第19期議案書

第19期議案書(2008年秋〜2009年秋)

1 患者の権利法制定に向けての動き

 (1) ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会

 ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会(通称ロードマップ委員会は、本年4月、「患者の権利に関する体系」を整理した上、「患者の権利擁護を中心とする医療の基本法」制定を提言する報告書をまとめ、厚生労働大臣に提出しました。
 ハンセン病問題に関する検証会議が、公衆衛生政策による人権侵害の再発防止策として、「患者・被験者の権利の法制化」を提言したことを受けて、このロードマップ委員会は、それをいかに具体化するかを検討してきました。この報告の「患者の権利に関する体系」には、患者の自己決定権、差別なしに良質、安全かつ適切な医療を受ける権利、疾病障害による差別の禁止、医療提供体制及び医療保障制度確保に関する国及び地方公共団体の責務などが含まれており、十分に患者の権利法制化の提言と評価し得るものです。日本医師会、日本病院会、全日本病院協会、日本精神科病院協会、全国自治体病院協議会、日本医療法人会、日本歯科医師会、日本薬剤師会といった医療提供者側の団体の役員が委員として参加したロードマップ委員会からこのような提言が行われたことは、患者の権利法制化を目指す上で極めて重要です。
 ロードマップ委員会は、現在、厚生労働省、医療関係団体、患者団体に対し上記報告書に対するヒアリングを行っています。

 (2) 安心社会実現会議

 麻生内閣において、「我が国の経済・雇用構造の変化や少子高齢化の進展等の環境変化を踏まえ、国民が安心して生活をおくることができる社会(安心社会)を実現するため、国家として目指すべき方向性や基本政策の在り方について」議論するために設置された安心社会実現会議は、6月に報告書「安心と活力の日本へ」を発表し、日本の医療費が抑制されてきたこと、急性期病院を中心とする医師不足の深刻化、地方での病院経営破綻などで医療に対する安心感が急速に揺らいでいることを指摘した上、「国民の命と基本的人権(患者の自己決定権・最善の医療を受ける権利)を実現するため、2年を目途にそのことを明確に規定する基本法の制定を推進しなければならない」としました。内閣総理大臣、内閣官房長官、経済財政政策担当大臣を構成員とする会議で、患者の権利法制定の必要性が指摘されたことは初めてのことです。
この「安心社会実現会議」が設置された背景には、小泉改革によって推し進められてきた新自由主義的的な改革への批判がありました。8月に政権が交代しましたが、その政権交代の大きな原動力の一つも小泉改革批判だったはずです。安心社会実現会議が示した方向性は、新政権のもとでも十分に妥当すべきものといえます。

  (3) 「医療基本法」をめざす動き

 医療政策を立案・推進する次世代リーダー育成を目的として開講した東京大学医療政策人材養成講座(HSP)の第四期生医療基本法策定プロジェクトは、昨年10月に「医療基本法の提案〜納得のいく持続可能な医療の実現のために〜」を公表し、医療基本法の骨子案を示しました。この提言を踏まえて、本年5月には、「患者の声を医療政策に反映させるあり方協議会」が、自民、公明、民主、共産4党の議員を招き、医療基本法に関する勉強会が開催しています。また10月には、公開シンポジウム「今、医療基本法を考える〜いのちを救うグランドデザイン〜」が開催される等、活発な活動が展開されています。
このプロジェクトチームの動きは、私たちの進めてきた患者の権利法運動とは出発点が異なりますし、「医療政策による人権侵害の再発防止策」からスタートしたロードマップ委員会との議論とも異なります。しかし、上記の提言でも「諸外国で立法化されている患者の権利に関する基本的理念等は、当然、医療基本法の中に規定され、それを受け、医療法、医師法等の個別法を改正し、必要に応じて特別法(医療事故原因究明・再発防止等)を制定する」とされており、憲法13条、25条の理念を具現化する医療政策の基本法を求めるという点では同じです。このような動きが、私たちとは全く異なるところから起こってきたことは、患者の権利法制化、医療基本法制定の今日的な意義を示すものと言えます。

2 安全な医療を目指す動き

 (1) 診療関連死の原因究明制度

 厚生労働省の「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止の在り方に関する試案〜第三次試案」及び「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案を巡り、様々な場所で議論が行われました。厚生労働省は、寄せられた多数のパブリックコメントに対し「現時点における厚生労働省の考え」(平成20年10月9日)を公表し、昨年11月から本年1月にかけて、各地方厚生局(九州・東海北陸・中国四国・関東信越・東北)主催のパネルディスカッションという形で広報活動を展開しましたし、医療団体や市民団体もそれぞれの立場から集会を開催して活発な議論を行っています。
 本来であれば、法案という形にとりまとめて国会に提案する時期ではないかと思われますが、8月末の総選挙で多数を占め、連立内閣の中心となった民主党は、厚労省案に対し、従来、「医療に係る情報の提供、相談支援及び紛争の適正な解決の促進並びに医療事故等の再発防止のための医療法等の一部を改正する法律案(通称:患者支援法案)」、「医療事故等による死亡等(高度障害含む)の原因究明制度(案)」といった対案を提示していました。この民主党案は、厚労省案に反対する一部の医師層の声を色濃く反映している部分があり、この政権交代を経て、厚労省の第三次試案及び大綱案がどうなるかは予断を許さない状況です。

(2) 産科無過失補償制度

 本年1月に制度が発足し、9月の第2回審査委員会にはじめて5件の審査が係属し、5件とも補償対象とされました(5件とも出生体重2,000ℊ以上かつ在胎週数33週以上)。この制度は脳性麻痺児及びその家族の経済的負担の補償とともに、脳性麻痺発症の原因分析に基づく再発防止策の提言を行うことを目的としており、審査委員会とは別に原因究明委員会が設けられています。これまで、原因究明委員会では、原因分析の手法や、報告、公表のありかたの議論が行われていましたが、今後は実際の認定例に対する原因分析作業が行われるものと思われます。この作業は、前項の診療関連死の原因究明制度のありかたについても影響を与える可能性があります。

 (3) 裁判外紛争解決手続(医療ADR)

 2007年9月の東京三会にはじまった医療ADR設置の動きは、日弁連の働きかけによって全国に広がり、本年10月までに札幌、仙台、愛知県、大阪、岡山、福岡県の各弁護士会に医療ADRが設置されました。日弁連によれば、このADRに仲裁が申し込まれた事件の6〜7割が解決を見ているとのことであり、医療被害救済、医療紛争解決の選択肢として活用が期待されます。


3「医療を受ける権利」を巡る状況

 別紙に8月の総選挙における各党公約(マニフェスト)の医療に関する部分を整理しました。医療を受ける権利が危機的状況にあること、80年代以来続いてきた医療費抑制政策が限界にきていることは既に共通認識となっており、各党それぞれに医師養成数の増大、公的病院に対する支援、診療報酬上の医療従事者の人的労力への評価等を打ち出しています。後期高齢者医療制度も、その廃止を主張する民主党、社民党が内閣を構成したことにより、廃止が予測されます。
 しかし、このような政策は相当の予算措置を伴うものであり、かつ、単年度の予算措置で当面を糊塗できるような性質のものでもありません。与党、とりわけ民主党のマニフェストがどのように実現されていくのか注目されます。


現段階の情勢

 患者の権利法制定運動の目標は、日本の医療制度の根幹に患者の権利という理念を据えるところにありました。憲法13条、25条の直接の下位規範であり、医療分野における全ての法制度の上位規範となる医療基本法を制定し、その基本理念の章に患者の権利を保障する条文を置くというのは、まさに、私たち患者の権利法をつくる会が目指してきたことそのものです。その意味では、ロードマップ委員会や安心社会実現会議で医療基本法による患者の権利法制化が提唱されている現在、わたしたちの運動はかつてないほどにその目的に近づいていると言えます。
 その背景には、各党マニフェストで示されたような、医療を受ける権利が危機的状況に瀕しており、80年代以来続いてきた医療費抑制政策が限界にきているという共通認識があります。HSP医療基本法策定プロジェクトも、全く同じ背景から出てきたものであるはずです。
 その一方では、「医療崩壊」の表面のみを捉え、患者の責任を過度に強調し、その権利行使を抑制する方向に流れるような安易な議論もあります(いわゆる「モンスター・ペイシェント」現象や「コンビニ受診」弊害の強調など)。このような議論が主流を占めれば、患者の権利が全体として後退する局面に入ることもあり得ます。
 患者の権利運動にとって、まさに正念場です。