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ハンセン病問題シンポジウムに参加して

九州大学大学院 近藤 智也

 

二月二八日、九州大学国際ホールで行われた「ハンセン病問題シンポジウム」に参加させていただいた。シンポジウムには一般市民・学生・マスコミ等の姿が多く見られ、また、菊池恵楓園・星敬愛園から入園者の方々が来られ、活発な意見交換がなされた。
シンポジウムは四名のパネラーのコメントを受けて展開された。四名とは、菊池恵楓園園長由布雅夫医師、九州大学増田雅暢助教授、同・角松生史助教授、徳田靖之弁護士である。紙幅の関係上全てを記すことはできないが、要略すれば次のようになろう。  

由布先生は、偏見・差別は無知から起こるとの認識から、地域社会との交流を通した啓蒙活動の重要性を説かれ、入園者の方が社会参加できる環境作りが社会復帰の前提であるとされた。
増田助教授は、政府の社会復帰支援調査検討会の一員としての立場から、同検討会の「中間報告」について触れ、社会復帰準備支援・相談事業の拡充・関係行政機関との連結とその強化・退所後一定期間の資金的支援等を説明された。
角松助教授は、戦後行政法学においては技術的なシステム面に重さが置かれた結果、システム内部の様々な人権侵害の現実に対して目が向かなかった事を指摘され、かつてのハンセン病療養所が空間的・時間的に閉ざされたものであって、新たな科学的・国際的知見を受け入れ、情報を開示し、国民に開かれた国民参加型の行政を模索する必要性を述べられ、この視角から新感染症予防法の分析がなされた。
徳田弁護士は、薬害エイズ・スモン等の被害救済活動に係わって来られた経験から話されたが、その内容は私にとって特に印象深いものであった。同弁護士によれば、加害者責任をはっきりとさせずして本当の回復があるのか、本当の救済・回復とは何なのかを鋭く問われ、被害の実態は本当に明らかにされ尽くしているのか、加害者責任は明確にされているのか、賠償として妥当なのか、原状回復につながるような社会復帰たり得ているのか、との根本的な問題提起がなされたからである。

各パネラーの発言は、それぞれの立場を踏まえたもので、その相違も比較的明確であったように思われるが、いくつかの疑問点もなかったわけではない。例えば、増田助教授によれば、支援策が他の行政政策とのバランス、国民の合意といった視点から捉えられ、社会復帰後の支援についても、地域社会での生活という点を考えれば特別扱いをすることはできないとされた点などである。政府の立場から、「公平性」が問題となることは分からなくもないが、ハンセン病を巡る問題が、果たしてバランス論によって解消され得るものなのか、そもそも「公平」とは、「国民の合意」とは何なのか。徳田弁護士の、政府の支援策が加害者の立場からというより一般の社会保障と捉えられている、との指摘は正鵠を射ているように思われてならない。溝の深さを痛感させられた。

もとより、このような問題点も含め、私にとって本シンポジウムは意義深かった。パネラーの方々の発言も示唆的であったが、入園者の方々のお話を伺うことができたからである。以前何度か恵楓園にお邪魔して入園者の方からお話を伺ったが、その度に、一人一人の方が抱えているものの大きさに圧倒された。今回も同様である。いわれなき差別や偏見を受け、故郷やこども、実名すら奪われた過去の、あるいは現在の体験を人前で語るのは我々の想像以上につらいことであろう。にもかかわらず、遠路来福され、それを我々に語って下さったのは、ハンセン病を巡る歴史を、出来事を、決して風化させてはならない、二度と繰り返してはならない、伝え残さなければならないとの思いからであろう。そのメッセージを、我々はどのように受け止めるのか。シンポジウム後の検討会では、学生の間から、自分の問題として受け止め、何ができるかを考えて行かねばならないとの発言が相次いだ。法律を学ぶ者は、多かれ少なかれ「人権」は大切であると教わる。しかし、ともすれば概念のみが一人歩きし、中身の空洞化を生んできたのではないのか。人権とはバランスでも同情でも知識でもなく、感性であると言われることの意味を改めて教えられたように思う。

由布先生は啓蒙活動が大切だと述べられた。徳田弁護士は「人の輪」を広げて行くことの重要さを語られた。とすれば、本シンポジウムが九州弁護士会連合会と九州大学法学部の共催で行われたことは、そのささやかながらも大切な一歩であると言えるのではないか。今後ともこのような催しが企画され、継続されることを願いたい。そして私自身、何らかの形でこの「輪」を広げる一助になりたいと思う。