常任世話人 佐々木 菜美
皆様いかがお過ごしでしょうか。おかげさまで、長男ともども元気にしております。私を知る皆様の、「子育て?大丈夫かな・」と危惧する声をひしひしと感じつつ(実は当の本人が一番危ぶんでいる)、まとわりつく子を西行のように蹴散らしている毎日です。こうしてワープロに向かうのも一苦労です。なにしろ「ひも」と見れば引っ張ってなめるので(コンセントを抜かれたら!)子どもが寝ている時しか使えません。そう、敵は今昼寝中なのです。
さて、今年もまた確定申告のシーズンとなり、高額医療費に泣いた私も電卓片手に領収書と格闘することになりました。「妊娠は病気じゃない」とかいっておいて、医療費控除になるのはどういう理屈かな…でも私の場合、途中から患者になったんだから確かに医療費だ…などと考えていたら、面倒臭くなってしまいました。
そういえば以前、ヒゲの殿下と親しまれているあの宮様が、お昼のトーク番組で話されていたことを思い出しました。いわく、「皇族には入るべき社会保険がないから全部自費、だからどんな小さな検査でもその必要性やコストをよく吟味して…税金で生活しているから無駄には出来ない」云々。なるほど、世のお役人にも聞かせたいようなお話でした。
まあ、相手が宮様ともなれば病院の対応は自ずと違うのでしょうが、われわれ庶民は所詮「十把一からげ」。それは自費も保険も同じこと。「患者の権利」を語るとき、ときに「安い医療費で診てやっているのに権利を主張するなんて図々しい」的な医者の本音を耳にしますね。だがまてよ、自費ならインフォームド・コンセントもカルテ開示もOKで、じっくり丁寧に診てくれるのか…と思うのは私だけではないはず。自費も保険も関係なく、まず最初に「患者の権利」ですよね、原則は。
少々前置きが長くなりました。それでは本題に入りたいと思います。
顧みれば夢のような気がしますが、出産というのはやはり一大事業というべきものですね。陣痛室を通り越して分娩台へ上がったという、羨ましいような安産から私のような超難産まで、人それぞれながら本当に大変な経験です。何かトラブルがあれば、母子ともに生命の危険にさらされるのですから。でも、医者にいわせれば「妊娠は生理現象」なのだそうで、従って妊婦は患者ではないことになります。妊娠・出産は病気ではないということですね。そこで当然のことながら、妊娠中の定期検診や分娩自体は全部自費で支払わねばなりません。しかし、何かの疾病を伴えば、患者として保険を利用することになるわけです。保険の適用という視点から見れば当たり前のことなのかもしれませんが、この保険を適用するか否かの区別が極めて不明瞭と言わざるを得ないのです。どの治療が保険の対象となるか、或いはならないのか、妊婦の側には判らないからです。
また、病気ではないといっても医療行為を受けるのですから、自宅で産婆さんに助けてもらったり助産院で出産する場合、妊婦はどういう立場にあるわけでしょうか…。
いろいろ考えるといよいよ頭が混乱してくるようです。どなたか専門の方、素人にもよく判るように説明をしてくださると本当にありがたいです。
日誌
五月二日(一日目) 朝、陣痛を思わせる鈍い痛みに襲われる。予定日を一〇日もオーバーしていたので、半ばホッとしながら夫と病院へ向かう。確かに一〇分おきに陣痛がきているということで昼ごろ入院、遅くとも明日には出産かとまだ意気は盛んだった。しかし、陣痛は一向に強まらず、なかなか産まれそうにない。
五月三日(二日目) 病室と陣痛室(分娩まぢかの妊婦が待機する部屋)の往復で、腹部にモニターを付けて陣痛の間隔と強さを調べる。陣痛は弱いながらも七分間隔くらいで続いていて、食事も睡眠も満足にはとれなかった。
五月四日(三日目) さすがに疲れてきた。ぐったりと横になっていると産婦人科医長(兼病院長)がやってきて、「まだ産まれそうにないから一度自宅へ帰ってはどうか、いつでも来られるように荷物はこちらで預かってあげるから」と恐ろしい提案を切り出した。なんでも、陣痛が遠のいて、二度三度と改めて入院するケースがままあるらしい。「先生、でも痛いんですよ。今家に帰っても不安じゃないですか」というと、「いや、無理にとは言わない、まあ、まるきり陣痛が無くなったわけでもないし、あなたの自由だがよく考えてみて」とすこし譲歩するように去って行く。「これって追い出しだよね、冗談じゃないよ、こんなに苦しんでるのに」私と夫は居たたまれない気持ちで絶句。
五月五日(四日目) 当直の医師が診察をしてくれる。痛みの為ほとんど眠れず、フラフラの状態。きのうからバナナとプリンしか食べていない。「これ以上待っていたらあなたが参ってしまいますね。羊水も濁ってきているし、明日は朝から点滴して陣痛を強めましょう」。そうか、とうとう促進剤を使うのね。「で、でも大丈夫でしょうか、明日まで待って促進だなんて、私体力的に自信がありません」と正直な気持ちで訴えた。もうヤケクソになっていた私は、この際今からでも、いっそ帝王切開でも、なんでもいいから早くだしてくれ・と叫びたいくらい。「つらい気持ちは分かるけど、明日になれば今日薬を使うよりももっと少ない量で効き目が大きいと思いますよ。それに、万一帝王切開になったとしても、明日ならスタッフがそろっているから」。そうだ、ゴールデン・ウィークだ。だから、こんなセリフで巧く丸め込もうとしているんだ…。検査室から病室まで、医師が車椅子で送ってくれる。うたたねしていた夫が跳び起きた。
くどくどと書いてすみません。でも、こうして綴ってみると今更ながらため息が出てきます。日頃「患者の権利」を唱え、あまつさえ常任世話人などという身にありながらこの有り様。いざとなると情けないものですね。この時点では私は完璧に患者になっていたと思うのですが(病名は何?全然判らないけど)、もうヘトヘトで思考能力はゼロでした。
さて、いよいよ話は佳境に入るのですが、本当に大変なのはこれからだったのです。