この玄関に立った時のことが思い出されます。
外界と遮断されたような重々しい二重の入口、気が滅入りました。入らずにUターンしたい気持ちでした。エイッとかけ声をかけて踏み込みました。内部の明るいラウンジとは何とかけ離れていることかと感じたのは私だけではないようです。
「小林さん、ホスピスの感想は?」
「うーん、病院は基本的に皆ホスピスなんですよね」
「それは患者サイドの考え方ですよ・」
「そうそう、あの玄関どう思います?」
「やはりね、感じます?」

だいまとAさんを訪れるにはまたあのゲートが待っています。きっと病んだことのない人の設計なのだ、でも可能ならば明るいウェルカムの入口にしてほしいという願いを持ってます。
こうしている間にもOさんは母上の看病に身を削っています。電話の時間も取れないのです。
"しんどいけれどそれ以上に苦しんでいる母を見ると力が湧いてくる"
という彼女の言葉が耳に残っています。そして私の書きたいこともいっぱいです。