第13期議案書

第13期議案書(2002年秋〜2003年秋)

(1) 安全な医療を目指す動き

 昨年(2002年)4月に発表された厚労省医療安全対策検討会議報告書「医療事故を未然に防止するために」による問題提起を受けて、同年7月に発足した「医療に係る事故事例情報の取り扱いに関する検討部会」は、本年4月15日に報告書を発表しました。  この報告は、第三者機関による事故事例の収集・分析を提言し、「全ての医療機関を対象に、収集範囲を厳密に区分せず、事故事例等を幅広く収集すること」としつつ、国立高度専門医療センター・国立病院・国立療養所・大学病院(本院)といった医療機関に対しては重大な事例の報告を義務付けることとしました。厚労省は、この第三者機関として、財団法人日本医療機能評価機構内に事故分析の新部署を設置する方針と伝えられています(8月28日共同通信)。報告が義務付けられる「重大な事例」については、検討部会の中に新たに「報告範囲検討委員会」が設置され、議論が開始されました。
 また、この報告は、「医療安全対策を推進する上での基礎情報とするため、全国的な事故の発生頻度の把握が必要」であるとして、「我が国においても、諸外国の例を参考としつつ、事故の発生状況の把握のための調査研究を早急に開始すべきである」としました。これを受けて、厚生労働科学研究「医療事故の全国発生頻度に関する研究」が今秋から開始されることとなり、8月に第1回運営委員会が開催されています。
 なお、この検討会では、医療事故被害者からのヒアリングも実施され、訴訟外での医療被害補償制度(医療紛争解決制度)も議論の俎上に登りましたが、報告書は、検討の必要性を認めたうえ、「医療をめぐる裁判外の紛争解決の現状や自動車事故等の他分野での動向等を参考としつつ、別途、調査研究を行い、議論を重ねていくことが求められる」としています。

(2) 医療情報提供及び医療記録開示を巡る動き

 5月に個人情報保護法が成立しました。
 この法律は、「個人情報取扱事業者」に対し、「本人から、当該本人が識別される保有個人データの開示を求められたとき」には、遅滞なく開示することを義務付けており、医療機関の保有する患者の医療情報もその例外ではありません。即ち、個人情報保護法に定める範囲においては、カルテ開示は法的義務として明文化されたと評価することができます(但し、カルテ開示を定める部分は「公布の日から2年を超えない範囲で政令で定める日」から施行することとなっており、現時点ではまだ未施行です)。
 但し、「個人情報取扱事業者」としては、データベース化された個人情報が5000件以上の事業者が想定されているため、カルテ開示の法的義務を負わない小規模なクリニックもあり得ると考えられます。また、個人情報保護法はあくまでも、情報主体からの開示請求を権利として認めるものであり、遺族による開示請求はこの法律の範疇に含まれません。
 一方、昨年7月に発足した厚労省「診療に関する情報提供等の在り方に関する検討会」は、本年6月に報告書を発表し、カルテ開示法制化について積極・消極の両論を併記した上、「いずれにしても、個人情報保護法等が施行されるまでの間にも診療情報の提供をできる限り促進し、また、個人情報保護法等では対象外となる一定の小規模医療機関による診療情報の提供や、遺族への診療記録の開示についても促進するため〜各医療機関が則るべき運用指針を策定すべきである」としました。
 厚労省は、この報告書と同時に発表した「診療情報の提供等に関するガイドライン(案)」に対する意見を公募した上、9月12日付で、各都道府県知事宛に「診療情報の提供等に関する指針」を通知しました。
 この厚労省指針の内容そのものは、昨年10月に改訂され本年1月から実施されている日本医師会「診療情報の提供に関する指針(第2版)」とほぼ同様とはいえ、従来の、任意団体の自主的な規範が、公的な政策として明確化されたことは大きな前進であると考えられます。
 また、実質的に最も大きく異なるのは、日医指針が「裁判問題を前提とする場合は、この指針の範囲外であり指針は働かない」としているのに対し、厚労省指針は「訴訟を前提としていることのみを理由として診療記録の開示を行わないことにはならない」との立場を採っていることです。
 日医指針に関しては、従来から、この「裁判問題」を拡大解釈した開示拒否事例が多いことが指摘されており、この問題がカルテ開示請求の最大の壁となっていました。厚労省指針は、この壁を克服する大きな武器と考えられます。

(3) そのほかの動き

 1) 医療安全支援センター

 昨年4月の厚労省医療安全対策検討会議報告書「医療事故を未然に防止するために」において、患者の苦情・相談窓口として都道府県に設置する方針が出された医療安全支援センター(当時は、仮称「医療安全相談センター」)は、本年4月の「医療に係る事故事例情報の取り扱いに関する検討部会」報告書においては、医療事故再発防止の観点から、患者・家族からの事故情報の収集及び事故事例の分析、さらには「当事者の求めに応じて専門家を派遣し、事故の原因究明や改善方策等に関する指導・助言を行うことにより当事者の話し合いを支援する」といった機能を求められることになりました。また、「診療に関する情報提供等の在り方に関する検討会」報告書及び「診療情報の提供等に関する指針」も、医療安全支援センターを、診療情報の提供に関する苦情処理機関と位置づけています。
厚労省は、4月に各都道府県知事宛に「医療安全支援センター運営指針」を通知し、5月には関係課長会議を開催して、各自治体に、設置を急ぐよう要請しました。10月6日に開催された医療安全対策会議では、10月1日現在で既に38都道府県が設置済みであると報告されています。5月1日時点では、設置済みの都道府県は24にとどまっていましたので、5ヶ月間で新たに14都道府県でセンターが設置されたことになります。
但し、従来から形式的に存在していた開店休業状態の医療相談窓口を以て「設置済み」と報告している自治体もあるらしく(例えば福岡県)、その実情は不透明なものがあります。各県庁のホームページなどで、医療安全支援センターの概要が把握できるのは、愛知県、佐賀県、福井県など、ごく少数です。

 2) 心神喪失者医療観察法案

 精神障害者に対する人権侵害が指摘されている「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案」(いわゆる「心神喪失者医療観察法案」)が、6月、与党による強行採決という形で成立しました。

 3) 感染症予防法改正案

 SARS(重症急性呼吸器症候群)対策を中心とする「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症予防法)が国会に上程されました。1998年10月に成立した現在の感染症予防法(当時は通称「感染症新法」)は、予防偏重で感染症患者の人権に対する配慮が不足していることが指摘されていましたが、今回の改正でもその点は放置されたままです。

現段階の情勢

 個人情報保護法によってカルテ開示が部分的には法的義務となったこと、また個人情報保護法の対象外の部分についても厚労省の指針が策定されたことは、極めて大きな前進です。もちろん公的な指針とはいえ、法的義務ではないという限界がある以上、「医療記録法」制定の必要性は喪われてはいませんが、当面、厚労省指針を最大限活用してカルテ開示を普及していく取り組みが重要だと考えられます。
 医療事故報告制度の関係では、「報告範囲検討委員会」での議論が重要です。この検討委員会の議論の叩き台は、3月の「医療に係る事故事例情報の取り扱いに関する検討部会」に提出された「報告を求める事例の範囲について(例示案)」であり、ここでは、1)明らかに間違った医療行為により患者が死亡した、若しくは患者に永続的な高度な障害が発生した場合、2)手術、検査、処置(麻酔を含む)が原因となって患者が死亡した、若しくは患者に高度な障害が発生した事例で、当該行為実施前に予期できなかったもの、という二つの類型が挙げられていますが、7月29日の第1回検討委員会では、日本医師会常務理事である星委員が報告の範囲を1)に限定する方向での議論を展開しています。また、星委員はJPNの取材に応えて、第1回検討会の前日である7月28日に厚労省との間で「報告を義務付ける医療機関の拡大については検討しないこと」を確認したと述べています。もちろん「報告範囲検討委員会」の本来の課題が報告対象となる事故の範囲の確定であることは確かですが、報告義務を負う医療機関を限定したのはあくまでも当面の措置であり、「今後とも本制度の充実を検討していくべきである」というのが検討部会報告書のスタンスです。検討委員会における星委員の消極姿勢は際立っており、そのまま日本医師会の姿勢を示しているものと理解すべきでしょう。
  しかし、1998年の「カルテ等診療情報の活用に関する検討会」報告書以来の日医の動向を見る限り、消極姿勢を維持しながらも世論の動向には抗えないといった印象です。安全な医療を求める声を強め、日医の消極姿勢を克服して事故報告制度を充実させる取り組みが求められます。
  各地で設置されつつある医療安全支援センターは、カルテ開示の厚労省指針を活用していくためにも、また患者側からの医療事故情報を再発防止策に活かすためにも、重要な役割を果たす可能性があります。積極的に活用しなければ、形骸化してしまう性質のものだけに、この制度を患者の権利運動の中でどう位置づけるかが課題となります。
 医療事故報告・調査制度と医療被害補償制度は、車の両輪であるというのが、私たちの「医療被害防止・補償法要綱案の骨子」の立場ですが、現在は、報告調査制度の議論のみ先行するという、いわば跛行状態にあります。その中で、「医療に係る事故事例情報の取り扱いに関する検討部会」報告書が、医療紛争の裁判外解決システムについて、調査・研究の必要性を指摘したことは極めて重要です。現時点では、この問題提起に応えて新たな検討会を設置する動きは見えませんが、被害補償制度の必要性を積極的に訴える絶好の機会であることは間違いありません。