常任世話人 佐々木 菜美
せっかくレセプトを手に入れたのに、出産が自費扱いであるために薬の名前は全く判りませんでした。レセプトは保険診療の請求にかかわるものですから、当然といえば当然の結果でした。しかし、私の受けた医療行為のうち、どの部分が保険の対象となりどの部分が自費に当たるのか、どうすれば判るのでしょうか。あの血液だけが保険でその他の点滴は全部自費?そんな馬鹿げた話があるでしょうか。ある産婦人科医にこの話をしたところ、「それは全部保険扱いでも良かったかも‥‥」と一言。だって、レセプトには堂々と「傷病名(1)弛緩出血(2)出血性ショック(3)鉄欠乏性貧血」と書かれているのですから。ね、納得できないでしょ。私は完璧に患者だったはずなのに。
この疑問を解決する手段はただ一つ。「カルテの開示」です。私の場合はたまたまレセプトから保険の適用部分を知ることができたわけですが(保険の適用されない部分の推測が可能)、自費である妊娠・出産はレセプトの開示を請求しようにもその根拠が全くないのです。カルテを見なければ、すべての情報を知ることはできないのです。やはり、「カルテの開示」が絶対必要ですね。
一方、病院の領収書からは何が見えてくるでしょうか。私が出産した病院が定めている分娩の基本料金は、33万8000円(7日間の全費用)です。そして、私が支払ったのは約五七万円。単純に差し引きすると約23万円分が自費の部分です。このうち個室料金が9000円×11日=9万9000円で、その他追加の食費やらもあるので、実質10万円位は診療に当てられた金額かなと想像しています。でも、この領収書は甚だ怪しくて、「個室料金」の欄には何の記載も無いし(まさか計上し忘れたなんてことは無いと思うけど)、一体どういう計算になっているのか、素人には全然わかりません。
実際の金額はともかくとして、自分が支払った費用がどのような医療行為の対価となるのか、まるで判らないという恐ろしさ。保険というチェックが無ければ病院はいくらでも取り放題、ということでしょうか。勿論、自由診療でも良心的な医療は存在するのでしょうが、かの宮様ならずとも、細心の注意で受ける医療の質と対価を吟味しなければならないようです。「何を今更」と言われそうですが、私のように「素人には全然判りません」なんて泣き言を言ってる場合じゃないってことですね。
お金のことになると、消費者としての意識が俄然よみがえってきました。なんだかセコいようですが、これは重要なことです。日本の医療費が‥‥などという漠然とした話ではなく、もっと身近な問題として考えなくては。インフォームド・コンセントも無く言い値で商売されては堪りませんからね。
そもそも、私がこの病院での出産を決めた理由は、単に持病(ゼンソク)の治療に通っていたからで、産婦人科に関する予備知識は皆無でした。退院後は自分と子どもそれぞれが、一ヶ月検診を受けただけで縁が切れてしまいました。自宅から遠いこともあり、また産後の回復も比較的順調だったことから受診する必要がありませんでした。また、内科の主治医であった医師が新設の付属クリニックに移ってしまったため、わざわざ離れた産婦人科へ行くのも面倒になってしまいました。本来ならば疑問の数々は直接病院に問い質すべきなのでしょうが、「まぁいいや、どうせもうあの産婦人科へは行かないから」と、例によって片付けてしまったわけです。
それでも、あの産婦人科が最悪だったということではありません。受診してみると文書での説明を含めてインフォームド・コンセントにも取り組んでいるし、種々のリーフレットなどもあり、「かなり努力しているな」と思っていました。保健所の母親学級で出会ったプレママさんたちに聞くと、「説明はほとんど無い」「超音波検査を毎回やるからすごく高くつく」等々、びっくりするような話が専らで、それに比べれば全然マシな病院だったのです。何事も無く出産していれば、私はすっかり満足して「あそこの産婦人科はいいよー」と宣伝していたかもしれません。口コミ情報があてにならないのは、病院選びでも同じことのようです。
終わりに‥‥妊婦は患者なの?
それにしても曖昧なのは、はたして妊婦は患者かという点です。しかしその前に、そもそも患者とは何なのでしょうか。当会が提唱する『患者の諸権利を定める法律要綱案』を見ても、この「患者とは何か」という定義は見当たらないようです。かの広辞苑を繙けば、患者とは「病気にかかって医師の治療を受ける人」で、まさに読んで字のごとく「患う者」としてのイメージしか浮かんできません。そこで妊婦は患者ではないということになり、ひいては「患者の権利法は適用にならない」という理屈が生じかねません。こうした詭弁を回避するためにも、「患者とは何か」という定義が是非必要と考えます。
当会が翻訳した『ヨーロッパにおける患者の権利の促進に関する宣言』によれば、患者とは「健康であるか病気であるかを問わず、保健医療サービスの利用者」と定義されています。ここにいう保健医療とは「医療、看護その他の医療提供者及び保健医療施設によって実施されるサービス」であり、また保険医療行為とは「あらゆる診断、治療、その他診断的、治療的、リハビリ的な目的を持ち、医師その他の保健医療提供者により行われる行為」と定義しています。わが国においても同様の定義があってはじめて、患者の権利法が正しく包括的な意味をもって受け入れられるのではないでしょうか。そうすれば、妊婦が疾病を伴うと突如患者に豹変して保険扱いという、不可思議な構図は解消するはずですから。
さて、四回にわたった本文もようやく終了に近づきました。読者の皆様、長々とご辛抱頂きまして本当に有り難うございました。また、体裁の整わぬ文章を少しでも読みやすく、と苦心して下さった編集部の方々にもお礼申し上げます。伝い歩きをしていた息子は、もう一人立ちして最初の一歩を踏みださんばかりとなりました。子どもの成長はある時は驚くほど劇的に、またある時は遅々としてじれったく、親の思い通りにはいかないものですね。今はできない事もいずれはきっと、そう信じて子育てと、それから「患者の権利法をつくる会」に取り組みたいと思っています。
それでは皆様、ごきげんよう。またお会いしましょう。