第17期議案書

第17期議案書(2006年秋〜2007年秋)

1 患者の権利法制定に向けての動き

 ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会において、患者・被験者の権利の法制化の議論が本格化しました。2007年3月8日の第4回、4月19日の第5回検討会には、つくる会事務局長小林が、ハンセン病問題の現状と患者の権利法制化の意義についてヒアリングに応じました。9月19日の第7回検討会では、元国立国会図書館調査官の林かおり氏からヨーロッパにおける患者の権利法制について、現調査官の恩田裕之氏からフランスとドイツにおける医療苦情処理制度についてのヒアリングが為されました。委員の中には、患者の権利法制化に向けて頑強に反対する声も僅かながらありますが、検討会座長代理を務める内田博文当会世話人(九州大学法学研究員教授)、及び委員の鈴木利廣常任世話人(明治大学法科大学院教授)を中心に、全体的には、患者の権利法あるいは患者の権利保障を中心とした医療基本法的な法律の制定に向けて積極的な議論が進んでいます。
 いずれは、この検討会から厚労省に対し患者・被権利者の法制化に特化した検討会等の諮問機関を設置を提言することになると思われますが、その前提としての論点整理をしているというのが現状です。

2 安全な医療を目指す動き

 (1) 医療改革関連法案による医療安全対策

 2006年6月に成立した医療改革関連法案が本年4月から施行され、医療法他関連法規による医療安全対策が開始されています。

i 医療安全センターの制度化

 医療法6条の11が新設され、都道府県に医療安全センターを設置する努力義務が規定されました。この医療安全センターの機能は、1)患者・家族からの医療機関に関する苦情相談への対応、2)医療機関及び住民に対する医療の安全確保に関する情報の提供、3)医療機関の管理者及び従事者に対する医療の安全に関する研修の実施等であり、2003年4月に運営指針が通知された「医療安全支援センター」が法律上の制度として位置づけられたものです。

ii 行政処分を受けた医師に対する再教育制度

 医師法7条の2が新設され、厚生労働大臣は、戒告(医師法7条2項1号)もしくは医業停止(同2号)の行政処分を受けた医師、または医師免許取消(法7条1項または同2項3号)後、再免許(同3項)を受けようとする医師に対し、医師としての倫理の保持及び医師として具備すべき知識及び技能に関する研修を受けることを命ずることができることになりました。2003年12月の坂口厚労大臣「医療事故対策緊急アピール」に含まれていた医師の再教育制度が法制化されたものと言えます。

iii 医療機関内部の安全管理対策

 これまで医療法施行規則で規定されていた医療安全に係る事項が、医療法6条の10の新設により法律上の義務となりました。また、これまでは病院・有床診療所に義務付けられていた「医療安全指針」の整備等の対策が無床診療所にも義務付けられ(医療法施行規則1条の11第1項1号)、全ての医療機関に対し、医薬品安全管理責任者、医療機器安全管理責任者をおくことが等(同3項2号及び3号)義務付けられています。

 (2) 診療関連死の死因究明制度

 2005年9月1日から開始された「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」は、現在までに59事例の届出を受付け、うち32事例の評価が終了しています。
 この事業の成果等を踏まえ、厚労省は2007年3月に「診療行為に関連した死亡の死因究明等のあり方に関する課題と検討の方向性」を発表、これに対するパブリックコメント募集及び「診療行為に関連した死亡の死因究明等のあり方に関する検討会」の議論を経て、同年10月、「診療行為に関連した死亡の死因究明等の在り方に関する試案(第二次試案)」を発表しました。概要は以下のとおりです。

1) 診療関連死の死因の調査や臨床経過の評価・分析を担当する組織として医療事故調査委員会(仮称)を設置する。

2) 委員会は、原因究明・再発防止を目的とし、医学的な観点からの死因究明と医療事故の発生に至った原因分析を行う。

3) 同様の事例の再発防止、医療事故発生動向の正確な把握、医療に係る透明性の向上等を図るため、医療機関からの診療関連死の届出を義務化し、届出を怠った場合には何からのペナルティを科す。< /p>

4) 届出対象となる診療関連死の範囲については、現在の医療事故情報収集等事業の「医療機関における事故等の範囲」を踏まえて定める。

5) 診療関連死については、全ての事例について委員会を主管する大臣がまず届出を受理し、必要な場合には警察に通報する。本制度に基づく届出がなされた場合における医師法第21条に基づく届出の在り方について整理する。

6) 遺族からの相談も受け付け、医療機関からの届出がない事例であっても、診療関連死が発生したおそれが認められる場合は調査を開始する。

7) 調査報告書を遺族及び医療機関へ交付するとともに公表を行う。

上記のような内容は、死亡事故に限定して言えば、「つくる会」が2003年1月に厚労省「医療に係る事故事例情報の取扱いに関する検討部会」宛提出した「医療事故報告制度に関する意見書」の内容にほぼ沿うものといえます。
 この第二次試案に対するパブリック・コメント募集を経て11月8日に開催された第9回検討会では、寄せられたコメントが発表されるとともに、調査会を、厚労省内部に設置するか、内閣府の下に独立行政委員会として設置するかといった議論が闘わされました。
 パブリック・コメント中、日本医師会及び日本病院団体協議会が団体として「大筋賛成、全面協力」を表明する一方、全国保団連及び個人から寄せられた87件(うち65件が医療従事者)の多くが萎縮医療に繋がることを指摘して反対論・慎重論を表明するものであることが注目されます。委員の中には医療事故に対する刑事司法の役割を高く評価する意見もあり、届出義務を負う医療事故の範囲、届出義務違反に対するペナルティの有無、医師法21条との関係等について、もう少し議論が続きそうです。

 (3) 産科無過失補償制度

 2006年11月自民党政務調査会社会保障制度調査会医療紛争処理のありかた検討会が「産科医療における無過失補償制度の枠組みについて」を提案、平成19年2月から、厚生労働省の委託を受けた財団法人日本医療機能評価機構に産科医療補償制度運営組織準備委員会が設置され、実施に向けた検討が行われています。8月には「産科医療保障制度設計に係る医学的調査報告書」(産科医療保障制度調査専門委員会)が提出され、現在、補償範囲などを中心に議論されています。

3 終末期医療について

 (1) 厚労省ガイドライン

 厚労省は、2006年9月に「終末期医療に関するガイドライン(たたき台)」を発表してパブリックコメントを募集、その後、平成19年1月からの「終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会」での議論を経て、5月、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」及びその「解説」を発表しました。
 厚労省のガイドラインの概要は以下のとおりです。

1) 患者の意思が確認できる場合は、インフォームド・コンセントに基づく患者の意思決定を基本とし、多専門職種の医療従事者から構成される医療・ケアチームとして行う。

 2) 患者の意思確認ができない場合には、

i 家族が患者の意思を推定できる場合には、その推定意思を尊重し、患者にとっての最善の治療方針をとることを基本とする。

ii 家族が患者の意思を推定できない場合には、患者にとって何が最善であるかについて家族と十分に話し合い、患者にとっての最善の治療方針を採ることを基本とする。

iii 家族がいない場合及び家族が判断を医療・ケアチームに委ねる場合には、患者にとっての最善の治療方針を採ることを基本とする。

 (2) 日本救急医学会のガイドライン

 日本救急医学会は2007年9月、「救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)」を策定、発表しました。
 このガイドラインは、「終末期」を以下の1)〜4)のいずれかに該当する場合と定義します。

1) 不可逆的な全脳機能不全(脳死診断後や脳血流停止の確認後なども含む)と診断された場合

2) 生命が新たに開始された人工的な装置に依存し、生命維持に必至な臓器の機能不全が不可逆的であり、移植などの代替手段もない場合

3) その時点で行われている治療に加えて、さらに行うべき治療法がなく、現状の治療を継続しても数日以内に死亡することが予測される場合

4) 悪性疾患や回復不能な疾病の末期であることが、積極的な治療の開始後に判明した場合

 「終末期」と判断した場合には、主治医は家族らにその旨を説明し、家族らが延命措置に対して積極的である場合にはその意思に従う。家族らが延命措置中止を受容する意思がある場合には、延命措置を中止する。中止の方法は、リビング・ウイルがあればこれに従い、ない場合には家族が本人の意思を忖度し、その容認する範囲で延命措置を中止する。家族らの意思が明らかでない、あるいは家族らでは判断できない場合には、主治医を含む医療チームが対応を判断するというのが概ねの内容です。
 厚労省のガイドラインが、あくまでも手続的なものであったのに対し、終末期の定義及び人工呼吸器取り外しを含む延命治療の中止方法にまで踏み込んでいるところが特徴的です。

 (3) 臨死状態における延命措置の中止等に関する法律要綱案

 2007年5月、「尊厳死の法制化を考える議員連盟」は「臨死状態における延命措置の中止等に関する法律要綱案」を発表しました。
この要綱案の眼目は、「医師は、患者が延命措置の中止等を希望する意思を書面により表示している場合(当該意思の表示が15歳に達した日後においてなされた場合に限る)であり、かつ、臨死状態にあると判定された場合であって、その旨の告知を受けた当該患者の家族が延命措置の中止等を拒まないとき又は当該患者に家族がいないときは、延命措置の中止等をすることができるものとすること」という条項、つまりリビング・ウイルに基づく延命治療の中止に対する刑事免責です。一方、前述する二つのガイドラインで検討されている「本人の意思が確認できない場合」については何も触れません。さらに「延命治療の中止等」に「延命治療を開始しないこと」を含むことにより、DNR指示にも本人の意思表示が必要であるとの解釈となり、今日の臨床現場で広く実施されている家族の同意によるDNR指示をどう位置づけるのがという問題があります。
日本医師会はこの要綱案に対して、専ら現在実施されている延命治療の中止等に対する萎縮効果が大きいという観点から消極的な姿勢を示し、日弁連は、尊厳死法制化以前に患者の権利法の制定による現在の医療・福祉・介護の諸制度の不備や問題点の改善が必要として反対しています。


現段階の情勢

 2006年2月に福島県立大野病院の産科医師逮捕を契機に叫ばれ始めた「産科医療の崩壊」の声は、同年6月の医療改革関連法成立を経て、産科のみならず全診療科目にわたる「日本医療の崩壊」の訴えに拡大してきました。
 厚生労働省は、この「医療崩壊」を、地域間及び診療科間の医師偏在の問題と捉え、ハイリスクの分野を担当する医師の萎縮を防止するため、診療関連死の死因究明制度及び産科無過失補償制度の議論を急ぎ始めたという経緯があります(2006年8月「新医師確保総合対策」)。しかし、少なくとも診療関連死の死因究明制度についていえば、「医療機関からの診療関連死の届出を義務化し、届出を怠った場合には何からのペナルティを科す」、「診療関連死については、全ての事例について委員会を主管する大臣がまず届出を受理し、必要な場合には警察に通報する」という部分で多くの臨床医の反発を招いています。一方、長年続いてきた医療の閉鎖性に対する批判は根強く、警察による医療事故の解明が二次的なものになることを警戒する声も少なくありません。死因究明制度の重要性、必要性は当然ですが、これが医師確保対策として機能することは期待できません。
 「医療崩壊」という言葉で何を意味するかは論者によってやや異なると思われますが、分娩を取り扱う医療機関の減少、救急医療(特に小児)機関の減少、外科系を志望する医学生の減少等といった現象が起こっていることは事実です。これに医療事故問題がどれほど影響しているかは不明ですが、これらの分野が医療従事者の過重かつ過密な労働によって支えられてきたことも間違いありません。
 結局のところ、1980年代以降継続された医療費抑制政策及び医師数抑制政策による医療の歪みが、2006年6月の医療改革関連法案を頂点とする小泉改革によって臨界点を超えたのが、今日の「医療崩壊」と呼ばれる状況なのではないかと思われます。
 患者の最善かつ安全な医療を受ける権利や自己決定権の実現のためには、質・量ともに十分な医療従事者によるサポートが必要です。2006年8月「新医師確保総合対策」には「一定期間、将来の医師の養成を前倒しするという趣旨」での医学部合格者の微増が含まれていますが到底十分なものとは言えません。

※ もともと1997年の橋本内閣で「医学部定員の削減に取り組む」との閣議決定がなされています。現在の全国の医学部の定員は年間約8,000人、これを特に医師不足が深刻な10県につき最大10名の増員を認めるというのが「医師確保総合対策」の内容ですが、日本の医師総数は約25万人であり人口比あたりの医師総数をOECD諸国平均並にするためには約13万人足りないとの試算があります。

 市民と医師との間の不信感を解消し、安全な医療を実現するためには、患者の権利の観点から、医療費抑制政策及び医師数抑制政策の転換を訴えることが必要だと思われます。「医療崩壊」の危機的状況は、日本の医療制度の根底に患者の権利を据えるための大きなチャンスであると捉えることもできます。
 患者の権利法制化に向けても、患者の権利が医療機関、医療従事者に対する医療契約上のものにとどまるのか、国に対する基本的人権と位置づけるべきものかといった点、あるいは自己決定権を中心とする自由権的な権利なのか、あるいは最善の医療を受ける権利という社会的な権利をも含むものかといった点が論点になりそうです。医療崩壊を阻止し、よりよい医療制度を構築するために、自由権的な側面と社会権的な側面を表裏一体として保障する患者の権利法という観点が重要です。