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    <title>更新情報</title>
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    <updated>2021-04-09T11:29:28Z</updated>
    
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    <title>266号　書籍紹介『患者と医療従事者の権利保障に基づく医療制度-新型コロナウイルス禍を契機として考える』 - けんりほうNEWS</title>
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    <published>2021-04-09T05:53:14Z</published>
    <updated>2021-04-09T11:29:28Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	&nbsp; 	書籍紹介 	『患者と医療従事者の権利保障に基づく医療制度-新...]]></summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="書籍紹介" label="書籍紹介" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<em>書籍紹介</em></p>
<p>
	『患者と医療従事者の権利保障に基づく医療制度-新型コロナウイルス禍を契機として考える』</p>
<p align="right">
	岡田行雄編著　現代人文社</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	　この時期、まさに待たれていた書籍が発行されました。編著者らは、当会の常任世話人で、実質的顧問ともいうべき内田博文九州大学名誉教授の愛弟子の面々です。「はしがき」に、執筆者は内田名誉教授から指導を受けてきた刑事法研究者で、中には精神医療の問題に取り組んできた者もいるが、医事法の研究者がいるわけではない、と紹介されています。</p>
<p>
	<img alt="スクリーンショット 2021-04-04 13.32.35.png" class="mt-image-none" src="http://kenriho.org/news/kenrihonews/2021/04/09/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%202021-04-04%2013.32.35.png" style="width: 180px; height: 260px; margin-left: 10px; margin-right: 10px;" /></p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	　その7名の執筆者が、患者の権利保障を定めた医療基本法制定の動きを踏まえた医事法の教科書がないとの内田先生の話を受け、2019年3月に執筆のための研究会を立ち上げ、取り組んでいた矢先、コロナ禍が世界中を席巻しはじめたのです。当然ながら、そのようなさなかでの教科書づくりは、コロナ禍によって浮かび上がってきた様々な医療制度や医事法上の問題点を中心的に扱うものにならざるを得ませんでした。</p>
<p>
	　それにしても、コロナ禍が生じてからわずか1年で、日頃医療分野を専門的に扱っていない執筆者のみなさんが、これほど広範な領域において、しかもこの間のさまざまな情報をていねいに渉猟しつつ、真摯に論じている姿勢には、心よりの敬意を表せざるを得ません。</p>
<p>
	　本書の構成は次のとおりです。</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	プロローグ　新型コロナウイルス禍で露呈した患者の人権なき医療の脆弱性</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	１章　日本におけるこれまでの感染症対策</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	２章　新型コロナウイルス禍におけるルールの在り方〜「濃厚接触者」を例にして</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	３章　新型コロナウイルス禍からみる「医療を受ける権利」</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	４章　新型コロナウイルス禍に考える精神医療の在り方</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	５章　新型コロナウイルス禍で顕在化した医療費抑制政策の問題点と医師の労働問題</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	６章　新型コロナウイルス禍を契機として専門家と国の関係を考える</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	７章　医師（医療従事者）の養成システムを見つめ直す</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	８章　新型コロナウイルス禍で露呈した地方発の医療崩壊を乗り越えるには</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	エピローグ　新型コロナウイルス禍の克服に向けて</p>
<p>
	　目次を読んだだけでも、医療における患者の権利とそれを担保するために必要な医療従事者の問題を、網羅的にカバーしていることが分かります。いずれの章も、その章のテーマを象徴するに相応しい新聞記事の引用を冒頭に掲げます。いずれの記事も記憶に新しい内容で、問題のリアルさが迫って来ます。</p>
<p>
	　また、丁寧に資料を拾い、脚注にＵＲＬを載せたり、推奨図書も各章ごとに挙げてあって、資料集としても活用できるものです。</p>
<p>
	　ここに、コロナ禍における「医療崩壊」の危機として提示されている問題は、いずれも、コロナ禍以前の日常診療において既に生じていたものです。まさに「コロナ禍によって浮かび上がらせられた」というに過ぎません。私たちは真正面から向き合うべき問題の数々から目をそらして生活して来たとも評価することができます。</p>
<p>
	<img src="file:////Users/setsu_kuboi/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image001.png" />　薬害エイズやハンセン病問題という疾病を理由とする深刻な差別事件への反省に基づいて制定された感染症法は、患者等の人権を尊重しつつ、感染症の蔓延を防止するとともに、患者に対する良質な医療を提供することを目的にしています。ところが、この間、幸いにも国内においてパンデミックが具体化してこなかったことなどから、国は、感染症病床数を激減させており、1990年には1万2199床（それでも1975年の2万1042床に比べるとほぼ半数）だったものが、感染症法施行時の1999年には3321床、2019年には1871床と、ひとたびパンデミックが起きてしまえば、到底「良質な医療」を提供することは不可能な体制になってしまっていました。</p>
<p>
	　他国に比べて飛び抜けて入院期間が長い精神科単科病院の問題、先進国の中ではこれまた目立った少ない医師の数、医療費抑制政策のもと、極めて劣悪かつ低廉な対価での労働を強いられる医療従事者。一時期連日のようにテレビ画面に登場した「専門家会議」とは何だったのか。また、多くの人が、現実に「医療を受ける権利」を制限されているのは、そもそも医療提供体制が医療を受ける「患者の権利」という視点を欠いていたところに問題の本質があること&hellip;。</p>
<p>
	　本号の冒頭の記事でも紹介しているとおり、各界からの感染症法前文を引用した切実な批判が相次ぎながらも、踏み込んだ議論のないまま、有権者不在状態で感染症法に罰則規定が盛り込まれてしまったことについても、コラムという形をとって、言及しています。</p>
<p>
	　本書は、全編にわたって、患者の権利が法体系に明確に位置付けられていないことによる問題を指摘しています。2009年10月に開催された「患者の権利宣言25周年記念シンポジウム」における、内田博文さんの基調講演「医事法におけるパラダイムの転換〜国策に奉仕する医療から国民の命を守る医療へ〜」は、今改めて読んでも示唆に富み、問題の本質をついた論考であり、内田門下生である執筆者らが、まさに「国民の命を守る医療」からかけ離れている今の医療体制の実態を、つぶさに検証しているのが、本書、と言えるのではないでしょうか。これはまた、4月17日に開催される医療基本法シンポジウムのテーマでもあります。</p>
<p>
	　医事法を学ぶ者にとどまらず、ひろく、コロナ禍においての医療の問題を、本質から考えたいときに、手に取る最良の書だと思いました。</p>
<p>
	（久保井摂）</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>265号　医療基本法議連との活動報告 - けんりほうNEWS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kenriho.org/news/kenrihonews/2021/02/265.html" />
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    <published>2021-02-15T11:05:54Z</published>
    <updated>2021-02-15T11:15:12Z</updated>

    <summary> 	今年こそは　〜医療基本法の議論の充実に向けて 	事務局長　小林　洋二 	今年...</summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="265号" label="265号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	今年こそは　〜医療基本法の議論の充実に向けて</p>
<p align="right">
	事務局長　小林　洋二</p>
<p>
	今年もよろしくお願いいたします。</p>
<p>
	新型コロナ問題に明け暮れた一年が終わり、新しい年を迎えましたが、感染者数は、年を越えてますます増加し、一月七日、首都圏の一都三県には緊急事態宣言が出されました。大阪府、京都府、兵庫県及び愛知県にも、政府に緊急事態宣言を要請する姿勢を見せており、第一波の時期と同様、緊急事態宣言が全国に拡がる可能性もあります。この問題の煽りをうけて、医療基本法に向けた議論は滞りがちですが、こういった状況であればこそ、わたしたちは、患者の権利、医療に関する基本的人権といった原点に立ち戻ることが必要です。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	<img cropbottom="-250f" cropright="-160f" src="file:////Users/kuboisetsu/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image001.png" />とりあえず昨年の動きを振りますと、まず、医療基本法議連から、ヒアリングの対象となった団体に示された基本法骨子案（以下、「叩き台」といいます）に対し、二月二〇日付で改訂案を提出しました。これは、医療過誤原告の会、患者なっとくの会ＩＮＣＡ、患者の声協議会、公益社団法人日本医療社会福祉協会、全国「精神病」者集団、全国ハンセン病療養所入所者協議会、ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会、Medical Basic Act Communityという８団体との間で協議を重ね、連名で提出したものです。ついで、この改訂案の解説文的な要請書を、同じ８団体との連名で、四月一日に提出しています。「叩き台」自体が非公開扱いであるため、「叩き台」を前提とするこの二つの意見書も、公開できていないことをご了解ください。</p>
<p>
	その後、新型コロナ問題が深刻化し、医療基本法の議論に影響することは必至という状況認識に基づき、この点についての議論を始めました。前号の付録「医療基本法と新型コロナウイルス感染症問題に関する論点整理」（二〇二〇年七月三〇日付）がその成果であり、当会のＨＰで公開しています。</p>
<p>
	九月三〇日に医療基本法議連の役員会が開催されましたが、そこでの議論は、わたしたちが二月、四月に提出した意見が必ずしも反映されていないように思われたところから、改めて、医療基本法に対するわたしたちの考えを、今回は公開の形で示そうということになりました。そこで、各団体との意見交換を重ねて作成したのが、昨年一一月にお届けした「医療基本法制定の議論の充実に向けて〜『医療基本法共同骨子７項目』」にもとづく提言〜」（二〇二〇年一一月一六日付）です。議連の会長である尾辻秀久議員に提出するとともに、各政党及び衆参両議員の厚生労働委員にも送付し、記者会見も行いました。</p>
<p>
	この意見書は、二月及び四月に提出した意見を踏まえたものであり、内容もほぼ同じですが、眼目はその前文にあります。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	わたしたちは、拙速な議論を求めるものではありません。しかし、新型コロナ問題で、医療政策の重要性が社会的にクローズアップされたいまこそ、医療がいかにあるべきかについての国民的な議論を盛り上げる好機であると考えます。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	医療基本法制定の議論の充実に向けて、以下、改めてわたしたちの意見を表明いたします。いずれも、わたしたちの共同骨子７項目の本質に関わるものであり、医療基本法に欠かせないものであるとわたしたちは考えています。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	この提言を十分にご検討いただいたうえ、可及的速やかに議連としての医療基本法案を公表し、議論の場を国会に、そして社会全体に拡げていただくようお願いする次第です。</p>
<p>
	一二月六日の総会記念シンポ「医療基本法の議員立法に向けて〜あなた自身が、人権に根ざした医療を受けるために〜」は、初めてのウエブシンポの試みであり、準備期間もごく短かったにもかかわらず、約六〇名の参加者を得て、しかも多くの参加者からチャットで質問が出るというたいへん充実したものになりました。新型コロナウイルス問題で大人数で集まることができないという、いままで経験したことのない状況ではありますが、それは医療について真剣に議論するチャンスでもあるのだということを実感しましたし、同じ思いを抱いた参加者も多かったのではないかと思います。</p>
<p>
	議案書でも述べているとおり、今年の大きな目標は、医療基本法に関する議論の場を拡げていくことです。そのために、さまざまな方法を試みていきたいと思いますので、会員のみなさまからもアイデアをいただければ幸いです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	二〇二〇年医療基本法議員連盟と私たちの活動について</p>
<p align="right" style="margin-left:16.45pt;">
	漆畑　眞人</p>
<p>
	はじめに</p>
<p>
	　標記については、患者の権利法をつくる会（以下、つくる会とします。）、第三〇回定期総会の中で「医療基本法を巡る動き」としても概要は報告されました。</p>
<p>
	　この記事は、これまでの「あらすじ」がわからなくなって、「もう一度はじめから知りたい人向け」にしました。</p>
<p>
	簡単な経過</p>
<p>
	　つくる会は、二〇〇九年から、「患者の権利を定めた法律の制定をめざし、その集大成として患者の権利擁護を中心に据えた『医療基本法』の法制化をめざしています」（つくる会ホームページのトップ）。</p>
<p>
	　つくる会は、大きな世論を形成するため、同年から、患者本位の立場に立つ他団体と連携をすすめ、秋ごとにシンポジウムを開催してきました。そして、二〇一六年には、ハンセン病・難病等の患者や支援者などの団体とともに「五団体」で、「医療基本法」に関する共同骨子七項目の要望を公開しました。これには、二〇団体が共同提案、二三団体が賛同の名乗りをあげました。</p>
<p>
	　そして、二〇一八年には、議員会館の中で「五団体」により医療基本法制定に向けた「院内集会」を開催し、超党派の議員が参加しました。同年、参加議員からの呼びかけがあり、二〇一九年には、「医療基本法の制定に向けた議員連盟」（以下、議連と表記します）が発足しました。同年中には、議連により、延べ十一の団体に対するヒアリングが行われました。</p>
<p>
	二〇二〇年の活動について</p>
<p>
	二〇二〇年一月から、基本法の「たたき台」（非公開）をベースとして議連の役員会で検討が開始されています。</p>
<p>
	私たちは、その「たたき台」をもとに、二、議連宛に私たちの意見書を提出し、議連役員会で説明しました（議員は一〇名参加、参議院法制局と厚生労働省医政局、日本医師会も同席）。そして、四月には、議連会長からの要請でその趣旨説明書を議連事務局に提出しました。この作業は、九団体が連名しました。</p>
<p>
	この経過のもとに、九月、議連事務局は「たたき台修正案」（非公開）をつくり、役員会で報告しました（議員は九名参加、参議院法制局と厚生労働省医政局、日本医師会も同席）。私たちは、再びそれをもとに、十一月、今度は公開の場で、私たちの要請意見書を議連会長に手渡しました。これは、今後は広く国民がこの論議に参加できるように願ったためです。この要請意見書には、これまでにも協働してきた四十団体が連名となっています。</p>
<p>
	二〇二〇年の新型コロナ問題</p>
<p>
	今年は、コロナ禍にあって、日常のテレビやネットでは、感染者やその家族、感染者と接する医療従事者などの「少数者の人権擁護」よりも「社会防衛」を優先するような発言が優位となってしまい、自粛警察による私的襲撃や、自動車の他県ナンバー狩りなどが発生し、このような傾向に対して、国際的には「監視社会」化に対する警告も歴史学者から出ていました。</p>
<p>
	この「社会防衛」的な考え方が医療基本法の議論に影響した場合には、私たちの求めるものとは異なる方向に進んでしまう危惧がありました。つまり、私たちとしては、ハンセン病問題・旧優生保護法問題などの反省に基づき、医療基本法においては、医療における人権保障を確実にする必要がある、と考えていました。</p>
<p>
	　そこで、つくる会では、七月に、「医療基本法と新型コロナウイルス感染症問題に関する論点整理」を公表しました。そこでは、四つの論点、医療提供体制、蔓延防止体制、偏見・差別による人権侵害防止、有効で安全なワクチン・治療薬の開発承認と安定供給について、それぞれつくる会世話人会の「医療基本法」要綱案に照らし、基本的人権の観点から問題を指摘しました。</p>
<p align="left">
	<img cropbottom="3895f" cropleft="12065f" cropright="12571f" croptop="7554f" src="file:////Users/kuboisetsu/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image002.jpg" />　わが国は、ハンセン病問題、薬害エイズ、旧優生保護法問題など、過去に医療政策において重大な人権侵害を繰り返しています。医療政策の本質は「人権擁護」（The protection of human rights）であるということが、残念ながらあいまいなままで置き去りにされています。医療従事者の人権についても同様です。医療基本法の議論の中で、この「本質」そのものを論点化し、明確かつ確実に論じる必要があります。</p>
<p>
	　なお、五月、パンデミックの中、ＷＨＯ総会決議文で使われた言葉も、「社会防衛」(social defense)ではなく、「社会的擁護」（social protection）でした。</p>
<p>
	直近の議連役員会</p>
<p>
	一二月一〇日、議連役員会が開催されました。「たたき台修正案」に関する私たちの要請意見書について私たちからの説明を聴取し、議論するためでした。</p>
<p>
	参加した役員は、尾辻秀久会長（自民）、羽生田俊事務局長（自民）、小池晃議員（共産）、三ツ林裕巳議員（自民）、古川元久議員（国民民主）、福島みずほ議員（社民）の六名でした。参議院法制局と厚生労働省医政局、日本医師会も同席でした。</p>
<p>
	この日は、ちょうど国際連合の「世界人権デー」でした。鈴木利廣弁護士の説明はそこからはじまりました。そして、要請意見書の説明が終わったあと、議連役員会の議論がはじまりました。その議論の全体的方向は、「ＷＨＯ憲章」と「人権」を医療基本法に規定するものとなっていました。ただし、「たたき台修正案」とは「構成」が違うので調整が必要である、ということになりました。</p>
<p>
	そして、いよいよ次回の議連の議論は、役員会ではなく「総会」で行うことになりました。そのときまでに、医療基本法の「構成」を含めて内容の「調整」をして、かつ、条文に「解説」を付けることとなりました。後者については、意見の対立が狭まるように、鈴木利廣弁護士の要望が容れられたものです。この準備作業のために、次回は二か月後ぐらいに開催される予定です。</p>
<p>
	今後の展開</p>
<p>
	医療基本法は、人権に根ざす医療制度の再構築のための基礎（スタート）です。今後も、一方で、議連での活発な論議を支持しながら、その軌道を見守りつつ、他方で、社会に向けても多様な方法で情報発信をして、さまざまな立場や境遇の国民が一人でも多く医療基本法づくりのことを知って意見表明し、よりよい医療制度ができるようにしていく必要があります。</p>
<p>
	「ＷＨＯ憲章」は、単にフィジカルとメンタルの「人体」だけでなく、「人権をもって社会で生活していくこと」、「その人らしい生き方」であるソーシャルウェルビーイングを含めた完全な「健康」について、その実現を各国政府に要請しています。</p>
<p>
	私たちは、「ＷＨＯ憲章」と「人権」が医療基本法で明確に位置付けられ、「患者の権利擁護の価値観」が医療全体を網羅できるように、今後も提言していきます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	シンポジウム「医療基本法の議員立法に向けて〜あなた自身が、人権に根差した医療を受けるために〜」のご報告</p>
<p align="right" style="margin-left:23.55pt;">
	神奈川　森田　明</p>
<p>
	二〇二〇年一二月六日の総会後のシンポジウムは、一四時から一五時半まで、当会と患者の声協議会、Medical Basic Act Communityの三団体共催で、初めてオンラインにより実施しました。参加者がどれだけになるか不安でしたが、五六名ほどの参加をいただきました。</p>
<p>
	前半では、様々な観点からの報告をいただき、後半は質疑を行いました。</p>
<p>
	〈報告の要点〉</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	<img src="file:////Users/kuboisetsu/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image003.png" />〇小林洋二さん（患者の権利法をつくる会）</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	「医療基本法に関するわたしたちの意見」（一一月一六日に「医療基本法制定に向けた議員連盟」に提出したもの。以下「意見書」）について意見書の要点を説明していただいた（意見書は会員の皆様には送付しており、会のホームページからも見ることがでるので、説明内容自体は省略）。</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	これに加えて、新型コロナをめぐる問題について七月に「論点整理」を取りまとめ、これも会のホームぺージに掲載していること、新型コロナ対策についても意見書で述べている点の実現が必要であることが指摘された。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	〇漆畑さん（患者の権利法をつくる会、社会福祉士）</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	「ＷＨＯ憲章における健康概念について」</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	ＷＨＯ憲章では、「健康」とは「単に病気でないことを意味するものではなく、肉体的、精神的、社会的に良好な状態」を意味する。そして「社会的に良好な状態」には、生活の安定だけでなく「その人の価値観から見て有意義な人生を送ること」も含まれる。そうすると、インフォームドコンセントについても、人体への処置についてだけでなく、生活環境への影響をも説明された上で選択できることが求められる。ＷＨＯ憲章は条約なので日本の政府はこれを遵守すべきであり、そこでいう権利は基本的人権を指すので、軽視してはならない。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	〇宮脇さん（医療過誤原告の会）</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	「医療の安全と質の確保について」</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	国は重大な医療事故について実態調査をし、実情を把握すべき。そして、再発防止対策や被害者救済の仕組みを作るべき。権利侵害からの回復について医療基本法で明示して、制度の改善につながることを期待している。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	〇小沢さん（患者の権利法をつくる会）</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	「患者本位の医療について」</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	　医療の主体は患者のはずだが、医療側からは「客体」と見られがち。患者が主体であることをはっきりさせなければ、管理、支配、操作の対象となってしまい、人生を奪われることにもなる。憲法とＷＨＯ憲章に基づき患者の人権の擁護を目的とすることを明らかにし、自己決定に必要な情報、参加を確保すべき。たらい回しにされない相談窓口の設置も必要。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	〇桐原さん（全国「精神病」者集団）</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	「病気・障害による差別について」</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	医療や医療政策による差別は大きな問題です。精神障害者も差別を受けてきており、医療基本法の制定をもとに対策をとることが必要。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	〇前田さん（Medical Basic Act Community）</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	「患者の権利擁護者とは」</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	ハンセン病の隔離政策や優生保護法の不妊手術では、国の政策の下で医療者がいわば道具として利用された。しかし医療者には、差別の対象となる人々の社会における「ゲートキーパー」の役割がある。例えば虐待を受けている人を発見し知らせることが法律上も求められている。世界医師会のリスボン宣言でもそのような責務がうたわれており、こうした役割を果たしてこそ患者との信頼関係が成り立つ。権利擁護者として位置づける必要がある。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	〇本間さん（患者の声協議会）</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	「難病の経験からの基本法の必要性」</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	難病対策については、一九七二年から四〇年にわたり要綱による対応がされてきたが、法的裏付けがないために「予算を使い切れば終わり」で極めて不安定であった。法制化によって難病指定も格段に増えた。また法制化に当たっては患者の参加も一定認められた。要綱ができた当時、医療基本法の議論もされていたが、廃案になってしまった。難病についてはまだ課題も多く、ご支援を願いたい。</p>
<p style="margin-left:23.55pt;">
	〈質疑〉</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	<img src="file:////Users/kuboisetsu/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image004.png" />問　「社会的に良好な状態」がうまくいってないことの具体例を聞きたい。</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	答（漆畑）退院時にベッドを空けたいという病院側の事情が優先して患者の家庭の事情を軽視しがちなところがまだある。</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	問　日本国憲法下でハンセン病などの人権侵害が起きてきた。医療基本法がなかったためで、あればそうならなかったと言えるのか。</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	答（小林洋）憲法の内容を法律に活かすための基本法にすることが必要。</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	<img src="file:////Users/kuboisetsu/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image005.png" /><img src="file:////Users/kuboisetsu/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image006.png" />（鈴木）法律では目的は規定しても理念が示されないために人権侵害を生じることがある。基本法で憲法に基づく患者の権利擁護という理念を示し、医療法規の見直しをすることが重要。</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	（桐畑）基本法があれば患者側のたたかい方も変わっていくのでは。</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	（漆原）障害者基本法ができたことにより、多くの法律が見直されている。医療基本法によってどこまで見直しがされるか見守る必要がある。</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	（前田）実体的正義と手続き的正義の両方が必要。権利回復、実現の手段を定める必要がある。</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	（鈴木）被害回復の方策を作り、アクセスできるようにすべき。「ビジネスと人権」の議論の中でも救済策にアクセスできる権利が指摘されている。</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	（前田）政策決定への患者参加というアクセスも重要では。</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	問　新型コロナと差別の問題について聞きたい。</p>
<p style="margin-left:23.5pt;">
	答（小林洋）この間、新型コロナに対する恐怖感があおられてきた。これは病気に対する正しい知識があれば防げるというものではない。感染拡大を防ぐために感染への恐怖をあおっている傾向もある。しかし、そうするとかえって感染が水面下に隠れてしまい防止にならない。医療は「個人を大切にする」ことが基本になるべき。今後ワクチンが導入されると、ワクチンを打たないことが批判されることになりかねない。</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	紙面の制約もあり、またもっぱらメモに頼っての再現のため不正確、不十分なところも多々あるかと思いますが、ご容赦ください。</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	発言者のレジュメやスライドが映写はされたものの配布されなかったことも再現する上で苦労した一因で、今後は事前配布する等の工夫が必要でしょう。</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	　とはいえ、初のオンラインシンポとしては、短時間で中身の濃い発言がされ、質疑も深められて成功と言えると思います。</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	　限られた時間の中でご報告いただいた皆様に感謝いたします。司会の前田さん、不慣れな環境で適切な進行をしていただき、ありがとうございました。裏方で準備にご尽力いただいた小林展大さんにもお礼申し上げます。</p>
<p style="margin-left:5pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	医療事故調査制度の改善を求める要請書の提出について</p>
<p align="right">
	木下　正一郎</p>
<p style="margin-left:22pt;">
	要請書の提出</p>
<p>
	医療事故調査制度が二〇一五年一〇月に施行してから、五年が経過しました。医療事故調査制度は、医療事故の原因を明らかにし、医療事故の再発防止を行い、医療の安全を確保する制度です。国民の安全な医療を受ける権利を確保するため、国及び医療機関が負う社会的責務を具現化する制度であるといえます。</p>
<p>
	しかし、制度開始以前・開始当初から制度趣旨に照らしていくつもの問題が指摘されていました。五年を経て一層制度の問題が顕在化しています。</p>
<p>
	五年の節目に、患者の視点で医療安全を考える連絡協議会（患医連）は、医療事故調査・支援センター（センター）の権限強化や見直し検討会の設置を求めて、二〇二〇年一二月二三日、厚生労働大臣に宛てた「医療事故調査制度の改善のために厚生労働省内に見直し検討会の設置を求める要請書」を厚生労働省医政局総務課医療安全推進室に提出しました。以下、要請の内容につき説明します。</p>
<p>
	<img cropright="-82f" src="file:////Users/kuboisetsu/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image007.png" />なお、患医連は、医療過誤原告の会、医療事故市民オンブズマン・メディオ、医療情報の公開・開示を求める市民の会、医療の良心を守る市民の会、陣痛促進剤による被害を考える会が加入しています。患医連、患者の権利法をつくる会、医療問題弁護団の三団体で医療版事故調推進フォーラムを構成し、医療事故の再発防止・医療安全の推進のための活動をしています。</p>
<p>
	医療事故報告・調査を促進するセンターの権限の強化</p>
<p>
	制度開始前、医療事故報告件数は年間一三〇〇～二〇〇〇件と試算されていました。年間二万件を超す医療事故死亡事例が発生していると推計されているところ、この試算にしても少ないものでした。そうであるにもかかわらず、五年間の医療事故報告件数は毎年四〇〇件未満で、五年の合計でも一八四七件にしか達しませんでした。</p>
<p>
	また、二〇一五年一〇月～二〇一九年一二月末までの四年三ヵ月の実績で、四〇〇床以上の施設のうち約二八～七〇％の施設で医療事故の報告実績がなく、九〇〇床以上の施設（全五三施設）に限ってみても、二八．三％にあたる一五施設で報告実績がありませんでした。多くの医療機関で医療事故が報告されていないことが疑われます。</p>
<p>
	実際、二〇一九年の医療機関からの相談に対し、センターが三七件で報告を推奨すると助言したにもかかわらず、一六件（四三．二％）では医療機関が医療事故報告を行いませんでした。</p>
<p>
	さらに、医療過誤原告の会に医療事故の被害者・遺族から寄せられた相談のうち、予期せぬ死亡と判断される相談件数は五年間で一三五件ありましたが、医療機関がセンターに報告したものは一四件に過ぎませんでした。</p>
<p>
	このように、報告されるべき医療事故が報告されていなくて、報告件数が少ない実態が明らかになっています。</p>
<p>
	そこで、患医連は、センターが医療事故として報告すべきと判断した事例については、医療機関に対して報告を求めること、この求めにもかかわらず、医療機関が医療事故の報告をしない場合には、センターは、医療事故の報告をしない医療機関の名称を公表すること、センターの求めに応じて報告・調査を行おうとしないときは、センターが医療事故調査を行うことができるように、センターに権限をもたせる法律、運用の改正をすることを求めました。</p>
<p>
	センター調査報告書の公表</p>
<p>
	現在、センターが行う調査報告書（センター調査報告書）は公表されていません。</p>
<p>
	センターで調査・分析された結果であるセンター調査報告書が公表されれば，これを教訓として，全国の他の医療機関も同様の医療事故を防止することができます。したがって，医療事故の当事者たる遺族と医療機関のみならず，他の医療機関でも医療事故の防止に役立てられるよう，センター調査報告書が公表されることが必要かつ重要です。公表にあたっては、特定の個人を識別することができる情報はマスキングされることを想定しています。</p>
<p>
	また、報告事例を明らかにしていく上でも、事故事例の公表は重要と考えます。いかなる医療事故事例を報告すべきかについては、医療法六条の一〇に定められています。法律の規定は抽象的にならざるを得ず、具体的事例を報告すべきか否か見解が分かれることがあります。報告すべき基準を明確にしようとしても同様の問題は残ります。基準の文言を修正するよりも、多数の医療事故事例を公表して、医療機関が医療事故として報告をすべきか判断するにあたり参照できるようにすることが適当と考えます。それにはセンター調査報告書の公表が最も適しています。</p>
<p>
	そこで，患医連は、再発防止の観点から、また、適切に医療事故報告がなされるようにする観点から、センター調査報告書を公表することを求めました。</p>
<p>
	見直し検討会の設置</p>
<p>
	ここまでに述べたとおり、現行の医療事故調査制度は医療の安全を確保するという目的を達成するにあたり、重大な問題があります。五年を経た今、医療事故調査制度は医療の安全の確保に資するよう、改められなければなりません。</p>
<p>
	そこで、患医連は、医療事故調査制度の改善に向けて、すべきこと及びロードマップを議論し整理するために、見直し検討会の設置を強く求めました。</p>
<p>
	なお、五年前の医療事故調査制度の開始前に、運用を検討する検討会が設置されました。しかし、検討会設置直前に、それまで医療安全を確保する実践を行ってきた複数の構成員候補者が検討会の候補者から外され、これに代わる構成員が選任されました。新たに入った構成員からは、医療事故の報告・調査をしなくともよしとする意見が出され、意見はまとまらず、医療事故調査制度は医療事故再発防止に資するものとはなりませんでした。したがって、検討会の構成員には、医療事故調査制度のもとで医療の安全を確保する実践を行ってきた者、少なくとも医療の安全を確保する意思がある者を選任しなければなりません。</p>
<p>
	患者の権利法をつくる会では、患医連とともに、引き続き、医療事故調査制度の改善を求め、医療事故の再発防止に向けた活動を続けていきます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	新たな正常状態が必要な医療基本法（下）</p>
<p>
	&ldquo;情報&rdquo;に思う</p>
<p align="right">
	　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　常任世話人　小沢木理</p>
<p>
	〝情報〟、これは生きる上での指針です。〝情報〟のあり方が民主主義の重要なバロメーターでもあります。〝情報〟の独占が、社会を操作する権力者を作ります。情報を持つ者、持たぬ者で優位関係が決まります。一方で、個々人には、無数に交錯している情報の中から、真に信頼できる情報を、探し当てる努力が求められます。</p>
<p>
	これらのことを踏まえ、今回は、まず主権者である国民の信託を受けた国会議員の国民への情報の取扱いや、その職責のありかたについて、次に、国民・市民の側の情報の発信のありようについて考えてみます。</p>
<p>
	無関係とはいえない</p>
<p>
	そもそも本稿は、新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない中、医療基本法を確立するにあたって、これまでの私たちの主張を揺るぎないものにするためにも新たな発想の転換が必要だとして、「新たな正常状態」という表題を掲げて書き出したものです。昨年四月から今回で三回目、今回は一応収めの回となりました。</p>
<p>
	「新たな正常状態」とは、新型コロナ以降頻繁に使われ出したニューノーマル（新しい生活様式：世界金融恐慌時代の金融状態を意味する語源）という意味とは異なります。これまで当たり前のように踏襲されて来た慣習や常識、生活のありかたに今大きな警鐘が鳴らされています。「新たな正常状態」とは、本来のあるべき姿、何が大事で何が本当に必要なのかを考え、新たにそういう正常な状態を選んでいく必要があるのではないかといった意味を込めています。つまりその場しのぎの生活の対処法ではなく、生き方においてそもそもの原点に立ち返ることが必要ではないかということです。社会の慣習や常識といったものがその時代の経済的力や政治的力の影響を受けていることも多く、正しいとは限らないからです。でも、なぜ個別の医療の問題にそんな関係のない屁理屈のような話しを持ち出すのでしょう。それは、医療は生活の一部であり、人々の生活のありかたや国内外の社会状況とも影響しあっているからです。そのことを痛感させる出来事が、昨年から日本にももたらされた新型コロナウイルス感染症です。</p>
<p>
	<img cropright="-140f" src="file:////Users/kuboisetsu/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image008.png" />今回の新型コロナウイルスのパンデミックは、医療が社会生活のありかたによってどういう影響を受けるのか、国内のことだけで完結するのかという問いを私たちに投げかけられているようです。いま、私たちにはなんらかの答えを求められています。そのためにも、社会生活全体を俯瞰してみることは医療とも無関係ではないでしょう。</p>
<p>
	不安の先の選択</p>
<p>
	第一回目では、この新型コロナウイルスの出現や感染拡大は決して「想定外ではない」ということ、また何ごとにも問題の対策を考えるには「俯瞰が必要」で、この新たな不安に乗じて人々が陥り易い「超監視社会」さえも容認してしまう可能性を、改めて意識する必要性があるといったことなどを述べました。</p>
<p>
	つまり、ユヴァル・ノア・ハラリ氏（イスラエルの歴史家）のことばを借りれば、『全体主義的な監視社会を選ぶのか、それとも個々の市民のエンパワメントを選ぶのか。国家主義者として世界から孤立するのか、それともグローバルな連帯をとるのか。』というふたつの選択肢から選択を忙しく求められる時代になってきていると思います。</p>
<p>
	世の中の混乱は、人々の動揺や不安の大きさに比例してグローバル企業の大きなビジネスチャンスともなり、人々は国による管理・監視社会を容認していきがちです。</p>
<p>
	人々の判断能力が鈍化し、不安を取り除いてくれるように思える選択肢を容易に受け入れてしまいます。うがった見方をすれば、企業や国家の安心対策という事業計画を、遂行しやすい時期でもあります。</p>
<p>
	しかし本来国は、大災害時におけるリスク管理を協議する専門機関を設け、平時から議論や準備を行う必要がありました。大自然災害や、原発事故時の経験から何も学んでいません。今回の感染症対策では、医・科学的知見を軸に対策を講じる必要がありましたが、追い込まれた中で根拠の乏しい政治判断が行われ、社会が振り回されました。燃え盛る火の海に向けて、とにかく走り出せと言われたようなものです。感染拡大の沈静化なくして社会経済は成り立たないのですから。緊急時の医療崩壊を起こさせないための医療体制、システム設計など実施計画のシミュレーションを行う専門部署を設けているべきでした。</p>
<p>
	私たちも平時から。どうあることが本当の「安心・安全」に繋がるのかの判断力を身に付けておく必要があります。</p>
<p>
	〝情報〟のあり方</p>
<p>
	日本の過去においても同じような大きな失敗（判断能力の麻痺）を経験しています。その顕著な例が国を挙げて国家総力戦をもたらして行ったことです。巧みな煽動があったにせよ、その結果は国民にとって無惨なことばかりでした。なぜ同じような愚かしいことを繰り返してしまうのか、そのヒントはやはり〝情報〟のあり方にあると思います。〝情報〟の重要性に国民は無頓着であり、国の国民への情報の取扱いが不当であったばかりか国民を裏切ることが平然と行われて来たことによると思います。具体的な例を挙げれば切りがありません。</p>
<p>
	こと、医療における情報のあり方についても、やはり医療受診者側がひとつひとつ情報をかじり取って来た感があります。医療費明細書、薬剤情報の提供、診療記録の開示等々です。しかし、実際にはこれでも不十分で、それぞれの目的が充分に満たされているとは言えません。特に診療記録の開示に至っては、大病院以外では出し渋り、門前払い、威嚇的対応などの例はむしろ珍しくなく、どれだけ患者側が心身の消耗を来たし困っているか分かりません。</p>
<p>
	<img cropleft="12068f" cropright="9320f" croptop="9124f" src="file:////Users/kuboisetsu/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image009.png" />実際に、当会のホームページへのアクセスの九〇％以上が、カルテ開示のページです。また、問合せのページを通じて相談されてこられる方の圧倒的多数のかたが、診療記録の開示に関するもので開示を求めたものの、門前払いされその交渉に疲れ行き場が無くなって相談されてきます。紹介した全国各居住エリアに設置されている医療安全センターに相談するも、糠に釘。院内の相談センターに相談しても何も役に立たないといいます。そんな経験を経て患者さんたちは、指針や法律ができても、強制力は無い、罰則は無いのではと、憤りを隠しません。このように建て前の虚しさを痛感する機会が沢山あり、相談を受けるこちらも情けなくも立ちすくむしかありません。</p>
<p>
	患者が自分の診療記録（情報）を得て考えるという機会を、第三者の都合に委ねられている状態は正常ではなく上下関係の固定化を裏付けるようなものです。またそれを是正させる体制もできていないことも問題です。</p>
<p>
	そもそも、国民は当事者として自分たちに関係のあることがらについて「情報を得る権利」「知る権利」があります。国がその原則を軽視した場合、情報を独占した国は暴走しやすくなります。国は、その情報は本来誰のものかを自覚し、国民に提供または共有していかなければ、再び国民の人生を翻弄するような事態を招きかねません。人は自分にとって、判断に必要な情報を覆われたら適否などの判断が出来なくなります。</p>
<p>
	『情報は主権者へ！』が大原則です。</p>
<p>
	自己決定の権利が無効化するのを許す？　</p>
<p>
	自己情報のコントロールが必ずしも保障されていない一方で、ＡＩ依存社会がまっしぐらに進んでいます。この先、個人の選択の自由などという価値観は現実性が無くなりそうです。社会のレール（仕組み）に乗らなければ生きていかれないからです。今日の新型コロナの問題で、その予行演習の機会が増えました。本来の人間生活のあり方を考える余裕も無いまま、技術進歩による時代の要請の速度に追いつくことで必死です。生まれて来てからこの方、自分は「何回ヒト（人間）に出会ったか？」ということが大きな話題になる時代が、そぐそこに来ているような気がします。</p>
<p>
	これは突飛なことではなく、生活の隅々まで無人化されていくので医療においても例外ではなくなるでしょう。科学や様々な技術は人々の生活におおいに必要です。しかし、人々が、本来の人間生活のあり方を顧みたり、人間や生物の生存にとってこれはどうかを考えることをしなくなったら、今回の新型コロナウイルス感染拡大や自然からの仕返しに見舞われる機会が増えることでしょう。ＡＩ依存社会は、大国による覇権拡大の歯止めを無くし、私たちは生の人間が見えない社会を拡大させます。直接会ったり言葉を交わしたり、体に触れたりしないで生活することが普通になり、医療も介護でも人を介さない時代が来ることを覚悟しなければなりません。</p>
<p>
	さらに、自分の人生や生き方、医療の選択等に置いても、ＡＩが自分の情報を全て管理し（管理され）答えを決めてくれる（決められる）時代も実現可能だと言われています。</p>
<p>
	原則、自分のことは自分で決めるという自己決定原則が危うくなってきそうです。</p>
<p>
	<img cropbottom="26686f" cropleft="11184f" cropright="8437f" croptop="15305f" src="file:////Users/kuboisetsu/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image010.jpg" />私たちは、安全のために効率のために目先利益のために、自己決定権の能力を捨ててしまって本当にいいのだろうかと危機感を覚えます。自己決定には、判断するための情報が必要です。そういう情報すら自分でチェックしたり管理したりすることをＡＩに依存してしまったら、人間としての尊厳や最終的な〝自己〟そのものを無いものにするような行為とも言えます。茹でガエルではないですが、気づく間もなく〝己〟は〝融合体〟に化してしまうかもしれません。その一方で、情報を独占し操作するのは、ごくごく限られた一部の人間となります。つまり、情報は、その一部の人の手にありその人間が社会を自由に操作出来るということになります。こうなってくると、「情報は誰のものか？」という設問自体が俎上に上げられることが無くなってしまいそうです。今はそこまでにはなっていませんが、少なくともそういう方向の途上にあることは事実です。ですから、ゼッタイに情報の最終管理者は、自己決定権を放棄しないと考える多数の国民であるべきです。その死守が最後の砦です。</p>
<p>
	相互関係の中で成り立つ医療</p>
<p>
	コロナ問題がなかなか収束していかない中、最近、ある話題が取り上げられるようになりました。ＳＤＧｓ（エス・ディー・ジーズ）という行動目標です。コロナ問題で、遅まきながらその意義や必要性について共感を呼んだものと思われます。</p>
<p>
	昨年来新型コロナで世界中が深刻な状態に陥っていますが、実際には既にその５年前の二〇一五年に、国連加盟国はＳＤＧｓ（持続可能な開発目標）として一七項目掲げ、それを採択しました。開発といっても、自然破壊や生態系への無謀な介入、野生動物の生活圏への侵入などではなく、知恵や能力の活用を意味していると思われます。又の名を「グローバル・ゴールズ」とも言い二〇三〇年までという期限が定められていますが、この目標の狙いは、あらゆる貧困、不平等、気候変動の問題等々に対処しながら誰一人取り残されないようにするためだとしています。それはアフガニスタンで中村哲医師が出した答えと通じます。中村医師は、住民に行う医療に限界を感じ、その最大の原因である貧困対策こそがカギだ。それには「水」が最優先で必要と結論し、砂漠化した大地に治水、灌漑工事を行い緑の大地に変えました。「水さえあれば、直ぐ治るのに」という氏のことばが印象的です。</p>
<p>
	　つまり人間生活には、「これだけ（ワンイシュー）！」を取り上げても思うようには解決せず、健康も福祉も、貧困問題をはじめ社会的要因と深く相互に影響しあっています。ＳＤＧｓが目標に掲げている貧困、資源、環境、生態系、教育、平和、水、全ての人に健康と福祉をといった問題は相互に関連しあっています。だからこそ持続可能な社会のためには、このグローバル：ゴールズのそれぞれの目標に向けた総合的な取り組みが必要なのです。新型コロナウイルス感染対策では海外の貧困者層の抱える問題がひとつの大きな障壁となっていますが、日本でも生活困窮者にとっては医療以前の生命維持と直結する問題となります。</p>
<p>
	これまでは一部の人たちにしか関心を持たれなかったこの運動、特に先進国の私たちは真剣に捉え、積極的に行動しなければならないでしょう。抑え込めたと思っても、人々の生命や健康に脅威をもたらす新たなウイルスは何度も登場するでしょう。その可能性を減らすために生活志向を見直すことは、医療崩壊を抑制し、結果として医療における患者の人権を守ることと繋がります。</p>
<p>
	ＳＤＧｓの取り組みは、医療基本法の土台をしっかり支えるうえでも重要です。</p>
<p>
	情報の使命</p>
<p>
	話が横に膨らみましたが、本題の〝情報〟に話しを戻します。</p>
<p>
	当会、患者の権利法をつくる会は一九九一年、患者の権利の法制化を求める活動を始めて、今年で三一年目に入ります。その間、医療基本法という具体的な目標を掲げてから約二〇年。当会では、推敲を重ね多視点を包括した「医療基本法要綱案」を発表。加えて他団体と連帯し医療基本法の法制化要請活動を拡大。そういった流れが、二〇一九年二月医療基本法の法制化に向けた議員連盟の結成となり、患者・市民団体との四度のヒアリング、叩き台や意見書や要望書の交換などと続きました。しかしその経過は釈然としないものでした。</p>
<p>
	<img cropbottom="11100f" cropright="20222f" croptop="18832f" src="file:////Users/kuboisetsu/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image011.png" />当会を含めた⑸団体が発表した、医療基本法に最低限求める『七項目の共同骨子』の中に、「国民参加の政策決定」があります。〝患者・国民が参加し、&hellip;恊働し、政策の合意形成が行われ、医療を継続的・総合的に評価改善していく仕組みを形成する。〟という補足説明があります。この項目は私たちにとって、最も重要な譲れない条件です。</p>
<p>
	しかし、私たちと議連との間は、実際には、結果として議連に忖度を暗黙の条件とされた格好になりました。自分たちに必要な法律を検討してもらうにあたって、権限委譲ではなく、職務委託という関係にありながら、主導権は請負う側に移ってしまった感じです。法律の専門家から見て「合法か？」の判断はあるでしょう。しかし、この間、法案作成担当者からは医療では一般常識であるインフォームドコンセントという姿勢に全く出会うことはありませんでした。やっぱり立場はお上と段下がりの下々の関係のままです。民主主義の国において、議論はオープンな形で行われることを原則とすべきだと考えますが、オープンにされる機会はありませんでした。</p>
<p>
	一般に会議を非公開にする理由として、これまで何かと使われて来た「自由な議論を阻むから」「失言したら修正が利かないから」「一人歩きすると困るから」等々の理由で事実上秘密会議が行われて来た例は山ほどあります。しかし、明確に規定されている場合を除き、その判断はいわゆる担当者の事情や裁量で決められています。</p>
<p>
	ちなみに、地方議会では本会議前の委員会や審議会についても、法的に求められていなくてもすべての委員会の一般傍聴を認め、会議録も要旨ではなく発言の全てを記録し公開するべきだという流れが出て来ています。本会議では形式的で、実際の問題点を傍聴者が知ること無く会議が進行するため詳細な議論や論点が分かりません。委員会は実質的な審議機関となっており、情報は可能な限り開示されるべきだという論調になって来ています。</p>
<p>
	市民が公的組織と闘わなければならなかった歴史というものは、情報を出させること、妥当な開示をさせることにそのエネルギーの多くが費やされて来ました。</p>
<p>
	情報の扱いについては、情報を持っている側が公開の諾否を決め、法律もそれに沿って作られて来ました。しかし、それは全く公平な判断ではなくて、日本の情報公開・開示は発展途上にあります。その情報は誰のものか、誰のためのものかのテーマがテーブルの上から外されているからです。　</p>
<p>
	「大事なのは結果だ」とよく言われます。その結果が良ければラッキーですが、思うようでない場合、出された結果は容易に動かすことはできません。本来は、その結果に至る前に、事前に議論の経過を知ることができることが重要です。むしろ、その決定に至る議論の過程が結果以上に重要な意味を持ちます。議論の過程が見える化していて、広く国民と情報を共有出来るものとなっていることが民主的手法であり、信頼に通じる道だと思います。</p>
<p>
	ましてや、私たち五団体の掲げる共同骨子にある「国民参加の政策決定」とは、扉を閉じた部屋での意見交換を求めているのではなく、国民やメディアにも開かれた場であるべきだと、少なくとも私はそうあるべきだと考えています。</p>
<p>
	このままいくと、国民がまず、「何も知らないうちになんかできてしまった」ということになります。法律ができる前に国民が考える機会を積極的に設けるべきです。言うまでもないことですが、特定の対象者の問題ではなく国民全てに関係する問題だからです。一定の時期になったらパブリックコメントを募集する式の常套的セレモニーは、むしろ国民の不信感を募らせます。〝透明性〟に勝る信頼の勝ち取り方はないでしょう。</p>
<p>
	<img cropbottom="8731f" cropleft="9419f" cropright="1374f" croptop="12361f" src="file:////Users/kuboisetsu/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image012.jpg" />一方、私たちにも、一般市民に向けての情報提供のありかたに問題があります。複数の人たちが共に活動する際、個々人の意思を尊重することを前提に結論を出して行く必要があります。そのうえで、市民に向けての情報発信は最重要な目的のはずです。国の発する情報とは異なった、むしろもっと別な意味で貴重な情報です。しかし、これまでは接点のある人たちを対象とするに留まり、実に内向きで消極的でした。広く国民に向って発信する意思がないのかと思えるくらいでした。情報発信に障壁になる事がらがあるとしたらそれを避けて、別な方法をとれば済むことですが、オールオアナッシングで広報活動が萎縮してしまってきたのは、大変残念なことでした。私たちが大事に思う情報を、多くの市民に届けたいという思いは同じですので、そのための協力の仕方はいろいろあり各自が可能な方法で協力して下さることで前に進めました。本文の中程でも触れましたが、患者の権利運動を三〇年前後続けて来て、いまだに広く国民に向けて情報共有のための情報発信に消極的というのは、実に忸怩たる思いです。私たちにとって、国民と課題を共有することは市民活動の原点ともいえるものだからです。「やった、良かった」の自己評価で終えるだけでは、一般市民にこそ必要な情報でありながら、これでは届くはずがありません。</p>
<p>
	これまで、自国のあるべき姿の医療基本法を作ることだけをひとえに考えてきましたが、新型コロナウイルス感染拡大の問題は、一ウイルス感染症の問題に留まらず、国の危機管理や体制のありかたが問われ、私たちの暮らしのありかたを問われ、世界が運命共同体であることを知らされる機会となりました。同時に、この機会に乗じて国家が個人を越えて管理していく社会が再来するのではないかという緊張も覚えました。</p>
<p>
	非力な私たち市民ができることは、やはり、成果は得られずとも自分たちの声（伝えたい主張や情報）を積極的に国民に向けて発信していくしか無いでしょう。</p>
<p>
	国民の信託を受けた国会議員に対しては、国民への情報の取扱いや、その職責のありかたについて市民側が萎縮することなく率直に自由に進言できることを理解して頂き、相互の立場を尊重しつつ目標のために共に協力しあう成熟した国にしていきたいと思います。</p>
<p>
	現在の国と国民との関係性は、戦後七七年目を迎えようとしている今日の進化？の数値を表しています。私はとてもこの数値に甘んじられないのです。</p>
<p>
	新たな正常状態とは、実は原始的な内容です。現代、視野から外れている生命権を基軸とした価値観を取り戻しましょうという主張です。持続可能な社会への取り組みの必要性、医療も他要因と相互関係にある、情報は主権者のもの、権限と職務の混同の是正等に関してそれぞれ原点に戻すべきだという素朴なしかし非常に重要な主張です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:24pt;">
	「感染症法改正に関する意見書」を発出しました！</p>
<p>
	当会は、二〇二一年一月一八日付で、標記の意見書を、厚生労働大臣及び各政党に送付いたしました。新型コロナウイルス感染症の患者・感染者が入院措置に反したり、積極的疫学調査・検査を拒否する場合の処罰規定を設けることに反対の意思を表明するものです。</p>
<p>
	危機感を同じくした複数の団体から同様の声が上がっています。以下に、意見書の全文を掲載しますので、是非ご一読ください。</p>
<p>
	次号では、この問題について、改めて経過を報告するとともに問題点を整理する記事を掲載したいと思います。</p>
<p align="center">
	◇◇◇</p>
<p>
	感染症法改正に関する意見書</p>
<p>
	私たち「患者の権利法をつくる会」は、医療の諸分野における患者の権利の確立及び患者の権利の法制化を目的として、一九九一年一〇月に結成された市民団体です。現在、患者の権利擁護を中心とする医療基本法の制定を求めて活動しています。</p>
<p>
	新型コロナウイルス問題への対応のために、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律（以下、「感染症法」と表記します）の改正が検討されていると伝えられています。この問題について、以下のとおり、意見を述べます。</p>
<p>
	意見の趣旨</p>
<p>
	感染症法の改正により、新型コロナウイルス感染症の患者・感染者が入院措置に反したり、積極的疫学調査・検査を拒否する場合の処罰規定を設けることに強く反対します。</p>
<p>
	意見の理由</p>
<p>
	人は、病気になったときでも、ある治療を受けるかどうかを自分で決定する権利を持っています。この患者の自己決定権は、日本国憲法一三条の保障する個人の尊厳に由来するものであり、重要な基本的人権のひとつです。</p>
<p>
	感染症法は、一定の要件を充たす感染症の患者に対して、都道府県知事が入院を勧告することができること（法一九条一項）、勧告に従わない場合に入院措置を採ることができること（同条３項）としていますが、これは上記の患者の自己決定権の制限であり、この都道府県知事の権限は、極めて厳格な要件の許に、抑制的に行使されるべきものです。</p>
<p>
	今回の改正により、上記の入院措置が罰則を持って強制されることになるとすれば、その自己決定権の侵害がより強いものとなります。しかし、実際に新型コロナウイルス感染症蔓延の原因とされているのは、主として自らの感染の事実を知らない無症状感染者の行動であると考えられており、入院勧告に従わない患者・感染者の存在が新型コロナウイルス感染症蔓延の原因だという指摘はありません。すなわち、罰則による入院の強制という強力な人権制約を正当化する根拠となるような事実は存在しません。</p>
<p>
	<img cropbottom="14618f" cropleft="5592f" cropright="11086f" croptop="10007f" src="file:////Users/kuboisetsu/Library/Group%20Containers/UBF8T346G9.Office/TemporaryItems/msohtmlclip/clip_image013.jpg" />むしろ、感染しているというだけで罰則を伴う入院勧告・措置の対象とすることは、それを忌避するために検査を受けないという行動を誘発する可能性もあり、それは、結果的には新型コロナウイルス感染症蔓延防止を困難にしてしまうことになります。</p>
<p>
	また、人は自分に関する情報をコントロールする権利を持っています。このプライバシー権もまた、憲法一三条の保障する個人の尊厳に由来する重要な基本的人権です。積極的疫学調査・検査への協力を罰則で強制することは、このプライバシーの制限にあたるものです。そして、その人権の制限を正当化するような事実が存在しないことは、入院措置に反した場合の罰則に関して述べたところと同じです。</p>
<p>
	感染症法の前文には、「&hellip;&hellip;我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である」と謳われています。ところが、昨年一月に新型コロナウイスル問題が発生して以来、全国各地から、患者・感染者はもちろんとして、実際に感染していなくても感染機会が多いと考えられる職種の人やその家族に対する差別・偏見事例が報告されています。患者・感染者に対する処罰規定を設けることは、このような差別・偏見を、いっそう助長することに繋がり、公衆衛生政策において必要不可欠な、国民の主体的で積極的な参加と協力を妨げることになりかねません。</p>
<p>
	いまこそ、感染症法制定の原点に立ち返り、「感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応すること」を最重要の課題として位置付けるべきときです。第三波といわれる感染者増大傾向のまっただなかではありますが、患者・感染者の自己決定権・プライバシー権を軽視した処罰規定を設けるような場当たり的な法改正ではなく、新たな感染症に適確に対応し国民の医療に関する基本的人権を守れるような医療供給体制の構築に向けて、大局を見据えた冷静な議論を望む次第です。</p>
]]>
    </content>
</entry>

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    <title>264号　新型コロナウイルスと医療基本法2 - けんりほうNEWS</title>
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    <published>2021-02-15T11:03:22Z</published>
    <updated>2021-02-15T11:05:42Z</updated>

    <summary> 	新型コロナウイルスと医療基本法２ 	事務局長　小林　洋二 	再び、新型コロナ...</summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="264号" label="264号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	新型コロナウイルスと医療基本法２</p>
<p align="right">
	事務局長　小林　洋二</p>
<p>
	再び、新型コロナウイルス感染の蔓延が問題になっています。</p>
<p>
	前号でご報告したとおり、このコロナ問題の中で、医療基本法制定に向けた議論は一休みの状態です。しかし、議論が再開されたとき、私たちがこのコロナ問題をどう受け止めるのか、それは医療基本法にどう反映されるべきなのかが問われることは間違いありません。</p>
<p>
	世話人会では、この点について、メールとズームミーティングで議論し、また、医療基本法骨子七項目の共同提案団体とも意見交換を行いました。今号の別冊「新型コロナウイルス感染症問題に関する論点整理」は、現時点における議論の到達点を、(1)医療供給体制、(2)蔓延防止対策、(3)差別・偏見問題、(4)治療薬・ワクチン問題の４つの観点から整理したものです。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	この問題は日々動いており、情報も錯綜しています。</p>
<p>
	例えば、マスクの有用性に関しても、この間、さまざまな情報が飛び交いました。ＰＣＲ検査を積極的に行うべきか否かについても、未だに議論が分かれています。欧米に比較して、日本をはじめとする東南〜東アジアでの感染者数及び死亡者数が少ない理由について、生活習慣説、ＢＣＧ説、ＨＬＡ説、交差抗体説、ウイルス株説等さまざまな仮説が唱えられてはいますが、まだ解明されていません。最近の感染者増を第二波であると位置づける人もいれば、ＰＣＲ検査の数が増えただけだという人もいます。アビガンについても、製薬会社の社長と安倍首相の関係を取り沙汰する人もいれば、承認されないことに何らかの意図を見いだそうとする人もいます。遡ってみれば、そもそもこのウイルスは中国の生物兵器だという説もありました。</p>
<p>
	わたしたちは、こういったことについて、正確な情報を求める権利があります。しかし、情報の正確さは常に流動的なものであり、相対的なものです。特に、新型コロナウイルスのような新しい感染症については、なにが正確な情報なのか、誰も知らないということもあり得ます。</p>
<p>
	そういった状況であればこそ、わたしたちは、基本に立ち返るべきだと思います。</p>
<p>
	その立ち返るべき基本が、基本的人権としての、必要な医療を受ける権利であり、医療における自己決定権であり、病気や障がいを理由として差別を受けない権利です。それをきちんと法律の形にすることが、いま取り組んでいる医療基本法制定に向けての活動であり、わたしたちが三十年にわたって取り組んできたことです。</p>
<p>
	だから、わたしたちの医療基本法要綱案にせよ、共同骨子七項目にせよ、いまさらこの新型コロナ問題で改訂を加えるべき点はないというのが、現時点での結論です。</p>
<p>
	会員の皆様のご意見をお聞かせいただければと思っています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	個人情報保護法制のはなし（最終回）</p>
<p align="center" style="margin-left:16.45pt;">
	第六回　新型コロナ対策と個人情報保護</p>
<p align="right" style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p align="right" style="margin-left:16.45pt;">
	神奈川　森田　明（弁護士）</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	はじめに</p>
<p>
	前回は、医療情報の利活用推進の現状として、次世代医療基盤法や個人情報保護法の改正による仮名加工情報の導入の動き（その後六月五日に改正ずみ）、自民党政務調査会データヘルス推進特命委員会の動向などを紹介しました。同委員会は、今年の六月三〇日に提言を公表し、医療情報は積極的に利活用されるべきで個人情報保護法制が医療情報の共有と蓄積を阻んでいるとして、医療分野の個人情報の保護と利活用に関する法制化の検討を開始し、令和三年度中に結論を得るべきとしています。つまり、医療情報の利活用のために個人情報保護法の特別法を作るということです。</p>
<p>
	このような動きが進む中で、新型コロナウイルスの感染が拡大し、私たちの生活は激変してしまいました。こういう状況がいつまで続くのかもわかりません。</p>
<p>
	新型コロナを巡り、感染拡大対策のための医療情報等の収集及び提供・公表と個人情報保護が問題となります。</p>
<p>
	今回はこれについて述べ、連載の締めくくりとします。</p>
<p>
	なお、新型コロナ対策では、他に「接触確認アプリ」等も個人情報保護の点から大きな問題を含んでいますが、ここでは論じきれないため、割愛します。</p>
<p>
	　</p>
<p>
	国、地方公共団体等の公的機関では</p>
<p align="left">
	連載第一回で述べたように、個人情報取り扱いの主体により個人情報保護の適用法が異なるのでこれを踏まえて整理する必要があります。</p>
<p align="left">
	まず公的機関については、行政機関個人情報保護法（行個法）、独立行政法人個人情報保護法（独個法）、個人情報保護条例による取扱規制、第三者提供規制との関係が問題となりますが、行個法、独個法、各条例とも法令に基づく取扱や提供は認める規定があります。</p>
<p>
	新型コロナウイルス感染症については政令で、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律（感染症法）が準用されることとされ、感染症法の第三章では「感染症に関する情報の収集及び公表」について規定しています。</p>
<p>
	収集については、例えば医師らの届け出義務（同法一二条、一三条）、都道府県知事（実際には保健所）によるいわゆる積極的疫学調査（同法一五条）等が定められています。</p>
<p>
	公表については、同法一六条で「厚生労働大臣及び都道府県知事は&hellip;収集した感染症に関する情報について分析を行い、感染症の発生の状況、動向及び原因に関する情報並びに当該感染症の予防及び治療に必要な情報を新聞、放送、インターネットその他適切な方法により積極的に公表しなければならない。」と定め、あわせて、公表に当たっては「個人情報の保護に留意しなければならない。」としています。</p>
<p>
	また、新型インフルエンザについては、同法四四条の二で「厚生労働大臣は、新型インフルエンザ等感染症が発生したと認めたときは、速やかにその旨及び発生した地域を公表するとともに、当該感染症について、第一六条の規定による情報の公表を行うほか、病原体であるウイルスの血清亜型及び検査方法、症状、診断および治療並びに感染の防止の方法、この法律の規定により実施する措置その他の当該感染症の発生の予防又はそのまん延の防止の必要な情報を新聞、放送、インターネットその他適切な方法により逐次公表しなければならない。」と定め、あわせてここでも、公表に当たっては「個人情報の保護に留意しなければならない。」としています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	公表基準について</p>
<p>
	しかしこれらの規定も抽象的で、実際に何を公表するかについてはさらに個別判断が必要です。そのために、「一類感染症が国内で発生した場合における情報の公表に係る基本方針」（令和二年二月二七日付厚生労働省健康局結核感染症課発出の事務連絡）が発せられ、新型コロナウイルス感染症は一類感染症ではないが、この基本方針を参考にしつつ適切に情報の公表を行うよう求めています。</p>
<p>
	同基本方針では、公表する情報として、「感染症に関する基本的な情報、感染源との接触歴に関わる情報、感染者の行動歴等の情報」が挙げられていて、公表する情報と公表しない情報を詳細に仕分けていますが、運用上は微妙な判断を求められる事柄も少なくありません。</p>
<p>
	例えば、「感染者情報」については、「個人が特定されないように配慮する」ことを基本に、「居住国、年代、性別、居住している都道府県、発症日時」は公表し、「氏名、国籍、基礎疾患、職業、居住している市町村」は公表しないとしています。しかし、基礎疾患を公表しないのは「基礎疾患との関係性が判明していないため」としており、今後判明すれば公表されるようになる可能性はあります。職業については、「感染源との接触機会が多い等の場合（例　医療従事者）には公表を検討する」としており、現に医療従事者や、クラスターにかかわった人の職業が公表されることがあるのはご承知のとおりです。</p>
<p>
	入院した医療機関名は公表しないこととされていますが、これは「原則として入院後は基本的に他者への感染がないため」であり、「医療機関での行動に基づき感染拡大のリスクが生じた」場合には公表することもあるとしています。</p>
<p>
	　このように運用上の問題は残るものの、公的機関はこれらの法令やそれに基づく基準に従って対応すれば個人情報保護との関係は少なくとも形の上では整理されていると言えます。</p>
<p>
	　</p>
<p>
	民間事業者による公表など</p>
<p>
	これに対し、民間事業者については、個人情報保護法適用の問題になり、現場に判断が委ねられるため厄介な問題になります。</p>
<p>
	ざっくり言うと、個人情報保護法は、個人情報の目的外利用（同法一六条）、要配慮個人情報（感染者の情報は原則これにあたる）の取得（同法一七条）、個人データの第三者提供（同法二三条、公表はこれにあたる）を原則として禁止しており、<strong>本人の同意</strong>を得た場合または次の四つのいずれかにあたる場合は例外として認めることとしています。（要配慮個人情報取得についてはこれに加えて一定範囲の規則や政令による場合が認められます。）</p>
<p style="margin-left:9.45pt;">
	①&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;法令に基づく場合</p>
<p style="margin-left:9.45pt;">
	②&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき</p>
<p style="margin-left:9.45pt;">
	③&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき</p>
<p style="margin-left:9.45pt;">
	④&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;国の機関若しくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合であって、本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき</p>
<p>
	＊この四つの例外規定は繰り返し登場するので、私はこれを「例外四兄弟」と呼んでいます。（しかし今では名曲「だんご三兄弟」を知らない世代が多くなり、ウケはいまいちです。）</p>
<p>
	　</p>
<p>
	本人の同意に基づく取得、提供の問題点</p>
<p>
	個人情報保護法は、上記の制限条項の例外として前記「例外四兄弟」の前に、本人の同意を得ることをあげており、これを原則としていると考えられます。しかし、同意を得るにあたっては、任意性を確保するべきです。例えば従業員が感染した場合に解雇や不利益な処遇をちらつかせて同意させてはいけませんが、事実上「ボクは嫌だ」とは言えないことは多いでしょう。反面、個々人の意向次第で公表内容が大きくばらつき、必要な基本的情報が公表されないのも問題です。</p>
<p>
	そう考えると、この種の問題については、本人の同意に大きく依存するのではなく、どの範囲の情報が必要であり例外四兄弟にあたるのかを慎重に見極めた上で、対処する必要があります。</p>
<p>
	　</p>
<p>
	公共機関への提供等</p>
<p>
	例外四兄弟のうち、法令に基づく（例外①）、あるいは法令に基づく公的機関の行為への協力（例外④）にあたるならできることになります。例外②又は③に当る場合もあるでしょう（個人情報保護委員会、令和二年四月二日付「新型コロナウイルス感染症の拡大防止を目的とした個人データの取扱について」）。</p>
<p>
	例えば、保健所が、感染症法一五条一項に基づく積極的疫学調査のため、事業者に対し、新型コロナウイルスに感染した従業員の勤務中の行動歴の提供を依頼している場合には、その情報の提供に当たり本人の同意は必要ないと解されています。（同委員会「個人情報保護法相談ダイヤルに多く寄せられている質問に関する回答」、令和二年五月一五日追加回答）</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	他の民間事業者や地域社会への提供（公表）等</p>
<p>
	顧客や取引先からの個別の問い合わせに対する回答、店舗での掲示等による公表にあたっては、原則としては匿名化した状態で提供等すべきです。個人が特定できない範囲での公表ならば、個人情報保護法には抵触しないし、プライバシー侵害にもならないはずです。</p>
<p>
	しかし、実際にはもろもろの他の情報と合わせて特定される可能性はありますし、特定される可能性があってもなお公表せざるを得ない場合もあります。</p>
<p>
	<img align="left" height="97" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/75493381-9882-40a3-a308-dd9619e8b496" vspace="8" width="103" />したがって、個人情報に当るとしても例外として許容される範囲にとどめ（例えば、感染拡大防止のために必要性が高い場合は②人の生命、身体保護のため必要、あるいは③公衆衛生の向上のため必要、にあたるといえます（前記個人情報保護委員会令和二年四月二日通知の二項）、しかしその際も必要以上の情報は出さない配慮が必要です。</p>
<p>
	＊私の経験から</p>
<p>
	四月の半ばに、私の住む町の某百貨店の食料品売り場（他の階はすでに営業自粛中で、この売り場のある一階のみ営業）で新型コロナ感染者が出て営業中止となりました。</p>
<p>
	その際、公表されたのは「売り場の従業員一名が感染していたことが四月一六日に判明した、当該従業員は四月一一日からは出勤していなかった。」ということだけでした。私はこの店が帰宅途中にあるので、ほぼ隔日で買い物をしており、驚きました。もっと情報が欲しいという気持ちはあったものの、これ以上の情報を出せば個人が特定しまうので、この範囲で仕方ないとも思いましたし、住民から感染者をもっと詳しく公表しろという声は（私の知る限り）なく、むしろ営業再開がいつになるのかを知りたがっていました。店側の対応としてはそう悪いものではなかったと思います。一〇日後には感染対策に配慮しつつ再開して、すぐに賑わい（！）を取り戻しました。</p>
<p style="margin-left:90pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	著名人の感染、病状の公表</p>
<p>
	著名人については、感染や療養状況、さらには死亡についての情報がまさに氏名と合わせて広く公表され報道されています。これはおそらく公的機関による公表ではなく、関係者が基本的には本人の同意を得て公表しているものと思われます。同意による公表の前提として、本人の社会的立場によりプライバシー保護より公表が優先するべき場合であると考えられたことがあるでしょう。</p>
<p>
	これは、匿名を基本としつつ例外四兄弟に当たるかを感染拡大防止の必要に照らして慎重に判断するという上述の考え方とは異なる観点からの公表です。</p>
<p>
	著名人の感染の事実は、注目を集め感染防止への意識を高めること、感染者への差別をなくす方向に働くこと、など有益な面もありますが、逆に本人や同業者等への差別をあおる恐れもあり、どこまでの範囲ですべきかは難しい問題です。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	若干の考察</p>
<p>
	　新型コロナと個人情報保護に関する問題は多岐にわたりますが、ここではビッグテータの利活用との関係について述べておきたいと思います。</p>
<p>
	新型コロナについては、この病気に対する共通認識が形成されていないことが議論を難しくしています。</p>
<p>
	感染拡大を恐れて人々の行動を徹底的に規制すべきだという考え方もあれば、風邪と変わらないのだから普通に生活していればよいという見方まであります。個人の考えだけでなく、国により、時期によっても大きなばらつきがあります。</p>
<p>
	感染者数が再び増えつつありますが、このことをどう見るかも問題です。検査数が増えたからなのか。死亡者数は以前のような増え方はしていないが、感染者のうち治療を要する人、重症の人はどれくらいいるのか。どんな感染者にどれ位リスクが高いのか、といったことも正確にはわかりません。</p>
<p>
	未知の病気への対応を決めるためには、まずその実態を知るために、広範囲に詳細な情報を収集、分析、周知する必要があります。</p>
<p>
	そのためには、個人の医療情報をベースとしたビッグデータの活用の必要性は否定できません。この間の対応の混乱は感染者情報の流通の仕組みができていなかったためという側面があり、そのことは冒頭に述べた医療データ利活用を推進する動きをより促進する大義名分となるでしょう。</p>
<p>
	それは悪いことではないのでしょうが、緊急事態において必要な情報の利活用と、平時における利活用とでは異なる基準で運用するべきではないでしょうか。</p>
<p>
	そこの区別をせずに、常時大量の個人の医療情報を利活用しようとすることは、（以前述べたようにそれが匿名化された情報の形をとっているとしても完全な匿名化はあり得ないことも考え合わせるなら）、プライバシーに対する深刻な脅威をもたらすように思えてなりません。</p>
<p>
	このことを、この連載の最後に改めて指摘しておきたいと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	新たな正常状態</p>
<p>
	が必要な医療基本法（中）</p>
<p align="right">
	　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　常任世話人　小沢木理</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	　そもそも私たちは、医療の理念を記す医療基本法の法制化だけを目標に活動していればよかったものが、新型コロナ感染拡大（パンデミック化）に遭遇し、医療基本法のありかたを改めて見直してみる必要性が出てきました。それどころか、避けて通れない課題となっています。</p>
<p>
	前回の原稿では、このコロナ騒動を受けて、医療基本法のありかたについて少し回り道し、グローバルな視点から考えてみる必要があるとしています。この新型コロナによる今の事態は「<strong>想定外に非ず</strong>」「<strong>俯瞰が必要」「ふたつの選択肢がある」「超監視社会に身を供する？」といった</strong>問題を提起しつつ<strong>、</strong>医療基本法における医療主体の位置づけや医療崩壊を起こさないための対策、さらには<strong>医療における公益性・公共性のあり方</strong>とリンクするものがあると述べました。そして今、〝<strong>新たな正常状態</strong>〟を目指されなければ社会生活が成り行かない時に、医療基本法はそういった事態に耐えられるのだろうかという問いで終わっていました。</p>
<p>
	　</p>
<p>
	いま座して冷静に考えてみると、人間は本当の新型コロナの被害者なのかという気がしてきました。</p>
<p>
	収束が見通せないでいる新型コロナウイルスの世界の感染者数は七月一日時点で、一、〇四七万人越、死者五一万人超、さらにその数は増え続けています。この新型ウイルス感染拡大の問題は、一国で終結させられるものではないこと、長い時間付き合わざるを得ない問題であることなど、もはや誰もが認めることとなりました。これまでの生活志向、選択基準、あたりまえの多くが通用しなくなってきています。「新しい生活様式」ということばが頻繁に使われ出しました。しかしこのことばの意味には、これまでの生活志向に戻るための忍耐・努力の生活のように思えます。つまりこれまでの生活志向路線に戻るために取り入れている期間限定の生活スタイルだとしたら、それも確かに辛い日々ではありますが、それだけでは今後も訪れる試練を乗り越えては行かれないでしょう。</p>
<p>
	そもそも私たちは、医療分野に限局した医療基本法の法制化だけを考えていれば良いと思っていました。それ以外はここでは関係ないと。</p>
<p>
	新型コロナ感染拡大の問題に遭遇し、医療も社会生活の環境と密接な関係にあることを思い知らされました。従って、前回の原稿でも触れた課題はどれも、社会の構成員として不可分であり無視出来ないテーマだと私は考えています。</p>
<p style="margin-left:9.4pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:9.45pt;">
	■人間の傲慢による産物</p>
<p>
	<strong>「被害者面しているんじゃないよ、人間は！」</strong></p>
<p>
	新型ウイルス感染が収束していかないことにストレスを感じている私たちに、なぜかこんな声が聞こえてくるようです。</p>
<p>
	これまで私たちは、日本の法律、その中の医療分野の法律をつくる、それでひとまず完結。それだけで良かったはずです。しかし今、新型コロナのパンデミック化に伴い、当然その元凶であるウイルスの実体にまで関心を向けることになりました。</p>
<p>
	ウイルスには国境がありません。人や物資の往来は封じ切ることはできませんから、感染を一国で封じ込むことは不可能です。国際的な連携・連帯なくして収束は望めません。</p>
<p>
	勿論、抗ウイルス薬やワクチンに解決を求めることも必要ですし、医療体制の充実といったことも経済支援策とともに重要ですが、この先次々パンデミックやパニックになるような事態が発生したら、その度にモグラ叩きの繰り返し、対症療法しかないというのは本当の対策とは言えません。しかし当面は、国内法、国内の医療に関する法律は、その程度のことを、その範囲で可能なことを定めるしかありません。</p>
<p>
	しかし、より本質的な対策を講じるとしたら、自国内で美しい法律を仕上げることでは、今回の新型ウイルスのパンデミックや自然がもたらす大災害には、乾いた大地に一時的に水滴を落とすような効果しかなく、もっと本質的な課題に取り組む必要があります。そういう視点の取り組みがなされなければ、災害が頻発し巨大化していくことを減らしていくことは出来ないのではないかと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	・昨二〇一九年八月からアマゾンで、九月にはオーストラリア史上最大の森林火災が発生し五ヶ月もの間燃え続けました。この山火事で、人間の犠牲者以外にも十億匹以上の動物がいのちを落とし、そのほか昆虫などを含めるとはるかに大きな数字の命を失ったと言われています。森林による二酸化炭素を吸収する重要な役割をも消失したことになります。火災発生の最大の原因は少雨と乾燥でした。</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	・ケニアでは、新型コロナの陰でバッタが大発生し大地を食い荒らしています。国連食料農業機関（ＦＡＯ）は、「生活と食料安全保障に危機的結果をもたらしている」「東アフリカで二五〇〇万人以上、イエメンで一七〇〇万人が危害に直面する」と警告。オーストラリアで大規模の森林火災を起こした原因は、インド洋の海水の上昇が関係しているとも言われています。そのほかの国々でもこの森林火災の影響で壊滅的被害を受け、加えてその国々の人々の間に新型コロナの感染が拡大しており、二重の闘いを強いられています。</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	・海洋プラスティックゴミの問題も深刻で、五兆個のプラスッチックが世界の海洋を漂い、海洋生物の生態を危機に晒し続けています。中でもマイクロプラスチック（五ミリ以下のプラスチック）は海に流出すると分解はされず、魚や海鳥などが飲み込んでしまいます。東京湾で獲れたカタクチイワシの八割の内臓からマイクロプラスチックが検出されていると言われますし、あらゆる海洋生物の体内に取り込まれます。多種類の海洋生物に摂を通じて結局私たちの体内にも取り込まれます。</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	プラスチック添加剤の<strong>ノニルフェノール</strong>も海洋を漂うプラスチックに残留しています。この添加剤は牡蠣の再生能力の低下や、巻貝のメス化やオス化に影響を与えていることも判明しています。このような環境ホルモン（内分泌撹乱物質）が、一生物であるヒトにも同様の影響を与えてくることは当然です。</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	・「シベリアで三八度を記録か」「北極圏の山火事は高温と強風によって激しさを増している」といった記事を目にしたことがあるかと思います。</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	いま北極圏では世界平均の二倍の速さで温暖化が進んでいると言われています。永久凍土が溶けると、地下に閉じ込められていた二酸化炭素とメタンが放出されます。</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	<img align="left" height="106" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/5395f348-7fdd-4ca2-95e0-3ee10660157c" vspace="8" width="105" />これらによる温室効果ガスはさらなる温暖化と、さらなる永久凍土の融解を引き起こす可能性が指摘されています。永久凍土の海に流れ出す量が増えて海面上昇につながります。地盤が海水で浸水し、これまでの生活が出来なくなる人々がたくさん出て来ます。</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	・また、かねてから懸念されてきた宇宙ゴミ、これもこの二〇年で二倍に増え、今後更に増殖することが分かっています。「あわや、宇宙ゴミと衛星が衝突か！」という状況が現実になっています。軍事目的や企業の宇宙開発などによって宇宙にばらまかれ、制御不能になった宇宙ゴミが地球上に落下するリスクが高まっています。</p>
<p>
	このような地球温暖化や環境汚染や環境破壊による、人間のみならず生物にもたらす甚大な被害は数えきれません。人々は新型コロナウイルスで苦しんでいますが、それも、人間が生態系を無視し前のめりで欲望の達成を求めて突っ走った結果もたらされた現象とも言えそうです。</p>
<p>
	従って、犠牲者、被害者は何も人間だけでないばかりか、災害をもたらした原因の殆どが人間の行為の結果なのだといっても間違いではないでしょう。むしろ、犠牲者は人間以外の声を出せない、人間にあがなうことが出来ない生きものたちなのだと思います。自然災害（実は人災）による森林火災で、全身がただれ大やけどを負って救い出されたコアラが、結局は救いきれず安楽死させられたなんて話が珍しくないのが悲惨です。人間が関与した結果、またはその影響でもたらされた災害の多くは、一番の被害者はこういった人間以外の生きものでしょう。今回の新型コロナによる人類の危機的状況に対し、彼らからは、<strong>「被害者面しているんじゃないよ、人間は！」</strong>という心の底からの訴えが聞こえてくるようです。</p>
<p>
	生命を存続させていく為の「新たな正常状態」というのは「新しい生活様式」という期間限定の発想では全く足りないのです。科学も技術の発展も生活を豊かにしてくれます。しかしそれらが人類だけのものであって他の生物を顧みないものだとしたら、共生ではなくアタックしか考えに無いとしたら、それは生命体の滅亡に繋がる行為となるでしょう。</p>
<p>
	新たな正常状態を模索し、それを目指して行くのか否かで、人類の未来の姿が変わってくると思います。人類はみな運命共同体ですので、一国では成し得ません。しかし、わたしたちは自分の手が届く範囲内ででも新たな正常状態を目指して努力するしかありません。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:9.45pt;">
	■広く掬って凝縮させる法案を！</p>
<p>
	目の前にある手短な材料だけで組み立てた構造物は、ほどなくして欠陥や不足なものに気づき構造物を支えられなくなるでしょう。</p>
<p>
	「でもやっぱり、活動してきた私たちが求めるのは、医療基本法の実現ですしその迅速化です。取り敢えずの法案の成立を求めています。この機を逃さずに熱が冷めきらぬうちになんとかまとめあげたい。」という思いは多くの方に共通すると思われます。</p>
<p>
	しかし、これまでの経緯を見ていると、新型コロナ問題以前からこれまで私たちが議連に提案したり進言してきた内容についてさえ充分に踏まえて検討されてきたようには思えません。このまま法案がまとめられて進んで行くことには安気にしてはいられません。</p>
<p style="margin-left:9.4pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:9.45pt;">
	<strong>【</strong>想定外を想定した対策・体制の必要性】</p>
<p>
	社会の緊急事態に対応する医療体制こそが重要になります。それがいままでは考えられていませんでした。しかし実際には、災害などの緊急時にこそ医療崩壊が起きたり人権侵害が行われたりして患者の権利が躊躇なく損なわれる可能性が高くなります。</p>
<p>
	現在直面している新型コロナ感染症のパンデミック化については、この先も収束が見通せていません。いつまで続くのか、さらに拡大していくのか、新たなウイルスが発現するのかも予測不能です。このような医療介入が最優先される災害時の対策として、国は特別対策協議会を設け、計画や実施に必要な組織を起動させ全国体制で臨む必要があります。しかし過ぎたことではありますが、平時からパンデミックに相当するような大災害を想定し、そういう事態に対応する対策専門委員会なるものを設置し、対策を練り常にそれなりの体制に移れる準備をしておく必要がありました。災害の規模については想定外を想定し、臨機応変な対応を可能にするための体制作りでもあります。それは今後、自然災害とは別に必ず必要とされる組織体制だと思います。</p>
<p>
	その際、一〇〇年前のスペイン風邪のときの資料があるかどうか分かりませんが、少なくとも過去のＳＡＲＳやＭＥＲＳの時の状況を検証し、そこから得る教訓はあるはずです。</p>
<p>
	また今回の新型コロナウイルス感染症（COVID-19）の場合、既に始めているかと思いますが、自国のみならず海外での対応やその評価をし、次に備えるための計画をたてる専門家会議が設置されている必要があります。</p>
<p>
	このような緊急事態の対策・制度の必要性について、医療基本法の中に何らかの形で取り込むべきか、その議論は必要ですが、やはりこれからは「災害」に対しての医療体制のありかたについて、きちんと明記しておくことは現実的であり必要ではないかと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	【人権に根ざした医療か？】</p>
<p>
	さらに、改めて思うことですが、人類共通の理念は『人権』であろうと思います。もすこし広義に言えば『生命権』でしょう。日本国憲法しかり、医療基本法しかり。医療行為が、この「人権」という共通の理念に反していないかが医療の質を測る重要な物差しになっています。この理念、建て前では万人が認めるところですが、現実はそうはいっていないことが多々あります。今回の新型コロナ下ではこの理念（理想）が薄まります。止むを得ないとした患者の優先性、医療従事者や医療関係者の生命や安全が保障されない環境、さらには差別意識の生成、生活弱者が見過ごされる、仕事が無くなり収入が途絶え自滅状態の人たちの存在等々の存在が浮き彫りになってきました。経済的困窮者、介助者が欠かせない障がいを持たれている方、高齢の単身者などの生活弱者に一番ダメージを与えます。このような方々への積極的なフォロー体制が必要です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	関連して思うことは、去る六月三〇日の東京地裁の旧優生保護法訴訟の判決です。</p>
<p>
	中学生のとき、何も知らされず無理やり強制不妊手術を受けさせられた男性の訴えが棄却されました。棄却理由は、除斥期間が過ぎたからダメ、というものです。除斥期間とは、不法行為があったときから二〇年が過ぎると、賠償を求められなくなるという規定です。この法律は、改正前の旧民法にあった「除斥期間」と呼ばれる規定で、確か明治三一年（一八九八）に施行された約一二〇年以上前の法律です。なにごとも申請主義、訴えなければ相手の罪は裁かれないことになっています。しかしおかしいのは、法規定に則った判決という律儀な理由の前に、この被害は、そもそも私人ではない国による行為が原因であり、行ったこと自体が既に人権侵害であり犯罪に値します。国策の犠牲になった方たちに一律申請期限を設けることは、国家の誤った行為を見逃したり是認することにも繋がりませんか。国民の命と人権を守る立場のものが、その立場を行使し暴挙を行ったのですから、その責任を問われるのは当然です。国家が誤った犯罪的行為を行いながら、犠牲者だけにそれも特殊な環境下にある弱い立場の者に「除斥期間」が架せられ、期限があるからダメと法律が裁くのは不公平です。加害側が何も裁かれず償わずに済むことになる「除斥期間」が優先されるのは、まさに人権侵害が延長されていることになり、納得がいきません。国策の犠牲になった方には、「除斥期間」を設けるべきでなく被害者の申請を条件とせずとも国は自ら謝罪し賠償するべきです。</p>
<p>
	なぜ被害者は償われることもなく、侮辱をはらすことも出来ず辛い人生を一生送らなければならないのでしょう。医療という名のもと人間の尊厳を冒した場合、その罪は重いです。人権に根ざしていると言えるのでしょうか。この実態、なんとか変えて行かなければなりません。法律で表層だけ整えても、実際には把握しきれていない問題がたくさん内在しています。　</p>
<p>
	いろいろと調べ物をして行くなかで、いままで知らなかった法律があまりにたくさんあることに驚きました。複雑多岐に亘る社会ですからそれは当然なのですが、市民の利益に繋がる法律にしても、その殆どが始めて接するものばかりで、知っていなければ損するものばかりでした。「こんなものもあったんだ！」「こんなものもあるんだ」と倉庫にしまってあった高価な美術品を見つけたような、美しいけど縁遠かったものばかりでした。</p>
<p>
	果たして、医療基本法もこの美術品のひとつのように倉庫に並ぶことになるのでしょうか。一番必要としている人たち、当事者が手に取って活用できるものになるのでしょうか。そこにあることさえ知らずに通り過ぎて人生を終える人がいる、そんなことだけにはしたくないという思いです。</p>
<p>
	常に、原点に立ち返る必要があります。医療基本法を組み立てるにあたり、何よりも患者・市民の声を反映し、さらには過去の負の歴史を顧みて活かしていくことが不可欠です。</p>
<p>
	　新たな正常状態は、医療基本法という具体的課題においても必要になってきます。法律作成過程において型通りの法案や成立過程のありかたは撤回されなければなりません。そこで重要なのは『情報』です。その『情報』のありかたが民主主義のレベルの評価ともなります。少し時間が開きますが、次はこの『情報』のありかたについて書いてみたいと思います。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>263号　新型コロナウイルスと医療基本法 - けんりほうNEWS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kenriho.org/news/kenrihonews/2021/02/263.html" />
    <id>tag:kenriho.org,2021:/news/kenrihonews//3.323</id>

    <published>2021-02-15T10:59:10Z</published>
    <updated>2021-02-15T11:03:07Z</updated>

    <summary> 	新型コロナウイルスと医療基本法 	事務局長　小林　洋二 	ほんとうならばいま...</summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="263号" label="263号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	新型コロナウイルスと医療基本法</p>
<p align="right">
	事務局長　小林　洋二</p>
<p>
	ほんとうならばいまころ、「医療基本法案いよいよ国会上程へ！」なんて記事をこのニュースに書けるのではないかと思っていたところですが、なかなか、そのような情勢ではなさそうです。</p>
<p>
	医師免許を有する国会議員は、四月三日、超党派の議員連盟、医師国会議員を結成し、六日、厚生労働大臣に、「コロナ専門外来の設立」、「新型コロナウイルス感染症対策基金の設立」などを求める決議文を提出したと伝えられています。医療基本法議連の主要メンバーと、この新たな議連の主要メンバーはかなりの程度重なっているのではないかと思われます。新型コロナ対策は喫緊の課題ですので、医療基本法の議論が後回しになるのは、ある程度やむを得ない部分もあります。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	このような状況であればこそ、改めて、医療基本法の必要性について議論を深めるべきだともいえます。その意味で、小沢さんの論稿は貴重な問題提起です。</p>
<p>
	ただし、その議論は、現実に根ざした冷静なものであるべきです。</p>
<p>
	ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい、という寺田寅彦の言葉があります。正直なところ、わたしは、いまのコロナ対策が、こわがりすぎているのか、こわがらなすぎているのか、よくわかっていません。それが分かるとすれば、おそらくこのコロナ禍が過ぎ去った後、あるいは過ぎ去らないままに状況が定着した後のことでしょう。コロナ禍のまっただ中で、しかも、真偽の定かならぬ情報が錯綜している中で、新型コロナ問題と医療基本法の関係について議論するのはなかなか難しいことだと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	もちろん、いまの段階で言えることがないわけではありません。</p>
<p>
	たとえば、厚労省は病床数削減計画を進めており、症状が軽く集中的な治療を必要としない患者を医療機関から自宅あるいは介護施設へ移そうとしていますが、感染症病床の不足が深刻化している現在でも、この計画を変更するつもりはなさそうです。これは、国民の医療に関する人権保障を後退させることになってしまうのではないでしょうか。また、東京都は二〇二二年内を目処に、都立病院の独法化を目指しています。これは医療の公共性を後退させることになるのではないでしょうか。</p>
<p>
	こういった疑問は、このコロナ禍の中で、一層大きくなりつつあります。</p>
<p>
	予定されていた三月の世話人会が中止になり、まだ次の世話人会の予定も入れることができない状況ですが、また顔を合わせて、そういったことを侃々諤々議論する日を楽しみにしています。</p>
<p>
	個人情報保護法制のはなし</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	第五回　個人情報保護法を巡る具体的な問題</p>
<p align="center" style="margin-left:16.45pt;">
	その２　動き出した次世代医療基盤法と</p>
<p align="center" style="margin-left:16.45pt;">
	その周辺</p>
<p align="right" style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p align="right" style="margin-left:16.45pt;">
	神奈川　森田　明（弁護士）</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	はじめに</p>
<p>
	個人情報保護を巡る具体的な問題として、次世代医療基盤法等を取り上げます。前回は個人情報保護に傾き過ぎた運用が他の制度の適正な運用を妨げている事例として、産科医療補償の報告書の公表の問題を取り上げましたが、今回は個人情報の利活用の促進が個人情報保護を脅かしているのではという観点からの問題提起です。</p>
<p>
	次世代医療基盤法は、正式には「医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報に関する法律」と言い、「医療ビッグデータ法」とも言われます。二〇一八年五月に施行されました。　</p>
<p>
	個人情報保護法改正で、匿名加工情報という仕組みが導入されたことはすでに述べた（連載第３回、二六一号）とおりですが、次世代医療基盤法は、匿名加工情報の医療分野についての特別法です。</p>
<p>
	「次世代医療基盤法」つまり「匿名加工の推進こそがこれからの医療の基盤になるのだ」という稀有壮大な略称が意図的に使われていることからもうかがわれるように、この法律は医療にとっての必要性から、個人情報の扱いを大きく変えることを企図しています。そして、すでに実施段階に入りつつあります。この仕組みは、これまで様々な形で試みられたものの中途半端になっていた（と関係者は感じている）、医療情報の大量集約、活用を本格的に実現しようとするものです。</p>
<p>
	　</p>
<p>
	次世代医療基盤法の仕組み</p>
<p>
	次世代医療基盤法は、医療分野の情報をビッグデータとして活用できるよう、次のように、匿名加工の手続きの特則を定めています。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・個人情報保護法では個人情報取扱事業者自身が手持ちの個人情報を匿名加工するのに対して、次世代医療基盤法では、一定の条件下で認められる「認定匿名加工医療情報作成事業者」のみが加工を行うことを許されます。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・認定匿名加工医療情報作成事業者は、複数の医療機関から提供を受け、広範な情報を共通する手法で匿名化することが可能になります。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・匿名加工に当たり、認定匿名加工医療情報作成事業者は、個人情報取扱事業者（主に医療機関）や行政機関から個人情報の第三者提供を受けることになります。この場合医療機関や行政機関が提供するかどうかはこれらの機関が任意に判断できます。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・改正個人情報保護法では医療情報は要配慮個人情報であるためオプトアウト（利用停止を求める手続きを知らせることで事前の同意なしに提供できる扱い）ができませんが、次世代医療基盤法の手続きに従えば実質オプトアウトによる提供ができることになります（患者はいつでも利用停止を求めることができますが、停止の求めがない限り、加工に利用することができます）。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・匿名加工後の情報はビッグデータであり、個人情報ではないことになるので、個人情報保護法の規制は受けません。販売していろいろな目的に利用されても第三者提供の制限は受けないことになります。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	次世代医療基盤法による匿名加工の問題点</p>
<p>
	個人情報保護法の匿名加工とは別にこうした手続きが設けられたのは、匿名加工を個人情報取扱事業者に任せていたのでは、匿名加工技術への不安もあり、積極的に取り組むことが期待できないので、専門的な機関を設ける必要があることと、個々の個人情報取扱事業者が保有するデータベースを超えた広範囲にわたるビッグデータを構築することがオーダーメイド医療の実現など医療の質を向上させ、関連産業の国際競争力を強化するために必要だと考えられたためです。</p>
<p>
	そのような必要性が高いこともわかりますが、他方で次のような問題もあります。</p>
<p>
	まず、医療情報の多くは要配慮個人情報なのに、認定匿名加工医療情報作成事業者へのオプトアウトを認めてしまった（黙っていれば自分の医療情報が匿名加工されて利用されることを容認したことになる。）ことです。ただし、個人情報保護法の匿名加工では、もともと保有している事業者自身が加工するので第三者提供にならないため、本人が差し止める余地がないわけで、それよりはまし、とも言えます。</p>
<p>
	オプトアウトによる削除請求について法律上は規定されていません。これは事業者がオプトアウト手続きを設けるのだから当然削除に応じるだろうと言う考えなのでしょうが、削除がきちんとされるか不安は残ります。</p>
<p>
	専門の事業者がするにしても、医療情報の匿名加工が適正にできるのかという問題もあります。連載第３回で述べたように、もともと厳密な意味での匿名加工は技術的に不可能とされています。医療情報についての匿名加工はより難しく（希少な疾患では疾患自体から個人識別可能性が出てくるなど）、かつ、他の情報との連結で個人が識別されることとなった場合の権利侵害は重大です。</p>
<p>
	逆に、限られた範囲での医療研究のためのデータを得るのにこの手続きを用いるのは、手間、コストが大きく現実的でないと思われます。</p>
<p>
	　</p>
<p>
	環境整備と事業者認定</p>
<p>
	有益なビッグデータを作り出すためには、各医療機関が共通の標準で電子データにより医療情報を作成管理することが前提となり、そのためには医療機関に大きな負担が生じます。この点については、二〇一九年五月に「医療保険制度の適正かつ効率的な運営を図るための健康保険法等の一部を改正する法律」が成立し、オンラインによる資格確認の実施、医療情報のデータ化（電子カルテの導入）やデータベースの連結の促進が打ち出され、そのための財政支援なども定められました。</p>
<p>
	そして、同年一二月一九日には、認定匿名加工医療情報作成事業者として一般社団法人ライフデータイニシアティブ（京都大学系のグループ）とそこから業務を受託する認定医療情報等取扱受託事業者として㈱エヌ・ティ・ティ・データが認定を受けました。同日付の報道では、「カルテや検査結果を含む情報を数百万人規模で収集。匿名データに加工して、企業や研究機関などが有料で使えるようにする。生活習慣病やがんなどの治療で、患者それぞれに最適な医療サービスの提供につなげる。」とあります（日経電子版）。</p>
<p>
	このように、次世代医療基盤法による医療情報のビッグデータ化は動き出しつつあります。</p>
<p>
	ところが、ここにきて、事態はさらに進もうとしているのです。</p>
<p>
	　</p>
<p>
	さらなる展開〜「仮名加工医療情報」の導入へ</p>
<p>
	二〇二〇年三月、新しい個人情報保護法改正案が国会に提出されました。その中で、「仮名加工情報」という仕組みが導入されようとしています。</p>
<p>
	「仮名加工情報」とは、「他の情報と照合しない限り特定の個人を識別することができないように個人情報を加工して得られる個人に関する情報」を言います。匿名加工情報が、「特定の個人を識別することができないように個人情報を加工して得られる個人に関する情報であって、当該個人情報を復元することができないようにしたもの」であるのに対して、「その情報そのもので個人識別できない程度になっていれば（他の情報と照合すれば個人識別可能なものでも）よい」というレベルの加工をしたものです。</p>
<p>
	その代わり、仮名加工情報は第三者提供はできないものとされていて、当該事業者の中でのみ利用することが想定されています。</p>
<p>
	これは、匿名加工情報の制度が、事業者の責任で徹底した匿名加工をすることを求められるために、事業者にとって使い勝手が悪く、事業者内部で利用するために匿名化の程度の低いレベルのものとして仮名加工情報の導入が提起されたようです（個人情報保護委員会「個人情報保護法いわゆる３年ごと見直し制度改正大綱」二一〜二二頁）。　　</p>
<p>
	匿名加工情報ではまだ不便なので、仮名加工という、より「ゆるいもの」を使えるようにしようというのです。</p>
<p>
	他方、自民党政務調査会データヘルス推進特命委員会は二〇一九年六月二五日に「提言」を出しており、そこでは個人の医療情報を集約して本人が把握できるようにするパーソナル・ヘルス・レコード（ＰＨＲ）の導入とともに、オンライン診療や全国の医療機関が診療データを共有するシステム等を提案しています。</p>
<p>
	そして同委員会では引き続き、医療分野に仮名加工情報を取り入れた、医療情報に関する新しい立法を推進しようとしています。</p>
<p>
	医療情報の利活用は、国際的な動きでもあり、必然性はあるのでしょうが、議論の過程では、「情報の活用＝医療の発展＝患者の利益」という素朴な図式で考えられているようで、患者の人権としての個人情報保護という観点が乏しいことは気がかりです。</p>
<p>
	個人情報保護法の特別法として、医療分野の個人情報保護法を制定する必要性は長らく指摘されていましたが、それが「患者データ活用法」としてできてしまうとしたらあまりに皮肉なことです。</p>
<p>
	こうした場面でも、患者の権利を踏まえた医療基本法を確立した上で、その視点から法律を作る必要性があるのです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	さて、今回の連載の分量としてはこの程度が限度でしょう。これで連載を終えるのが穏当かもしれませんが、実は医療情報の利活用についてはもう少し具体的な事例を書きたいところです。</p>
<p>
	新型コロナウイルス対策のために個人の行動を追跡し、公開することも必要とされつつあり、これをどこまで認めるのかといったことも喫緊の問題としてあります。</p>
<p>
	そこで、すみませんが、もう一回連載の続行をお許しいただき、次回で完結とさせていただきます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	老人売買（後編）〜小説風に〜（投稿）</p>
<p align="right">
	滋賀県　　葉山　聡</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	高齢者施設の支払いは入居一時金(頭金)と月額費用で、入居一時金は特別養護老人ホーム(特養、入居条件として要介護三以上)や介護老人保健施設(老健)は要らず、民間運営の有料老人ホームだけで月額費用も平均して高額だ。市役所は特定の高額有料老人ホーム以外の他施設を拒否、施設名、入居一時金額も明かさなかった。もし他の市町村のように正しく運用しているなら、措置終了後の行先を決定する権利は無い事を知らないのは何故だろう。他は本人と家族に任せている。不明な施設の費用を財産を捨てて払えと言われたのだ。貯蓄が必要な程の即ち百万円以上の入居時一時金の民間経営有料老人ホームは少なく、この市にはなく隣接した市内に一つある位、大部分はゼロ。最初から頭金のために貯金したり、後見利用するなど、弁護士らも聞いたことがないという。家庭裁判所の後見人候補者リストは、市役所の嘱託で法的業務を支援する弁護士集団、高齢者虐待対応支援ネットの推薦する弁護士司法書士であり、最初から市町村側である。元々家族の側に立つ弁護士は育成されていない。</p>
<p>
	どうして市役所は後見人を付けて家を売り払い、母親をそこに入れたいのか。施設から高齢者の紹介によって斡旋料や利益を得ている市役所があるのではないのか。まだ施設が決まってないからと施設名は伏せられた。老人オークションのように一番高値を付けた所に売るのだろうか。普段から各病院、自治会等に高齢者虐待対応マニュアルを配布、怪我をした老人を見つけるや、医療者も警官も弁護士も裁判所まで巻き込んで、過剰な分離措置で家族と切断した老人を、まず緊急枠で金をせしめ、安定期を過ごす次の養護老人ホームに斡旋して金が来て、さらに措置終了後家族の契約で有料老人ホームに入れて、金が来る。老人が金ヅルとなり手配師の役人は、老人転がしのようにもうけが膨らむのではないか。</p>
<p>
	市役所に電話した病院に哲雄が行くと、電話した看護師から、一週間位で帰ってはると思ってた、と言われた。たとえ家では無理と判断しても、頭金ゼロの老健有るのに、頭金のいる施設に入れるのはおかしいと医師から言われた。高齢者虐待防止法を専門とする弁護士に相談すると家では無理と判断しているのだろう。要介護二なら大丈夫と地域包括支援センターに電話し家でのケアプランを建るように話してくれた。しかし市役所は無視、県庁に言って市に話してもらうと、市は十月三〇日今後の哲雄の面会を立合付きに変え内容報告を命じ、次に十月三一日母親と面会。母親が老人ホームにずっといたい、家はもういいと言っていた、本人の年金の入る通帳からの引き落とし類は哲雄が払う事に同意し公文書化したという。ここの支払いも払えてへんし、と嘘をついており、その他も話しの理解を伴わない生返事である。介護保険サービスで家でも生活できる、老人ホーム代で破産寸前だと説明していない。家に帰りたいという母親に、市役所は今この状態で家に帰れますかと問い、もうよろしいですわとか言ったため、家はもういいですと言ったと書いたという。誘導尋問と追加作文。母親は補聴器なしでは十分聞き取れないが市役所は持っていることも知らない。真実を捻じ曲げ母親に真実が伝わらないようにして、措置続行。認知症進行を待って後見付けるらしい。公務員の書いたものは行政上証拠になる。学問と実務は違う。学会の権威は関係ない、実務は我々がすると言う。哲雄は再度県に伝え県庁は市役所にただしたが、無視。母親は保護を求めて来た(嘘)から保護している。母親に確認した意思と正反対の事を哲雄が言わせたりしたため、保護のため面会を立会付きにした(時系列的に矛盾)と。家では恐怖感から起こっていた幻聴、妄想、問題行動もなくなり、穏やかな表情になり、措置は成功したと。幻聴妄想も記憶、表現できず、寝たきりで問題行動ないし、 神経と筋肉の喪失で弛緩した呆け老人顔になっただけ。</p>
<p>
	さて昨日の記憶がない老人の第三者の立会いなしに作成され、映像直筆なしの面会内容記録が公文書偽造以上の意味を持つのかはともかく、認知症では意思決定のための判断材料が理解、検討できず、決定した意志も記憶せず、サルコペニアで現状変更が不安だ。哲雄にも「そら帰りたいよ。ほんでも自分が帰ると哲雄に迷惑をかける」とこぼしていた。「そら帰りたいよ。」がくみ取るべき意志で後は役人に騙されながら役人を思いやっている言葉だ。</p>
<p>
	施設医に肺炎見落とされ十一月十五日膿胸で緊急入院した。医師に難しいと言われた。哲雄の手術も危ないのに延期になり毎日面会に行っていた。母親は家で死にたいと言ったが、市役所は拒否、死ぬまで措置は解除しないとした。相談していた議員さんも病院まで来てくれた。ドレナージの先端が右肺を出て心臓横から横隔膜近くに及び排膿できず治療に難渋した。哲雄は呼吸器学会に参加し治療法を聞いて回った。結局排膿に成功し退院できた。哲雄が「お母さんが老人ホームに暮らすと言ったから一生家に帰れなくなったよ」と言うと、「一生?&nbsp;エライことになった。訂正できひんの」と泣きだし、市役所に言った事を訂正する、家に帰る、市役所の来たときはよくわからないまま答えたが、自分の住居、財産、年金は息子に任せると書いた。市役所が来た時に調子合わしてたらあかんよと言うと、覚えてられへんと言っていたという。肺炎・廃用症候群での回復期リハ病棟は落ちた。医師にお母さんを想う気持ちが素晴らしいと言われたという。アルツハイマー病による自律神経の喪失から口腔内の雑菌を不顕性誤嚥して肺炎を繰り返す。虫歯が悪化し歯が欠損していた。哲雄は夜の歯磨きを施設に頼み、介護なし施設でのヘルパー派遣によるケアプランを、母の勤めていた事業所に試作してもらっていた。市役所は個人情報収集のため何と哲雄の年賀状を事業所から提出させ、ファイルに綴じて公文書として保管していた。</p>
<p>
	一月十五日市役所に呼び出された哲雄は議員さんにも来てもらい恐々出席。哲雄が養護老人ホームに母親の医療について注文を付け困らしたと非難。苦情のためか方針を変え、哲雄が施設を探して契約入所し、早く養護老人ホームから出て措置解除。老健の場合住民票を家に置くと帰る事につながるから、養護老人ホームにも引き続き金を払い、老健後は施設という。入所判定会議前に連絡し、何の法律的な典拠もない市の「見守り」、監視と報告命令に同調する施設のみ許可し、連れ戻そうとすると再措置という。法律ではそうした場合事件が新たに発生しない限り措置できず、他市町村居住者への権力行使は違法行為なのに、介護保険の保険者はこっちだと主張。映画「ターミネーター」を思わせる執拗さだ。一月八日、市役所が眼科受診に同行。保健師が車中で母親に聞き取り、家に帰りたいけど、ゴミが多く無理やと言ったという。手の内を明かせば、特養に措置して何処に行ったか分からなくしようと考えていたが、歩行器で歩くのを見て諦めたという。市役所は作為的に気楽に当面の事のように話して文書を作り、一生の居住地決定の根拠とする。母親の直筆、ビデオはまたも葬られ、詰問したとして、新たに面会制限の理由とされた。これは人身売買、文書偽造だ、刑事告発するというと、市役所は言うてええことと悪いことがあるぞと激昂。元々そのケースで返さないのは何かやってるんだろうなぁ、と学会で言われたというと学会かぁ、最後に一緒にやっていきましょうと言われたという。</p>
<p>
	市は最近でも母親に面談、家に帰りたいが全て自分でしなければいけないから大変と。どうしたいかと問うと、息子の来易い市内の施設に入りたいと答えたので市内の新設グループホーム(後述滋賀報知新聞の灰色業者が開設)を提案する、金が要る、引き落とし類は哲雄の通帳に付け替えろと。他市町村移動による権限喪失の予防が目的の誘導。介護保険ヘルパーさんと哲雄の介護で家でも生活可能である事を記憶できず、市は決して教えない。さらに先日肺炎で死にかけた老人を、この新型コロナウイルス感染症流行時に、週三回もの遠方でのデイサービスを決めた。言いなりになるケアマネを付け、母親に老人ホームは楽しいと思わせるためだ。措置中の施設に感染者が出てもそれからでは動けず、医療機関受診も困難である。養護老人ホーム入所者は帰宅が許されない。集団感染が起これば行政の責任になる。八十歳以上は死亡率二十二パーセント(これは志望者割る感染者で感染者の中にも死ぬ人が出るためもう少し高い)、伊丹市はじめ福岡市博多区、東京大田区でも高齢者施設で集団感染、死亡例が報告され、流行終息までは家か近くのアパートにと議員さんにも頼んでもらったが拒否。政府は老人福祉法による高齢者施設長期入居老人の希望者帰宅許可を検討すべきだ。そもそも高齢者施設入所中の老人について可能な者は自宅介護に切り替える指針を出すべき。同じく高齢化著しいイタリアでも診断されないままの高齢者施設での集団急死が相次ぎ、殊にアルツハイマー病患者の場合入浴などの介助に伴う院内感染の危険からも切り捨てが行われている。日本ではコロナ認知症患者をどう診療するのか、早急に検討すべきだ。</p>
<p>
	常に金を要求し、工作員じみた役人の言動から心を読めば、福祉よりむしろ犯罪の方向性を感じる。人口比的に多い滋賀県の中でも突出して他の市町村より措置数が多く、高齢者虐待関係の補正予算を組んだ。養護者による虐待の内、人口五万で全国の年間、老人福祉法によるやむを得ない事由での措置での分離措置件数九百九十八人(滋賀県は人口百四十一万で六十三人)中三人以上という(平成三十年度高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する 支援等に関する法律に基づく対応状況等に関する調査結果による)。 措置高齢者の最終的な行先を調べて行けばわかるかも知れないが、当該高齢者世帯は分断されお互いに掴めない。病院の診療録開示も虐待事例だとして拒否されている。家に帰れぬ現状で新型コロナウイルス感染症が施設内流行したらと、泣く泣く老人ホームを捜し歩いている哲雄兄弟と母親が家で平和に暮らせるのを祈るばかりだ。</p>
<p>
	&nbsp;マスコミでも市役所と老人ホームとの癒着が取りざたされている。特養新設のための業者公募に於いて、特定業者だけが予め優遇されている件。高齢福祉課の取材対応も問題視している。滋賀報知新聞二〇一八年八月九日(木)　第18189号　湖南・甲賀ニュース&nbsp;</p>
<p>
	http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&amp;id=A0027009</p>
<p>
	この新聞社は歴史も古く地元では信頼の厚いマスコミであり、丁度市役所の主導してきた民間病院の市立病院化(令和元年7月1日)に伴い、病院運営のデイサービス施設を吸い上げその跡地に特養を建設するための運営業者の公募にともなう問題に関する記事である。このケースは市議会でも質問を受けた。追及した議員のブログでは、</p>
<p>
	https://ameblo.jp/inagaki-seisuke/entry-12408770567.html https://ameblo.jp/inagaki-seisuke/entry-12409400347.html&nbsp;</p>
<p>
	市議会の映像配信では平成三〇年第六回定例会（八月）九月五日本会議 一般質問&nbsp;</p>
<p>
	<a href="http://www.yasu-city.streamjfit.co.jp/">http://www.yasu-city.streamjfit.co.jp/</a></p>
<p>
	?tpl=play_vod&amp;inquiry_id=456</p>
<p>
	施設決定に際しては審査会一四人中五人が、近隣の草津市では一名もいない市職員で占められ、市側が得点の三五％支配して決定した。議員のせっかくの追求だが葬り去られている。その後予想通り優遇されていた法人が選ばれ 、来年オープン、定員百人の施設を建設中だ。哲雄の母もここに送られる運命か。高齢者施設建造もこうした措置も市の高齢者福祉行政の一環であり、新築施設に措置老人を送り込むことで、支配力の維持を図る狙いがあるとみられる。http://www.city.yasu.lg.jp/soshiki/koureifukushi/kenkoufukushi/tokuyouseibijigyousya/index.html　</p>
<p>
	こうした事案は最近急増し、家族のネットワークの形成も模索されている。例えば有名になった桑名市のケースは典型例である。(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53160 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53284)</p>
<p>
	脳梗塞予防のために高齢者の服薬していた抗血小板薬がアザを大きくし、高齢者虐待防止法によって分離措置。その後市役所は施設契約の資金確保を目的に、後見申請を行う。鑑定省略で承認されたが、即時抗告が通り、しかしさらに補助人申請して却下、無事解放、民事裁判へという流れであるが、高齢者に判断力が残っていたための例外的な幸運だろう。認知症で自分の意思をしっかり形成・表現できなくなると、市役所は言葉尻を捕まえてはつけ込んでくる。「女性自身」や「成年後見制度の闇」長谷川・宮内著　飛鳥新書でも取り上げられた。抗血小板薬によるあざの拡大を素人が大怪我と誤認、不意打ちで分離、揉めているうちに颯爽と後見人登場、機銃掃射の様な資産破壊、家族破産となる。後見人問題専門相談機関「後見の杜」でも最も相談が多い事例が市町村申請被害だ。</p>
<p>
	おそらく全国各地でこうした老人売買は潜行しているだろう。措置解除後民間経営施設と契約したケースを探していけば目印が付けられるかもしれない。虐待防止法で家族と切り離し取り敢えず在庫として確保、後見で本人家族が何を言っても帰れない、二本の魔法の杖で固定資産に仕上げられた措置老人は、魚でいえばマグロ、高値がついても無理はないし、市役所も喰らいついたら離さない。これは贈収賄以上に刑法二二六条の人身売買に当たり、高齢者福祉の金科玉条の下に新法を悪用し、認知症老人にこうした行為を行うのは、時代の先端を行く新しい犯罪の類型と感じたので報告した。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	新たな正常状態</p>
<p>
	が必要な医療基本法（上）</p>
<p align="right">
	　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　常任世話人　小沢木理</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	　いま、何かを語ろうにもこの「新型コロナウイルス感染症（COVID-19）」（ウイルス名：SARS-CoV-2）の世界的大流行（パンデミック）の話題を避けては通れないでしょう。</p>
<p>
	四月一〇日時点で、新型コロナウイルスの世界の感染者数は約一六〇万人超、死者の数も九・五万人超を突破と報道されています。さらにその数は増え続けていくでしょう。</p>
<p>
	国内においても感染者拡大が止まらず、ついに四月七日緊急事態宣言が発令されました。こういった非常事態の中、すでに医療者の高率感染をはじめとする医療崩壊状態が始まっています。アメリカの一部の病院では「蘇生措置の拒否」の検討を始めざるを得なくなり優先治療者の選別、線引きに追い込まれる事態となっています。</p>
<p>
	そんな状態にあって、医療のあるべき姿の「医療基本法」を定めるにあたって、その視点に今起きている感染症のパンデミックの問題は対象外と言えるのか、別枠で考える問題として保留しておくべきなのか、まだだれもがそのことには触れずにいます。</p>
<p>
	確かに難問ですがこんな時だからこそ、医療基本法のありかたについて少し回り道をするようですが、グローバルな視点から考えてみたいと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	■想定外ではない　</p>
<p>
	近年、日本国内でも「想定外」という言われ方をした甚大な被害をもたらす自然災害が続いて起きています。今回の新型コロナウイルスの出現とその感染拡大も、やはり想定外のことと言いたくなりますが、しかし、これからは何が起きても想定外という言い方はもう通用しなくなっていると思います。自然の大災害も新型ウイルスの出現やそのパンデミック化なども想定内と考える時代にあると思います。しかも同じ地球に住む人類は等しく世界的な危機に直面していると言っても過言ではありません。</p>
<p>
	人間はあまりに自然を、あるいは生き方の選択を侮り過ぎてきたのだと思います。これまでできた日常生活が送れない事態が訪れても、それも「当たり前」、充分に起き得ることと普段からわきまえておかねばなりません。新たなウイルスがこれからもまた繰り返し出現するでしょう。人類はウイルスとずっとこれから先もうまくつき合っていかなければなりません。そういった前提のもとで起きた事態との折り合いの付け方を、どの立場の人も総力で考え、いままで享受してきた生活志向を削いでいくことも含め、生命を守るのに必要な生活の仕方を身につけていくほかないと思います。</p>
<p>
	もちろん、国は想定される事態に向けて必要な態勢を積極的に練っておかなければならないということは言うまでもありません。しかも、その態勢づくりには、国境を越えて世界が連帯して取り組まないと人命を守りきれません。この感染症がもたらす試練、裏返して言えば、人類は運命共同体であるということを自覚し、本気で生命の存続に必要なことを実践するときでもあります。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;既に今から五年前の二〇一五年に、ビル・ゲイツ氏がTED/TALK（毎年開かれている大規模な世界的講演会）にて講演した「The next outbreak? We&nbsp;are not ready（もし次の疫病アウトブレイクが来たら？私たちの準備はまだ出来ていない）」が今世界に蔓延しているパンデミックと重なってきます。</p>
<p>
	同講演では、『私たちの世代が最も恐れ準備を進めるべきなのは「戦争による核爆弾」ではなく「空気感染するウイルス」である。いずれ近い未来に起こり得る世界的パンデミックへの対抗策を今すぐに始めなければならない』と警告しています。</p>
<p>
	そしてパンデミック収束に向けての最大の対策は、「ソーシャル・ディスタンシング（社会的距離確保）」の実践が困難でかつ医療体制が整っていない「貧困国への医療環境を整えることだ」と当時から警告しています。このパンデミックを思わせる警告と、その収束に懸念される課題は今まさに現実となりました。</p>
<p>
	このビル・ゲイツ氏に関しては、そのほかの背景も併せ持ちます。ＴＥＤの第二二二話で｢ワクチンで人口削減が可能｣と発言し、ワクチンによって人口増加を食い止めようとしているといった印象を強めたこともありました。</p>
<p>
	また、新型コロナウイルスの特許を持っているという非公開情報があります。新型コロナウイルスの特許は二〇一五年七月二三日に認可されており、その特許の所有者は、イギリスの「ピルブライト研究所」。この研究所への大口の資金提供者はビル・ゲイツ氏が設立した「ビル＆メリンダ・ゲイツ財団」です。確かに「European Patent Office（特許庁）」（https://patents.google.com/patent/EP3172319A1/en）でその登録が確認出来ます。また、ワクチン財団のビル・ゲイツ氏はＷＨＯに資金援助していることは既に良く知られています。貧しい国の人々への人道的的支援など多方面での積極的な活動を含め、今後一層その言動に多角度から注視していくことになりそうです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	■俯瞰が必要&nbsp;&nbsp;</p>
<p>
	新型コロナウイルスは難敵で、これからしばらくは激戦、そのあとは持久戦、パンデミック収束へは年単位の長期戦であると山中伸弥氏がいろいろな機会に述べています。人類の生存を脅かす今の状態は、一日でも早く収束させなければなりません。しかし、この事態は一方で私たち人間の生き方、これまでの選択への警告でもあると私は捉えています。いま私たちは、無限に進化し続けるテクノロジーに依存した社会生活を当たり前のようにエンジョイしています。不老不死さえ現実に可能な時代が来るとさえ言われています。効率、便利さ、果てしない要求の追求や達成は人間にとって、一見、不可能や終点が無いように思えます。</p>
<p>
	しかし、〝原因と結果〟？〝オモテとウラ〟は切り離せないもので、満たすものの量に対して同時に同じだけの失うモノがあります。これまではそのことを考えたくなかっただけです。一極集中もそのひとつの典型です。満足度の追求から得たものが、いつかその逆流が襲って来たときには、その得た産物によって押し潰されるときが訪れます。人類生存の脅威となる新型ウイルスのパンデミック化は、私たちが選択したことの結果としてもたらされた自然環境の破壊と無関係ではなさそうです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	これまで私たちの多くは、懸念される社会的問題には対症療法で「良し」とし、問題の希釈解決や即答困難な課題は議論の俎上にすら上げてきませんでした。本質的な問題を探ることを放置し、国も市民も目先の満足感という麻酔効果に甘んじてきました。</p>
<p>
	その結果、人々は生きるために必要な本質的な問題があることにも気づかず、刹那的生活スタイルを選択してきました。しかし、今日危機的状況を迎えるに至って、私たちは何らかの気づきをもって軌道修正の一歩を踏み出さねばならないでしょう。それができるか否かに、人類の未来がかかっています。新型コロナの脅威は、そういう人類の生命存続の危機に対してどういう選択を本気でしていくのかを人間に問いかけているとも言えるのです。</p>
<p>
	もはや日本も、自国内で通用する既成のものさしで成立させる法律では事足りなくなってしまうかもしれません。近視眼的、対症療法的な法律では有効期間が短くなり対象範囲も狭くなりかねません。いま世界は、新型コロナの出現と感染拡大によって、人類存続のための価値観や選択について本質的な視点の見直しが必要だということに気づけるかどうかの大きな分岐点にあります。従って、日本の法制定にあたってもその視点が当然反映される必要があります。</p>
<p>
	以下は、本質的な問題を探る材料として具体的なヒントを与えてくれています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	■ふたつの選択肢</p>
<p>
	人類の歴史をマクロ的な視点で読み解いたイスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリの「非常事態が〝日常〟になったとき、人類は何を失うのか」でも、同様の警告を発しています。とりわけ重要なふたつの選択肢に直面すると述べています。</p>
<p>
	『現在、人類は世界的な危機に直面している。我々の世代が経験する最大級の危機だろう。この先の数週間、人々や政府の下した決断が、今後の世界のあり方を決定づけるかもしれない。その影響は医療制度にとどまらず、政治、経済、文化にも波及するだろう。決断は迅速かつ果敢に下されなければならないが、同時にその結果として生じる長期的影響も、考慮すべきである。いつかは、この嵐もやがては過ぎ去るし、人類も存続する。我々のほとんどは変わらず生きているだろうが、その世界は、もはや現在と同じではない。</p>
<p>
	緊急対策と銘打った短期的措置が立て続けに打ち出され、日常の一部となるだろう。これが非常時の本質であり、歴史的な経過も早送りになる。通常時なら審議に数年を要する決定も、数時間以内に可決される。未熟で、ときに危険な技術が急場しのぎに駆り出される。何もしないリスクの方が大きいからだ。</p>
<p>
	この非常時に我々は、とりわけ重要な２つの選択肢に直面する。</p>
<p>
	第一に、全体主義的な監視社会を選ぶのか、それとも個々の市民のエンパワメントを選ぶのか。</p>
<p>
	第二に国家主義者として世界から孤立するのか、それともグローバルな連帯をとるのか。</p>
<p>
	まずひとつは、政府が市民を監視し、規則を破った者には罰を与える方法。現代は人類史上初めて、テクノロジーがすべての人間の常時監視を可能にした。新型コロナウイルスの地域的流行に対抗するため、すでに各国政府は新手の監視ツールを展開している。</p>
<p>
	最も注目すべき例は、中国だ。市民のスマートフォンや監視カメラを下に中国当局はコロナウイルス拡散を疑われる人物をすばやく特定するだけでなく、彼らの行動や誰と接触していたかまで把握できる。感染患者が近くにいることを警告するモバイルアプリも広く出回っている。この手のテクノロジーは、イスラエルでも新型コロナウイルス感染者の追跡という名目で戦闘用途以外は非承認だった監視技術を適用した。</p>
<p>
	そういったことは目新しくもないという意見もあるだろう。たしかに近年、政府も企業も、市民を追跡、監視、操作すべく、かつてないほど洗練されたテクノロジーを活用している。</p>
<p>
	だがうっかりしていると、今回のコロナ危機が、「監視の歴史」における重大な分岐点になるかもしれないのだ。大量監視ツールの標準展開が、それまで展開を拒否していた国で続々と実施されるかもしれない。「皮膚より上」から、「皮膚の下」の監視へと劇的な移行が起きている。「皮膚の下の情報」も筒抜けになり、ウイルスが「監視社会」を正当化する時代を示唆している。</p>
<p>
	いま我々は、監視がどのようにおこなわれているかが誰もわからず、今後それがいかなる結果をもたらすのかも把握していないということだ。』</p>
<p>
	ハラリ氏の抜粋引用(COURRiER?Japonから引用)はここまでですが、日本の社会でもこういった流れは現実になってきています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	■超監視社会に身を供する？</p>
<p>
	この三月三一日に総務省は、新型コロナウイルスの対策のため、米グーグルやヤフーといったＩＴ大手や携帯電話会社にデータの提供を求め、位置情報や「発熱」「症状」といった言葉の検索履歴からクラスター（感染者集団）の発生を突き止める考えを示しました。その要請を受けて、四月に入り大手ＩＴ企業や携帯電話会社が協力する意向を示しています。提供するデータとしては、位置情報や利用者がインターネットで検索したことばなどや携帯電話の基地局のデータとし、あるエリアにどの程度の人がいるのか、年代や性別ごとに分類したデータを提供する方針を示している企業もあります。災害時対策のため、公安目的のために、あるいはさらなる希望を叶えるために、個人のプライバシーや基本的人権を売り渡す覚悟が必要であるということでしょうか。しかも、その技術、いかようにも転用や拡大利用が可能です。</p>
<p>
	また、超高速を謳う夢の５Ｇ通信(第５世代移動通信システム）ですが、遠隔ロボットを駆使した手術が日常的なものになり、軍は極超音速兵器を開発して、自律走行車がハイウェイを安全に走行が可能といった爆発的変化の可能性を持っているとされますがその一方で、ハッキングや政府などによる監視のリスクも大きくなります。すべてがつながった世界はサイバー攻撃の影響を特に受けやすくなります。技術は持てる可能性を反転して同様に自在に使えます。</p>
<p>
	人々の欲望に貢献する技術革新は、同時に冷静さを失わせる強力な麻酔効果を備えています。伴うハイリスク情報は積極的には提供されません。満足追求社会は超監視社会に向って突っ走って行くことになります。そういう事実をどのように受け入れるかは、それは私たちの存在自体をどう捉えるかの問題です。しかし、現実には一個人がそのありようを自分で選択出来ない社会に向って進みます。自分の抵抗力が無力化されてしまう社会に向ってです。このような社会に生きている私たちは、自分がどのような状態にあるのかなど客観的に見る能力さえ失われてしまっているかもしれません。</p>
<p>
	いまだから一層、否いつでも、自分のアイデンティティーが押し潰されなないかを考えて社会のあり方をチェックして行く必要があります。人間がプランクトンのような種に同化していくことを許すかどうかでもあります。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	■ 医療基本法議論、その後</p>
<p>
	医療基本法についてですが、冒頭でも触れましたが、この新型コロナの問題は、これまで検討してきたテーマの範疇を越えた事件でしたので、患者・市民団体の中はもちろん議連においてもまるで視野になかったことでした。新たに大きな難しいテーマを突きつけられたわけです。難しいからといってこの問題、取り組まないというわけにはいきません。</p>
<p>
	新型コロナ感染拡大の問題は、医療基本法における医療主体の位置づけや医療崩壊を起こさないための対策、さらには医療における公益性・公共性のあり方とリンクするものがあります。</p>
<p>
	ウイルスが「監視社会」を正当化していくという側面は現実にあるということを踏まえ、公共のありかたについては、時間はかかりますが早急に議論を始め、公共に求められる大きな意義と、人権を侵害しない領域があるとしたらそれはどういう場合かについて明示し、そのありかたを社会化して行く必要があると思います。時間を掛けてでも議論が必要な重要な問題です。ただ、今はそこに踏み込むことはできません。</p>
<p>
	つまりは、次も訪れるであろう想定外といわれるような世界共通の深刻な事態に、そこで求められる価値観、生き方、選択において「新たな正常状態」が構築されなければ成り行かない時を迎えています。今起きている患者のいのちの優先性の問題、医療者や医療現場の崩壊といったことに、日本における「医療基本法」はそういった事態に耐えられるかということ、また真に患者・市民が納得出来るものになっているか、信頼に応えられるものになっているかで、その法案の存在価値が決まります。さらに日常的な医療における問題について触れたいのですが、残念ながら紙巾がありません。この後半は次回けんりほうｎｅｗｓに譲ります。</p>
<p>
	最後に、だれもが社会の構成員。最終的には運命共同体でもあり、それぞれに責任があります。共にコロナウイルスの収束に向けて努力していきたいと思います。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>262号　総会シンポジウム報告 - けんりほうNEWS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kenriho.org/news/kenrihonews/2021/02/262.html" />
    <id>tag:kenriho.org,2021:/news/kenrihonews//3.322</id>

    <published>2021-02-15T10:57:13Z</published>
    <updated>2021-02-15T10:58:56Z</updated>

    <summary> 	総会記念シンポジウム　　医療基本法で医療に人権を根付かせよう 	川川崎市　小...</summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="262号" label="262号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	総会記念シンポジウム　　医療基本法で医療に人権を根付かせよう</p>
<p align="right">
	川川崎市　小林展大（弁護士）</p>
<p>
	シンポジウムの開催</p>
<p>
	二〇一九年一一月二日、明治大学駿河台キャンパス研究棟二階第九会議室において、シンポジウム「医療基本法で医療に人権を根付かせよう～みんなで動こう医療基本法パートⅤ～」が開催されました。その内容は、基調報告（医療基本法をめぐる現在の状況）、パネルディスカッションでした。</p>
<p>
	医療基本法制定に向けたシンポジウムはこれまでに四回開催されています。今年二月には医療基本法制定に向けての議員連盟が結成され、医療基本法制定に向けての動きが進み始めました。そのような状況下、今回はパートⅤとして、医療基本法ができるとどのような変化があるか、医療従事者の労働環境改善もテーマとして取り上げることができないか等といった問題意識のもと、シンポジウムを企画しました。</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	&nbsp;</p>
]]>
        <![CDATA[<p style="margin-left:10pt;">
	<br />
	基調報告（医療基本法をめぐる現在の状況）</p>
<p>
	患者の権利法をつくる会の木下正一郎弁護士より、基調報告が行われました。</p>
<p>
	基調報告では、まず、基本法の性質、法体系についての解説、医療において具体化すべき憲法の理念、医療における基本的人権の二つの側面（社会権的側面と自由権的側面）、医療基本法の必要性について報告が行われました。</p>
<p>
	次に、従前の医療基本法制定に向けた動きについての報告がありました。医療基本法制定を目指す諸団体の活動として、患者の権利法をつくる会の医療基本法要綱案（二〇一一年一一月）、患者の声協議会・東京大学公共政策大学院医療政策研究ユニット医療政策実践コミュニティー（Ｈ―ＰＡＣ）医療基本法制定チーム、患者の権利法をつくる会等の団体の医療基本法共同骨子六項目、日本医師会「『医療基本法』の制定に向けた具体的提言（最終報告）」等があります。</p>
<p>
	そして、医療基本法制定に向けた現在の動きについて報告がありました。</p>
<p>
	<img align="left" height="128" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/b60dc9e6-f1ff-4142-a613-9d84059d88ed" width="105" />上記のように、今年の二月六日には「医療基本法の制定にむけた議員連盟」の設立総会がありました。その後、同年四月一〇日、同月一八日、同年六月一四日にヒアリングが行われました。そのヒアリングにおいては、患者の権利法をつくる会、患者の声協議会、東京大学公共政策大学院医療政策研究ユニット医療政策実践コミュニティー（Ｈ―ＰＡＣ）医療基本法制定チーム、全国「精神病」者集団、患者なっとくの会ＩＮＣＡ、日本医療社会福祉協会、日本アレルギー友の会、医療過誤原告の会、全国ハンセン病療養所入所者協議会等の各団体が要請、発言等を行いました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	パネルディスカッション</p>
<p style="margin-left:11.4pt;">
	⑴&nbsp;&nbsp;まず、全国「精神病」者集団の桐原尚之さんからの報告がありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	桐原さんからは、精神科医療の歴史・事件、写真を示しながら、精神科病棟の構造等について報告がありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	また、医療保護入院の問題点、精神保健福祉法の問題点等についても報告があり、精神保健福祉法のもとでは患者は精神科病院からはなかなか逃げられないこと、精神保健福祉法には他科にはない行動制限の基準、監査・指導制度が存在すること等の解説がありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	最後に、医療基本法に求める具体的な要望についても報告がありました。</p>
<p style="margin-left:11.4pt;">
	⑵&nbsp;　次に、東京過労死を考える家族の会、医師の働き方を考える会共同代表の中原のり子さんからの報告がありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	中原さんからは、自身の夫の過労死についての民事訴訟の経過、看護師、研修医等の医療従事者が長時間の時間外労働の結果、過労死してしまう事件が今までにいくつも発生していること、医師の過労死につき医療機関の損害賠償責任が認められている事例もいくつも存在すること等について報告がありました。</p>
<p style="margin-left:11.4pt;">
	⑶&nbsp;　そして、日本医療社会福祉協会社会貢献事業部医療基本法担当チームの漆畑眞人さんから、ソーシャルワーカーの紹介、ソーシャルワーカーの視点から医療基本法で何が変わるかについて報告がありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	漆畑さんからは、ソーシャルワーカーの仕事として、入院中に社会福祉や社会保障、地域の援助を活用して療養中の生活の安定をはかる手伝いをすること、住居の確保、介護保険、生活保護、障がい者総合支援等につき関係機関と連携して問題点を整理して解決をはかること等が挙げられるという報告がありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	また、医療基本法により、日本国での患者にとってのソーシャルウェルビーイングの保障、医療安全支援センターの権利擁護機能の明確化、転院問題など医療制度問題の解決のための手続設置等が前進するのではないかとの報告もありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	会場発言、質疑応答等</p>
<p>
	シンポジウムの終盤では、会場発言、質疑応答が行われました。</p>
<p>
	その中で、将来的にはゲノム医療等の先端医療も発達すると考えられるが、そのような状況になったときに例えば受精卵は「患者」なのか、医療基本法の中でどのように位置づけられるのか、胎児についてはどうかとの質問がありました。</p>
<p>
	そして、正式な答えはないものの、医療基本法との関係でいえば、医療基本法において「患者」の定義・解釈は定めない、その理由として医療基本法は医療についての基本理念を定めるものであり、それに基づいて各法が整備されていくから、といった応答等がなされていました。</p>
<p>
	なお、先端医療については、問題点や弊害が顕在化してくれば、法的規制が必要になるのではないか、との発言もありました。</p>
<p>
	また、医療従事者の労働環境の悪化が医療事故を招くということは四〇年以上前から指摘されていたとの発言もあったほか、過労死を防ぐ市民運動をしている方の視点から、医療基本法に医療従事者の労働環境を守るため、どのような条文を設けたら良いかの示唆があると良いのではないかとの要望、患者の権利を守るための医療従事者による人権運動を展開していっていただきたいとの要望もありました。</p>
<p style="margin-left:9.4pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	最後に</p>
<p>
	今までに、医療基本法制定に向けての議員連盟が結成され、各団体からのヒアリングも行われました。いよいよ年明けからは、医療基本法の条文案が出てくるのではないか、とも言われています。どのような条文案が出てくるのか、とても気になるところです。</p>
<p>
	そして、やはり患者の権利擁護、医療において憲法の理念を具体化するという視点を忘れずに、今後も医療基本法制定に向けた市民運動に取り組んでいきたいところです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	個人情報保護法制のはなし</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	第四回　個人情報保護法を巡る具体的な問題</p>
<p align="center" style="margin-left:16.45pt;">
	その１　産科医療補償の報告書の公表</p>
<p align="right" style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p align="right" style="margin-left:16.45pt;">
	神奈川　森田　明（弁護士）</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	はじめに</p>
<p>
	今回は連載の締めくくりとして、個人情報保護を巡る具体的な問題をいくつか取り上げる予定でしたが、諸般の事情で二回に分け、ここでは標記の問題に絞って述べます。</p>
<p>
	すでに新聞報道(二〇一九年 四月九日付け朝日新聞、同九月二五日付け読売新聞など)で繰り返し報じられたことではありますが、個人情報保護法（「法」）の規定があいまいであるために起きている混乱の一つであり、個人情報保護にばかり偏ると必要な情報が公にならないこと、個人情報を取り扱う側は公表してよい場合でも出し渋りがちになることの例として取り上げます。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	産科医療補償制度と報告書の公表</p>
<p>
	産科医療補償制度とは、出産時に児が脳性麻痺になった場合に一定の条件の下で補償金が支払われる制度で、二〇〇九年一月から導入され、その運営は日本医療機能評価機構（「機構」）が行っています。</p>
<p>
	<img align="left" height="130" hspace="4" src="blob:http://kenriho.org/ab49efc4-3c95-4c90-a4c0-dc5e9d13433e" width="131" />この制度は、補償することだけではなく、脳性麻痺発症の原因を分析して再発防止に資することを大きな目的にしています。そこで、各事例について詳細な原因分析報告書を作成してこれを保護者・児と当該医療機関に送付するほか、個人が識別できないように匿名化した要約版を機構のウェブサイトに掲載して公表していました。</p>
<p>
	ところが、改正個人情報保護法が二〇一七年に施行されたことを機に方針を変え、二〇一八年八月からいったん公表をすべて中止し、改めて保護者と医療機関の意向を確認し、同意の取れたケースのみを公表することとしました。その結果、前記の朝日の記事では、二〇一九年四月八日時点で約六〇％、読売の記事では同年六月末時点でも約二五％が非公表になっているということです。どうしてこんなことになったのでしょうか。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	公表中止を招いた個人情報保護法の解釈</p>
<p>
	機構の説明では、個人情報の定義にある「個人識別可能性」について、個人情報保護委員会が「提供元基準」を採用したためだとしています。</p>
<p>
	これには解説が必要でしょう。提供元基準とは、情報を提供する側で個人識別が可能であるならば、匿名化されていて提供先（受け取る側）では個人識別できない情報であっても個人情報としての規制を受けるという考え方です。（さらに細かなことを言うと個人識別性自体というより法二条一項一号かっこ書きの「他の情報と容易に照合」できるかという「容易照合性」の問題です。）</p>
<p>
	個人識別性について提供元基準か提供先基準かといったことは従来はあまり議論されておらず、受け渡しをする時点で匿名化されていれば個人情報ではないという感覚が強かったのですが、これが覆されたわけです。提供元基準の採用については、異論も少なくありません。　</p>
<p>
	私見ですが、おそらく、改正法で匿名加工情報の制度が導入されたことを契機に改めて考えて、提供元で照合して識別可能であれば個人情報に当るという形で整理したのではないでしょうか。厳格なルールのもとに匿名加工した場合に個人情報としての規制を解くのが匿名加工情報の仕組みなのに、提供先基準を貫けば匿名加工情報などという制度は不要ということになりかねませんから、提供元基準を強調せざるを得なくなったのではないかと思うのです。</p>
<p>
	提供元基準を採ると、個人が識別でないようにしてある「要約版」も提供元である機構において識別可能である以上、個人情報だということになり、それを公表することは法二三条で原則として禁止されている個人情報の第三者提供にあたりますから、これを行うには、本人の同意又は同条一項各号の例外にあたることが必要になります。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	「本人の同意」</p>
<p>
	法二三条一項本文では、本人の同意があれば第三者提供はできると定めています。そこで機構は、まず、本人の同意を取るべく保護者の意思確認をしているようです。一つの問題は保護者とは誰か、ということです。これは誰の医療情報かということですから、母親と児がこれにあたり、児については通常親が法定代理人として同意することになりますから、そのような意味で「保護者」としているのでしょう。</p>
<p>
	他方、医療機関は個人情報たる診療情報の「本人」ではないので、本来その同意は必要ありません。医療機関が同意しないために公表ができないでいるケースがあるとしたら問題といわざるをえません。</p>
<p>
	今後の対応としては、補償の申請書を受け付ける際、要配慮個人情報である診療情報を取得することについての同意を取り付けることは必要になりますから、これとあわせて、その意義を十分説明した上で、匿名化した要約版を公表することの同意をも取り付けるというやり方をすれば、過度の負担にはならないと思います。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　</p>
<p>
	法の例外としての公表も可能</p>
<p>
	本人の同意を得ることが困難な場合でも、法二三条一項一号から四号にあたる場合は第三者提供が可能です。　</p>
<p>
	一号では、「法令に基づく場合」に提供を認めています。しかし、産科医療補償制度自体が法令に基づくものではないので、これには当たりません。本来であれば、法律に基づく制度にして、匿名の報告書を公表することも規定しておくべきです。</p>
<p>
	しかし、そうでなくとも、産科医療補償制度の趣旨目的からすれば、同種事故の再発を防ぐためという意味で、同項二号「人の生命、身体、財産の保護のために必要」にあたると考えられますし、同三号の「公衆衛生の向上のために特に必要な場合」にいう「公衆衛生」は広く解されているので、これにあたるとも考えられます。これらの要件は弾力的に解釈される傾向があり、従前、報告書要約版の公表が行われてきて、研究や研修に活用されてきており、格別問題を生じていないことからしても、是認されるというべきです。</p>
<p>
	このように、個人情報保護法に従っても、要約版について公表することは可能と考えられます。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　</p>
<p>
	機構が公表を渋る背景</p>
<p>
	前記の各記事によると、機構自体も検討の結果、個人情報保護法二三条一項各号の規定に照らして要約版の開示は可能であるという結論を出しているようです。それにもかかわらず、「個人情報保護に関する意識が高まっていることから」（前掲朝日記事）あるいは「昨今の個人情報管理にかかる社会的動向」（前掲読売記事）から、「保護者や医療機関が同意しなければ公表しない」という方針を採ったというのです。</p>
<p>
	機構の判断は、「慎重」ともいえますが、公益的な要請から設けられた公表制度が制限されるのは問題です。</p>
<p>
	特に、機構が医療機関の同意を必要としたのは、法の要請ではなく、医療機関から文句を言われないための「根回し」的なものにすぎず、妥当とは言えません。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	実はこうした傾向は、この問題についての機構の対応だけではありません。個人情報であることにかこつけて、本人の同意がないとして公表すべき事項を隠そうとする動きや、関係機関の間の必要な情報交換が阻害されることがいろいろな場面で生じています。法施行当初「過剰反応」といわれた現象が解決していないのです。</p>
<p>
	また、個人情報保護法二三条自体にも問題があって、形式的に解釈すると提供できる場合が限定されてしまいます。</p>
<p>
	産科医療補償の報告書の問題は、二三条の解釈で十分クリアでき、かつ機構も（方向性に疑問はあるにせよ）公表範囲を広げるべく努力している点ではよいほうと言えるかもしれません。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　</p>
<p>
	老人売買（前編）〜小説風に〜（投稿）</p>
<p align="right">
	滋賀県　　葉山　聡</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	近所の友人哲雄(仮名)の母親は今年四月末に家の中で前に転倒して顔を打ったらしい。</p>
<p>
	十連休の明けた五月七日に哲雄が付き添って受診した。外科専門医が診察、その後哲雄は母親が幻聴のために通院していた精神科の病院に母親を連れて行った。すると職員が怪我を市役所に通報した。</p>
<p>
	おかしな事に先に決定を下してから健康福祉部高齢福祉課が来て、本人を説得、本人も哲雄も「短期間」と言われ、哲雄は最後まで反対していたのに、母を東近江市の養護老人ホームへと連れ去った。高齢者虐待防止法のやむを得ない事由による分離措置である。</p>
<p>
	哲雄の弟が母親に暴力をふるって大怪我をさせたと市役所は主張した。</p>
<p>
	そもそもその怪我は分離措置に値する怪我ではない。同日、外科医は怪我を見て血液サラサラの薬飲んでないか」と聞いた。(シロスタゾールを)内服している旨哲雄が伝えた。頭部ＣＴは正常「たんこぶだけやな」と言われ、服用中の抗血小板薬によって出血が拡大した、薬も次回予約も無しという診察内容。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	短期間利用の施設か養護老人ホームかは家から離れる期間が異なる重要な選択で、状況の深刻さに対応しているべきだが、空き状況や介護保険を利用可能かによって決まったと市役所に言われたという。哲雄が直感した通り全ては嘘であり、それは永訣だった。</p>
<p>
	<img align="left" height="107" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/3d1ce4dc-e98d-400d-ab76-024ced370f22" vspace="8" width="106" />市役所の話では去年近所の通報で体にあざを見つけ通報があったという。近所で精神病で判断能力の乏しいお婆さんが民生委員していて大丈夫かと思っていた。その時も市は哲雄の母に警察通報を勧めるが断られ、哲雄には何も言わずに、その後の通報で自分たちは当人の怪我を確認しない形で、分離措置を不意打ちでかましているのは奇妙だ。市は高齢者虐待と見做して行動しているのだが、その防止よりも分離がしたいのではないか。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	養護老人ホームは面会に厳しく、哲雄は毎日泣いて暮らし市役所職員の立会いの下でようやく会えた。哲雄と母親が措置終了後家に戻る話をしだすと、市役所がそれを決めるのはこちらであると、話を制限した。</p>
<p>
	母親が面会室から帰った後、市役所は怪我もちゃんと写真にとって保存してあるとして弟の刑事告発の可能性を話したという。</p>
<p>
	六月五日哲雄は突然市役所に呼び出された。「後日別の養護老人ホームに移る予定だ」と言われた。措置終了後も家ではなく老人ホーム。どこの施設も頭金が高いので、これから年金を貯めていかねばならない。貯まるまで今度の老人ホームにいてもらい、貯まったら契約で新しい老人ホームに入ってもらうと言われた。</p>
<p>
	哲雄は貧乏で母親の年金を生活費の足しにしていたから、そこから二か月に十一万円送られることになった。弟の刑事告発も可能だから言う事を聞いた方が身のためだとまた言われた。同意するまで帰宅を許されなかった。</p>
<p>
	母親は彦根市内の養護老人ホームに六月三日既に移送されていた。家族が承諾したという事にするために哲雄を呼び出したのだった。市役所は確認しうる家族の個人情報を収集、母親を尋問しており、さらに哲雄を尋問し財産収入支出、治療中の疾病通院中の病院名などについて詳細を調査し、必要最低限以外の一切の支出を厳禁し、福祉は総合であるとして、生活困窮者届を書けといった。また有料老人ホーム入所への資産形成のために車や先祖代々の土地の処分を求めた。</p>
<p>
	母親の年金の入る貯金通帳が市役所側の預かりとなり、介護保険の利かない月十万程度の施設費を支払う事による、ライフラインも含めた支払いの滞りもあった。哲雄が暗証番号を教えるのをためらっていると、市役所は老人ホームに口座を別のものに変更するよう命じ、やむなく暗証番号を伝えた。年金情報を収集し署名させ年金受給者受取機関変更届を出そうとしたのである。財産権の剥奪である。</p>
<p>
	老人ホーム職員、病院は市役所の指示のもとに行動し、家族への病状の説明も院内ソーシャルワーカー介在で、市役所に確認する。医療機関は守秘義務の責務を無視して行動させられ、行政言いなりの診断書、鑑定書を作りがちだ。受診や通院日時や病状、投薬内容も家族は知る事も出来ず本人も分からない。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	老人ホーム入所に伴う環境の変化により、認知症はしばしば急激に進行する。元の環境より隔離し身辺から自身の記憶の痕跡となる風景、人物、物品を断つことは、認知症を最も早く進行させる。暫くの間なら家に帰せば幾分回復してくれるが、時がたつと回復不能となる。哲雄の母もそうなり、長谷川式は入所前の三十点満点の二十四、ＭＭＳＥ三十点満点の二十五、軽度認知機能低下(ＭＣＴ)から六月四日には長谷川二十、十月には十九と軽度認知症に低下。養護老人ホームでの医療支援は最低限の事になる。通院は手間がかかるため定期的には行けない。</p>
<p>
	母親は隅角閉塞緑内障で左眼を失明しかけて哲雄がすぐに病院に連れて行ったため助かり、その後手術も受けたのに。細隙灯による眼圧測定も視野検査もなく一度に大量に処方される目薬だけ、「目薬無くなったら来たらええわ」、これは九十日以上の投薬を禁じた「保険医療機関及び保健医療養担当規則二十条投薬へ」に違反している。</p>
<p>
	六月の検診での肺炎などの問題点も放置され、重症化してからの救急受診で七月末に彦根市立病院に入院し、哲雄は週三面会で夏の間キリキリ舞いしていた。寝かせたきりだから、足の爪も巻き爪、筋肉が衰えつかまっていないと歩けなくなった。どんどん痩せていき、膀胱の筋肉も失われ排尿困難でバルーン挿入となった。</p>
<p>
	入院中、おうち、おうち、老人ホームはもう嫌だとしきりに帰宅したがり、ずーとになるなら措置に同意しなかったと言っていたという。</p>
<p>
	入所前の四月には買い物も一人で車で行き、遠方の大津市内まで一人で電車で通院できていたのに、何という弱りようだろう。そして哲雄の整えた理想的な医療環境で専門医がフォローしていたのに。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	哲雄の母親は大腸線種が多く、四年に一度合計八回位ポリベクトミーをして、毎回七つ位取って大腸癌を免れた。哲雄は説得に苦労し、昨年末もいつもの大津赤十字病院に行って入院と手術をしてもらい、合わせて哲雄の提案した腹部、心臓超音波や胸部、腹部ＣＴなどの長年受けていない検査もしてもらった所だった。入院中毎日哲雄は面会に行っていたが入退院も母親が一人で出来たのだ。年明けには哲雄のすゝめで神経内科を受診し、極早期のアルツハイマー病の疑いの診断を受けて、アリセプト、シロスタゾールの投与を受けることが出来ていた。</p>
<p>
	十月になり市役所は介護保険認定が要介護二に区分変更になったとして哲雄を呼び出した。五月末には要支援一だったのに施設生活で何と一か月に一段階も悪化。</p>
<p>
	年金のはいる母親の通帳の自動払いになっている家の電気代、国民年金、年金基金、などを今後はすべて哲雄に払わせ、母親の年金は施設の頭金のために貯金するというのだ。</p>
<p>
	その上老人ホーム頭金形成のためにはそれだけでは足らず、六月に言っていた車や先祖代々の土地や哲雄の住んでいる家の処分が必要なため、後見を付けるという。</p>
<p>
	哲雄は今度は用心していた。行くと騙され、なんでも無理矢理同意させられ、嘘の記録を作られ、行かないと対話拒否、養護者たる責任を放棄したとして、後見人を付ける口実にされる。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	本人が家に帰ると言い出すと行政処分の継続は困難となり、本人の意思を封殺するために法定成年後見人の首長申し立てが、家族親族の反対を押し切って決行される。そして裁判所に選ばれた司法書士、弁護士である後見人が何処からともなく馳せ参じ、高齢者を契約で死ぬまで老人ホームに入れてしまう。施設に支払う金と、そして無理矢理押し付けられたにもかかわらず、高齢者本人が支払わねばならない自分達の月給の確保のため、財産を次々処分、ホームレス、自殺者を出している。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<img align="left" height="99" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/c3f44e10-abe0-4667-bc3d-a11cb087dca6" width="86" />哲雄の母親は九月に長谷川式で三十点満点の十九であり、これは後見人を付けるにはほど遠い数字で、老人ホームへ月一回往診に行っている精神科医も後見は早いといっている。しかるに市役所はなお、補佐、補助の類型まで主張する。哲雄の母は大津赤十字病院附属看護専門学校、洛和会音羽看護専門学校、近江八幡市立看護専門学校の各教務部長、教務主任を歴任し、その後、滋賀県立大学看護学部にも勤務し、県知事表彰も受けた県医療界の功労者であり、県内の病院に教え子も多いため哲雄が通院に付き添うとあちこちから挨拶に来られるという。</p>
<p>
	哲雄は母親が家に帰ると言っているビデオをも送ったが、それは言わされたものだとされ、今度は母親が「家に帰る。後見人を付けられたくない」と書いたものを送ったが、それも無視された。&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;（後編に続く）</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>261号 - けんりほうNEWS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kenriho.org/news/kenrihonews/2021/02/261.html" />
    <id>tag:kenriho.org,2021:/news/kenrihonews//3.321</id>

    <published>2021-02-15T10:53:24Z</published>
    <updated>2021-02-15T10:55:37Z</updated>

    <summary> 	医療基本法制定に向けて　〜総会シンポジウムにお集まりください〜 	事務局長　...</summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="261号" label="261号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	医療基本法制定に向けて　〜総会シンポジウムにお集まりください〜</p>
<p align="right">
	事務局長　小林洋二</p>
<p>
	前号では、医療基本法制定に向けた議員連盟の動きについてお伝えしました。このような状況を受け、一一月二日には、総会記念シンポジウム「みんなで動こう医療基本法パートⅤ〜医療基本法で医療に人権を根付かせよう」が開催されます。</p>
<p>
	企画の概要は、このニュースに同封するチラシのとおりですが、ここで今回のパネリストのみなさんを紹介したいと思います。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	桐原尚之さん（全国「精神病」者集団）は、患者本人としての立場から、精神医療における患者の人権、精神医療を一般医療に編入することの重要性を主張してきました。議員連盟のヒアリングでの桐原さんの発言要旨は、けんりほうニュース第二五九号で報告しています。</p>
<p>
	その後、桐原さんからは、「患者の政策決定過程への参画」について、以下のような具体的な提言をいただいています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	○　基本方針（仮称）の明文化</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・　法律明文に患者の権利を推進する医療の基本方針を書き込むこと。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・　基本方針は、共同骨子七箇条を踏まえたものとし、列挙的に書きこむこと。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・　基本方針は、精神障害者を特別な医療の枠組みに押し込めず、一般医療と同じ枠組みにしていく方針を明文にすること。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	○　基本計画（仮称）の明文化</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・　患者の権利を推進する医療の基本計画を定めること。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・　基本計画には、行革等を含む患者の権利を推進するためのグランドデザインを定めるものにすること。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	<img align="left" height="150" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/191f4218-fe4f-42cf-bdec-cf4bd66a23ec" width="167" />・ 基本計画には、いつまでにどの法令を制定・改正するのかなどのスケジュールを定めるものとすること。（例えば、「精神障害者の医療の提供のあり方関する検討については、令和四年九月を目途に結論を出す」など政策の全体像が明らかになるように書き込む。）</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	○　会議（仮称）の明文化</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・　患者の権利を推進する医療の基本政策を決めるために厚生労働大臣を中心にした会議を厚生労働省に設置すること。（医学部教育について検討するためには文部科学大臣、医療観察法や医療刑務所について検討するためには、法務大臣、裁判所などの参加が不可欠になってくるため、成員については閣僚を前提とする。）</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・所掌事務は厚生労働大臣とすること。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	○　委員会（仮称）の明文化</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・患者の権利を推進する医療の基本政策を検討する委員会を設置すること。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・患者団体を過半数とすること。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・委員会の位置づけは、厚生労働省設置法上の委員会とし、委員は国家公務員に準ずるものとすること。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・委員会の機能は、①基本計画（仮称）の作成にあたって意見をいうこと、②基本計画（仮称）の見直しの検討にあたって意見をいうこと、③基本計画の実施状況について評価をおこなうこと、会議（仮称）の決定にあたって意見をいうこととすること。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	○　地方公共団体の講ずる措置</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・　地方公共団体においても同様の機能を確保すること。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	○　附則に入れるべき事項</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・　見直し規定を設けて政策の実施状況の評価を踏まえながら見直しをできるようにすること。（見直し規定に実効性を持たせるため議連を継続すること。）</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	・　厚生労働省設置法において患者の権利の推進を厚生労働省の所掌事務に加えること。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	たいへん重要な問題提起であり、シンポジウムでもぜひ、議論してみたいと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	中原のり子さん（過労死を考える家族の会）は、小児科医であった夫・利郎さんの過労自死遺族として、過労死の根絶を訴えてきました。</p>
<p>
	故利郎さんが亡くなられたのは、一九九九年のことでした。「少子化と経営効率のはざまで」と題された遺書には、自分を追い詰めたものが日本の医療政策であることが冷静な筆致でつづられていました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	○　都内の病院で小児科の廃止が相次いでいます。&hellip;&hellip;小児科消滅の主因は厚生省主導の医療費抑制政策による病院をとりまく経営環境の悪化と考えられます。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	〇　生き残りをかけた病院は経営効率の悪い小児科を切り捨てます。現行の診療報酬制度（出来高払い）では、基本的には薬は使えば使っただけ、検査を実施すればしただけ診療報酬が上がり、病院の収入となります。例えば大人の場合は、だいたい注射アンプル１本分が通常の投与量となります。しかし、体重も小さく代謝機構も未熟な小児では、個々の症例で年齢・体重を勘案しながら薬用量を決定し、その分量をアンプルから注射器につめかえて細かく、慎重な投与量を設定しなければなりません。検査にしても協力が得にくい小児の場合には、泣いたりわめいたりする子供をなだめながら実施しなくてはなりません。例えば大人なら二人三人分のＣＴ撮影がこなせる時間をかけて、やっと小児では、ＣＴ写真一枚が撮影できるという事も珍しくなく医師・放射線技師泣かせです。現行の医療保険制度はこのように手間も人手もかかる小児医療に十分な配慮を払っているとは言えないと思います。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	〇　常勤医六名で小児科を運営して参りましたが、病院リストラのあおりをうけて、現在は、常勤四名体制で、ほぼ全日の小児科単科当直、更には月一～二回東京都の乳幼児特殊救急事業に協力しています。急患患者数では、小児の方が内科患者を上回っており、私のように四十路半ばの身には、月五～六回の当直勤務はこたえます。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	〇　看護婦・事務職員を含めスタッフには、疲労蓄積の様子がみてとれ、これが「医療ミス」の原因になってはと、ハラハラ毎日の業務を遂行している状態です。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	〇　経済大国日本の首都で行われているあまりに貧弱な小児医療。不十分な人員と陳腐化した設備のもとで行われている、その名に値しない（その場しのぎの）救急・災害医療。この閉塞感の中で私には医師という職業を続けていく気力も体力もありません。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	医療基本法の制定にむけた議員連盟の発足を報じるニュースに対しては、インターネット上、医療基本法によって医療提供者の負担がこれまで以上に重くなるのではないかと心配する声が多く寄せられました。</p>
<p>
	しかし、わたしたちが望む医療基本法はそういうものではありません。わたしたちの医療基本法要綱案は、患者が、等しく最善かつ安全な医療を享受しうるよう、国及び地方公共団体に、必要かつ十分な医療施設等の人的、物的体制を整備することを求めるものであり、その目的を達するために、必要かつ十分な医療従事者の養成及び確保に努めることを義務付けています。また、「医療施設の開設者は、雇用する医療従事者の労働者としての権利を侵害してはならない」という条項も含んでいます。</p>
<p>
	このような医療基本法を、患者・市民の側と、医療提供者側とが、一致団結して求めていきたい。そのために、今回、中原さんにパネリストをお願いしました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	漆畑眞人さん（日本医療社会福祉協会）は、当会の世話人でもありますので、みなさまよくご存知だと思います。一貫して、医療と福祉との関係について問題提起を続けており、議員連盟のヒアリング（これもニュース第二五九号で報告しています）でも、その観点から発言されました。</p>
<p>
	当会の医療基本法要綱案の、以下のような条文は、特に漆畑さんの問題意識が反映されたものです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	〇　医療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし、患者が肉体的、精神的かつ社会的に良好な状態にあることを目指して行われなければならない（第Ⅰ２ⅰ）。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	〇　国は、Ⅲ１及び２の医療供給体制及び医療保障制度の整備を図るにあたって、医療と介護との連続性に十分配慮しなければならない（第Ⅲ３ⅰ）。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	また、第Ⅰ１の医療従事者の範囲に「福祉職」を含むとしているのも、今日の医療が、漆畑さんのようなメディカルソーシャルワーカーなくしては成立しなくなっているという認識によります。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	シンポ当日までに、議員連盟から何らかの見解が示されるかどうかによって議論の重点は変わってくる可能性がありますが、いずれにせよ、非常に重要な議論がなされることになるはずです。</p>
<p>
	みなさま、ぜひ、総会記念シンポにお集まりください！</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	「歯科の感染対策」を考えるシンポジウムにご参加下さい</p>
<p align="right" style="margin-left:22pt;">
	&nbsp;</p>
<p align="right" style="margin-left:22pt;">
	福岡市　武藤糾明</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	シンポジウムのご案内</p>
<p>
	　二〇一九年十月二六日一四時～一七時、四谷主婦会館プラザエフ七階カトレアで、「歯科の感染対策」を考えるシンポジウムを開催します。是非ご参加下さい。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	Ｂ型肝炎訴訟の経過</p>
<p>
	&nbsp;&nbsp;私は、全国Ｂ型肝炎訴訟九州弁護団事務局長をつとめております。（Ｂ型肝炎訴訟というと、最近はテレビコマーシャルが定着し、八〇年頃の懐メロに乗せたものも登場していますが、私たちは、このようなテレビコマーシャルは一切行っていません。）</p>
<p>
	　幼少時に受けた予防接種のときの注射器（針、筒）の連続使用によって、Ｂ型肝炎ウイルスに持続感染したとして、平成元年に札幌地裁で五名の原告が実施主体である国を訴えました。しかし、持続感染後の慢性肝炎発症には通常二〇～三〇年の潜伏期間が伴うことから、持続感染した原因を特定することが困難ではないかと予想されていました。一審は因果関係を否定しました。しかし、札幌高裁は、浄土宗の僧侶でもある与芝真彰医師の意見書と証言を採用し、Ｂ型肝炎ウイルスの持続感染が成立しやすい幼少期における感染原因が、キャリアである母親からの感染以外では、日常生活ではほとんど想定しがたく、注射器の連続使用以外に具体的な原因となり得る行為が考えがたいとして、因果関係を認めました。最高裁も、二〇〇六年、原告らがＢ型肝炎に持続感染したり、その結果慢性肝炎を発症したりした原因が、国による予防接種時の注射器の連続使用にあるとして、その責任を認めました。</p>
<p>
	　ただ、被害者が膨大な数に上ると考えられたためか、厚生労働省は、被害者の救済を進めなかったため、二〇〇八年に一〇地裁で集団提訴をしました。福岡地裁と札幌地裁の審理は、メディアでも大きく取り上げられました。札幌地裁での和解協議を経て、二〇一一年六月には、被害者の認定基準と症状別の和解金額に関する枠組み合意である基本合意が原告団・弁護団と厚生労働大臣とのあいだで締結され、当時の菅首相は原告団に正式に謝罪し、Ｂ型肝炎根治を目指す薬剤の開発支援を約束しました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<img align="left" height="135" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/f43cb322-9010-468e-adaf-d9565276f1e5" width="115" />再発防止の課題としての歯科の感染対策</p>
<p>
	　注射器の連続使用は、レアケースでない限り再発を心配する必要がないかもしれませんが、全国Ｂ型肝炎訴訟原告団・弁護団が取り組んでいる再発防止の課題として、歯科の感染対策があります。</p>
<p>
	　二〇一四年、読売新聞は、国立感染症研究所が調査した結果として、歯科において口腔内で使用する医療器具であるハンドピースを、患者ごとに必ず交換している割合が三四％でしかないため、院内感染が懸念されるという記事を公表しました。</p>
<p>
	　注射器の連続使用ほどではないとしても、感染リスクがあり、安全な医療のためになくなるべき医療器具の連続使用であるとして、全国原告団・弁護団は、年一回の厚生労働大臣協議で、この課題の克服を求める活動をはじめました。</p>
<p>
	　二〇一六年には、現場での遵守状況の調査を求め、二〇一七年五月に公表された結果では、患者ごとに使用済みハンドピースを交換、滅菌する歯科医師は五二％に上昇しましたが、一〇〇％実施にはまだ遠い状況でした。</p>
<p>
	　二〇一七年には、当時の塩崎厚生労働大臣から、①標準予防策（患者が感染者であるか否かで区別することなく、すべての患者に対して同様に実践する感染防止策）の徹底が科学的に必要、②命にかかわる重要な問題でコストの課題があっても妥協は許されない、③標準予防策一〇〇％実施のために、今後も継続的に調査して向上を図る、④中医協で診療報酬上の対応も議論してもらう、との回答がなされました。</p>
<p>
	　それ以前は、口腔内で使用した医療器具の患者ごとの交換、滅菌は、ＡＥＤの設置などの他の要件を合わせて実践した場合に診療報酬の加算がなされる外来環の一要素とされていました。この年の中医協の結果、患者ごとの交換、滅菌が、基本診療料（初診料、再診料）で評価されるべきこと、つまり、原則としてすべての歯科医院で実践されるべきこととされました。（全国弁護団ホームページで、パンフレットを公表していますhttps://bkan.jp/dental_pamphlet.html）</p>
<p>
	　実際に、現在は、新しい施設基準に基づく届出をしている歯科医院が九〇％を超えています。現場では、すべての患者に対して口腔内で使用する医療器具の交換、滅菌等が実践されるべきことが周知されつつあります。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	残された課題</p>
<p>
	　他方、現場で、本当に標準予防策が徹底されているか疑問もあります。原告さんたちの実際の体験として、二〇一八年にも、Ｂ型肝炎の感染を打ち明けたら怒られた、午後の一番最後に受診するように言われた、という事例が報告されています。</p>
<p>
	　確かに、以前は、歯科では問診によって血液感染しうるウイルス感染の有無をたずね、はいと回答すると別のイスに誘導したり、午後の一番最後に回されることがありました。しかし、そもそもウイルス感染を自覚しない患者が相当数存在する以上、すべての患者の血液を、感染の危険性があるものとして対応する、標準予防策が実践されなければなりません。このことは、一九九六年にアメリカのＣＤＣで示されました。</p>
<p>
	　ところが、大学の歯学部においても、それ以前に卒業した歯科医師が、進展した感染予防策をフォローする制度が保障されておらず、ベテランの歯科医師ほど、感染申告をもとに区別する感染予防法、つまり標準予防策以前の古い危険な方法を維持しているというおそれがあります。二〇一六年の調査によると、歯科医師のうち、標準予防策を理解していると回答した割合は、わずか四七・三％でした。</p>
<p>
	　本年の大臣協議では、一九九六年以前に歯学部を卒業したベテラン歯科医師をターゲットにして、感染予防対策の講習を受けるよう促すとの回答がありました。</p>
<p>
	　診療報酬制度の変更に合わせて、現場で標準予防策が適切に理解され、実践されるよう、原告団・弁護団ともこれから見守っていきたいと考えています。</p>
<p>
	　冒頭のシンポジウムは、原告団の報告のほか、東京歯科保険医協会理事である濱﨑啓吾氏の講演や、久留米大学医学部准教授の井出達也氏のパネリストとしての参加もあります。</p>
<p>
	　身近な医療機関なのに、意外と現状が分からない歯科の感染予防策について、是非一緒に考えましょう。ひとりでも多くの皆様のご参加をよろしくお願いいたします。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	個人情報保護法制のはなし</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	第三回　個人情報保護法の改正点</p>
<p align="center" style="margin-left:16.45pt;">
	〜医療情報がかかわる部分を中心に</p>
<p align="right" style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p align="right" style="margin-left:16.45pt;">
	神奈川　森田　明（弁護士）</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	はじめに</p>
<p>
	個人情報保護法（「個情法」、「法」）は二〇一五年に大きな改正がされ、二〇一七年五月から施行されています。今回はこの改正点について、医療分野にかかわることを中心に紹介します。</p>
<p>
	改正の趣旨としては次の三点があげられています。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	① 従来の個人情報保護法では趣旨がわかりにくかった点を明確化した</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	② 国際的な水準に照らして不備とみられる点について、個人情報保護を前進させた</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	③ 個人情報保護だけでなく、「個人情報の積極的な利活用」を法の目的に掲げ、そのための仕組みを整備した</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	前記①にあたるものとして、</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・個人情報の定義を見直して、個人識別符号も個人情報に当るとした（二条一項二号、二項）</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・本人開示請求等について、裁判上請求できる権利であることを明らかにした（三四条）</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	前記②にあたるものとして、</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・個人情報取扱事業者についていわゆる「五〇〇〇件要件」を撤廃し規制対象を拡大した</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・要配慮個人情報の概念を導入し（二条三項）、通常の個人情報より慎重な取り扱いをするものとした</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・消去について努力規定を定めた（一九条）</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・第三者提供の制限の例外としてのオプトアウトの手続きを厳格にした（二三条二から四項）　</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・外国にある第三者への提供の制限規定を設けた（二四条）　</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・いわゆるトレーサビリティ（個人情報を追跡可能にすること）についての規定を置いた（二五、二六条）　</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・独立した監督機関として個人情報保護委員会を設置した（五九条）</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	前記③にあたるものとして</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・法の目的として、利活用の推進を強調した（一条）</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・匿名加工情報の規定を設けた（三六から三九条）</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	などがあげられます。</p>
<p>
	なお、行政機関個人情報保護法（「行個法」）も個情法と共通する内容の改正がされ、同時期に施行されています。地方自治体の個人情報保護条例については、各自治体が順次改正をすすめていますがその時期や内容にはばらつきがあります。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	個人情報の範囲〜個人識別符号の導入</p>
<p>
	もともと法二条一項では、「当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等&hellip;により特定の個人を識別することができるもの&hellip;」を個人情報と定めていました。</p>
<p>
	しかしそれだけでは特定個人を指し示す文字、数字等がどの範囲で個人識別情報なのかが明らかではありませんでした。改正により一項に二号を設けて、「個人識別符号」もそれ自体が個人情報であるとしました。そして二項一号では「特定の個人の身体の一部の特徴を電子計算機の用に供するために変換した文字、番号、記号その他の符号であって、当該特定の個人を識別することができるもの」、二号では個人に発行されるカードその他の書類に記載される個人ごとに割り振られた文字、番号、記号その他の符号があたるとします。</p>
<p>
	それぞれの具体的な内容は政令で定められています。</p>
<p>
	一号について、政令では次のイからトのもののうち、個人情報保護委員会規則で定める基準に適合するものがこれに当るとしています。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	イ 細胞から採取されたデオキシリボ核酸（別名ＤＮＡ）を構成する塩基の配列</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	ロ 顔の骨格及び皮膚の色並びに目、鼻、口その他の顔の部位の位置及び形状によって定まる容貌</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	ハ 虹彩の表面の起伏により形成される線状の模様</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	ニ 発声の際の声帯の振動、声門の開閉並びに声道の形状及びその変化</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	<img align="left" height="113" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/6ea9304f-2978-4ee3-88f4-36a2ef3275a7" width="188" />ホ 歩行の際の姿勢及び両腕の動作、歩幅その他の歩行の態様</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	ヘ 手のひら又は手の甲若しくは指の皮下の静脈の分岐及び端点によって定まるその静脈の形状</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	ト 指紋又は掌紋</p>
<p>
	例えば、画像から顔認証をする場合、画像にある顔のデータを数値化してそれを照合することになりますが、その数値そのものが個人識別符号にあたり、個人情報になるわけです。</p>
<p>
	この規定により、生体認証に用いる情報が広く個人識別情報とされることになりました。その意味で実際には、従来の考え方の明確化というよりは拡大というべきでしょう。</p>
<p>
	個人情報として取り扱いを規制するのは野放しにするより良いことのようでもありますが、生体情報が個人を特定、識別する上で価値が高いことが認められたわけですから、今後こうした技術はますます発展するでしょう。近いうちにある種の生体情報が正確かつ容易に特定人を識別できる符号にできるようになるかもしれません。</p>
<p>
	こうした生体情報由来の個人識別符号は住民票コードやマイナンバーなどの人工的に付与する番号以上に正確（なりすましが困難）かつ便利な（紛失しない）個人識別情報になります。そうなるとこうした符号によるより徹底した国民総背番号制が可能となり、医療情報も含め国家が個人の情報を集約し、管理する世界が現実味を帯びてきます。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　</p>
<p>
	要配慮個人情報の導入</p>
<p>
	⑴ 要配慮個人情報の規制とは</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	改正法では、「要配慮個人情報」という概念を導入しました。これは、個人情報の中でも特に保護すべき程度の高いものについて慎重な取り扱いを規定するものです。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	実は、個人情報保護条例の多くは、すでにこのような趣旨の規定を置いており、「センシティブ情報」「機微情報」などと呼ばれていました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	今般の改正で、個情法、行個法ともに要配慮個人情報の規定を置きました。そして、自治体に対しては、従来のセンシティブ情報の規定ではなく、法の要配慮個人情報の規定に合わせるように働きかけをしています。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	<img align="left" height="102" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/54eec626-5e3e-4d19-81fb-dd3ea05cea2b" width="164" />ただここで注意すべきは、適用される法によって、要配慮個人情報をどう規制するのかが大きく異なっていることです。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	条例の多くは、センシティブ情報は原則として取り扱いはできず、法令の規定や第三者機関（審議会）の意見を得てはじめて取り扱えるとしていました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	改正個情法では、要配慮個人情報を取得するにあたっては本人の同意があるか、六つの例外条項にあたる場合のみ可能とし（一七条二項）、オプトアウトによる第三者提供は認められない（二三条二項）としています。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	これに対し、行個法では、個人情報ファイルの事前通知の記載項目とされている（一〇条一項五号の二）に留まり、取得や利用提供についての規制はありません。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	国にとっては要配慮個人情報の範囲を広くしてもさほど影響はないのに、民間や自治体、特に自治体にとっては条例改正や改めて審議会に大量の諮問をするなど大きな負担になります。私は三つの自治体の個人情報保護に関する審議会の委員をしていて、その大変さを痛感しました。</p>
<p>
	⑵ 医療に係る要配慮個人情報の範囲</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	個情法二条三項では「要配慮個人情報」を「本人の人種、信条、社会的身分、病歴、犯罪の経歴、犯罪により害を被った事実その他本人に対する不当な差別、偏見その他の不利益が生じないようにその取扱いに特に配慮を要するものとして政令で定める記述等が含まれる個人情報をいう。」としています。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	政令では、次のように定めています。ここでは病歴に限らず、広範囲の医療情報が含まれています。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	⑴ 身体障害、知的障害、精神障害（発達障害を含む。）その他の個人情報保護委員会規則で定める心身の機能の障害があること。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	⑵ 本人に対して医師その他医療に関連する職務に従事する者により行われた疾病の予防及び早期発見のための健康診断その他の検査の結果</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	⑶ 健康診断等の結果に基づき、又は疾病、負傷その他の心身の変化を理由として、本人に対して医師等により心身の状態の改善のための指導又は診療若しくは調剤が行われたこと。（⑷⑸は省略）</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	このうち⑵⑶についての個人情報保護委員会のガイドライン（通則編２-３）では次のように記載されています。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	⑵関係</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	疾病の予防や早期発見を目的として行われた健康診査、健康診断、特定健康診査、 健康測定、ストレスチェック、遺伝子検査（診療の過程で行われたものを除く。）等、 受診者本人の健康状態が判明する検査の結果が該当する。</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	具体的な事例としては、労働安全衛生法に基づいて行われた健康診断の結果、同法に基づいて行われたストレスチェックの結果、高齢者の医療の確保に関する法律に基づいて行われた特定健康診査の結果などが該当する。また、法律に定められた健康診査の結果等に限定されるものではなく、人間ドックなど保険者や事業主が任意で実施又は助成する検査の結果も該当する。さらに、医療機関を介さないで行われた遺伝子検査により得られた本人の遺伝型とその遺伝型の疾患へのかかりやすさに該当する結果等も含まれる。」ただし、「健康診断等を受診したという事実は該当しない。」とされています。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	⑶関係</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	健康診断等の結果に基づき&hellip;指導が行われたこと」とは、「健康診断等の結果、特に健康の保持に努める必要がある者に対し、医師又は保健師が行う保健指導等の内容が該当する。</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	指導が行われたことの具体的な事例としては、労働安全衛生法に基づき医師又は保健師により行われた保健指導の内容、同法に基づき医師により行われた面接指導の内容、高齢者の医療の確保に関する法律に基づき医師、保健師、管理栄養士により行われた特定保健指導の内容等が該当する。また、法律に定められた保健指導の内容に限定されるものではなく、保険者や事業主が任意で実施又は助成により受診した保健指導の内容も該当する。」そしてここでは、「保健指導等を受けたという事実も該当する。」としています。</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	さらに「「健康診断等の結果に基づき&hellip;医師等により診療が行われたこと」とは、「病院、診療所、その他の医療を提供する施設において診療の過程で、患者の身体の状況、病状、治療状況等について、医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療従事者が知り得た情報全てを指し、例えば診療記録等がこれに該当する。」そしてここでも「病院等を受診したという事実も該当する。」としています。</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	「健康診断等の結果に基づき&hellip;調剤が行われたこと」についても同様に定められています。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	⑵⑶いずれについても「身長、体重、血圧、脈拍、体温等の個人の健康に関する情報を、健康診断、 診療等の事業及びそれに関する業務とは関係ない方法により知り得た場合は該当しない。」とされています。私がダイエットのために毎日体重を測って記録しているデータは、いかに正確でも該当しないわけです。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	このように、要配慮個人情報の範囲がどこまでかは微妙です。しかも実際に存在する文書には要配慮個人情報とそうでない個人情報とが混在していることも多く、どこまでを要配慮個人情報として取り扱えばよいかはしばしば困難な問題となります。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	利活用の促進〜匿名加工情報</p>
<p>
	個情法、行個法ともに法の目的（一条）に「個人情報の適正かつ効果的な活用が新たな産業の創出並びに活力ある経済社会及び豊かな国民生活の実現に資するものであることその他の個人情報の有用性に配慮しつつ&hellip;」という文言が追加され、そのための仕組みとして、ビッグデータ創出のための匿名加工情報（行個法では非識別加工情報）制度が定められました。</p>
<p>
	その検討過程では完全に個人の識別可能性をなくす匿名加工情報を作成することは技術的に困難であるという結論が出されたのに、本人識別のための照合行為等を禁止することで防止できるとして導入に踏み切ったもので、現実には個人が識別される（つまり個人識別情報が流通してしまう）可能性は否定できません。</p>
<p>
	そもそも匿名加工情報の制度を個人情報保護法制の中に規定すること自体、国際的には異例で、その是非は疑問です。</p>
<p>
	しかも、特にビッグデータの必要性が高いとされる医療情報については別途、「医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報に関する法律」（「次世代医療基盤法」、「医療ビッグデータ法」）が制定され（二〇一八年五月に施行）、国が認めた専門事業者の下で広く匿名加工が進められようとしています。</p>
<p>
	ビッグデータ利活用の必要性は否定できないのでしょうが、個人情報保護の観点からは問題も多いのです。</p>
<p>
	おそらく最終回となる次回は、そのあたりの動向も含めて、医療情報の個人情報保護にかかわる最近の具体的な動きの一端を紹介したいと考えています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	医療基本法制定に向けての浮揚と澱</p>
<p>
	その二 国民の生命と健康を守る！</p>
<p>
	ほんとですか？</p>
<p align="right">
	小沢木理</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	思いは同じ</p>
<p>
	議連（医療基本法制定に向けての議会連絡会）による患者・市民団体からの二回目のヒアリングで、尾辻秀久会長は、「国の最も基本的な役割のひとつが国民のいのちと健康を守ることである」と述べられた。さらに「この責任を放棄されたらもう国家ではなくなると思う」と続けられ、医療は国家の重要な任務であるということを強調された。</p>
<p>
	当たり前のことなのだが、改めてこういうことばに接すると、「あゝ、ほんとにその通り！」という思いを強くする。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	しかし、そのことばへの期待に反して巡ってくる思いが自分の中にある。国家という、時には得体の知れない統率機関にもなり得る国が行うことが、必ずしも国民のいのちと健康を守ってはくれていないという事実をいくつも知っている。それは大過去のことばかりではない。ここではひとつひとつを挙げないが、国家政策によって人生を台無しにされた人々が、被害者としての救済もないまま邪険に扱われ、その人たちのいのちと健康を尊重されずに延々と闘いを強いられてきたという事実を、そんなことは知らないとはとても言えない。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<img align="left" height="122" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/96053d61-b888-4c52-8ba5-53e2609fc418" width="150" />ハンセン病患者をめぐる人権侵害などはまだ現在も問題が残るし、減少していかない医療事故や、救われるはずの薬剤で重篤な薬害被害者となった方々などは、現在進行形の形で複数存在している。</p>
<p>
	近年では、子宮頸がんを予防する目的として定期接種になったＨＰＶワクチンの問題がある。このワクチンの副作用で被害を訴えるケースが続出し、定期接種の積極的勧奨は控えられたが、被害の認定や救済では停滞したまま終息させようとしている気配すらする。</p>
<p>
	しかし、これらの問題はみな国が行った政策だ。国の政策によって健康被害に遭ったのだから、国は国民の生命と健康を守るために全力を挙げて取組んでくれるはずだ。</p>
<p>
	ＨＰＶワクチンの場合も、国が「良かれ」として積極的に接種を推奨したのだから紛れもなく国の責任である。</p>
<p>
	ところが国は、そのワクチンと副作用との因果関係を証明出来ていないから被害を訴える少女たちに対して責任はとらないという。国の対応は実に冷酷だ、というより犯罪的だとわたしには思える。しかしこれが国の常套手段でいま始まったことではない。</p>
<p>
	さらに一歩踏み出し、明らかに接種後急激に現れた重篤症状を含む諸症状があるが、それとＨＰＶワクチンとの因果関係は無いという強い否定論が席巻しだした。</p>
<p>
	ところが実際には研究者の間でＨＰＶワクチンそのものの評価が分かれ、疑義が晴れていない。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	医学は、科学は、どこまでも謙虚でなければならない。人間の知見を過信すると真実は歪みを生じ易くなる。調査や論文にバイアスがかかっていて評価に値しないものも十分にあり得る。たかだかこれまでに知り得たことが全てだと言いきることで、知り得ていない事実を見逃し不幸な結果を招いてしまうということは、これまでも幾度も経験してきたはずだ。</p>
<p>
	原爆による被爆者の後遺症認定の問題、水俣病の原因認定や補償の問題、福島原発の被災者の健康被害認定の問題しかり、国は被害者に正面から向き合うことにさえ距離を置いてきた。原因とされるものとの因果関係を認めようとしないだけでなく、その可能性すら積極的に検証することを怠ってきた。水俣病ひとつとっても、公害認定に一五年、被害者との最終合意まで四〇年あまりを要したが、これらのことから一体国は何を学習したのだろうか。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	国の被害者救済への行動を阻んでいるのは金銭負担をしたくないというのが最大の理由だとするなら、それは不謹慎な理由だ。もちろん、政治とはお金の配分そのものである。しかし国の事業で起きた被害の救済は、誰が償うべきだと考えるのだろうか。</p>
<p>
	因果関係が認められるまで、歴代の被害者はどれだけの年月を費やしてきただろう。因果関係が証明されるまで被害者の苦しみに対応しないとは、国のあるべき姿ではないだろう。被害者にとっては因果関係の証明は二の次三の次の問題である。国民の生命と健康を守るという国の責務からも、因果関係の証明を待たずに国はまず救済に関わることに尽力すべきではないのか。発症状況からその被害者の存在が証拠そのものなのだから。まず被害救済を先行し、それから検証はたっぷりしっかりとやるべきだ。</p>
<p>
	救済対策とは、指定病院だけでなくどの医療機関に対してもＨＰＶワクチンの副作用事例に関することなど必要情報の周知を図り、患者の受診に伴う経費の支援も含め、いかに被害者の負担を軽くするかという視点から諸体制がとられなければならない。</p>
<p>
	第一、おかしくはないか。誘導されてワクチンを受けたら被害に遭った。なのにその被害者に被害の因果関係の証明をさせるのって。裁判などで闘わせ、上からその経過を眺め、裁判で国（時には企業）に原因があると分かったら、そこではじめて謝ったり被害弁済したりするのって弱いものイジメそのもの、本末転倒ではないだろうか。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	ただそれでも見逃してはならない重要なことが二つある。</p>
<p>
	因果関係が無いとは証明しきれていないということと、相関関係が否定されていないため因果関係がある可能性が否定しきれていないというこのふたつの事実だ。</p>
<p>
	相関関係が、後に因果関係を明らかにしていくという経過をたどることはおおいにありえる。原爆被害者や水俣病患者たちが、最終的に勝ち取った結果がその良い例だ。従ってこのＨＰＶワクチン接種後、急激に現れた心身や脳への特異性の変化を、拙速な検証で「因果関係があるとは言えない」とする医療者側の姿勢にはとうてい信頼を寄せることはできない。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	将来をも奪う負の恩恵</p>
<p>
	私はかなり以前から、インターネットで海外のＨＰＶワクチンの被害に苦しむ残酷な症例をたくさん目にして来た。それと全く同じ症状が日本でも現実に起きていることに驚いた。重症な場合、水俣病を思わせるようなからだが勝手にバタバタと激しく暴れ出して止まらないなど、信じ難い光景が繰り返される。実際に、これらの多岐にわたる尋常でない症状に苦しんでいる娘さんやその親御さんを何人か知っており相談も受けている。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	あるひとりの親御さんの話によると、「接種前に異常なことは何も無かった。ワクチン接種後、娘はまるで別人格になってしまった。以前の娘ではなくなってしまった。激しい身体症状や異常な言動を繰り返し本人も家族も毎日そのことでいっときも安らかな時間が持てていない。元々は全てにおいて優秀で将来に具体的計画を持っていたが、今は知的障害者施設で簡単な作業に調子の良い時だけ通う生活に一変した。わたしたち家族は、このワクチン接種を境に何もかもがまるで暗転してしまった。」と話す。</p>
<p>
	また、これまで何軒も、何軒もひたすら医療機関を訪ね歩いたたが、行く先々でいい加減な診断を下されたり、門前払いを受けたり、屈辱的な発言をされたりしてきた。それにもめげすあちこち医療機関を転々としなければならなかった。しかも、娘さんの人格が一変し、失神を頻繁に繰り返す娘さんを何度も救急搬送してもらったりしながらであるから、それは惨憺たる日々を過ごして来たと思う。今になって分かることだが、これは明らかに高次脳機能障害の症状である。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	その親御さんは、医薬品副作用被害救済制度（ＰＭＤＡ）なるものの存在を知って、申請するも〝棄却〟された。不服申立申請後も同様の結果だ。</p>
<p>
	棄却理由は、該当の受診期間の医師がつけた「診断名」が『ＨＰＶワクチンによる副作用の疑い』となっておらず、単に『て○○ん』となっているという理由だ。これにはあきれ果てる。ＨＰＶワクチン副作用の疑いの〝ＨＰＶワクチン関連神経免疫症候群（ＨＡＮＳ）〟と認定されたのは、あちこち受診を重ねてもきちんとした診断が下されず、遠方まで訪ねて行き受診した医療機関で、そこではじめて症状の正体が認知されたのだ。</p>
<p>
	　</p>
<p>
	しかしそれまでに受けた医療機関の医師たちは、これまで経験したことの無い症例なので「まったく分からない！」か、何か病名付けておかないと薬を出せないのでと言って、取り敢えず「て○○ん」などと適当に便宜的につけた病名だった。もちろん、申請時にＰＭＤＡにその事情は丁寧に伝えてある。</p>
<p>
	受診する医療機関（医師）はことごとく、「正直いままで出会った経験が無い。見当がつかない。全くわっかんな〜い。」と言ってお手上げ状態でさじを投げられていた状態だった。医師とはいえどこの症状に関しては全く知識が無かった。国から事前に医療機関に副作用事例の情報提供も図られていなかった。なのに、そのツケを、被害の収拾を被害者に丸投げしたに等しい。一市民が、いま起きている症状がＨＰＶワクチンの副作用であるなど当初分かるわけがないのは当たり前。にもかかわらず、被害者や親御さんが蒙った全ての負担を、失ったものの全てを、そのままその後の人生にわたって被害者やその家族に押し付けるというはヒドイ仕打ちだ。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	このＰＭＤＡという救済制度は、うわべ救済の看板が立てかけてあるに過ぎなかったのか。医師の無知を擁護し、国の無策を棚に上げ、たらい回しにされた被害者にＰＭＤＡが突きつけたのは〝棄却〟。このワクチン自体やその副作用に全く無知であった医師が便宜的に付けた診断名のみを審査の根拠とするという明らかに不誠実な態度だった。最終的に〝ＨＰＶワクチンの影響による症状〟であると診断されるまでの経緯に関する資料は十分に揃っていて説明もしているにも関わらずだ。</p>
<p>
	しかし、この関連の症状が出てから受診した医療機関のすべては、まさにＨＰＶワクチン接種後の症状をめぐって訪ね歩いたところ。最後に受診した所でやっと〝ＨＰＶワクチンの副作用による症状〟と認知されたもので、最後に確認された診断が「特定されたもの」と誰もが考えるだろう。それまでにかかった医療機関は、同ワクチンの影響（副作用）の症状を診ていたに過ぎないのだから。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	もちろんこのＨＡＮＳというのは、ＨＰＶワクチン関連で引き起こされた神経免疫症候群ということを意味していて、最終病名ではなく、ＨＰＶワクチンによる多様な症状であるというということが認められたということになる。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	繰り返すようだが、かすかに期待した救済の窓口でも、被害者は救済されることはなかった。審査委員たちは、幾重にも負担を背負わされ将来の人生までも奪われた被害者よりも、医師としての資格や能力を疑うような医師を肯定し優先するという前提を崩さなかった。審査員の資質の問題なのか、限りなく入口を狭めた制度なのかはわからない。いずれにせよ被害者救済制度は自動改札口に過ぎないということがよく分かった。</p>
<p>
	この医薬品副作用被害救済制度は、救済という実質的な目的が機能していない。本気で事実を把握しようとしていないからだ。診断に関しては普通に診断ミスもあるし、暫定的な診断名が付けられることもあるし、セカンドオピニオンで明らかになる診断名もある。しかしＰＭＤＡでは、審査の基準が、該当する受診期間に付けられた診断名が絶対であり、その診断を下した医師が無知であろうが診断の信頼性が無かろうがそれは全くおかまい無し、医師の評価ははじめから外してあるのだ。なるべく被害認定をしたくない方針があからさまである。これならＡＩに審査を委ねた方が、よほどまともな判断をするのではないかと思うくらいだ。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<img align="left" height="200" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/425254c0-26f5-447f-9457-72f4bea1db8e" width="200" />これまでかかった費用は、医療費や遠路の移動費、様々な経費は相当なものだったようだが、その娘さんの症状がこれ以上悪化しないでいてくれるのならまだ救われると親御さんは言う。脳に何らかの損傷を与えたためか、このままでは幼児化症状と知的障がいを背負っていく彼女の将来が不安でならないという。彼女の症状が少しでも安定してくれれば、娘から、現状のまま自分を母親と捉えることもなく避け続けられても構わないとまで言う。心配は娘さんの将来だけだと話す。</p>
<p>
	これらは、実情のほんの一片だ。</p>
<p>
	「ウーン、国は〝医療は国民の生命と健康を守るのが重要な任務〟だというのに、まるでそれに反していないか？」</p>
<p>
	予防接種名目で国民の健康管理を謳い、その結果生じた被害には率先して救済や補償対策を講じるのが国のあり方ではないのか。現在は愚か、将来までもが奪われた状態になっている、その子供たちのことを憂えないのだろうか。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	目の前に、このようにＨＰＶワクチンにより悲惨な症状で苦しんでいる娘さんたちが何人も存在する。それは紛れも無い事実だ。それも探し出してやっと出会うというレアケースではない。それでも、国側はその苦しむ姿は見えなかった振りをする。因果関係を否定することを目的にしているのかとさえ思わされる。国や医療者や、ＰＭＤＡは何のために自分たちの役目があると考えているのだろうか。どうしても理解できない。</p>
<p>
	ＨＰＶワクチンは、被害者にとって将来をも奪う負の恩恵であったことを考えて欲しい。ほんとうに、「国は国民いのちと健康を守る」と言えるのだろうかという不信感がどうしても拭えない。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	蓄熱しない「信頼」</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	ここで日常的に使われることば、「信頼」について、医療においてはどういうことが求められるかについても、少し掘り下げてみたい。</p>
<p>
	わたしたちが日頃医療に関することで求めるものにはこんなものがある。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	・ 医療の質</p>
<p>
	・ 医師の質</p>
<p>
	・ 受診権の保障</p>
<p>
	・ 患者の学習機会の確保</p>
<p>
	・ 患者の参画権</p>
<p>
	・ なっとく権の重視</p>
<p>
	・複数の医療情報の提示</p>
<p>
	・リスク情報の明示と説明義務</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	見方を変えれば、患者にはこれらを求めるために必要な努力が求められる。しかし現状では、医療に限ったことではないが市民生活のありようは、皆が同じだとは言わないが、おおかた以下に挙げる傾向にある。</p>
<p>
	例えば豚舎や鶏舎の囲いの中にいる動物たちと同じように思える時がある。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・与えられるのを待つだけの生活</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・自分の意思を持っていない</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・一方的にあてがわれる</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・自己決定権が無い</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・限られた範囲以上の知恵が付かないように管理されている</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・動き回れる自由はあるが、実は囲いの中に限られている</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・最終的には強いものの利益が優先される</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<img align="left" height="175" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/0779fd75-12dc-434f-9e23-4161e6c806d6" width="158" />養鶏場や養豚場の場合、これらの制約を外し解放したら、囲いの中から出てしまい動物のコントロールが難しくなる。</p>
<p>
	話を人間生活に戻すと、つまり国は、国民を守ると同時に国民を管理することまでが任務としてある。しかし、人間は、食物としてあるのではないから、囲いの中に収めその運命を自在にすることはできない。なぜならば、国家というものは元を糺せば我々と同等の一人間であり一国民の集合体に過ぎないからだ。私たちと同じ国民で、その中から特定の役割を持たせられたというだけなので、上下関係ではないからだ。むしろ、責任の重い役割を担わされただけ、より厳しい国民の審判を受けることが求められる。</p>
<p>
	ひとたび、その任務を離れ平民になったらごく普通の一市民に戻る。</p>
<p>
	　国や国家とは抽象的な存在ではなく正確に語るならば、その時にその位置（役割であって権力的地位ではない）に就いて仕事をした人のなせる結果や現状のことだ。役職で語ると、なぜか威厳を持つ効果を生むから不思議だ。これは魔法にかけられたのと似ている。手の込んだ舞台装置や照明に照らされた芸能人たちがやたらと目映く見えるのと同じ仕組みだ。衣装を脱ぎ、普段着で巷を歩けば庶民と何ら変わらない。しかし、我々はそういう演出に弱く、むしろそういう存在を好む傾向にさえある。</p>
<p>
	ここで説明を加えておきたい。「国は、国民を管理することまでが任務としてある」と書いたが、これは揶揄的な表現である。正確には、〝管理〟ではなく国民を守るために必要な業務を行い制度の運用を図ることを意味する。よって正確には〝管理〟というべきではない。しかし、現実にはかなり〝管理〟されているという印象が強く残る。これは立場や力関係の逆転である。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	かつて日本では、国政に異論を言ったら非国民とされ収容された。戦後は〝アカ〟と指差され村八分にされてきた。今日ではディベートという意見を交わすゲームはあるが、リングを降りた社会では、一気にそういう自由に意見を交わすという空気がスポイルされてしてしまう。</p>
<p>
	日常生活で国民はいつも権力的立場の者に忖度するのが当たり前になっている。従順な市民が褒められるという状況は現代も変わっていない。だからか、影響力の強い者やヒーロー的な存在に判断や運命を託すのが国民性の中にある。国民性といっても天然なものではなくそのように形成されたものが大半かと思う。</p>
<p>
	こういった従順な国民性や立場上の上下という関係性は、医療の場面でもかなり色濃く残っている。そういった関係性を解消していくためには、養鶏場や養豚場の例ではないが、市民の自立意識と自立に必要なものを要求していくことが欠かせない。</p>
<p>
	つまり「信頼」は上から授けられても根付くものではないのだ。</p>
<p>
	信頼は、対等なコミュニケーションを通じて築かれるものだ。つまるところ、インフォームドコンセントの到達点を目指すことを通じて得られるものとも言えるかもしれない。</p>
<p>
	同様に、国が裁量で国民を管理するといった姿勢があるとしたら、わたしたちは国や国の制度に信用や信頼を築きようがない。</p>
<p>
	医療においても、同じことが言える。</p>
<p>
	患者の権利や自立を保障する環境整備と、患者自身の意識変革とが相まって、より熱伝導率の良い「信頼」が築かれていくのだと思う。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	当事者の声は未来への扉</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	今年の九月、国連の温暖化対策サミットで地球温暖化対策を訴えた一六歳のグレタさんのスピーチが話題になっている。「あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね」「これまで同様、取り組んでいれば解決する、といって私たちを裏切っている。あなたたちを絶対に許さない」と大人世代を強く非難し厳しくたしなめた。これは環境問題についてであるが、共通することは、「私たち（大人）に任せておきなさい。なんとかするから。」というのはもう信用出来ないという訴えだ。環境問題はまさに次世代にこそ直接影響を及ぼす問題で、大人たちがこれまで通りの価値観や発想で政策を進めようとするのは止めて欲しい。私たちの存在を無視するな、次世代の未来を奪うな、自分たちの主張を反映せよということに他ならない。</p>
<p>
	彼女はまた、「あなた方は、私たちの声は聞いている、緊急性は理解している、と言うが、私はそれを信じたくありません」と怒りをぶつけた。</p>
<p>
	グレタさんのメッセージは全世代への貴重な警鐘に違いない。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	ＨＰＶワクチンの被害は、明らかに国の政策によって蒙らされたこと。国が国民の生命や健康を守るという使命からも、実施した国自身が、因果関係について自信を持てないでいるのに、被害者にその証明を求めるなどというのは本末転倒ではないだろうか。国はなによりもまずしっかり被害者を守るための行動をすべきではないのか。そのような姿勢が、「信頼」の芽を育てていくのに欠かせない。グレタさんの訴えることばが、ＨＰＶワクチン被害に苦しむ若い女性たちの姿とどこか重なる。</p>
<p>
	当事者として声を上げていくことの重要性をグレタさんから学んだ。</p>
<p>
	国や医療は、やはり国民・患者の命や健康を守るために必要な業務や行為を行う機関に違いない。一方、国民・患者はそれらの目的に幸福な状態の中で近づけるように自らの意識改革や自立が求められていると私は考える。</p>
<p>
	仕事を任されたもの、依頼するものそういう双方の立場のセッションの中から、「信頼」は醸成していくのだと思う。</p>
<p>
	　</p>
<p>
	<img align="left" height="193" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/6b419625-c085-41f9-a785-b6b4e3c52861" width="184" />尾辻議連会長は、国民のいのちと健康を守るのが国の責務と話し、こう続けた。「そうした精神を大事にしながらやっていきたいなと思っています」</p>
<p>
	わたしたちは、尾辻会長のそのメッセージに清々しい気持ちで信頼を託したいと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>260号　議連続報　ハンセン病家族訴訟報告 - けんりほうNEWS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kenriho.org/news/kenrihonews/2021/02/260.html" />
    <id>tag:kenriho.org,2021:/news/kenrihonews//3.320</id>

    <published>2021-02-15T10:50:51Z</published>
    <updated>2021-02-15T10:53:12Z</updated>

    <summary> 	医療基本法制定に向けての動き 	事務局長　小林洋二 	医療基本法制定にむけた...</summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="260号" label="260号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	医療基本法制定に向けての動き</p>
<p align="right">
	事務局長　小林洋二</p>
<p>
	医療基本法制定にむけた議員連盟の結成及び同議連によるヒアリングの状況は、けんりほうニュース二五八号、二五九号でお伝えてしてきたとおりです。</p>
<p>
	参議院選挙も終わり、いよいよ医療基本法の要綱案が出てくることが期待されるこの時期に、ここまでの動きをまとめておきたいと思います。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	患者の権利擁護を中心とする医療基本法の制定を求めるという運動方針は、二〇〇九年一〇月の総会で確認されました。</p>
<p>
	この方針に基づき、わたしたちは、二〇一一年一〇月には医療基本法要綱案（世話人会案）を、二〇一二年四月には患者の声を医療政策に反映させるあり方協議会（現「患者の声協議会」）とＨ&minus;ＰＡＣ医療基本法制定チームとともに医療基本法三団体共同骨子六項目を、二〇一六年五月にはこれに全国ハンセン病療養所入所者協議会及びハンセン病違憲国家賠償全国原告団協議会の二団体を加えた五団体による共同骨子七項目を発表し、患者・市民の声の結集を図ってきました。また、医療提供者側との連携を図るため、二〇一二年一一月「患者も医療者も幸せになれる医療を求めて」、二〇一四年一〇月「考えよう、『医療基本法』〜日本医師会の具体的提言を受けて」といったシンポジウムを行い、二〇一七年七月には、共同骨子七項目に賛同する市民団体・患者団体と日本医師会との意見交換会も開催しました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<img align="left" height="63" hspace="4" src="blob:http://kenriho.org/b0c79281-1f74-4581-afa6-7afac108fd33" vspace="4" width="83" />そういった地道な取り組みを経て、直接、国会議員へのアプローチを前面に出したのが、二〇一七年一一月のシンポジウム「みんなで動こう医療基本法パートⅢ」でした。</p>
<p>
	このシンポジウムには、川田龍平参議院議員（無所属）、田村智子参議院議員（日本共産党）、桝屋敬悟衆議院議員（公明党）、小西洋之参議院議員（民新党）、古川俊治参議院議院（自由民主党）、阿部知子衆議院議員（立憲民主党）がパネリストとして参加しました（所属はいずれも当時のもの）。予め論点として設定された、①医療政策の基本理念、②患者の権利、③負担と給付との関係、④政策決定過程への患者・国民参加、⑤ステークホルダー論について各人がコメントしたうえ、日本医師会の今村理事による指定発言を経て、一般参加者を交えたディスカッションが行われました。</p>
<p>
	このシンポジウムの模様については、けんりほうニュース二五三号に小林展大会員の報告がありますし、わたしも、同二五四号に「なぜ今『医療基本法』が必要なのか」という感想文めいたものを寄せています。また、その全体については、パンフレット「みんなで動こう医療基本法Ⅲ」として記録化されていますので、是非、ご参照下さい。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	このシンポジウムの成果を承けて開催されたのが、二〇一八年五月一六日の医療基本法制定に向けた院内集会でした。一一名の国会議員の発言のさわりの部分をご紹介します。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	羽生田俊参議院議員（自由民主党）：私は五年前まで日本医師会の副会長をしていました。今日来ている今村定臣先生と一緒に医療基本法のシンポジウムにも出させていただいてきました。今は参議院議員という立場におります。やはり国会というところは立法府なので法律をつくるという意味で、医療基本法をつくるための努力をしていて、超党派でつくろうという準備をしていて、私はその事務局長をする予定で準備をしているところです。&hellip;&hellip;&hellip;今日の主催のひとりである鈴木弁護士と一緒になってこれからしっかりと国政の場で進めていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	田村智子参議院議員（日本共産党）：憲法二五条やあるいは幸福追求権や個人の尊厳や、そこと医療がどういうふうに繋がっていくのかを示す基本法を、ぜひ私も実現したいなと思う。同時に理念だけではなく現実に患者さんの権利に結びつき、現実に日本の医療を良い方向へと繋げていかれるような力をもった基本法になるようにみなさんともおおいに議論をし、他の政党の方々ともおおいに議論して、よい基本法をつくれるように頑張っていきたい。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	小西洋之参議院議員（無所属）：憲法一三条の個人の尊厳の尊重、また二五条の生存権、そうした理念を、国民生活で一番大切なものである医療を、各地域日本のどこに住んでいても適切な医療が受けられる、そうした制度仕組みを実現するには、医療基本法が絶対必要だと思います。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	小川克巳参議院議員（自由民主党）：まだこういったものが出来てなかったんだなあということに逆にびっくりしているのが素直な気持ちです。&hellip;&hellip;日本もずいぶん遅れているものだと改めて思った。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	川田龍平参議院議員（立憲民主党）：ぜひ医療基本法についての院内集会をやってくださいとその時シンポジウム（註「みんなで動こう医療基本法パートⅢ」を指す）で言ったことが今日実現しました。&hellip;&hellip;こういう院内集会をもっと頻繁に開いていただいて、こういう問題について取り組む、実際に法律を作るためのこの基本法をつくるためだけの議員を、実質的に法案を積極的に進める人というのを束ねて今の議連のようなものが超党派の動きを作っていかれるのであれば必要ではないかと思っている。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	自見はなこ参議院議員（自由民主党）：こういった医療基本法の制定をはじめとして多くの力を結集していくことで医療のあるべき姿に近づいていくことが出来たらと思います。超党派でということ本当に大歓迎でありまして、医療はまさしく超党派で国民すべてのものですので、私も微力ですが頑張っていきます。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	穴見陽一衆議院議員（自由民主党）：私は医療に関しては門外漢ですが、ずっといろんな生活困窮者の方が持つ様々な疾病、障がいと向き合う仕事をさせていただいております。その中で、これまで歴史の中で患者さんが虐げられて来た歴史というものがまだまだ続いています。やはり患者さまの思い、またはそこに真摯に耳を傾けていく医療というものが実現されなければならないし、またこれは大変大きなハードルでもあろうと思います。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	高橋千鶴子衆議院議員（日本共産党）：ハンセンの問題も、優生保護法の問題も、そして今起こっている問題も古い問題ではなくて、まず根っこにある差別意識を解消して、ひとり一人の権利を守るという立場に立っていきたい。今日は超党派の集まりだということで本当に心強く思いましたので一緒に頑張っていきたいと思います。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	三ツ林裕巳衆議院議員（自由民主党）：超党派で医療基本法を、これを絶対成し遂げること、もっと早くつくっておかなければならなかった法律です。やはり日本に医療基本法が無かったこと、このことは我々政治家はまず反省をしていかなければならないと思っています。国民皆保険制度をしっかり維持し、そして健康事業を推進して世界の中で平均寿命は世界第一位、そういった中で患者の皆様の権利そして個々の治療における患者さんの立場そういったことを医療者側もしっかり理解し、そしてこのことを後押しする法律、これが医療基本法であります。そういった意味でこの医療基本法、私は全力で応援させていただきたい。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	玉木雄一郎衆議院議員（国民民主党）：すべての人があらゆるライフステージにおいて尊厳ある生き方ができる仕組みづくりがこれまで以上に大切になっていると思います。医療基本法と、もっともベースになるすべての国民が等しく医療にアクセスできるということをしっかり確保していくということがこれまで以上に重要になってくなと思いますので、私たちは与党野党関係なくしっかり取り組んでいきたいと思います。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	安藤高夫衆議院議員（自由民主党）：ハンセン病の人権問題の委員会に私も病院協会の代表でずっと一〇年近くやらせていただきました。やはり憲法と個別法の間の基本法というものをきちっと作ってハンセン病とかそういうものだけではなくて、今後の医療のあり方というものをきちっと明示していくということが必要ではないかと思っています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<img align="left" height="146" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/9611fbdb-dcc8-4421-8851-e12d7d0a27b8" vspace="4" width="155" />この院内集会の時点で、既に羽生田議員を事務局長とした超党派の議連結成の動きが始まっていたようですが、それが具体化したのが、二〇一九年二月六日のことでした。</p>
<p>
	この日行われた議連設立総会では、尾辻秀久参議院議員（自由民主党）を会長に選出した後、長谷川美枝子さん（患者の声協議会）、藤崎陸安さん（全国ハンセン病療養所入所者協議会）、田中秀一さん（Ｈ&minus;ＰＡＣ医療基本法制定チーム）、伊藤たておさん（日本難病・疾病団体協議会）、桐原尚之さん（全国「精神病」者集団）、小沢木理さん（患者なっとくの会ＩＮＣＡ）、漆畑眞人さん（日本医療社会福祉士会）、洗成子さん（日本精神保険福祉士会）、横倉義武さん（日本医師会会長）、平川俊夫さん（日本医師会常任理事）が、医療基本法の必要性をそれぞれ発言しています。</p>
<p>
	その後の議連によるヒアリングの状況は前号で報告したとおりですし、五月に実施された第四回会合でのヒアリングの状況は、今号の別稿で報告される予定です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	医療基本法制定の必要性については、既に国会議員も含めたコンセンサスが形成されたといえます。二〇〇九年以来の医療基本法制定運動は、一〇年を経て、ここまできました。</p>
<p>
	その内容に、患者の権利擁護を中心とするわたしたちの主張をどれほど反映させることができるか、運動は新しい段階を迎えています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	第四回医療基本法「議員連盟」報告</p>
<p align="right" style="margin-left:22pt;">
	常任世話人　木下正一郎</p>
<p style="margin-left:22pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	二〇一九年六月一四日午前八時より参議院議員会館一〇一会議室にて、第四回「医療基本法の制定にむけた議員連盟」が開催されました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	ヒアリング</p>
<p>
	議連より医療を受ける立場の三団体に対するヒアリングが行われました。意見を述べたのは、認定ＮＰＯ法人日本アレルギー友の会理事長武川篤之さん、医療過誤原告の会会長宮脇正和さん、全国ハンセン病療養所入所者協議会事務局長藤崎陸安さんです。</p>
<p>
	武川さんは、国民生活に多大な影響を及ぼすアレルギー疾患を解決すべき社会課題として捉え、関係者とともに啓発活動をしてきた立場から、アレルギー患者が幸福で・尊厳ある・充実した生き方ができる社会の実現を最終ゴールとして目指していることを表明しました。アレルギー疾患は全身疾患であるとともに、患者でなければ分からない苦しみ・つらさを抱えた慢性疾患であること、そのため、各科に行っても各科だけでは対応できず、特に成人の場合はどこに行ったらよいか分からず、医療を受けても満足感を得られにくい状況にあることを説明しました。患者意識の変化・価値観の多様化、社会構造の大きな変化があり、今後もアレルギー疾患患者に対する医療体制が守れるのか、危惧しているとのことでした。アレルギー疾患対策基本法が成立し、二〇一五年一二月二五日に施行されたものの、これだけでは医療体制を守ることができないであろうと考え、医療基本法を成立させてもらい、アレルギー患者の医療を前進させ、ゴールを目指したいと表明しました。</p>
<p>
	宮脇さんは、医療事故被害者・遺族の立場から、医療事故は人を選ばず発生し、ひとたび医療事故が起きると、どんな方であっても医療機関と対立する状況に陥りうまく話し合いを進められず、このような状況が被害者・遺族を苦しめていることについて説明しました。二〇一五年一〇月に医療事故調査制度ができ期待していたが、現実は医療事故報告の数は少なく、かたや医療裁判は減っておらず医療事故被害者・遺族の苦しみが続いていると感じていて、医療事故の経験を次の再発防止に生かさなければならないとの意見を述べました。この点、二〇一八年四月に開催された第三回閣僚級世界患者安全サミットで各国から医療事故死亡数の報告があったにもかかわらず、日本は報告できず、いまだ医療事故の実態調査もできていないとの発言もありました。また、医療事故が起きると、被害者の家族も経済的・精神的に苦しい立場に立たされるので、家族に対しても配慮しバックアップする医療・行政が必要であると訴えました。さらに医療機関側にも医療事故に向き合える環境作りが必要であるとの意見を述べました。最後に、医療事故が起きると、ともすると医療者と医療事故被害者が対立しがちになるところ、医療安全・再発防止に向けてともに力を発揮する土台となる法律として、早期に医療基本法を成立させてもらいたいと述べました。</p>
<p>
	藤崎さんは、全国ハンセン病療養所入所者協議会が、ハンセン病療養所入所者の人権を確保するために活動してきたこと、日本におけるハンセン病問題の歴史を省みると、本来保障されてしかるべき患者の権利が、徹底的に蹂躙されてきた歴史であったことを説明しました。そして、らい予防法が廃止され、その違憲性が司法判断によって確定した今日においても、問題の根底にある、患者の権利の軽視は続いていることを訴えました。すなわち、療養所は医療施設とは名ばかりの収容所であり、患者の権利がなかったこと、いまだ改まっていないことがあることを述べられました。たとえば、病気にかかった際、療養所にいる医師の診察しか受けられず患者には医師を選ぶ権利がなかったが、いまや療養所内にそもそも医師がいないという現状があり、入所者が求める医療を受けられない状況は現在も続いているとのことでした。ハンセン病問題の検証会議の提言に基づく再発防止検討会が、公衆衛生政策による人権侵害の防止策として、患者の権利擁護を中心とした医療基本法の制定を提言しましたが、医療基本法ができることによって少なくとも患者の意思を尊重した医療が受けられること、これが権利になることが重要だと考えており、一日も早く成立してもらいたいと訴えられました。そして、自分たちが生きている間に権利が行使できる状況になることを願っているという言葉で締められました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	質疑応答、意見交換</p>
<p>
	その後、質疑応答、意見交換が行われました。</p>
<p>
	自民党衆議院議員の石崎徹議員が、宮脇さんの医療事故に関する報告を受けて、厚労省に対して、医療事故につき現在どのような対策をしているのか、現状に対してどのように考えているのか、全国でどの程度医療事故が発生しているのかを質問しました。厚労省医政局総務課の中沢氏が出席していましたが、手持ちの資料で把握できないので、確認の上、返答するという回答にとどまりました。これに対して、羽生田俊事務局長から、事故調査制度について説明ができないか、自民党参議院議員の古川俊治議員から、医療事故が何件かくらいは分かるでしょう、という問いかけがありましたが、これにも答えられませんでした。</p>
<p>
	羽生田事務局長は、ヒアリング団体に対して、医療基本法だけでは足りないのではないかという意見についての補足を求めました。これに対し、宮脇さんより、医療機関側と医療事故被害者とがコミュニケーションを図ることのできる場というのが必要と考えていること、その実現のためには厚労省や各自治体が果たす役割が大きいこと、今の医療事故調査制度の見直しが必要であることなどが説明されました。そして、医療基本法ができることによって行政が責任をもってこれらを後押ししていくべきであると訴えました。鈴木利廣弁護士からは、患者の権利を土台にした医療制度においては、患者の権利が侵害されることを防止したり、侵害された権利が事後的に回復・救済される仕組みがあることが大事で、こうした仕組みをつくる根拠を医療基本法に設けることが必要と考えている、その上で医療基本法の下に医療事故に関する制度とか医薬品の安全性に関する制度等、様々な個別法を置いていくことが必要であるという考えを示しました。また、藤崎さんは、平成二〇年にハンセン病問題基本法（ハンセン病問題の解決の促進に関する法律）がつくられて、国と地方公共団体の責務が定められているが、これが十分でないこと、ハンセン病患者が医療を受けるときに診療拒否をされるケースが多く、住んでいる地域の中で普通に医療を受けられる権利を確立してもらいたいことを訴えました。</p>
<p>
	<img align="left" height="108" hspace="4" src="blob:http://kenriho.org/7881ab91-42b2-4289-9757-a39ef7fbc3c8" vspace="4" width="88" />共産党参議院議員の小池晃議員は、まず、医療事故の問題について基本的なことを医政局総務課の者が答えられないというところに、現在の医療行政の医療安全に対する関心の低さ、取り組みの弱さが表れている、医療基本法に医療の安全、国民が医療を受ける権利を有することをしっかり書き込むことが様々な施策を進める上で大事だと実感していると述べました。その上で、国民に安全な医療を受ける権利がある一方で、医療者側からすると高度な医療、完治を目指す医療の中で一定の危険性があると思う、両者をどういうふうに両立させていくかということが大事になってくると考えるが、これに対して、どのように整理しているか聞きたい、との質問がありました。続けて、古川議員より、外科学会では手術をすべて登録することで自分の技量をはかることができるが、そういう取り組みをするには患者の情報を広く使わせてもらわないといけない、一方で患者のプライバシーの問題がある、公益のためには患者の情報を広く使わせてもらいたいと思っているが、その点について、どのように考えるかという質問がありました。</p>
<p>
	まず小池議員の質問に対して、鈴木弁護士が、「安全を含めた最善な医療を受ける権利と自己決定権はそれぞれ別の機能をもっていると考えられてきたが、自己決定において危険情報を医療者側と患者側とで共有することによって安全性が向上する。その意味では法律的には実体的な権利と手続的な権利をうまくリンクさせていくべき。最近の医療事故の分析の中で、患者・家族との間で危険情報を共有できなかったことによって事故に至ったのではないかという観点、インフォームド・コンセントに関する分析を膨らませながら、再発防止につなげるように指摘している。」と答えました。古川議員に対しては、「産科医療補償制度において、個人識別情報をブラインドにするのは当然であるが、さらにそれを超えて医療機関や家族の同意を得なければ事故情報を開示できないという取り扱いにしている。事故情報は公益的な医療制度の中で発生している情報であるので、公益的な情報として適切に使っていく、そういう意味で医療情報は、個人情報の中で特殊な情報なのではないか、と考えており、この点も医療基本法制定にあわせ見直していくことが必要である。」という意見を述べました。</p>
<p>
	また、武川さんは、現在の医療体制の中に現状とマッチングしないところがあること、ヘルスリテラシーという考えの中で、患者も医療者も同じ土俵の上にたって理解を進めていくこと、医療の中で個人情報をどう扱うかを決めなければならないこと、現状の医療制度の中で、どこにも入らないようなことが多くなっており、医療基本法を定めてもらって、医療者、患者、行政など国民全体で話をしながら、前に進めていくことが重要であることを述べました。</p>
<p>
	日本医師会常任理事平川俊夫氏は、医療情報は重要な情報で多くを社会に還元して、医療事故の再発防止につなげられるようにすることが重要であると考えていると述べました。</p>
<p>
	参議院議員の小西洋之議員からは、医療基本法共同骨子七項目の「国民参加の政策決定」（患者・国民が参加し、医療の関係者が患者・国民と相互信頼に基づいて協働し、速やかに政策の合意形成が行われ、医療を継続的・総合的に評価改善していく仕組みを形成する。）について、具体的にどのような方法を考えているのか、構想はあるか、という質問がありました。これに対し、鈴木弁護士が、「肝炎対策基本法では中央と各都道府県に協議会を設けて、都道府県の肝炎対策協議会では八割くらいは肝炎患者を入れていただいくという形になってきている。また、一人だと発言しにくいという方がいるので、患者もなるべく複数いて、お互いに発言し合っていき、発言しやすい雰囲気をつくっていくということが重要と考える」と答えました。武川さんからは、「特に各都道府県の審議会では患者が入っていなかったり、入っていても一人である。資料も会議の場で出されたりするが、その場で出されても対応できない。」という補足説明があり、当事者意見をどう吸い上げられるかを制度の中に組み入れていくこと、各都道府県では地域格差があるので国が指針を作って各都道府県に下ろしてもらうことが必要だという考えが示されました。</p>
<p>
	羽生田事務局長が、「医療事故ではなくて、医療基本法という立場で何かございますか。」と厚労省に投げたところ、「あの、大変申し訳ありません。準備不足でございまして、あのう&hellip;」という答えでした。議連メンバーより「感想でもいいから。」「がんばりますとか、ないの。」と言われると、厚労省健康局がん疾病対策課の伊藤氏が、「私も小児科医ですが、四月から官民交流ということで、アレルギーの専門家として今アレルギーのことに関わっています。今日、アレルギーの話ですとか、医療事故の話ですとか、聞かせてもらいました。今日の話を厚生労働省に持って行きまして、担当にお伝えします。」と答えました。</p>
<p>
	患者の視点で医療安全を考える連絡協議会の永井裕之さんからは、医療は全国民がお世話になり、交通事故死より医療事故死の方が明らかに多いにもかかわらず、医療事故の問題、病気の問題について気にしていない国民がほとんどであり、ほとんどの患者はお任せ医療になっていて、患者側から本当に参画するという意識がまだないという現状・問題の指摘がありました。その上で、文科省も含めて、医療基本法を制定しながら、国民レベルで小さい頃から医療に関心を持たせ大きな問題があることを教育していくことが必要であるとの意見が述べられました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	閉会</p>
<p>
	最後に、尾辻秀久議連会長より閉会のあいさつがありました。「基本法は思い切り美しく作り、全会一致を目指す。このような話をしたのは、個別の法律を作る話が出たからである。議論はいろいろあるが、そのことは置いておいて、とりあえず基本法を作ることが重要である。基本法ができてスタートさせれば、それでも物が生まれていくし、一〇年もたてばここまでになっているのか、というふうになる。」という話がありました。そして、是非基本法を成立させたいと思うので、よろしくお願いします、という言葉で締めくくりました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	個人情報保護法制のはなし</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	第二回　カルテ開示をめぐって</p>
<p align="center" style="margin-left:16.45pt;">
	〜この問題だけでもこんなにややこしい</p>
<p align="right" style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p align="right" style="margin-left:16.45pt;">
	神奈川　森田　明（弁護士）</p>
<p align="center" style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　〈略語〉</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・個人情報の保護に関する法律&rarr;「個人情報保護法」「個情法」</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律&rarr;「行政機関個人情報保護法」「行個法」</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律&rarr;「独立行政法人個人情報保護法」「独個法」</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	カルテ開示の二つのバックボーン</p>
<p>
	今日では、医療機関に自分の診療記録の開示を求めれば応じてもらえることが当たり前になっています。実際には、そうしたくても気兼ねして言い出しにくいとか、病院側が理不尽に制限してくるようなこと（高額の手数料を求められることもあります。）がなくはありませんが、少なくとも制度的には、「診療記録は患者に開示すべきもの」であることは確立しています。</p>
<p>
	一九九〇年代初めころまで、自分のカルテを入手するにも証拠保全や送付嘱託など訴訟を前提とした手続きによるしかなく、多くの医師・医療機関が「診療記録は患者本人に見せるものではない」と堂々と言っていたことに比べると大変な違いです。</p>
<p>
	その後、患者がカルテを見ることができないのはおかしいじゃないか、という声が高まり、「医療記録の開示を進める医師の会」、「医療記録の公開・開示を求める市民の会」などができました。患者の権利法をつくる会でも、一九九七年二月に、「カルテ開示〜自分の医療記録を見るために」（明石書店、一五〇〇円）という本を出版し、カルテ開示を患者の権利として確立する必要性を訴えました。後述するように国の動きも始まりました。</p>
<p>
	こうした関係者の「多年にわたる努力の成果」として、カルテ開示は認められるようになりました。ただ、カルテ開示を実現する制度とその理論的根拠には二つの流れがあり、そのことが十分理解できていないために現場での混乱が絶えません。いわば一つの馬車を牛と馬が一緒に引いているようなもので、馬車だか牛車だかわからない状態になっているということです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	個人情報保護制度に基づく開示</p>
<p>
	根拠の一つは個人情報保護制度です。前回述べたように、個人情報保護制度の重要な内容として、本人開示請求権があり、医療機関に個人情報保護制度が適用されることになると、結果的に「診療記録についても」本人からの開示請求ができるようになります。</p>
<p>
	まず、個人情報保護条例が制定されることで、その自治体が設置した病院では、カルテも行政文書となるので、カルテの本人開示請求が可能になります。前記「カルテ開示」では、一九九〇年代初めに神奈川県が県立病院で条例に基づく請求とその後の不服申立てにより診療記録を開示するに至るケースが紹介されています（同書八九頁以下）。</p>
<p>
	国については、旧行個法では、本人開示請求権の定めはあったものの、なんと医療情報については包括的に適用外とされていたため、この法律によるカルテの入手は困難でした。二〇〇三年に制定された現行の行個法・独個法になってようやく請求できるようになりました。</p>
<p>
	そして、同時に制定された個情法が民間事業者に開示の義務付けをしたことにより、民間の医療機関も開示の義務を負うようになりました。付け加えると、二〇一五年の改正でこの開示請求に応じなかった場合、裁判を提起できることが明記されました。</p>
<p>
	こうした、個人情報保護法制に基づくカルテ開示には、おおむね次のような共通の特徴があります。これはカルテ開示に限らず、本人開示請求一般と共通の仕組みです。その内容は次のようなものです。</p>
<p>
	〇開示請求ができる者</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	<img align="left" height="115" hspace="4" src="blob:http://kenriho.org/dce3170a-f0c1-4687-86e3-9fc1806f736c" vspace="4" width="130" />本人又はその法定代理人（民間事業者に対しては任意の代理人も可）に限られます。遺族についてはその遺族自身の情報と言えるような場合（診療情報で言えば、医療過誤による損害賠償請求権をその遺族が相続したような場合）でなければ請求できません。</p>
<p>
	〇開示を拒むことができる場合</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	厄介なことに、適用される法律により異なります。</p>
<p style="margin-left:25pt;">
	・民間事業者の場合、個情法の定めにより、「本人又は第三者の生命、身体、財産その他の権利利益を害するおそれがある場合」「当該個人情報取扱事業者の業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合」「他の法令に違反することとなる場合」の三つです。</p>
<p style="margin-left:25pt;">
	・行個法、独個法では、情報公開法と平仄を合わせていることから、多数の不開示規定が置かれています。行個法について、要約して紹介します。「開示請求者の生命、身体、健康、生活又は財産を害するおそれがある情報」「開示請求者以外の個人に関する情報&hellip;」「法人その他の団体等に関する情報で法人等の正当な利益を害するおそれがあるものなど」「開示により国の安全が害される情報など」「開示により犯罪の予防等公共の安全等に支障を及ぼす情報など」「審議、検討、協議に関する情報」「開示することにより事務・事業の適正な執行に支障を及ぼす情報」の七項目です。</p>
<p style="margin-left:25pt;">
	・個人情報保護条例の不開示規定は行個法に近い構成ですが、条例ごとに異なります。</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	これらの法律や条例の不開示規定は、実際には診療記録については適用する余地がないものも多く、見かけほど異なるものではないのですが、開示不開示の判断の基準が違うのは混乱のもとです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	インフォームド・コンセントに基づく開示</p>
<p>
	インフォームド・コンセントの考え方は本人に診療情報を知らせることが前提ですから、個人情報保護の仕組みと重なるところがあります。また、臨床研究をはじめとする各種のガイドラインには個人情報取り扱いについてのルールも含まれています。ただしそれは医療者の倫理としての位置づけで、患者の権利という視点は強くありませんでした。インフォームド・コンセントが患者の権利の一環に位置づけられることにより、この観点からする本人開示も権利性を持つことになってきますが、この流れからは、カルテ開示を具体的な権利として認めることについては抵抗が強いのです。</p>
<p>
	それでも、まず、一九九七年六月には関係官庁の通達によりレセプトの本人開示が実施されるようになりました。</p>
<p>
	そして、一九九八年六月には厚生省の「診療情報の活用に関する検討会」が報告書を公表し、カルテ開示の法制化を提言しました。</p>
<p>
	このころからいろいろなグループ（日本医師会、国立大学付属病院、国立病院、自治体病院（例えば都立病院）などのくくり）でガイドラインによるカルテ開示が実施されるようになりました。自主的にカルテ開示を実施するようになったわけですが、それは、法的義務にすることだけは回避したいとの思惑もあってのことでした。</p>
<p>
	結局、「診療情報開示の法制化」については医療審議会で議論するところまでは行ったものの一九九九年六月に見送りが決まりました。</p>
<p>
	その後、二〇〇三年九月に厚労省は「診療情報の提供に関する指針」（「診療情報提供指針」）を公表しました。これは内容が微妙に異なる様々なガイドラインを整理し、医療機関の設立主体を超えて診療情報の取扱い（本人への開示、第三者への提供）について共通のルールを設けたものです。</p>
<p>
	ただし、これは医療機関にカルテ開示の法的な義務を課したものではありません。むしろこれも法制化を阻止するためのものといえます。それでもすべての医療機関を対象とするカルテ開示の指針が示されたことには大きな意味があります。</p>
<p>
	診療情報提供指針は、まず、その目的として、「インフォームド・コンセントの理念や個人情報保護の考え方を踏まえ&hellip;医療従事者等が診療情報を積極的に提供することにより&hellip;医療従事者等と患者等とのよりよい信頼関係を構築すること」を挙げています。</p>
<p>
	診療情報開示の仕組みは次のようなものです。</p>
<p>
	〇診療情報提供の方法</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	口頭による説明、説明文書の交付、診療記録の開示の三つを挙げています。患者とコミュニケーションを取って、信頼関係が築けるなら、必ずしも診療記録そのものの開示に限らない、という考え方です。もっとも、患者が診療記録の開示を求めた場合には開示により対応しなければなりません。</p>
<p>
	〇開示を求めうる者</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	患者本人、法定代理人、任意後見人のほか、「患者本人から代理権を与えられた親族及びこれに準ずる者」「患者が成人で判断能力に疑義がある場合は、現実に患者の世話をしている親族及びこれに準ずる者」です。</p>
<p>
	○遺族に対する提供</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	さらに注目されるのは、遺族に対する診療情報の提供が明記されていることです。まず「医療従事者等は、患者が死亡した際には遅滞なく、遺族に対して死亡に至るまでの診療経過、死亡原因等についての診療情報を提供しなければならない」としています。これは、遺族からの求めがなくとも必要なこととされているのです。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	そのうえで、患者の配偶者、子、父母、及びこれに準ずる者について、診療情報の開示を求めることを認めています。ただし、「（死亡した）患者本人の生前の意思、名誉等を十分に尊重することが必要である。」としています。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	遺族から開示を求めることについては、個人情報保護制度の法律、条例では前記のように極めて例外的にしか認められませんから、制約はあるにせよこれを認めたことは大きな意義があります。</p>
<p>
	〇提供（開示）を拒むことができる場合</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	診療情報の提供が「第三者の利益を害するおそれがあるとき」と「患者本人の心身の状況を著しく損なうおそれがあるとき」を挙げています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	現場の混乱</p>
<p>
	医療機関としては、カルテ開示を求められたとき、もともとその医療機関が制定していたガイドラインにより受け付けるのか、診療情報提供指針に基づく申出として受け付けるのか、個人情報保護法・条例に基づく請求として受け付けるのかにより、適用される不開示事由などが異なるわけですが、このことは現場で十分に意識されているわけではありません。</p>
<p>
	内閣府情報公開・個人情報保護審査会の平成一四年（行情）諮問第五七号にかかる答申「国立がんセンター中央病院における本人に係る診療記録の不開示決定に関する件」は、現場の無理解を象徴するようなケースです（答申の全文は総務省の情報公開・個人情報保護審査会答申データベースで検索できます）。</p>
<p>
	この事案では、情報公開法に基づくカルテの開示請求を受け付けた上、「（情報公開法では）個人に関する情報は不開示情報となっておりますので&hellip;該当となりません。また、当センターでは、受療中の患者さんに対してのみカルテ開示を行っておりますので（申請には対応できない）」として開示を拒んでいます。</p>
<p>
	<img align="left" height="89" hspace="4" src="blob:http://kenriho.org/fead8d16-c624-44ed-bbe2-87b999912f94" vspace="4" width="121" />たしかに情報公開法ではカルテは不開示とされますが、そのような場合、行個法により開示請求すれば可能性があることを案内すべきとされています。また「当センターでは、受療中の患者さんに対してのみカルテ開示を行っております」というのは、ガイドラインがそうなっていれば（そのこと自体も問題ですが）ガイドラインにより請求された場合に不開示とする理由にはなっても、行個法や情報公開法による請求についてこうした理由で拒否することはできません。つまり、同病院では情報公開法、行個法、ガイドラインの関係の整理がされていないままに運用したためにこうしたお粗末な対応になったものです（答申は理由の記載に不備があるので取消すべきとしました）。</p>
<p>
	このケースでは答申という形で明るみに出たのですが、表面化しないままに混乱した運用がされていることは珍しくないと思われます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	開示に応じてくれないケースなどへの現実的な対応</p>
<p>
	カルテの開示に応じてくれない、という相談を受けることもあります。私が接した範囲での印象ですが、不開示事由に該当するとして拒むことはあまりなく、「開示するとまずいことになりそうだ」、といった考えから「超法規的」？ に開示を渋っているものが多いように感じます。</p>
<p>
	例えば、医療機関に対するクレームの一環としてカルテ開示を求めていると医療機関側が感じている場合です。クレームといっても、医療過誤を疑う場合に事実経過や病院側の認識を知るために開示を求めることは正当な権利行使であり、医療機関に損害賠償責任があるかを調べるための開示請求を、そのことを理由に拒むことはできません。</p>
<p>
	他方、本当に理不尽なクレームのなかで「記録はもっとあるだろう」「ここに書いてあることはおかしいから正しいカルテを出せ等」等と言って開示請求を繰り返すようなことは、権利濫用といわれても仕方ないかもしれません。</p>
<p>
	ただ、病院が一方的に決め付けたり、誤解していたりする場合もあるので、誤解であれば請求者側がそれを解くための対応をした方がよい場合もあります。</p>
<p>
	もうひとつよくあるのは、診療情報提供指針により、親族や遺族から開示が求められたが、親族間、遺族間で対立がある場合に、特定の人に開示することをためらうケースです。親族や遺族の「全員の合意がなければ開示しない」といった対応もあるようです。医療機関がこんなことを求める根拠はありませんが、紛争に巻き込まれたくないと考えることを一概に非難はできません。可能であれば開示を受けること自体については関係者で合意して、医療機関が及び腰にならないような状況にしておきたいところです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	まとめ</p>
<p>
	いろいろな制度の話をしたので、一体何を根拠に請求するのが一番よいのか、かえってわかりにくくなったかもしれません。</p>
<p>
	一般的に言えば、まず、すべての医療機関に適用され、遺族からも請求できる、診療情報提供指針に基づいて開示を求めるのが無難でしょう。これに対しては、どんな医療機関でも「ウチではカルテ開示はやってません」とはいえません。</p>
<p>
	そして、それに応じてすんなり開示してこないのであれば、指針に基づく請求は権利とはいえないので、その医療機関の設立主体に応じて、個情法（民間医療機関）、個人情報保護条例（公立病院）、行個法・独個法（国立病院・国立大学病院）により改めて請求して、不服申立てや訴訟で争うことになります。（ただし、家族や遺族の立場ではこれらの法律による請求は難しい、ということになります。）</p>
<p>
	なお、実際に開示請求をするには、診療の場ではなく、その病院の一般的な相談受付窓口でカルテ開示の手続を聞いて、開示請求の用紙などをもらって下さい。窓口の理解が不十分な場合もありますが、まずそうすることからはじめましょう。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	医療基本法制定に向けての浮揚と澱</p>
<p align="right">
	小沢木理</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	「基本法」を美しく作り上げたい！</p>
<p>
	低くて太い重厚な声で、『いずれにせよ基本法をおもいっきり美しく作り上げたい！』と尾辻秀久会長は述べました。議連（医療基本法制定に向けての議員連絡会）三回目の患者・市民団体からのヒアリングの締めの挨拶です。参加者全員が拍手で呼応し、その日の会は閉じられました。</p>
<p>
	尾辻会長のそのことばの趣旨は、「基本法が出来たあとの個別の問題とかいろんな議論が当然ある。しかし異論が議論になってしまうのでもうまとまらない。だから全部そんなものは置いておこう。取り敢えず基本法を作ろう。基本法さえ作っておけば、あとはなんとかなる。そこから必ず次々ものが生まれていくので、十年経ったら『おう、ここまで来たか！』と必ずなっている。だからまず〝基本法〟を美しく作り上げたい。」というものです。同会長は、「全会一致を目指す、そのためには美しく作らないと全会一致にならない」と付け加えました。</p>
<p>
	去る二月六日(二〇一九年)、待望の議員連絡会（議連）の設立総会が開かれました。そのあと、患者団体からのヒアリングが四月一〇日、一八日、六月一四日と三回にわたって開かれたことは既にほかの方からも報告があったとおりです。設立総会とヒアリング三回で、議連は計四回開催されたことになります。</p>
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	初回のヒアリングでは、患者の声協議会、患者の権利法をつくる会、Ｈ&minus;ＰＡＣ医療基本法制定チームの三団体からそれぞれ法制化に向けての要請発言が行なわれました。</p>
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	二回目のヒアリングは、全国「精神病」者集団、私が関わる患者なっとくの会ＩＮＣＡ、公益社団法人日本医療社会福祉協会の三団体が参加し、それぞれ団体を代表して発言しました。</p>
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	三回目は、認定ＮＰＯ法人日本アレルギー友の会、医療過誤原告の会、全国ハンセン病療養所入所者協議会の三団体が発言しました。</p>
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	この間全体を通して、鈴木利廣弁護士（当会常任世話人）が議連と患者団体とのコーディネート役を務めてくださったり、質疑でのフォローを担っていただいたことは大変心強いものがありました。</p>
<p>
	初回と二回目の内容については前号に、三回目については今号に木下さんから報告されていますので、それぞれの詳細については省きます。</p>
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	この先、何らかの形で駒を進められるとは思いますが、どのような方向になるのかはまったく検討がつきません。現時点で議連に登録している議員の名さえ一部の方を除き知らされていません。ヒアリングで意見を述べた者にしてみたら、その先の向こうはまったく様子の分からない異空間でそこに自分たちの声を投げ入れたかのような先の見えない戸惑いの中にいるようでもあります。</p>
<p>
	〝美しく〟とはどういう美しさなのか、しばらく思いめぐらしてみたいと思います。</p>
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	&nbsp;</p>
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	当事者参加が前提</p>
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	この間、ＩＮＣＡは市民的視点から議連に向けて、「〝良いようにしてあげるから、あとは私たちに任せておきなさい！〟というのはイヤなんです。」というメッセージを届けてきました。つまり「おすわり！」「お預け！」的なのが一番耐えられないのです。そして続けて、「ゼロスタート」を訴えてきました。医療における法律の大前提をつくるのですから、事前の席取りは不正になります。既に席取りが始まっているようであれば、基本法は曇り状態か色付き状態か、既にバイアスがかかった状態から築かれることになります。</p>
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	<img align="left" height="118" hspace="4" src="blob:http://kenriho.org/8006107b-b5ed-402b-93ce-dcd9a8c90477" vspace="4" width="141" />これまでヒアリングに参加した団体の大多数が、いわゆる七団体の共同骨子でも掲げている〝国民参加の政策決定〟は不可欠な条件だとしています。</p>
<p>
	各団体は、患者・国民が参加して医療政策の合意形成が行われること（患者の声協議会）、医療政策全般における政策評価機能の新設とそこへの患者団体の参画の保障（全国「精神病」者集団）、患者・国民が参加して医療政策の合意形成が行われることを担保する条項を盛り込むこと（日本アレルギー友の会）といった表現で要請しています。政策決定での〝国民参加〟は絶対に譲れない条件となります。</p>
<p>
	一方、三回目のヒアリングで、議連の一員でもある小西洋之参議院議員は、「患者・国民の声を医療基本法の政策に反映させて行くための仕組みについて具体的な構想はあるか」という質問をされました。まさに「それ」「そこ」です。今は理念ありきで、具体的で望ましい参加のあり方が見えてきません。</p>
<p>
	それに対し鈴木弁護士は、患者・国民の声を医療基本法の政策に反映させていくための〝仕組み〟についてではありませんが、当事者の声の〝把握・聴取するあり方〟について、薬害肝炎の取組における肝炎対策策基本法の例を挙げ、「各都道府県に協議会を設けてのレビューでは、八割くらいは肝炎患者の人を入れていただいた」という例を示しました。</p>
<p>
	また、「多数決原理の考え方も真の意味では民主主義とはいえない。より全員一致に近付けるのが望ましい。しかし、時間などの制約から苦渋の選択として多数決原理を使わざるを得ないが、そのときも少数者の意見を切り捨てるのではなく、できるだけ少数者の意見を多数決の中に組み込むという努力をすることによってより全員一致に近付くようになるのではないか。両論併記という形もある。いわゆる多数決原理を既存の価値にするのではない議論の仕方もある」と答えました。</p>
<p>
	実際、稀少難病患者や声を出しにくい条件下にある人々の声は排除されてしまいがちです。少数派の存在自体は認めてもいざ多数決原理の前ではカウントされないか、どこかに吸収されたり埋没させられたりしてしまいます。</p>
<p>
	多数決では、強者、弱者の関係が際立つことがよくあります。経済的・社会的地位など力の格差によって決定権を左右する強者の論理となることが少なくありません。</p>
<p>
	「障害者の権利に関する条約（障害者権利条約）」は、「わたしたちのことを、わたしたち抜きで決めないで！」を合い言葉に世界中の障害者が参加して作成されました。</p>
<p>
	二〇〇六年に国連で採択をされ、二〇一四年に日本政府が批准（条約に書かれたことを守ると約束をする事）しました。</p>
<p>
	実は、声を出せない人、声を上げられない人のほうが、問題が健在化して認識されている人たちよりずっと多くいても不思議は無いと思います。データを拾っていないだけ。社会に表面化しているのは、ほんの上澄みなのかもしれません。そう考えると、法律をつくる時の目線の位置は低くし、三六〇度の視野が必要になります。</p>
<p>
	生活者、患者、医療被害者、そういう当事者の問題を、優遇された既得権益者が狭量な学識という物差しで仕切ってもらっては困るのです。</p>
<p>
	七月の参議院選挙で、重度の障がいのある方を二名国会議員としてはじめて実現させたのがれいわ新選組です。まさに当事者参加の理念を実現させた画期的な先駆例です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	根っこは『貧困』</p>
<p>
	医療基本法は、医療における憲法二五条の生存権と憲法一三条の幸福追求権の具現化であるというのが共通認識とするならば、あまねく方の医療を受ける権利の保障が担保されるべきです。ＷＨＯ憲章でも、「健康を享受することは、万人がもつ基本的な権利のひとつ」としています。そして、「健康」の定義として、「単に疾病や病弱でないことをいうのではなく、心も体も社会的にも健康であることである」としています。</p>
<p>
	では、この〝社会的に健康である〟とは一体どういう意味なのか、このことについて私たちは掘り下げて考えてきた記憶がありません。しかし、よくよく考えてみたら、この〝社会的に健康〟という状態こそが、憲法二五条の生存権と憲法一三条の幸福追求権の内実を指しているともいえます。〝医療を受ける権利〟という理念については受け入れられ易いが、その権利が保障されるために必要な〝社会的な条件を整えられる権利〟についてまでは想定されていません。医療そのものではないからと捉えるからでしょう。実際、医療を受けられない状況というのは、非常に様々なケースがありそれらをすべて挙げて説明するのは困難ではあります。しかし、そのうちの大多数は『貧困』が起因しています。「えーッ、貧困問題まで持ち出すのー」と思うかもしれません。「医療費が膨張し続けているのに、屁理屈を並べて生活の福祉までを医療と関係づけるなよ！」と。</p>
<p>
	しかし、考えてみれば、いろいろな仕切りというものは管理するための方策として生み出されたものです。一個体の人間を、管理上、便宜上分断されたシステムにあてはめただけです。ですから、生命活動としての連携がうまく行かない。現状はシステムとシステムの間を繋ぐものが無いか、あってもさまざまな問題があり機能していないことが殆どです。</p>
<p>
	特に今、重要なこととして、このシステムとシステムを繋ぐ〝間〟をどれだけていねいに埋めていけるかが求められています。まず、これまでは明確に認知しようとしなかった、このシステムとシステムを繋ぐ〝間〟に存在するものをしっかり把握することから始めなければなりません。例えば医療と介護、福祉などは至近距離の関係であり問題がたくさん介在しています。</p>
<p>
	〝社会的に健康〟という捉え方は、生存に関わる全ての根底にある価値観ともいえ、これまでは、この視点への重要度認識と取組が希薄でした。</p>
<p>
	個人の生存に必要な条件として種々の制度が作られるけど、人間は一体的・総合的な存在ですから、区分けされたシステムでは対応不十分でカウントされない部分が出て来ます。つまり〝社会的に健康〟とは、生きるに必要な状態が得られることを意味するのではないでしょうか。</p>
<p>
	七団体の共同骨子にもある、病気や障がいによって差別されない権利なども〝社会的に健康〟である条件のひとつに入ると思いますが、やはり圧倒的に多数を占めている問題が「貧困」による健康侵害です。生命活動自体が維持困難な人にとって、収入が無い、あるいは低収入でどうにも生活できない、自助共助に限界が来ているといった状況は、〝社会的に不健康〟そのものです。これらの問題は、福祉の問題であって医療の枠外であるというのが一般的な理解です。貧困者には医療を受ける以前の状態であっても、病気を抱えこみやすくなっていたり生命そのものが危機的状態にある人もいます。しかし生命や健康の問題は、「医療」を受けなければ医療制度の対象とはなりません。貧困者の中には医療という園にも辿り着けない人もたくさんいます。貧困故に病み易くなる。しかし医療にはかかれない。仮に一時的に医療を受けられたとしても、無理して体力消耗の激しい低賃金の仕事に復帰するため、病は再発し易く結果として寿命の短縮を余儀なくさせられる。</p>
<p>
	<img align="left" height="125" hspace="4" src="blob:http://kenriho.org/0402a89b-13e5-4029-a71a-1aed3daba9ec" vspace="4" width="140" />医療機関にかかることができた人の場合は、社会福祉士の存在があり患者側の経済的な相談にのってくれます。制度の谷間の問題を共に考えてくれる〝社会的に健康〟への良きアドバイザーになり得る重要な存在です。しかしそれでもその先明るい結果が得られるかの保証はありません。日本は、福祉は〝施してやるもの〟だという姿勢を貫いています。極力門戸を狭め極力出し渋ります。</p>
<p>
	繰り返しになりますが、ＷＨＯ憲章では、「健康を享受することは、万人がもつ基本的な権利のひとつ」としています。そして、「健康」の定義として、「単に疾病や病弱でないことをいうのではなく、心も体も社会的にも健康であることである」としています。この理念を目標にすると、〝社会的に健康であること〟の障壁となるものの筆頭あるいは大きな理由のひとつは『貧困』であるといえます。</p>
<p>
	では〝社会的に健康〟という視点での貧困問題はどの容器に入れてだれがどこが対応するのでしょうか。福祉？　従来の福祉枠で取組むのだとしたら、貧困問題はどれくらい改善されるのでしょうか。生命や健康維持のための基本権は守られるのでしょうか。〝社会的に健康であること〟とは？　やはりこのまま混沌とした時間が流れていきそうです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	反映するとは？</p>
<p>
	尾辻会長は、ヒアリングの終盤で「みなさんのご意見をしっかり反映し仕上げて行きたい」と参加者に向かってその決意を述べました。</p>
<p>
	わたしたちの団体ＩＮＣＡからは、『〝患者が泣かない医療〟〝患者が納得できる医療〟この当たり前すぎる患者にとっての権利を保障していくために必要な「医療基本法」の作成には、ゼロからのスタートが必要だ。「基本法」を作るのだから、ゼロからスタートするというのが王道。既存の価値観や先入観、社会的既得権益者の意見の優先といったことを白紙状態にする、それがゼロからのスタートということです。つまり「土台」のありようがその上に築かれる結果を左右するために、「土台」に予めバイアスがかかっていないかなど最初に検証されなければならならない。既存のものに上塗りとか、単純にテーマの取捨選択や配置換え程度では目先の色が変わるだけになる。その上で、改めて俎上に乗せるべき問題を視野に入れ検討を重ねるべきだと考えます。』という趣旨の意見を述べました。</p>
<p>
	当然、日本医師会の案に比重が置かれることを懸念しての発言です。</p>
<p>
	新憲法により主権が国民に移ったように、医療における憲法『医療基本法』では、誰もが『民は愚か（無知）に保て』という意識から脱却する必要があります。情報の共有、学習権（知る権利）、説明を求める権利などが保障されなければ患者・市民は自己決定権を行使できません。</p>
<p>
	これまでも常に医療が政治的影響を受けてきました。双方が立場を利用しあってきたというべきでしょうか。わたしたち市民は、そういう事実を前提に、あるいは容認せざるを得ず与えられるものをおとなしく受け入れて来ました。</p>
<p>
	医療従事者たちと政治家の両者がそれぞれ独立した関係であるべきなのが、そうではなかった。これからつくる「医療基本法」が、従来からの政治的関係を一切排除することなしに作られたとしたら、それはあるべき基本法の理念に背くことになり、つくる意味はないし、もしできたとしても私たちの目標：主権者の権利回復はやはり絵空事に過ぎなかったという結果になります。それだけは避けなくてはなりません。</p>
<p>
	「それでも作っていただいただけでも感謝だ」という感想が私たちの間から出ることがあったとしたら、旧来からの階級的上下関係を一ミリ程度前に進めたかどうかの話であり実に悲しいことです。</p>
<p>
	<img align="left" height="97" hspace="4" src="blob:http://kenriho.org/c8fe5028-a177-4380-918d-7d3981e28e1f" vspace="4" width="109" />ちなみに、医療者と患者との関係が相変わらず上下関係であるのは、「強者&mdash;弱者」「施すもの&mdash;施されるもの」という階級意識を刷り込まれ、その固定関係を壊せずにきたからに他なりません。今回、「医療基本法」という共通のテーマを取り組むにあたり距離を縮めてコミュニケーションを図る機会ができましたが、それでも端緒についたばかりという印象です。この先、もっとも重要で有意義なコミュニケーションをとる機会を持てるかは未知数です。対話の機会が増えれば、双方の溝はずっと狭くなっていくと思うのですが。</p>
<p>
	医療基本法が出来たあとでも、医療者と患者とが上下関係にあるという固定観念が健在だとしたら、成立した基本法を漱ぎ直さなければなりません。</p>
<p>
	尾辻会長は、三回目のヒアリングに際し、「議員立法というのは、一遍もたつくと十年かかるという性格がある。その十年かかる方には絶対してはならない。とにかくまずは成立をさせる、それを急ぐということを考えよう。」とも話されました。そして、「基本法をおもいっきり美しいものを作る。全会一致を目指す。そのためには美しく作らないと全会一致にならない」「まず「基本法」を美しく作り上げたい」と繰り返しました。</p>
<p>
	〝全会一致を目指す美しいもの〟とは？ 素案が出てくるまでは予想もつきません。いずれにせよサプライズとなりそうです。ピコ太郎の「This is a pen」で始まる、一連のあのスタイルになるのかもしれません。Simple is the bestということだとすると、でもそれって両サイドに同じ角度で傾けられるヤジロベーとなるのではないでしょうか。</p>
<p>
	そりゃそうだ、法律は時間をかけて育成していくもの。</p>
<p>
	いずれにせよ、患者が主体で患者の権利が守られるようになる十年先には多分私はもういないでしょう。</p>
<p>
	いまは今後を期待する高揚感と山積みにされた現実的な課題という澱とが交叉する中で、近い日に何らかの動きがあるのを、やはりおすわりして〝待て〟をしています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	ハンセン病家族訴訟についてのご報告とお礼、今後のご支援のお願い</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	前号では、判決言渡期日が変更になった旨をお伝えしていたハンセン病家族訴訟、既に連日の報道でしばしば目にされていることと存じますが、二〇一九年六月二八日、熊本地方裁判所において、元患者たちの「家族」に対する国の責任を認める判決が言い渡されました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	家族に対する責任を明確に認める</p>
<p>
	<img align="left" alt="人, 屋外, 木, 空 が含まれている画像

自動的に生成された説明" height="160" hspace="4" src="blob:http://kenriho.org/a9a6c251-9222-4a3b-9053-aad31a49e6a2" vspace="4" width="238" />この訴訟の最大の論点は、ハンセン病隔離政策が、家族に対しても違法なものであったといえるか否かというところにありました。国はこれを真っ向から争いました。家族に対する偏見差別があるとしても、それは古来からある偏見が残っているに過ぎないか、あるいは国の政策に対する市民の誤解によるものであって、国はその偏見差別に対して責任を負わないというのが国の主張でした。</p>
<p>
	これに対して、判決は、らい予防法及び隔離政策により、偏見、差別意識が形成強化されたこと、そのため昭和一八年頃には、家族にハンセン病患者が存在することがひとたび知られてしまうと、警察官による取締を受けたり、「無らい県運動（自分たちの住む地域からハンセン病患者を撲滅するために住民相互がいわば監視役となり、潜み隠れている患について通報させるなどして患者を追い込んだ運動）」によって地域から排除されたりしてしまうなど、「ハンセン病患者を隔離収容しなければならないと確信する中上位階層者（地区の有力者や指導階級）による指示指導、さらに、それらの者のハンセン病患者及びその家族に対する差別的な態度の影響を受けることにより、周囲のほぼ全員によるハンセン病患者及びその家族に対する偏見差別が出現する一種の社会構造（社会システム）が築き上げられ」ていた、この偏見差別は、国のハンセン病隔離政策、特に戦時体制時の民族主義的国家主義的国家体制の下の「無らい県運動」によって作出助長されたもので、「古来存在した偏見差別とは生活を異にする偏見差別が全国津々浦々にまで根付いたといえる」としました。</p>
<p>
	そして、かかる社会構造に基づき、「大多数の国民らがハンセン病患者家族に対し、ハンセン病患者家族であるという理由で、忌避感や排除意識を有し、ハンセン病患者家族に対する差別を行い（このような意識に反する意識を持つことは困難な状況になった）」、「これら差別被害は、個人の人格形成にとって重大であり、個人の尊厳にかかわる人生被害であり、また、かかる差別被害は生涯にわたって継続し得るものであり、その不利益は重大である。そのうちでも、家族関係の形成阻害による被害は、家族との同居や自由な触れ合いによって得られたはずの安定した生活の喪失、心身の健全な発達や知性、情操、道徳性、社会性などの調和のとれた円満な人格形成の機会の喪失であり、人格形成に重要な幼少期に親が隔離された場合になどには、人格形成に必要な愛情を受ける機会を喪失し、かつ、かかる喪失によって生じた不利益は回復困難な性質のものである」、したがって、立法及び行政は、法律と政策によって作出・助長された偏見差別を解消する責任（作為義務）を負うところ、それを行わなかったとして、患者のみならず家族に対しても違法であったことを認めました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	偏見差別除去義務を認める</p>
<p>
	<img align="left" height="130" hspace="4" src="blob:http://kenriho.org/50ac79db-2446-4025-b605-38aba00f21ce" vspace="4" width="130" />また、二〇〇一年の判決は、らい予防法の廃止、強制隔離政策の廃止についての国の責任を問題としたもので、一九六〇年以降強制隔離政策を廃止しなかった厚生大臣の責任、一九六五年以降らい予防法を廃止しなかった国会議員の責任を認めたものでした。</p>
<p>
	これに対し、今回の判決では、国の作為義務は一九九六年三月のらい予防法廃止のみによって果たされたとは言えない、国によるハンセン病隔離政策等の遂行によって、家族に対する偏見差別が維持強化されたのだから、隔離政策等の遂行を先行行為として、条理上、国は家族に対する偏見差別を除去する義務を家族との関係でも負わなければならない。かつ、医学の進歩にしたがって、年々隔離政策等を廃止すべきことが明確となっており、年を追う毎にこれを放置することの不当、違法は明白になっていた。したがって、厚生大臣は、昭和三九年には、当時既に医学的知見と世間一般のハンセン病に関する認識とのかい離が生じており、社会一般のハンセン病に対する恐怖心が極めて深刻であって、強力な啓蒙活動が必要であることを認識していたはずである。それにもかかわらず、法廃止に向けた手続を取るまで、長年にわたって放置してきたことになる。したがって、厚生大臣及び厚生労働大臣には、法が廃止された一九九六年（平成八年）以降は、「より高い偏見差別除去義務が課せられる」としました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	法務大臣・文部（文科）大臣の責任を認める</p>
<p>
	さらに判決は、法務大臣及び文部大臣（文部科学大臣）の作為義務違反も認めました。</p>
<p>
	まず法務大臣の責任ですが、偏見差別の除去のためには、家族に生じている就学拒否、いじめ、就労拒否、結婚差別等の差別が、正当化することのできない不当かつ違法な差別であることを国民に周知させ、偏見差別を廃止するよう働きかける人権啓発活動が必要不可欠である。人権啓発は法務省の所掌事務であり、法務大臣は法務省の長であるから、法務大臣は、平成八年以降、職務上尽くすべき義務として、偏見差別除去義務の一内容である人権啓発活動を実施するための相当な措置を行う義務を負う、としました。</p>
<p>
	さらに、偏見差別除去にとって教育は重要であり、教育の場で偏見に基づかない正確な知識に基づいた指導がなされなければ、社会から偏見差別を除去することは困難である、として、やはり平成八年以降、文部大臣（文部科学大臣）は、小学校、中学校、高等学校の保健、社会科及び人権教育などの科目で、ハンセン病、その患者及び家族に関する授業を行い、正しい知識を教育するとともにハンセン病患者家族に対する偏見差別の是正を含む人権啓発教育が実施されるよう教育委員会や学校に指導するなどの適切な措置を行う義務を負うとしました。</p>
<p>
	これらの判断は、二〇〇一年判決と比べても大きく踏み込んだものです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	判決の問題点</p>
<p>
	他方、判決は、今なお社会内にはハンセン病患者の家族に対する根強い偏見差別があることを認めながらも、なぜか、国の隔離政策や偏見差別除去義務との因果関係がある損害を、二〇〇一年末までのものに限定し、二〇〇二年以降の被害については、国の責任を認めませんでした。</p>
<p>
	実は、原告の中には、この訴訟がはじまると知った親から訴訟への参加を促され、その際に打ち明けられて、はじめて自分がハンセン病患者の「家族」であったことを知った方が何人もいます。それは、病歴者が愛する「家族」が偏見差別の被害に遭うことを恐れて病歴をひた隠しにしてきたことにほかならず、家族に対する偏見差別の現在性を如実に示すものです。</p>
<p>
	しかし、判決は、二〇〇二年以降に自分が家族であることを知り、かつそれ以前に具体的な被差別体験のない原告については、被害との因果関係を認めず、請求を棄却してしまいました。その数は二〇名にも及びます。</p>
<p>
	原告は、隔離政策によって家族がこうむった被害を、①偏見差別を受ける地位におかれた被害、と、②家族関係の形成を阻害された被害、とに分けて主張していました。家族に対する強固な偏見差別が形成されたこと（先の「社会構造」ですね）により、家族である、それだけで、いつ偏見差別にさらされるかも知れない地位におかれている、そのこと自体が被害であり、それゆえに人生の選択肢が狭められ（就職差別、結婚差別等）、秘密を抱え込まされるなどの状況に追い込まれることの被害、そして、隔離による物理的な引き離しのほか、家族に元患者がいることをひた隠しにするなどのために、家族のあり方がゆがめられ、自然な情愛に基づいた当たり前の関係が築けないという被害です。</p>
<p>
	<img align="left" alt="テキスト, 木, 標識, 空 が含まれている画像

自動的に生成された説明" height="153" hspace="4" src="blob:http://kenriho.org/97ace156-2b05-4860-8bae-85f6b339ea37" vspace="4" width="271" />判決も、被害のこの二つの枠組みについては認め、かつ、極めて深刻な被害をこうむり、数百万の慰謝料ではとうていあがないきれない原告が存在することも認めながら、原告全員に共通する損害としては、偏見差別を受ける地位におかれた被害を三〇万円、家族関係の形成を阻害された被害については、物理的な隔離がほぼ永続していた原告についてのみ、親子・配偶者の場合は一〇〇万円、きょうだいの場合は二〇万円としました。</p>
<p>
	このため、原告の半数以上はわずか三〇万円（一割の弁護士費用を加えて認容額としては三三万円）、最高でも一三〇万円（同一四三万円）という、被害の実態に照らせば、とても低い金額になってしまいました。</p>
<p>
	さらに、判決は、沖縄における作為義務の始点を、日本復帰の昭和四七年としたために、沖縄の原告については、それ以前の被害を認めませんでした。そのために、沖縄の原告とそれ以外の原告との認容額に差が生じるという不公平な結果になっています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	控訴阻止までのたたかい</p>
<p>
	このように、判決にはいくつかの重大な問題を指摘できるのではありますが、家族たちの受けてきた被害が、国の政策によるものであったことを明確に認めたという根幹部分において、ハンセン病問題の最終解決に向けての大きなステップになる判決だと、原告団・弁護団は評価し、少なくとも一部でも認容された原告については控訴せず、国に控訴させずに判決を確定させる方針を確認し、さっそく、国の控訴を阻止するたたかいに入りました。</p>
<p>
	まずは、全国に飛んで、各地で原告に判決報告と控訴阻止を求める方針についての了解を得、七月二日には国会議員会館に赴き、各政党との会合を持ち、「ハンセン病問題の最終解決をすすめる国会議員懇談会」の総会に参加し、夕方には星陵会館で判決報告集会を持ちました。</p>
<p>
	全国から可能な限りの原告が集いましたが、この間のたたかいを通じて、原告に共感しともにたたかってくれる覚悟を固めた多数の市民の方々が、それこそ北から南まで、全国各地から駆けつけて下さったのは本当に大きな力となりました。</p>
<p>
	こうして、七月九日には総理の控訴しない旨の発言、控訴期限の七月一二日の総理大臣談話、政府見解の表明と続き、控訴させることなく、判決を確定させることができました。</p>
<p>
	この動きの中で、棄却された二〇名の原告についてどうするのかという厳しい選択を迫られることとなりましたが、国に控訴を諦めさせる以上、こちらも苦渋の決断ながらも断念し、判決確定後の政治交渉の中で、公平な、かつ家族の被害に見合った正当な補償を求めることで、棄却原告も含めて解決をはかる方針となりました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	これからのたたかい</p>
<p>
	参院選後の八月二三日、家族たちがずっと求めていた総理大臣面談、厚労大臣面談が実現し、いずれも家族原告に深々と頭を下げ、謝罪し、家族の被害の訴えに耳を傾け、これからの真摯なる取組を約束しました。</p>
<p>
	さて、家族たちのたたかいは、これで終わりではありません。新たな補償法の制定による、すべての家族への公平な補償の実現もそうですが、何よりも、ハンセン病と元患者・家族への偏見差別をなくし、ハンセン病問題にとどまらず、偏見差別を克服しただれもが自分らしく生きることのできる社会の実現をめざして、いったいどういう取組が効果的で、実現可能なのか、休むことのない取組が必要となります。</p>
<p align="right">
	その実現のためには、たくさんの市民のみなさんの後押し、共感の声が必要です。どうかこれからも、元患者・家族たちのたたかいに、あたたかい支援を、そして自ら当事者としての関わりを、よろしくお願いします。（久保井摂）</p>
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    <title>259号 - けんりほうNEWS</title>
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    <published>2021-02-15T10:48:49Z</published>
    <updated>2021-02-15T10:50:38Z</updated>

    <summary> 	【編集部より】前号でご紹介した医療基本法の制定にむけた議員連盟の設立後、既に...</summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="259号" label="259号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	【編集部より】前号でご紹介した医療基本法の制定にむけた議員連盟の設立後、既に六月一四日も含め、四回の会合が開催されています。今回は、第二回、第三回の議連におけるヒアリングについて報告するとともに、小林展大さんの報告とダブる感はありますものの、第二回議連における当会事務局長の発言原稿を掲載しました。第四回以降の動きについては、次号でご報告させていただきます。</p>
<p>
	「医療基本法の制定にむけた議員連盟」　第二回の報告</p>
<p align="right">
	川崎市　小林展大（弁護士）</p>
<p>
	第二回議員連盟の開催</p>
<p>
	二〇一九年四月一〇日、参議院議員会館一〇一会議室において、第二回「医療基本法の制定にむけた議員連盟」の会合が開催され、患者団体のヒアリングも実施されました。</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	&nbsp;</p>
]]>
        <![CDATA[<p style="margin-left:10pt;">
	<br />
	開会・会長挨拶・役員承認</p>
<p>
	当日、私は、参議院議員会館の通行証を渡す役割があったため、約十分遅れて患者団体ヒアリングに参加しました。そのため、冒頭の約十分については、詳細は把握できておらずその報告は割愛します。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	患者の権利法をつくる会のヒアリング</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	⑴　私も所属している患者の権利法をつくる会は、医療基本法制定にむけた議員連盟に対し、「患者の権利擁護を中心とする医療基本法制定に関する要請書」を事前に提出しました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	そこには、要請の趣旨として、「安全かつ質の高い医療を受ける権利」及び「患者の自己決定権」等を国民に保障し、その権利を実現するため、医療提供体制及び医療保障制度を整備する国・地方公共団体をはじめとする関係者の責務を明らかにする法律を、日本の医療制度全ての基本法として制定することを要望する旨が記載されています。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	<img align="left" height="176" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/11f9d01a-d015-4621-a094-9d19d58507a6" width="134" />また、要請の理由として、医療は、人々の幸福追求権と生存権の実現に必要不可欠なものであり、医療制度は、それらの基本的人権を擁護するためにこそ存在することから、「安全かつ質の高い医療を受ける権利」及び「患者の自己決定権」は、医療にかかる基本的人権として理解されるべきものであること、多くの国が患者の権利についての法律を制定していること、上記医療にかかる基本的人権を国民及び医療にかかわるすべての関係者の共通認識とし、その権利を実現しうる医療制度と、その権利が侵害された場合に、速やかにその救済が図られ、再発防止策が講じられる制度の構築が求められること、医療政策の決定過程においては、患者が参画する仕組みの整備も必須であること等が記載されています。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	⑵　議連においては、患者の権利法をつくる会小林洋二事務局長から、医療提供者と患者との間の信頼関係を構築するためには、患者の権利を双方の共通認識とし、医療提供者が患者の権利を擁護するためにその責務を果たすことが必要になること、医療提供者には医療にかかる基本的人権を擁護するという重要な責務があり、医療にかかる基本的人権を擁護していくことは医療提供者の人権を守ることにもなること（言い換えれば患者の権利擁護を医療制度の根底に据えることにより、医療提供者の権利を守ることの重要性を社会の共通認識とすることができること）、患者の権利法をつくる会では諸外国の法律、条約等を参照して医療基本法要綱案を作成したこと等の報告がありました（編集部註：この記事の後に事務局長の発言原稿を掲載しておりますので、ご参照ください）。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	患者の声協議会のヒアリング</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	⑴　患者の声協議会は、医療基本法制定にむけた議員連盟に対し、「医療基本法の早期制定を求める要望書～患者参画と医療の質の確保に向けて～」を事前に提出しました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	その要望書には、患者・国民が参加して医療政策の合意形成が行われることを担保する条項を盛り込むこと等の要望事項、医療基本法共同骨子等が記載されています。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	⑵　そして、患者の声協議会代表世話人の長谷川三枝子さんから、配布資料にもとづき、患者の声協議会は医療政策に患者の声が反映されなくてはならないという問題意識から設立して勉強会を重ねてきたこと、ご自身のリウマチ患者としての経験、医療は誰もが必要とするものであるから患者の声が医療政策に反映されなくてはならないこと、患者も医療費についての負担と給付についての認識を持たなければならないこと等の報告がありました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	医療政策実践コミュニティーのヒアリング</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	⑴　医療政策実践コミュニティー（Ｈ―ＰＡＣ）は、医療基本法制定にむけた議員連盟に対し、「医療基本法の制定に関する要請書」を事前に提出しました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	その要望書には、①負担と給付のバランスに関する国民的合意を形成し、医療の質とアクセスのために必要な財源を確保し、国民皆保険制度を堅持すること、②多くの病者・障がい者が、職場、学校、地域社会等での差別に苦しんできた歴史を踏まえ、病気や障がいを理由とする差別が許されないことを明らかにすること等が記載されています。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	⑵　そして、医療政策実践コミュニティー医療基本法制定チームリーダーの前田哲兵さんから、医療政策実践コミュニティー（Ｈ―ＰＡＣ）の紹介、ＯＥＣＤ加盟国の医療費の状況、歳出のうち社会保障関係費の割合、社会保障支出と国民負担率の関係、医療を受ける権利を保障するために国民皆保険制度を堅持するという理念を定めてその理念実現のために財政を確保する必要があること、優生保護法と優生思想、医療が人権侵害の道具にされてしまっていたこと、本来医療者は病者や障がい者が差別されている場合には、それらの者の権利擁護者として社会に働きかけるべきであること等の報告がありました。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	意見交換</p>
<p>
	意見交換の時間においては、次のような意見が述べられました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・「患者」のカテゴライズをどのように考えればよいか。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・医療政策、立法政策の中で、基本的人権がどこまで及ぶのかという観点から、「患者」の範囲をとらえていけばよいのではないか。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・国民皆保険制度の堅持という立場からすると、「患者」というのは現在、医療を受けている人だけではなく、将来的な国民（外国人も含む）も含めてとらえていると解釈することになるだろう。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・医療基本法においては、急激な医療の進歩に耐えられる理念をつくっていきたい。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・時代を超えて使える医療基本法の理念をつくるという点に共鳴する。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・医療基本法には、普遍的に守っていかなければならないもの（医療によって人権が侵害されないこと、病気になったことによって本来享受すべき人権を侵害されることがないようにすること等）を入れていくことに大きな意味がある。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・諸外国では、患者の権利法という単独法を定めているもの、医療関係法規の中に患者の権利に関する条項を設けているもの等がある。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・患者の権利法をつくる会の要綱案は、契約法の側面と皆保険制度にもとづく公的サービスとしての側面をとりいれて作成したものである。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・患者の権利を最前線に据えることで患者と医療提供者との信頼関係が構築されることを医療基本法の中で示していきたい。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・基本的人権といったときに、対立をあおるものではなく、対話につなげるという価値観の転換が求められている。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・インフォームドコンセントの最も適切な日本語訳は、情報と決断と方策の共有である。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・インフォームドコンセントは対立をあおるものではなく、一緒に決断していくという考えにもとづくものである。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・「高度の公共性に則った、患者本位かつ相互信頼に基づいた医療を構築する」という点に感銘を受けた。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・国民皆保険制度については、重要であり、堅持していくべきものである。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	最後に</p>
<p>
	意見交換の後、第二回「医療基本法の制定にむけた議員連盟」は閉会となりました。</p>
<p>
	二〇一九年四月には、医療基本法の制定にあたって、患者団体からのヒアリングが二回予定されています。このヒアリングを十分に踏まえて、医療基本法の制定にむけた今後の動きが望まれます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	患者の権利擁護を中心とした医療基本法制定に向けて</p>
<p align="right">
	患者の権利法をつくる会</p>
<p align="right">
	事務局長　小林洋二</p>
<p align="right">
	（第二回議連発言原稿）</p>
<p align="right">
	&nbsp;</p>
<p>
	患者の権利法をつくる会は、患者の権利の法制化をめざして一九九一年に結成された市民団体です。結成以来二八年、インフォームド・コンセントの普及、カルテ開示の制度化に向けた活動、医療事故再発防止制度の提言といった活動を行ってきました。二〇一一年以降は、医療基本法による患者の権利法制化を活動の中心に位置付けて、会としての医療基本法要綱案を発表しています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	わたしたち患者の権利法をつくる会の考え方は、前回の議連総会で配布させていただいたパンフレットのとおりですし、先日、要請書も提出いたしております。ここでは簡略に、ポイントのみ述べさせていただきます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	現在の医療基本法をめぐる議論は、二〇〇九年、ハンセン病問題の再発防止検討会が、「患者の権利擁護を中心とする医療基本法」を提唱したことに発しています。また、この年、当時の麻生内閣のもとに設置された安心社会実現会議が、「国民の命と基本的人権（患者の自己決定権・最善の医療を受ける権利）を実現するための基本法制定」を提言しています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	医療制度の存在意義は、患者の権利を保障し、実現するところにあるとわたしたちは考えています。</p>
<p>
	患者の権利とは、医療に関する基本的人権を意味します。それは日本国憲法二五条が保障する生存権に含まれる「適切な医療を受ける権利」と、一三条が保障する個人の尊厳に含まれる「医療における自己決定権」とを２本の柱とするものです。</p>
<p>
	このような患者の権利は、国際人権規約、ＷＨＯ憲章といった人権規範においても認められているものであり、世界医師会のリスボン宣言もこれを認めています。多くの国では、患者の権利に関する法律を制定しています。</p>
<p>
	しかし、日本には、患者の権利について定めた法律が存在しません。</p>
<p>
	医療は、患者の生命や健康を護るものであり、敢えて「権利」を護る必要はない、という考え方もあるようです。</p>
<p>
	しかし、そのような考え方は容易にメディカル・パターナリズムに傾きます。そのメディカル・パターナリズムによって患者の自己決定権が侵害されてきました。そのような歴史を踏まえて、患者の権利の法制化が進んできたというのが世界的な流れです。</p>
<p>
	一方では、二〇年前、三〇年前ならばいざしらず、患者の権利はいまや当然のことではないか、いまさら法律で定める必要はないのではないか、という意見もきかれます。</p>
<p>
	そんなことはありません。</p>
<p>
	病によって身体や精神が弱った時には、自分で自分の権利を守ることがたいへん困難になります。周囲の援助がなければ、特に医療による支えがなければ、人が人としてもっているはずの基本的人権が享受できなくなってしまいます。また、その一方で、医療に頼らざるを得なくなるが故に、医療による人権侵害にさらされる危険も大きくなります。</p>
<p>
	歴史的にそういった権利侵害が繰り返されてきました。例えばハンセン病問題がそうです。優生保護法による強制不妊手術がそうです。薬害エイズ等の薬害事件がそうです。そしていまも、医療に関する自分の基本的人権が侵害されている、人権保障が実現していないと感じている患者、日常医療の中でそのように感じている患者はたくさんいます。いまは健康であっても、自分が病んだ時に、適切な医療を受けられるのか、不安を抱えている市民はたくさんいます。</p>
<p>
	そのような問題を解決し、不安を解消していくために、わたしたちは、医療制度の存在意義が患者の権利を守ることにあることを明らかにし、患者の権利の内容を明らかにする医療基本法が必要だと考えています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	議員連盟の設立趣意と規約には、「わが国の医療の姿を医師・医療提供者と患者、国民の間の信頼関係に根ざしたものとしていくために」という目的が謳われています。信頼関係が重要であることについて、わたしたちもまったく異論はありません。</p>
<p>
	問題は、どのようにしてこの信頼関係を構築するか、というところにあります。</p>
<p>
	<img align="left" height="104" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/10565853-e0d1-4fe0-88e9-205a4491db20" width="206" />インフォームド・コンセント、患者の自己決定権といったものが意識されなかった時代には、患者には医師を信頼して全てを任せる以外の選択肢はありませんでした。自分は医療の専門家である、あなたの身体のことはあなたよりも自分の方が知っている、だから何もきかずに自分を信頼せよ、というのが、医療者の患者に対する古典的な姿勢でした。</p>
<p>
	医療不信と呼ばれる状況は、このような一方向的な信頼関係が限界に達したところに生まれた、必然的なものです。</p>
<p>
	このような状況を克服し、医師・医療提供者と患者、国民の間の信頼関係を構築するためには、患者の権利を双方の共通認識としたうえで、医師・医療提供者が、それを擁護すべき自らの責務を果たすという姿勢を示すことがまず必要です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	また、議連の発足を報じるニュースに対しては、インターネット上、医療基本法によって、医療提供者の負担がこれまで以上に重くなるのではないかと心配する声が多く寄せられました。</p>
<p>
	ひとはみな、勤労者としての権利を持っています。当然ながら、医療提供者も例外ではありません。</p>
<p>
	それだけではなく、医療提供者には、患者の権利、医療にかかる基本的人権を擁護するという重要な責務があります。それは世界医師会のリスボン宣言にも謳われており、世界的な共通認識といえます。</p>
<p>
	自らの基本的人権を侵害されている者が、他者の基本的人権を擁護することはできません。医療提供者が疲弊し、燃え尽きて辞めていかざるを得ないような医療制度、過労によってミスを繰り返すような医療制度、極端な場合には過労自殺に至るような医療制度では、患者の権利は守れません。</p>
<p>
	患者の権利を守る医療制度であるためは、医療者の権利を守る医療制度でもある必要があるというのが、私たちの考えです。これを別な面からみれば、患者の権利擁護を医療制度の根底に据えることによって、医療者の権利を守ることの重要性を、社会の共通認識とすることができるはずです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	そういった問題意識を含めて、日本国憲法、国際人権規約、ＷＨＯ憲章、リスボン宣言などを参照しながら策定したのが、この、わたしたちの医療基本法要綱案であり、わたしたちの考える「患者の権利擁護を中心とする医療基本法」の姿を示したものです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	医療基本法制定に向けては、そもそもの出発点である「患者の権利擁護を中心とする」という部分を繰り返し確認しつつ、その実現に向けて充実した議論がなされることを要望いたします。</p>
<p align="right">
	&nbsp;</p>
<p>
	第三回「医療基本法の制定にむけた議員連盟」の報告</p>
<p align="right">
	事務局長　小林洋二</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	医療基本法の制定に向けた議員連盟第二回会合で実施されたヒアリングについては、小林展大さんのレポートのとおりですが、引き続き四月一八日に開催された第三回会合でのヒアリングについて報告します。</p>
<p>
	この日の発言は、全国「精神病」者集団の桐原尚之さん、患者なっとくの会ＩＮＣＡの小沢木理さん、日本医療社会福祉協会の漆畑眞人さんの三名です。小沢さんと漆畑さんは当会の常任世話人でもあります。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	全国「精神病」者集団の桐原尚之さんの発言</p>
<p>
	桐原さんからは、まず、日本の精神医療の現状、特に世界的にみたその特殊性が説明されました。</p>
<p>
	世界的には、二〇世紀後半に精神疾患に対する開放処遇が進んできたが、日本は今でも入院中心。人口千人あたりの精神科病床数を比較すると、ＯＥＣＤ諸国の平均が〇・七であるのに対し、日本は二・七と、三〜四倍の密度で精神科病床が存在する。平均在院日数でいえば、ＯＥＣＤ平均が三六日であるのに対して、日本は二九八日と突出している。</p>
<p>
	日本の全病床の約二割が精神科であり、その七割は閉鎖病棟である。法的にも、非自発的入院や身体拘束を定めた精神保健福祉法という特別の法律があり、ベテランの医療者をして、「精神科は他の科と違う、医療とは思えない」と言わしめるほどの特殊な環境におかれている。そういった中で、患者に対する職員の暴行、虐待、殺害といったさまざまな事件が続いてきた。</p>
<p>
	こういった歴史、情況を踏まえて、桐原さんは、精神医療を一般医療に編入することの重要性を強調します。例えば患者の拘束の基準は精神保健福祉法三七条によって大臣が定めることができることになっているが、このような権利の制限は、精神医療に対する特別法に紐付けすべきものではなく、医療一般における患者の権利を定める法律を基礎とする法体系の中で運用されていくべきものではないか。</p>
<p>
	桐原さんは、医療基本法五団体共同骨子の中でも、特に「国民参加の政策決定」という部分に注目しているとして、政策決定過程の透明化、医療政策の評価を行う機関の創設、その機関に対する患者団体の参画などを明文で定めるべきとの具体的な提言もされました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	患者なっとくの会ＩＮＣＡの小沢木理さんの発言</p>
<p>
	小沢さんは、医療基本法をつくるにあたって、最も重要なのは、その決定プロセスのありかたであるということを強調しました。</p>
<p>
	基本法をつくるにあたっては、既存の価値観や先入観、社会的既得権者の意見を優先することはやめて、ゼロからスタートすべきである。ご破算で願いましては〜という発想で議論を始めなければならない。土台の有り様がその上に築かれる結果を左右するのだから、土台に予めバイアスがかかっていないかどうかという検証がなされなければならない。</p>
<p>
	国のありかたはわたしたち国民が決める、医療のありかたもわたしたち患者・市民が決めるというのが基本。日本医療政策機構のアンケートでは、医療制度の分かり易さとか、制度決定プロセスの公平さ、制度をつくる過程での国民の声の反映については、どれも全体の三・六％程度しか満足していない。医療政策の決定過程に、患者・市民が当事者として参画することが極めて重要である。</p>
<p>
	また、過去の負の歴史から俯瞰してみることが必要である。過去の国策によって行なわれて来た非常に非人間的な行為、非人道的な行為、それに対して国は、医学界は検証してきたのだろうか。医療基本法では、二度とそういうことを起こさせないような方向を考えるべきではないか。</p>
<p>
	そのためには、医療界は国から独立したものとしてあるべきだ。国策に思慮無く従うのではなく、医療者としての社会的責任を果たすべきだと思う。</p>
<p>
	この「独立」発言が、後の質疑応答を盛り上げることになります。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	日本医療社会福祉協会の漆畑眞人さんの発言</p>
<p>
	漆畑さんは、共同骨子七項目の「患者本位の医療」に関連して、医療と福祉との関係を中心に発言されました。</p>
<p>
	医療基本法共同骨子の一つは、「世界保健機関（ＷＨＯ）の国際的な理念と日本国憲法の精神に沿って、患者の権利と尊厳を尊重し、患者本位の医療が実現される体制を構築する」ことである。ＷＨＯ憲章に明記されている「健康」を目指すことは医療が、「患者本位の医療」であることを意味している。日本医師会の医療基本法案も、ＷＨＯ憲章の「健康」の定義を前提としている。</p>
<p>
	ＷＨＯ憲章による「健康」の定義は、「身体的、精神的、社会的にwell beingな状態」である。身体的、精神的、社会的という三つの要素がそろってはじめて「健康」が完成する、だから締約国はそのような「健康」を実現する責任があるというのが、このＷＨＯ憲章という条約の内容である。</p>
<p>
	しかし、医療の現場ではこの社会的要素、social well beingが見落とされがちである。入院が長引けば医療機関の経営に支障が出るという仕組み等で、健康の重要な要素であるsocial well beingが切り捨てられるような医療制度上の問題がある。</p>
<p>
	自分たちソーシャルワーカーは、福祉職であり、医療職ではない。しかし、介護保険、障害者総合支援法、障害者雇用促進法、生活保護等、生活に関するあらゆる相談を通じて、医療がsocial well beingという価値の実現に繋がることをめざして働いている。このような役割が、医療の法秩序に、明確に位置付けられるような医療基本法を望みたい。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	質疑など</p>
<p>
	短い時間でしたが、さまざまな論点について充実した質疑がなされました。特に桐原さんの提起した精神医療の問題については、最も患者の権利侵害が起きやすい場面であり、議員のみなさんも大きな関心を示していました。</p>
<p>
	印象深かったのは、小沢さんの「医療は国から独立した存在であるべきだ」という発言をめぐる議論です。</p>
<p>
	この議連の事務局長である羽生田たかし議員（元日本医師会副会長）は、医師会としては、医療は国家から独立しているという自負を持っているけれども、日本の場合、医療保険制度というものがありここからはみでることはできない、この健康保険制度は医師のためのものというよりは患者のためのものであり、そのあたりのジレンマがある、という発言をされました。</p>
<p>
	これに関連して議連会長である尾辻秀久議員が、いまの日本の医療保険制度は国家から独立しているものと理解しているのか、そうではないと理解しているのかと小沢さんに質問、小沢さんの「独立しているのではないでしょうか」との答えに対して、さらに尾辻議員が疑義を呈するといったやりとりがありました。</p>
<p>
	小沢さんがいわれる趣旨は、国の医療政策が国民の患者の権利を侵害するようなもの（例えばハンセン病隔離政策とか優生保護法に基づく強制不妊等のような）であった場合、医師はその政策に反して患者の権利を擁護する立場を選ぶべきであるという趣旨であって、医療保険制度が患者のために機能しているものであれば、それを利用することと何ら矛盾するものではないと思います。そのような趣旨が尾辻議員に十分に伝わったかどうか、やや心配な面もあるのですが、わたしとしては、議員のみなさんが、そういった一つ一つの言葉を丁寧に受け止めてくれたことをとても嬉しく感じました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	楽観は禁物ですが、手応えを感じたヒアリングであったことは間違いありません。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	個人情報保護法制のはなし</p>
<p align="right" style="margin-left:16.45pt;">
	神奈川　森田明（弁護士）</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	第一回　個人情報保護法制の全体像</p>
<p align="center" style="margin-left:16.45pt;">
	〜「保護制度」の氾濫</p>
<p>
	はじめに</p>
<p>
	ダイエット体験記に続き、個人情報保護制度についての連載をさせていただくことになりました。医療分野の個人情報保護を中心に書きますので、ダイエット記事よりはこのニュースにふさわしいものになるのではないかと思います。</p>
<p>
	主たる目的はこのニュースに厚みを持たせるための埋め草記事とするためですが、このテーマを選んだのは、個人情報保護制度が法律家にとっても大変難解であり、二〇一五年には医療情報にかかわる部分も含め大きな改正がされてますますわかりにくくなっていることと、もともと医療分野ではカルテ開示など個人情報保護をめぐる様々な問題があることから、わかりやすい形で問題の整理をしてみたいと考えたからです。</p>
<p>
	つくる会では、「法律家にしかわからないような難しい議論をするな」「素人だからわからないと思って不正確な議論をするな」というアンビバレントな要請が生じますが、できるだけわかりやすく、かつ正確に述べたいと思います。（もっとも正確なばかりではつまらないものになるので、やや主観的なコメントも織り込みます。）</p>
<p>
	今考えている執筆プランは次のようなものです。四回、約一年程度の連載を考えていますが、延びる可能性はあります。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	第一回　個人情報保護法制の全体像〜「保護制度」の氾濫</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	第二回　カルテ開示をめぐって〜この問題だけでもこんなにややこしい</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	第三回　個人情報保護法の改正点〜医療情報がかかわる部分を中心に</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	第四回　診療情報のビッグデータ化〜突き進む「利活用」のための条件整備</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　　</p>
<p>
	個人情報保護法制とは</p>
<p>
	わが国では個人情報保護について主体ごとにいろいろな法律が適用されますが、共通する基本的な考え方は「自分の情報をコントロールする権利」です。</p>
<p>
	これは、「個人情報の流通は目的に制約される」ことを基本原理として、個人情報を保有するものに取得時の目的の特定・明示、取得後の安全管理と目的内での利用・提供の義務付け、保有目的がなくなった時点での廃棄・消去を義務付け、かつ、それを保障するために情報の主体である個人に開示・訂正・利用停止等の権利を保障する、さらにそのような運用を監視する第三者機関を設ける、というものです。もちろんそれぞれの場面で一定の例外は認められますが、原則として、当初の目的の範囲内で、本人が知りうる形で個人情報を取り扱うべきだとするものです。</p>
<p>
	「自己情報コントロール権」は今日では国際的なルールとして確立していますし、わが国でも学術研究や政策上の論議では広く使われていますが、裁判所や官僚はこの概念を正面から認めようとしていません。（それどころか「プライバシー」という言葉すら使いたがらない状況で、驚くべき頑固さです。）</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	個人情報保護法制を構成する法令等</p>
<p>
	個人情報保護制度は、次のような様々な法律等により構成されています。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	<img align="left" height="131" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/d937aaa9-773c-470b-89d9-9cfeb470f442" width="143" />・個人情報の保護に関する法律（「個人情報保護法」「個情法」）</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　&rarr;個人情報保護に関する通則的な部分（基本法的な部分）と民間事業者全般に関するルールを規定</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律（「行政機関個人情報保護法」「行個法」）</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　&rarr;国の機関に関するルールを規定</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律（「独立行政法人個人情報保護法」「独個法」）</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　&rarr;独立行政法人に関するルールを規定</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	・個人情報保護条例</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　&rarr;都道府県、市区町村ごとに制定され、当該自治体についてのルールを規定</p>
<p>
	これらの法律・条例は前項で述べた自己情報コントロール権を実現するための基本的な構造を持っている点は共通しているのですが、例外規定の定め方等は異なっており、特に条例は自治体ごとに異なった内容のものが並立しています。個人情報保護制度は個人情報を「やり取りする」ことが前提なので、主体ごとにルールが違うと大変厄介なことになります。法制が多様化しているために運用上支障を生じており、「個人情報保護法制二〇〇〇個問題」などと言われたりしています（もっとも統一すればよいというものでもありません）。</p>
<p>
	これらの関係性を図解したのが、後記の国が作成した「ピラミッド図」と呼ばれる図です。イカの頭と足（ゲソ）のようにもみえます。</p>
<p>
	普通、法令は、憲法のもとに基本法があって、個別の法律があって、政令、規則等があるという三角形の階層的な構造になっているのですが、個人情報保護法制はどうしてこんな奇妙な形になっているのでしょうか。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　</p>
<p>
	「イカゲソ」状態の背景</p>
<p style="margin-left:7.05pt;">
	〜個人情報保護法制の成立経過</p>
<p>
	一九七〇年代から、一部の地方自治体では、個人情報保護に関する条例の制定が始まっています。東京都国立市や福岡県春日市などですが、どこが一番乗りと言えるかははっきりしません。今日的な個人情報保護制度に近いという意味では春日市が有利なようです。</p>
<p>
	一九八〇年にＯＥＣＤ（経済協力開発機構）が「個人データの保護に関する八原則」を発表し、個人データの活用を見越したうえで、その前提としての個人情報保護の仕組みを提唱しました。これが各国の法制化の標準として広まります。</p>
<p>
	これを追い風に一九八〇年代には市町村レベルで個人情報保護条例の制定がさらに広がり、一九九〇年には神奈川県が都道府県で初めて個人情報保護条例を制定し、その後は都道府県でも条例の制定が進みます。</p>
<p>
	他方、国は、一九八八年に「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」（旧行個法）を制定しましたが、対象とする情報の範囲や本人の権利保障等で、その前後に制定された条例よりもはるかに劣る中身であり、その後も自治体は旧行個法よりも先行する条例を参照して条例制定を進めました。いわば、「イカの頭がないままに、ゲソの部分がバラバラに増えていく」状態でした。</p>
<p>
	さらに問題だったのは、民間事業者の規制について、旧行個法は（法律名からもわかるように）規定がなく、国はずっと法制化を怠ってきたことです。　</p>
<p>
	一九九九年に住民基本台帳ネットワークシステム（住基ネット）が導入されることが決まったとき、附則で民間事業者についての個人情報保護法を制定することが定められました。これもすんなりいかなかったのですが、尻を叩かれるようにして二〇〇三年に個人情報保護法が制定され、あわせて旧行個法が大幅に改正されて現在の行個法になるなどの法整備がされました。こうしてようやく「イカの形」らしきものに収まってきたわけです。</p>
<p>
	国際的動向</p>
<p>
	海外では、ＯＥＣＤ八原則をベースに包括的な事前規制を内容とした個人情報保護制度を推進しようとするＥＵ諸国と、実質的なプライバシー侵害の個別救済を出発点とするアメリカがことあるごとに対立し、この分野ではＥＵの方が優勢になっています。最近のＥＵのＧＤＰＲ（一般データ保護規則）では、個人情報保護に関する厳格なルールがＥＵ域外の企業にも適用され、違反すると高額の制裁金を課されることになるため、日本の事業者も無視できず困惑しています。</p>
<p>
	情報の流通は国際的になっていますから、個人情報保護法制の在り方については海外の動向は無視できません。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　　</p>
<p>
	てんこ盛り状態のガイドライン</p>
<p>
	個人情報保護法はあらゆる分野の事業者に適用される前提で作られているので、きわめて抽象的な規定が多いのです。そこでその趣旨を解説するために、ガイドラインがつくられています。二〇一五年改正後にはさらに詳しいものがつくられました。</p>
<p>
	現在の「個人情報保護法についてのガイドライン」は、「通則編」「外国にある第三者への情報提供編」「第三者提供時の確認・記録義務編」「匿名加工情報編」の四つからなります。ほかにより詳しいＱ＆Ａもあります。　　　　</p>
<p>
	さらに、分野別のガイドラインが多数つくられており、医療分野では例えば次のようなものがあります。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」（「医療・介護事業者ガイダンス」、従来「ガイドライン」でしたが法改正に伴い「ガイダンス」に変更）、同Ｑ＆Ａ（事例集）</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　「健康保険組合等における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」、同Ｑ＆Ａ（事例集）</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　「国民健康保険組合における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　「国民健康保険団体連合会における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン」、これは一五〇頁位の詳細なもので、しかも二、三年ごとに改定されています。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	　なお、個人遺伝情報については、経産省が「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」に関してＱ＆Ａ等を策定しています。</p>
<p>
	医療分野はガイドラインが多い方ですが、他にも金融・信用、情報通信など分野ごとにガイドラインが定められています。</p>
<p>
	さらに民間の認定個人情報保護団体（業界団体など）がそれぞれガイドラインを定めています。</p>
<p>
	そして、「個人情報保護法」の適用については、個々の個人情報取扱事業者が規則・プライバシーポリシーを制定することが想定されています。多くの企業では、自社のプライバシーポリシーを公表しています。医療機関も機関ごとにプライバシーポリシーを持っています。</p>
<p>
	このように、個人情報保護についての「似ているようで微妙に異なる」ルールが巷にあふれかえる状況にあります。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	同じ業務なのに適用される個人情報保護制度が違うこと</p>
<p>
	<img align="left" height="133" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/f9f56a66-73fa-47d2-9c5a-ef21ea4f18b7" style="margin-top:8px;margin-bottom:15px;" width="179" />学校や病院などに言えることですが、同じ業務をしているのに設立主体によって、適用される法令が異なります。例えば、医療機関として診療行為をしている点では同じなのに、設立主体は民間事業者（個人、法人）、地方自治体、独立行政法人（国立大学、国立病院）など様々なため、適用される法律が違うのです。</p>
<p>
	これでは不合理なので、医療分野について医療機関の設立主体にかかわらず個人情報保護のルールを一本化し、あわせて医療分野の特質を踏まえた規制・利活用推進を可能にするために個人情報保護法の特別法としての「医療分野についての個人情報保護法」を作るべきだということが個人情報保護法制定時から指摘されているのですが、いまだに実現していません。その代わりに、前記「医療・介護事業者ガイダンス」を共通のルールとして位置づけようとしていますが、厳密には同ガイダンスは個人情報保護法に基づくものなので、国公立の病院に義務付けができるものではありません。</p>
<p>
	このことから、例えばカルテの開示についての義務付けの範囲などについて問題が残されています。カルテ開示は、医療現場の個人情報保護の基本的な問題ですが、その根拠はいろいろありすぎてかえって複雑な状況にあるので、次回まとめてご説明します。</p>
<p>
	<img alt="テキスト ボックス: イカゲソ図" height="25" src="blob:http://kenriho.org/4e774cbb-ff07-41e7-b3e4-9d8228207acb" width="111" />「複雑な状況」とは、「遺族もカルテ開示を求めることはできます」とは言えても「遺族にはカルテ開示を求める権利があり、拒まれたら裁判を起こすことができます」というのは誤りだというようなことで、その解説を試みたいということです。</p>
<p style="margin-left:16.45pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	ハンセン病家族訴訟判決が六月二八日に延期されました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	前号で五月三一日とお知らせしていたハンセン病家族訴訟の判決言渡期日が六月二八日に変更となりましたので、改めてお知らせします。</p>
<p>
	さて、この間、五月二八日には仙台地方裁判所で旧優生保護法により不妊手術を迫られた方々が国を訴えた裁判について、当の優生保護法が違憲であることは明確に認めたものの、国会や厚生労働大臣の責任は認められないとして、訴えを棄却する判決が言い渡されました。</p>
<p>
	優生保護法は、戦前、法的根拠もないままハンセン病療養所の中で違法に入所者らに実施されていた不妊手術を、基本的人権の保障を謳った日本国憲法の下で、何の科学的根拠もなく適法にすると同時に、広く、障害のある方々に対する不妊手術を適法化してしまった法律でした。</p>
<p>
	同じ過ちを繰り返さないためには、いったいどうしてこのような過ちを起こしてしまったのか、検証することが必要です。ハンセン病問題では、この真相究明が重大な課題として厚労省と統一交渉団の間で共有されていますが、未だに検証すべき問題が山積みとなっています。優生保護法の被害者の多くは、自らは声を上げることもできない障害を抱えた方々で、その多くは既に鬼籍に入られていると思われます。</p>
<p>
	また、不妊手術という場合、精管結索術（所謂断種）が念頭に浮かびますが、優生保護法による強制不妊手術の七割は女性に対して行われています。ハンセン病療養所では男女比は三対一でしたが、優生手術は逆転し、男性三〇一件に対し、女性一一七四件と女性が三倍以上にのぼっています。産まない女性を量産する方が安上がりだったとでもいうかのような統計で、その事実を知った時には心底悪寒を覚えました。</p>
<p>
	この問題については、仙台での提訴以降、各地での提訴が相次ぎ、マスコミにも大きく取りあげられ、超党派の議員懇談会が結成されて、今年四月二四日には不十分ながら法律が成立し、ようやく被害者の一部に一時金を支給するという制度が動き始めたところでした。</p>
<p>
	誤った優生政策により、障害のある方々をおとしめ、排除した法施策の誤りを、国（国会）自ら認めたのだから、公平たるべき裁判所であれば必ず国を断罪し、一時金支給法の欠陥をも示すような判決が示されるのではないか。多くの関係者の期待は無残にも裏切られました。</p>
<p>
	原告の方々は直ちに控訴し、舞台は高裁に移ります。また各地で係属している後発訴訟では、仙台の経過に学び、除斥期間などの障害をいかに突破するか、白熱した議論が交わされているところです。</p>
<p>
	家族訴訟の判決は、この優生保護法のたたかいにも大きな影響を与えるものになります。</p>
<p>
	「価値のない生」「不良な生」などない。社会が高いバリアを下げ、平坦でやさしい環境を整備しさえすれば、誰もが生き生きと日々を生きられる。そんなメッセージを伝えることができるように、これからも応援いただきますようお願いします。&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;（久保井 摂）</p>
]]>
    </content>
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<entry>
    <title>258号　医療基本法の制定にむけた議員連盟設立総会報告 - けんりほうNEWS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kenriho.org/news/kenrihonews/2021/02/258.html" />
    <id>tag:kenriho.org,2021:/news/kenrihonews//3.318</id>

    <published>2021-02-15T10:46:26Z</published>
    <updated>2021-02-15T10:48:33Z</updated>

    <summary> 	「医療基本法の制定にむけた議員連盟」設立総会の報告 	川崎市　小林展大（弁護...</summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="258号" label="258号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	「医療基本法の制定にむけた議員連盟」設立総会の報告</p>
<p align="right">
	川崎市　小林展大（弁護士）</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	１　設立総会の開催</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	　二〇一九年二月六日、衆議院第一議員会館一階の多目的ホールにおいて、「医療基本法の制定にむけた議員連盟」設立総会が開催されました。</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	　同設立総会の内容は、世話人代表挨拶、主旨説明、会長選任、患者会からの発言、医療界からの発言、意見交換、となっていました。</p>
<div>
	&nbsp;</div>
]]>
        <![CDATA[<p style="margin-left:10pt;">
	<br />
	２　世話人代表挨拶</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　尾辻秀久参議院議員から、医療基本法は、日本の医療を考える上で画期的なものとなる、前の国会では生育基本法、循環器基本法が成立したので、医療基本法も仕上げていきたいとの発言がありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	３　会長選任・趣旨説明</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　まず、会長には尾辻秀久参議院議員が選任されました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　そして、医療基本法については、医療を受ける側、医療提供者側の議論が約一〇年続いている、医療基本法を制定しようという点では、患者側も医療側も一致している、国民目線の医療を作っていくためにも医療基本法を制定したいという発言がありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　また、一〇年前にハンセン病の検証で、医療全体を俯瞰する法律が必要ではないかという発想から、医療基本法が必要ではないかという議論になったとの発言もありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	４　患者会の発言</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	⑴　長谷川三枝子さん（患者の声協議会、日本リウマチ友の会会長）</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　　　長谷川さんからは、患者の声を医療政策に反映させたいこと、会を立ち上げる経緯等について発言がありました。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	⑵　藤崎陸安さん（全国ハンセン病療養所入所者協議会事務局長）</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　　　藤崎さんからは、らい予防法に基づく政策は、患者を強制隔離して、人間としての尊厳を害するものであった、医療基本法の制定にむけた議員連盟が発足して心強く思っている、二度と同じ間違いを繰り返さないでほしいという思いで運動をしている等の発言がありました。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	⑶　田中秀一さん（東京大学公共政策大学院医療政策実践コミュニティー）</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　　　田中さんからは、医療は患者と医療者の信頼関係に根ざすものであること、旧優生保護法の問題、ＨＩＶ差別、精神疾患患者への身体拘束等の問題があって、このような問題を防ぐためにも患者の権利の明記が必要であること、医療者が良い環境で働けることも必要であること等の発言がありました。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	⑷　伊藤たておさん（日本難病・疾病団体協議会）</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　　　伊藤さんからは、医療基本法には障害者基本法のような性格も持たせてほしい、ゲノム編集は障害者に対する新たな差別になる危険をはらんでいる等の発言がありました。</p>
<p>
	　⑸　桐原尚之さん（全国「精神病」者集団）</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　　　桐原さんからは、自身が小学生のときに統合失調症と診断されて大学進学がかなわなかったこと、患者の権利を明記して、医療者との信頼関係を取り戻すため、医療基本法を制定してほしいこと等について発言がありました。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　⑹　小沢木理さん（患者なっとくの会　ＩＮＣＡ）</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　　　小沢さんからは、患者が納得できる医療が重要であること、基本的な患者の権利の明記が必要であること、患者と医療者との信頼関係は、共通の認識であること等の発言がありました。</p>
<p>
	　⑺　漆畑眞人さん（日本医療社会福祉協会）</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　　　漆畑さんからは、患者を人格と個性をもった個人としてみてほしい、医療基本法でソーシャルウェルビーイングを明確にしてほしい、病気や怪我をしても生活が壊れないように医療基本法を制定してほしい等の発言がありました。</p>
<p>
	　⑻　洗成子さん（日本精神保健福祉士協会）</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　　　洗さんからは、ハンセン病と同じく精神医療も社会的入院・隔離が残存している、精神医療に関わっていると、医療者が患者の権利を奪ってしまう現実に直面する、医療基本法の制定が精神医療の課題の抜本的解決につながることを期待している等の発言がありました。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	５　医療界の発言</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　⑴　横倉義武さん（日本医師会会長）</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　　　横倉さんからは、日本医師会では昭和四〇年代から医療基本法の検討をしてきたが、当時は法律として成立するには至らなかったこと、医療者と患者の法的関係を医事法制委員会で議論したこと、議論の過程で患者の思いの強さ・問題の所在等を教えてもらったこと、医療者と患者が手を組んで法律の制定を目指したいこと等の発言がありました。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　⑵　平川俊夫さん（日本医師会常任理事）</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　　　平川さんからは、配布資料に沿って発言がありました。「医療基本法」が必要とされる背景、日本医師会における「医療基本法」の検討、日本医師会が考える「医療基本法」の位置づけのイメージ、医療提供者の権利と義務、患者の権利と義務、国・地方公共団体等の責務等についての発言がありました。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	６　意見交換</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	<img align="left" height="152" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/eb134d2f-e777-4f1e-93db-d61725bca1eb" width="131" />意見交換の時間においては、次のような意見が述べられました。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　・医療ビッグデータを適切に使いたい。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　・医療基本法に予防医療の観点を入れるべきではないか。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　・医師と患者の意識改革につながると思う。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　・国民皆保険を守る規定を定めてほしい。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　・個別法の総点検をしてほしい。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	　・国民皆保険は重要。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・患者の権利法をつくる会のパンフレットについては、患者参画をもっと具体的に記載してほしい。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・患者の権利法をつくる会のパンフレットの「与えられる医療から参加する医療へ」という標語はとても良い。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・医療基本法には、日本でなければ書けないようなアピールポイントがほしい。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・医療基本法には理念をしっかり書き込んでほしい。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・国民皆保険の維持、財源の問題も重要。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	・法制度としては、医療法や医師法等との違いを説明できるようにしておくことは重要</p>
<p>
	７　最後に</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　意見交換の後、羽生田俊参議院議員が事務局長を務め、役員は会長に一任することとされ、尾辻秀久参議院議員の閉会の挨拶をもって、医療基本法の制定にむけた議員連盟」設立総会は閉会となりました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　医療基本法制定にむけた議員連盟が発足した現在、法制定の機運はますます高まっています。今後も法制定にむけた市民運動に関わっていきます。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	ハンセン病家族訴訟間もなく判決言渡</p>
<p align="right" style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p align="right">
	福岡市　久保井摂</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	来る五月三一日午後二時、熊本地方裁判所において、ハンセン病病歴者の「家族」五六一名が国を訴えた裁判の判決が言い渡されます。</p>
<p>
	ハンセン病問題は、二〇〇一年に熊本地裁判決が画期的な国の控訴断念により確定して以来、基本合意に基づいて今日まで継続的に行われている国（厚労省）との協議や、ハンセン病基本法の制定、検証会議による医療基本法の提言など、患者の権利を考える上で常に重要な位置を占めてきました。そもそも、入所者のみなさんが提訴に至ったきっかけが、らい予防法の廃止を目前に控えて、人権の砦を担うべき法曹界は何をしてきたのかとその責任を問う、当時鹿児島の星塚敬愛園におられた島比呂志さんの本誌への投稿「法曹の責任」だったこともあって、折に触れて本誌でも紹介してきました。</p>
<p>
	疾病や障害を理由とする差別が許されないことは、私達の提案する医療基本法案にも明記していますが、あれほどの国民の支持を集めたハンセン病問題に関してさえ、未だに社会的差別を完全に払拭することはできていません。</p>
<p>
	この家族の裁判は、病歴者本人ではなく、その家族もまた、国の誤った強制隔離政策のために、ターゲットとされ、社会的差別を受ける地位におかれ、家族関係の形成を阻害されたとして、家族に対する国の責任を問うものです。</p>
<p>
	家族の多くは、病歴者とも切り離され、家族の発病ゆえに偏見差別にさらされてきたことを誰にも打ち明けることができませんでした。胸の奥深くに秘密を抱え、社会内で孤立し、どんな被害が生じているのかも社会の人に知られてきませんでした。</p>
<p>
	<img align="left" height="127" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/daa63daa-0bba-4e0d-a03c-50fb7ca1b725" vspace="8" width="217" />その家族たち固有の被害に光が当てられたのは、ある非入所者の子が、たったひとり国等を訴えて鳥取地裁に起こした裁判で、裁判所が、家族もまた強制隔離政策の被害者であることに言及したことに端を発しています。その裁判を応援していた当事者の中から、自分たちの被害についても国の責任を明らかにしたい、真摯に謝罪してほしいとの声があがり、全国に呼びかけたところ、五六〇名を超える家族からの問い合わせが殺到したのです。</p>
<p>
	裁判では、全原告の被害を明らかにする陳述書を提出したほか、原告の代表二九名の尋問を実施しました。どの原告も、深刻な被害を受けていること、その状態は今も改善されておらず、日々社会からの偏見差別の眼差しにおびえながら生活していることが明らかになりました。特徴的な被害としては、家族に病歴者がいることが明らかになったために破談になったり離婚を迫られたりしたという経験を持つ人がとても多いことがあげられます。</p>
<p>
	結婚差別は、社会的差別の存在を示す典型的な差別です。衝撃的だったのは、今回の訴訟に加わったことを後に配偶者に知られてしまい、離婚に至った年若い原告の存在でした。</p>
<p>
	このような理不尽な差別を、どうしたらこの社会からなくすことができるのでしょうか。</p>
<p>
	きたるべき熊本地裁判決を、その解決のための足がかりとしたいと思います。判決前夜の五月三〇日夕方、森都心プラザホールで前夜集会が開かれます。この集会と判決期日にぜひ多くの方々のご参加をお願いします。</p>
<p>
	保険料納付は大切な権利</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p align="right">
	滋賀県　 葉山　聡</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	【編集部より】</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	今回葉山さんから久しぶりに投稿いただいた本記事をそのまま掲載するか悩みました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	障害を持ち、思うような人生を歩んでくることのできなかった葉山さんが、最近ようやく遡って障害認定を受け、とぼしい年金を受給できるようになったと喜んでいた矢先、保険料免除についての通知が届いたというものです。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	葉山さんのお母さんは、経済的に苦しい中、将来のことを思って、葉山さんの国民年金や国民年金基金の保険料を払い続けてこられたそうです。そのおかげで、葉山さんも、六五歳を超えれば、月額十一万円の老齢年金を受給できるはずでした。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	ところが、障害年金を受給していると老齢年金は受給できないことから、三十年以上支払い続けた保険料が遡って免除されたことになり、強制的に払い戻されてしまうのです。このままでは、せっかくのお母さんの思いと努力が台無しになってしまいます。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	精神障害などの場合、将来的に症状が改善して障害年金が支給されなくなることもあり得ますし、高齢になれば支給額がより低額である障害年金を断り、老齢年金のみの受給を希望する人も多いはずで、改めて保険料を支払って老齢年金受給資格を温存しておきたい場合には、希望により、保険料を追加納付する手続をとることができます。しかしながら、この制度を利用すると、保険料が加算される上、追納しても、本来なら将来的に受給できた額の老齢保険のレベルの年金を受給することはできないしくみになっているのです。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	障害があることをもって、障害のない人と同じような年金保険料の納付が許されなくなる、そんなことがあってよいのか。重大な権利侵害ではないか、差別ではないか、そのような問題提起なのですが、何しろ内容的に難しく、すっと頭に入ってこない難しい問題でもあります。編集者も決して正確に理解できているとは言えません。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	しかし、たいへん深刻な、そして大事な問題提起ですから、そのまま掲載することにいたしました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;【消える年金】</p>
<p>
	記録喪失に見られるように年金実務には杜撰な面もある。国民年金加入者が障害基礎年金を受給すると、法定免除に該当する期間に支払った国民年金保険料の全額を強制的に還付される。国民年金保険料が還付されると国民年金基金も同様に全額強制還付となる。二十歳から途切れずに収めていると六十五歳以降国民年金・国民年金基金合わせて月に十一万円受給できる。これが例えば二十歳前障害という事で五十歳から障害基礎年金を受給し、法的免除に登録して還付を受けるケースを考えると、その後追納しても六十五歳以降月に合わせて三万円から四万円程度の受給額になる。過去の分の追納は十年しか認められず、当時の額ではなく、加算額が上乗せされた額になる。</p>
<p>
	一肢切断のような固定のものではなく、毎年診断書の提出を求められる、すなわち障害認定の匙加減のわずかな変化次第で打ち切られる可能性がある障害も多い。障害基礎年金受給を六十五歳まで続けられる可能性が低い人が多いのである。こうした場合でも第百二条の時効規定により五年までのみ認められる遡及請求をしていなければ、初診日の設定を新しいものにすることも可能かも知れず、法定免除の範囲が数十年に及ぶのを回避できる場合もあるかも知れない。しかし請求時にそうした知識のある人は少なく、受領した障害基礎年金の返還を希望しても、一旦認められた請求は取り消して返還することも出来ず、ピットフォール化している。勿論障害年金受給申請をしない人からは、同等の障害があっても徴収された保険料は還されない。昭和の保険料は月数千円から始まり、それを全部合計して返金されても貨幣の価値を十分の一に減じて戻されることになる。あくまで法的免除に登録しないまま六十歳になった人はそれまで四十年支払った全額を還付され、老齢基礎年金は支給されない。</p>
<p>
	障害基礎年金受給者は還付を受けるとその期間については、そうではない人の二分の一（平成二十一年四月以降）、三分の一（平成二十一年三月以前）の月数とみなして老齢基礎年金を計算される。それは障害年金で既に受け取っているからという理由なのだが、歳をとって受給を始めた人の場合、殆ど受給していない人もいる。減額は障害基礎年金を受給した期間に限定すべきではないだろうか。六十五歳以降同時に二つを受け取る事が出来るわけでもないのに、そもそも障害基礎年金を受給していたという理由で、老齢基礎年金を減額するようなトレードオフの発想で実務が行われるのは、国民年金は国民のためのものと言うより、最初から国の財源と見做されているからだろう。</p>
<p>
	【国民年金法と社保庁の通知】</p>
<p>
	関係する国民年金法第八九条の記述を引くと、</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	被保険者が次の各号のいずれかに該当するに至つたときは、その該当するに至つた日の属する月の前月からこれに該当しなくなる日の属する月までの期間に係る保険料は、既に納付されたものを除き、納付することを要しない。</p>
<p style="margin-left:30pt;">
	一　障害基礎年金又は厚生年金保険法に基づく障害を支給事由とする年金たる給付その他の障害を支給事由とする給付であつて政令で定めるものの受給権者</p>
<p style="margin-left:30pt;">
	二　生活保護法による生活扶助その他の援助であつて厚生労働省令で定めるものを受けるとき。</p>
<p style="margin-left:30pt;">
	三　厚生労働省令で定める施設に入所しているとき。</p>
<p style="margin-left:30pt;">
	第二項　前項の規定により納付することを要しないものとされた保険料について、被保険者又は被保険者であつた者から当該保険料に係る期間の各月につき、保険料を納付する旨の申出があつたときは、当該申出のあつた期間に係る保険料に限り、同項の規定は適用しない。（引用終わり）</p>
<p>
	この条文は元来障害者の経済的負担の軽減を目的としたもので、障害者から老齢基礎年金の受給権を奪う事を目的としてはいない。納付する義務は否定されても納付する権利は残っている。その上既に納付されたものを除きと明記されており、既に納付した障害基礎年金は還付の対象外となるはずである。</p>
<p>
	然るにこのような還付が強制されている原因は、旧社会保険庁からの通知にある。それは平成十八年九月二十九日庁保険発第零九二九零零二号でありそのまま引用すると、</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	「国民年金保険料の還付に係る事務の取扱いについて（照会）」（平成十八年九月二十六日三局文発第一二八二号）について、下記のとおり回答する。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	国民年金保険料については、国民年金法第八十九条の規定により障害基礎年金の受給権者となるなど定められた要件に該当するに至ったときは、その該当するに至った日の属する月の前月からこれに該当しなくなる日の属する月までの期間に係る保険料について、既に納付されたもの及び同法第九十三条第一項の規定により前納されたものを除き、納付することを要しないものとされている（法定免除）。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	これは、障害基礎年金の受給権発生日等の属する月の前月分以降の保険料については、同日前に納付のあったものを除いて納付義務自体が生じないためであり、その結果、同日以降において納付されていた保険料は、還付することとなるものである。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	このため、障害基礎年金が裁定され、その受給権が遡って発生した場合には、当該受給権発生日以降に納付されていた保険料（同日の属する月の前月以降の保険料に限る。）は還付することとなるが、障害の程度が軽快した場合にあっては、保険料の還付を受けることが将来老齢基礎年金を受ける上での不利益な取扱いにつながる恐れがあることから、障害の程度が軽快する可能性のある被保険者については、保険料を還付するに際し、その旨を説明すること。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	なお、説明した結果、被保険者が還付対象となる保険料に係る期間を保険料納付済期間とすることを希望する場合には、追納制度を活用することにより対応すること。」</p>
<p align="right" style="margin-left:20pt;">
	（引用終わり）</p>
<p>
	官公庁の通知が行政の実務を規定することが許されるのは、あくまでその条文の議論にならない程度に明瞭で常識的な内容について、その実行の仔細を指示する程度に限定される。本来条文を吟味する経緯を持たない通達が、その条文の本質を変質させ、かえってその否定を実行させる結果となる例と云えよう。</p>
<p>
	【実務と法解釈】</p>
<p>
	逆に当座の生活の困窮から還付されないことに苦しむ障害者もいる。障害認定日が初回保険料納付日に先行する場合は、障害認定日の前月以降の分は全額還付され、逆に初回保険料納付日が障害認定日に先行した場合は一切還付されない。何故このようなことが起こるのだろう。年金機構の法解釈に於ける「既に納付されたもの」の「既に」はどのような時に対する過去なのか。それは法定免除の決定日ではなく、障害認定日である。しかし便宜上言葉を略せば「被保険者が障害基礎年金受給権者に該当するに至つたとき、 保険料は、既に納付されたものを除き」と続く条文の「とき」は法定免除の決定日を指示している以上、「既に納付されたもの」は当然法定免除の決定日以前の納付保険料と理解されるべきである。</p>
<p>
	そして「納付されたもの」という文言はどのように受容されているのか。「もの」を「物」ではなく「者」と誤解しているのでなければ、法定免除なく支払われた保険金は、その後納付された一切の保険金の性質をそれと同様の属性に決定づけると見做している、と云える。法定免除対象者の場合、一人前のライフヒストリーを備えた尊重すべき人としての重さを持たず、単に処理すべき個々の事案と感じられており、障害認定日以前に納付がある場合は、既に納付された事案として決済が完結するのだろうか。このようにして、法定免除対象者の立場に立った一般的な法理解とは、百八十度食い違った行政が決行される。加えて還付を受ける権利は二年で時効によって消滅するにも拘わらず、数十年も遡って法的な典拠のない還付が行われている点も問題である。</p>
<p>
	【苦情への行政の対応】</p>
<p>
	苦情も多く寄せられているが行政の見解はどのようなものなのか。東京都行政評価事務所に相談のあった「二十歳前からの精神疾患で娘が平成二十六年に平成九年を認定日とする障害基礎年金裁定を受けた。国民年金保険料十七年分は返還される。裁定月前の十年分のみを加算額付きで追納できる。という説明を受けたが老齢基礎年金をできるだけ多く受給させてやりたいし、返還されたうえ、十年のみの追納に加算額では納得がいかない。」という事案の場合、「公的年金制度の財政基盤及び最低保障機能の強化等のための国民年金法等の一部を改正する法律」（年金機能強化法）施行日の平成二十六年四月一日以降の保険料については、本人希望により保険料納付機関として取り扱えるようになっている。</p>
<p>
	追納期間が十年迄であることについては、追納金額の高額化、年金記録の煩雑化を避ける目的で、追納加算額については一般納付者との均衡、年金積立金として運用されなかった機会損失を理由にそれぞれ設定したと厚生労働省年金局年金課は回答しており、また、保険料納付済みの者に限り年金機能強化法附則第九条を適用しない、即ち、年金機能強化法の施行前である平成二十六年四月前の期間に係る保険料についても、年金機能強化法による改正後の国民年金法第 八十九 条（新設された第二項）の規定を適用することは、一　年金制度は社会保険の仕組みであり、支給事由が生じた当時の法律の規定を基に給付を行うことが原則であること、二 法改正による効果は、将来に向かってのみその効力が生じることとなるものであることから、困難であると回答している。細部に於いて平等性の確保を心掛ける努力自体が他の不平等を生み出し、全体的には支離滅裂に近く、抜本的な改革の必要性を感じさせる。</p>
<p>
	【今後の展望】</p>
<p>
	個々の障害者の受ける損失の程度には個人差があり、六十五歳を待たずに他界する方にとっては還付はむしろ有難い事であり、逆に長寿障害者は大損である。それだけでなく、他の要素として二十歳前或は少なくとも同様に二十歳頃に初診日がある。障害基礎年金の受給開始は遅い。障害基礎年金が打ち切られる可能性がかなり高い。国民年金、国民年金基金を未納期間なく収めている。厚生年金他の救済手段がない。これらの要素がそろっているほど、受給者の受ける打撃は深刻である。年金制度は硬質で一律だが、障害や障害者の人生は多様であり、多様性に沿った柔軟性の獲得が課題である。</p>
<p>
	国民年金保険料納付という行為は国民の生存権に基づいており、納付義務は生存権に基ずく納付行為に先行しないため、納付義務のないことをもって納付された保険料を無効化する権利はないと言うべきである。結果的に障害基礎年金を受給するものは、老齢基礎年金に関する権利を大幅に制限され、その救済ネットワークから追放される。還付の強制は問題であり、現状では法定免除はあくまで被保険者自身に選択権があるとするか、障害年金を受給した期間に限定するのも一案だろう。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	☆参考ＵＲＬ☆</p>
<p>
	https://www.nenkinbox.com/archives/6153</p>
<p>
	http://www.soumu.go.jp/main_content/000331312.pdf</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>257号 - けんりほうNEWS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kenriho.org/news/kenrihonews/2021/02/257.html" />
    <id>tag:kenriho.org,2021:/news/kenrihonews//3.317</id>

    <published>2021-02-15T10:43:11Z</published>
    <updated>2021-02-15T10:46:14Z</updated>

    <summary> 	第二八回総会を終えて　〜来年もよろしくお願いします 	　事務局長　小林 洋二...</summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="257号" label="257号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	第二八回総会を終えて　〜来年もよろしくお願いします</p>
<p align="right">
	　事務局長　小林 洋二</p>
<p>
	一二月一日、明治大学駿河台キャンパス研究棟第九会議室において、第二八回総会が開催されました。</p>
<p>
	議案書にも報告されているとおり、今年の活動も、患者の権利擁護を中心とする医療基本法の制定をめざす活動が中心でした。そして、一一月一三日には、非公開の形ではありますが、医療基本法制定をめざす議員連盟の呼びかけ人会が開催されるところまできました。来年初めには、いよいよ議員連盟が発足することになりそうです。</p>
<p>
	議連の結成により、各政党のキーパーソンが明確になります。そのキーパーソンに向けての働きかけを活発化する必要があります。</p>
<p>
	また、「患者の権利擁護を中心とする」という私たちの医療基本法の核心部分を実現するには、これまで以上に、各患者団体との連携を強めていかなければならないと思います。</p>
<div>
	&nbsp;</div>
]]>
        <![CDATA[<p>
	「患者の権利擁護」には、「患者の権利」を明文化しその侵害が許されないことを明らかにすること、それが侵害された場合に適切に回復されるシステムを備えることの二つが必要です。</p>
<p>
	患者の権利運動の歴史は、権利侵害の回復・救済を求める声に牽引されてきました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<img align="left" height="160" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/647d99d5-64a8-42ac-831d-52e638df0901" width="156" />日本で最初に、「患者の権利」という言葉が注目されたのは、一九八四年の「患者の権利宣言案」でした。わたしたちのパンフレット『医療基本法要綱案／案文と解説』の末尾にその全文が収録されています。</p>
<p>
	この『患者の権利宣言案』は、「個人の尊厳」、「平等な医療を受ける権利」、「最善の医療を受ける権利」、「知る権利」、「自己決定権」、「プライバシーの権利」の六項目からなります。策定、発表した「患者の権利宣言案起草委員会」の中心的なメンバーは、当時、患者側で医療過誤訴訟を取り組んでいた弁護士たちでした。</p>
<p>
	個別の医療過誤事件にどれほど精力を費やしても、同種事故は繰り返し起こり続ける。このような被害の再発を防止するためには、日本の医療に「患者の権利」という考え方を根付かせることがまずは必要なのではないか。</p>
<p>
	そのような発想で始まったのが、この『患者の権利宣言案』の議論でした。つまり、医療被害の再発はどうすれば予防できるのかということを考え続けた法律家が発見したのが、既にアメリカなどでは常識的なものになっていた、「患者の権利」というコンセプトだったといえます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	この『患者の権利宣言案』に基づく患者の権利宣言運動を五年間ほど続けた後、その運動の総括の中で出てきた考え方が、「患者の権利の法制化」という発想でした。</p>
<p>
	これが、わたしたち「患者の権利法をつくる会」の出発点です。</p>
<p>
	一九九一年に結成された当時のパンフレットは、こう言います。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	私たちはここに「患者の権利法」を制定することを呼びかけます。「権利宣言」ではなく法律をつくるという観点から考えることは、単に個別的な医療関係における権利義務の関係を越えて必然的に「患者の権利」という観点からわが国における医療制度全体を見つめ直す作業を伴います。</p>
<p>
	患者の権利というのは、個別の医師・患者関係の間だけで問題になるものではなく、より普遍的な、基本的人権の問題なのだということは、患者の権利宣言の中でも意識されていました。しかし、それが、この患者の権利を法律にするという方向性をとったことで、より明確に意識されるようになりました。</p>
<p>
	その「患者の権利法要綱案」は、患者の権利に関する条文だけではなく、「国及び地方公共団体の義務」、「医療機関及び医療従事者の義務」の章を設け、また、「患者の権利擁護システム」にも一章を割いています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	患者の権利法をつくる会の結成当時の活動は、インフォームド・コンセント原則の普及が中心でしたが、これは一九九五年に厚生省「インフォームド・コンセントの在り方に関する検討会」が、報告書「元気の出るインフォームド・コンセント」を発表したあたりで一段落し、中心的な課題は、カルテ開示の制度化に写りました。同年一〇月、つくる会は、患者の権利法要綱案から独立した「医療記録開示法要綱案」を採択しています。</p>
<p>
	そして、このカルテ開示の制度化を大きく後押ししたのが、一九九六年に和解が成立した薬害エイズ事件でした</p>
<p>
	薬害エイズ事件を機に厚生省に設置された「医薬品被害防止プロジェクトチームは、一九九六年七月に報告書「医薬品による健康被害の再発防止について」の中で、カルテ開示問題に関して検討の場を設けることを提言しました。また、翌一九九七年七月、同じく薬害エイズ事件の関係で行われたＮＩＲＡ「薬害再発防止システムに関する研究」中間報告は、「患者の中心の医療の確立」のために、カルテ開示を含む患者の権利法制定を提唱しました。</p>
<p>
	このような動きが、厚生省の「カルテ等診療情報の活用に関する検討会」によるカルテ開示法制化の提言（一九九八年六月）につながり、各種ガイドラインによる自主的カルテ開示の取り組みを経て、二〇〇三年五月の個人情報保護法によるカルテ開示法制化に結実することになります。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	この時期はまた、医療事故問題が社会の注目を集めた時期でもありました。</p>
<p>
	一九九九年以降、横浜市立大学付属病院患者取違事件、都立広尾病院消毒薬誤投与事件をはじめとして、多数の医療事故が報じられ、医療事故再発防止が政策課題として浮かびあがりました。このような状況に対応して、つくる会は、二〇〇一年に権利法要綱案を改定し、「安全な医療を受ける権利」を患者の権利の中に明確に位置付けました。また、この安全な医療を受ける権利を保障するため、医療被害の報告制度、原因分析と再発防止制度及び被害補償制度の確立を求める制度提言として、「医療被害防止・補償法要綱案の骨子」を採択しました。</p>
<p>
	医療事故再発防止のための制度をめぐる議論には、紆余曲折がありましたが、二〇一四年の医療法改正によって医療事故調査制度が創設されています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	二〇〇一年五月の、らい予防法違憲国賠訴訟熊本地裁判決とその確定も、患者の権利法制化に関する議論を大きく前進させました。</p>
<p>
	厚労省の設置した「ハンセン病問題に関する検証会議」は二〇〇四年七月に「公衆衛生等の政策等に関する再発防止のための提言（骨子）〜ハンセン病問題における人権侵害の再発防止に向けて」を発表し、その柱として「患者・被験者の諸権利の法制化」を提言しました。</p>
<p>
	同年、つくる会は権利法要綱案を改定し、患者の権利として、「病気及び障害による差別を受けない権利」を、国及び地方公共団体の義務として、「病気及び障害による差別を撤廃する義務」を新設しています。</p>
<p>
	さらに、上記の提言を実現するために設置された「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」は、二〇〇九年四月、「患者の権利擁護を中心とする医療基本法」の制定を提言しました。</p>
<p>
	これを受けて、つくる会は、従来の「患者の権利法要綱案」の全面的な見直しに着手し、二〇一一年一〇月、「医療基本法要綱案」を発表しました。また、上記「再発防止検討会」の提言に基づき、日本医師会をはじめとする医療提供者側の団体も「医療基本法」についての検討をはじめ、それぞれの草案や見解の発表が相次ぐことになります。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	来年は、あるべき医療基本法の姿だけではなく、現実に制定される医療基本法の具体的な内容が問題になってきます。患者、市民側と、医療提供者側の思い描く医療基本法のイメージを重ね合わせて合意を形成するまでには、なお粘り強い努力が求められるでしょう。</p>
<p>
	このような段階であればこそ、わたしたちは改めて、患者の権利確立の運動を牽引してきたのが、医療によって人権を侵害されてきた人たちによる被害救済、権利回復の闘いであったことを思い起こす必要があると思います。そしてまた、精神病院身体拘束事件、旧優生保護法強制不妊手術をはじめとして、現在進行形で続いている闘いがあることも。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	医療基本法による患者の権利法制化実現のために、来年もいっしょに頑張りましょう。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p align="left">
	&nbsp;</p>
<p align="left">
	&nbsp;</p>
<p align="left">
	&nbsp;</p>
<p align="left">
	医療基本法法制化の実現をめざしみんなで動こう！『医療基本法』パートⅣ</p>
<p align="center">
	～患者の権利侵害の予防と救済に向けて～</p>
<p align="right">
	&nbsp;</p>
<p align="right">
	弁護士　鹿島　裕輔</p>
<p align="right">
	&nbsp;</p>
<p>
	第１　はじめに</p>
<p>
	患者の権利法をつくる会では、患者の権利擁護を中心とする医療基本法の制定を求め、これまでに患者の声協議会、Ｈ&minus;ＰＡＣとともに「みんなで動こう！『医療基本法』」と題するシンポジウムを３回行ってきました。</p>
<p>
	して、今回はパート４として、患者の権利侵害の予防と救済の視点から医療基本法の必要性を考えるシンポジウムが行われました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	第２　基調報告</p>
<p>
	まず、始めに、患者の権利法をつくる会・事務局長の小林洋二弁護士より基調報告が行われました。一九八四（昭和五九）年一〇月一四日に「患者の権利宣言案」が出されたことをきっかけに、「権利宣言」ではなく「患者の権利」という観点から法律をつくるために患者の権利法をつくる会が一九九一（平成三年に「患者の権利宣言案」をより具体化し、かつ国及び地方公共団体の義務や患者の権利擁護システムなどの新たな条項案を盛り込んだ「患者の諸権利を定める法律要綱案」を作成し発表したこと、その後一九九二（平成⑷年に起きた都立広尾病院事件を始めとする医療事故の増加や医療崩壊による医療に対する不信が生じていた中で、「患者の権利法」から憲法一三条、二五条の理念を具体化する医療政策の基本法としての「医療基本法」の制定を目指すようになったこと、「医療基本法」を制定することにより患者の権利を根底に据えた医療制度の構築が必要であることなどをご報告されました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	第３　各パネリストの報告</p>
<p>
	次に、医療の過程で生じた権利侵害による被害の回復と救済、再発防止の活動に取り組まれている６名の方々より報告がなされました。</p>
<p>
	医療事故被害者遺族・医療の良心を守る市民の会の代表である永井裕之さんは、医療は国民すべてがお世話になるものであり、医療者を含めた国民の誰しもが医療被害に遭遇する可能性があることを示し、医療制度の目的である患者の権利擁護のためにも医療基本法の早期成立が必要であることをお話された上で、都立広尾病院事件についてのご報告とともに、医療事故調査制度の課題をご報告されました。</p>
<p>
	全国ハンセン病療養所入所者協議会の事務局長である藤崎陸安さんは、約九〇年の長きにわたって行われてきたハンセン病患者への強制隔離収容政策による患者の権利侵害の実態、ハンセン病患者の権利侵害の回復・救済に向けた裁判や行政との闘いの経緯、このような闘いを経ても現在でも国民の間に根付いた差別意識が払拭されず、未だに根強く残っており、現在でも偏見・差別に脅える入所者やその家族などが被害に遭っていることなどをご報告されました。</p>
<p>
	　薬害肝炎全国原告団代表の浅倉美津子さんは、自身がＣ型肝炎患者となった際、危険なお産をしてしまった自分のことを責めてしまったこと、その後、薬害肝炎事件の裁判が始まったことをきっかけに、フィブリノゲンの投与の記録がされている看護記録を見た際に、自分を責めていた感情から解放されたこと、自ら原告団に加わり、裁判闘争を経て国との基本合意を交わしたが、それで闘いは終わることなく、恒久対策、再発防止、個別救済の３本柱が確立されるまで現在も活動を続けていること、特に差別偏見の問題では医療現場での偏見差別が圧倒的に多いこと、現在ではＨＰＶワクチンの副作用により若い女性たちが被害に苦しみ、闘っていることなどのご報告があり、患者の権利が侵害されないための制度、侵害された場合に被害が回復・救済されるための制度が医療基本法で保障されることの必要性をお話されました。</p>
<p>
	優生保護法被害東京弁護団の前田哲兵弁護士は、旧優生保護法に基づく強制不妊手術による被害の実情、現在までの取組み、被害の再発防止・予防と救済のあり方についてご報告されました。その報告の中では、一九四八（昭和二三）年に制定された優生保護法の考え方は、人を優秀な人と不良な人に分け、不良な人は不要とする考え方であったこと、被害の実情としては、原告の苦悩として子どもをもつ機会を永遠に奪われたこと、四〇年以上も連れ添った妻にさえ強制不妊手術を受けたことを打ち明けることができなかったこと、原告の家族（姉）が原告の手術のことを祖母から口止めされ、今回の裁判に至るまで六〇年以上も誰にも言えずに秘密を抱えてきたこと、これまでの取組みとしては、現在、国会では、超党派議連が結成され、議員立法を目指していることが報告されました。そして、被害の再発防止・予防と救済のあり方として、医療基本法により患者の権利を確立すること、医療提供者が患者の権利侵害に加担してきたことから医療提供者を「患者の権利擁護者」として位置づけることの必要性をお話されました。</p>
<p>
	最後に精神科医療における患者の人権と司法的課題として、三枝恵真弁護士と精神科病院における身体拘束を原因に亡くなられた裁判で闘われている原告の方による報告がなされました。その報告の中では、精神科医療における患者の権利、身体拘束により生じる肺血栓塞栓症のリスク、精神科病院における身体拘束の法的根拠、身体拘束の適法化要件についてご報告がなされた上で、現在行われている裁判の現状と原告の方による被害の実情についてのご報告がなされました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	第４　パネルディスカッション及び質疑応答</p>
<p>
	その後、６名のパネリストによるパネルディスカッションと会場参加者からの質疑応答が行われました。</p>
<p>
	パネルディスカッションの中では、各パネリストによる報告の中でも出てきた偏見差別について、医療基本法の制定により解消されるのか。それだけで足りるのか。他に手当が必要ではないかとの話題があがりました。それに対しては、医療基本法が制定されることで現在よりも１歩でも前に進んでほしいという望み、医療現場で偏見差別が多いという実情に鑑み、この患者の思いを医療関係者に届くようにしてほしいという思いがあるとの発言がありました。また、差別の禁止に加えて、医療関係者の権利擁護者としての立場を明確にする必要があること、すなわち医療者は社会でゲートキーパーの役割を持っており、その役割を果たすためにも医療者の側からも医療基本法制定の必要性を訴えてほしいという発言もありました。</p>
<p>
	さらに、正しい医療知識の普及によって差別が解消されるのかという点については、医療現場で偏見差別が多いという実情からして、医師に対する人権教育が必要である旨の発言もありました。</p>
<p>
	また、医療事故調査制度の問題については、大学病院や特定機能病院が報告していないのが多く、大学病院の中で差が出てきていること、今の制度は死亡だけ扱っているが、植物状態になったときもしっかり原因を調査してほしい、メディアとしても医療事故調査制度の問題をいろんな角度から分析して発信してほしいという発言もありました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	第５　総括</p>
<p>
	最後に明治大学学長特任補佐の鈴木利廣弁護士より、本日のシンポジウムについての総括がなされました。</p>
<p>
	患者の疾病像に対する偏見については、正しい医学的知識を持っていれば差別偏見はなくなるのかというとそうではなく、もっとも激しい差別をしたのは医療者である以上、知識があっても人権感覚がないとだめであること、そのための医学教育が極めて重要であること、精神科病院における身体拘束の問題では人手不足によって管理が十分でないという問題もあること、ヒューマンエラーからシステムエラーへと変わり、制度が希薄であることによって、患者の擁護者が侵害の道具として使われてきていること、患者の権利の中核としてのインフォームドコンセントの重要性、すなわち医療の中身を患者と医療者が一緒に決める、情報と決断、方策を共有することにこそ人権侵害防止機能があること、患者と医療者が共同して侵害を防止し、権利を確立していくことが必要であること、これから基本法を国会で作るプロセスでは、十分に論点を出させるためにも、我々はそのプロセスを監視する必要がある。良い法律ができても死文化してしまっては意味がなく、法律を生き生きとさせるのは国民の役割であることを認識し、医療基本法の制定に向けて、ともに取り組んでいきましょうとの発言がなされました。</p>
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	&nbsp;</p>
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	&nbsp;</p>
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	患者の権利がいま立っている所</p>
<p align="right">
	常任世話人　小沢 木理</p>
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	今の事情</p>
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	　今日では、老いない、死なない技術が近未来に可能になると予見されるほどにまでなっていますｉＰＳ細胞(人工多能性幹細胞)の樹立が可能になり、ＡＩ人工知能)の想像を超えた速度での進歩などなど、生命自体の考え方にすら影響を与えかねない時代の背景があります。臓器移植の実践を経て人間をパーツの集合体として考える時代をも経験してきています。医療で用いられる「死の三兆候」、それらは全ての不可逆的な機能停止と捉えてそれでこれまでは済んでいました。ところがそれも、恐らく「脳死」ということばの意味も生体現象の一症状くらいに認識され、脳移植の選択が残されており絶対死とは捉えられない時代もそう遠くない気がしています。可能性としては、です。それもごくごく限られた極上の層の人にとっての話です。</p>
<p>
	<img align="left" height="154" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/d37d8a97-626b-45c1-9531-f4cd4b99c247" width="154" />　もっと至近距離に目を向けると、医療事故、薬害被害、経済的事情で医療を受けられない等々、医療現場では泣き寝入りや患者の権利がないがしろにされているといった現実、患者が抱いている不満は数十年前と比べ目を見張るほど大きくは変わっていません。科学の進歩と医療を受ける一般庶民との乖離は一層広がる感さえあります。</p>
<p>
	振り返ると</p>
<p>
	　日本での患者の権利運動は、一九八四年の「患者権利宣言（案）」（患者の権利宣言全国起草委員会）の発表に端を発した、或は大きなきっかけとなったのではないかと言えます。この権利宣言運動を継承しその七年後の一九九一年に当会「患者の権利法をつくる会」が結成されました。当会では患者の権利を具体的に示した「患者の諸権利を定める法律要綱案」を発表し活動を開始しました。患者の権利を全面的に記し、それを法制化する案を作成したのはわが国ではじめてであり歴史的な節目と言えます。</p>
<p>
	当時から、今日に至るまでそのスローガンは一貫しており変わっていません。</p>
<p>
	〝与えられる医療から参加する医療へ〟〝医療制度全体において国民の参加権の確立〟といった患者こそが医療の主体者・主人公であり自己決定権を持つことを明確に示しています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	　日本における患者の権利運動は、つまり一九八四年を起点とするとそれから三四年。「権利法要綱案」発表から二七年。国の大罪であるハンセン病政策の検証会議再発防止検討会（日本医師会・日本病院会・日本病院協会・日本薬剤師会・全国自治体病院協議会・法律家・薬害被害者などの構成員からなる）が二〇〇九年に出した最終結論の方針は『患者・被験者の諸権利の法制化』であり、患者の権利擁護を中心とする「医療基本法」制定の必要性が提言されました。それから既に九年が経ちます。</p>
<p>
	　当時、この再発防止検討会の提言を受け、長年患者の権利の法制化を目指して関わってきた一人として、これまで微動だにせず法制化を阻んできた&ldquo;巨大な岩が動いた！&rdquo;と欣喜雀躍しました。なにしろこの検討会では多数の構成委員を占める日本の代表的な医療関係組織がこぞって出した結論なのですから、決定的な進展に繋がると大きな期待を寄せました。今年中？&nbsp;或は翌年中？&nbsp;に〝動く！？？〟と思ったのは私だけではなかったと思います。これで患者の権利の法制化の動きが一気に加速するであろうと。</p>
<p>
	　しかし、この段に至ってもそんな期待に応える動きにはなっていません。考えは甘かった。巨大な岩がそんなに簡単に動くはずはありませんでした。</p>
<p>
	　一方で、私たち患者の権利法をつくる会は、患者の権利の法制化運動を、さらに深化、進化させるために「医療基本法」として医療のグランドデザインを構築し、そこでステークホルダー（医療に関わるすべての立場の人たち）としての捉え方とその責務を明記しつつ、医療の目的や理念、つまり患者の権利を保障する制度を確立することを目指すことになっていきました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	　この間、日本医師会をはじめとする医療関係者や団体との交流や意見交換会の場を設けてきました。当時日本医師会常任理事の今村定臣さんにも多くの交流の機会を設けていただき相互理解のためにご尽力いただきました。これらの機会を通じ、意思疎通をはかることができ、成果を実感することができました。しかし、&ldquo;巨大な岩&rdquo;は、少し動いたかに見えたのですがそんなに簡単ではなくやはり元の位置のままです。&ldquo;巨大な岩&rdquo;とは定位置に固定されている権力構造・組織や体質のことです。</p>
<p>
	またこれまでに、共催や当会単独主催で医療基本法の制定を目指してのシンポジウムを一〇回以上開催して来ました。そのうちの何回かは日本医師会や医療関係者の参加もいただき有意義な時間を持つことができました。今もその感想は変わらないしその延長線にあります。しかしいまのところ、寄せては返す波のようというのか、近づきたいのに遠ざかる、医療関係団体と良い距離感が築けているかというとなかなか簡単ではなく、残念ながらまだまだその距離を縮めきれていません。</p>
<p>
	　</p>
<p>
	　ここ最近の「医療基本法」をめぐる当会の活動を、開催されたシンポジウムを中心に以下に挙げてみます。（次頁　二〇一五〜二〇一七は患者の声協議会とＨ&minus;ＰＡＣとの三団体共催）</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;このように振り返ってみると、きめ細かく患者団体、市民団体、医療関係団体と意見交換を重ねてきたことをなぞることができます。</p>
<p>
	つまりこれまで、「みんなで動こう」というスローガンのもと、第一弾は、患者側・医療従事者側との対話の場であり、第二弾は医療基本法の制定を求める多くの患者・市民団体、医療従事者団体の結集の場といえます。そして第三弾は、法律をつくる側の国会議員を交えての対話の場でした。形の上では全当事者の立場の人たちが医療基本法の必要性についての認識を共有したことになります。形の上では、です。</p>
<p>
	さらに続く第四弾は、具体的な例として、医療基本法が患者の権利侵害の予防と救済にいかに重要かを確認する作業と言えるかもしれません。</p>
<p>
	　この時点で、医療者側や国会議員の中で何らかの動きがあることは事実のようです。ただまとめようとしているその中身が不安視されています。本来患者が求めるものとはならないのではないかという不安です。また一般世論の高ま<img align="left" alt="テキスト ボックス: 2009.10「今こそ患者の権利・医療基本法を！」
2010.10「医療基本法の制定を！」
2011.10「みんなの医療基本法」（多分野の方々が発言）
2011.10「医療基本法要綱案」（世話人会案）公表
2012.11「医療基本法」制定に向けて "患者も医療者も幸せになれる医療をめざして"」（患者も医療者も交えてのシンポジウム）
2013.09「医療基本法要綱案」改訂・解説版発行。
2012.12日本医師会「医療基本法（仮称）制定に関するシンポジウム」開催
2014.10「考えよう"医療基本法"〜日本医師会の具体的提言を受けて」
2014.11患者の権利宣言30周年記念「医療被害・薬害防止と医療基本法」
2015.10「みんなで動こう　医療基本法」（医療関係団体と患者団体が 同じテーブルに）
2016.11.05　「みんなで動こう 医療基本法パートⅡ」（19団体のリレートーク。21の共同提案団体、24の賛同団体が恊働して開催。）
2017.11.12 「みんなで動こう  医療基本法 パートⅢ」（国会議員の6名が参加し発言）
2018.5 院内集会（参加した衆参議員12名全員から法制化や議連の立ち上げに前向きな発言）
2018.12「患者の権利侵害の予防と救済に向けてみんなで動こう  医療基本法 パートⅣ」（医療や誤った国の医療政策による被害者の声を直接聞くことから医療のあるべき姿を問う）

" height="422" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/69df0c26-7b49-4cd3-aaba-a4f9d25d85c1" width="206" />りもないまま進められていることもあり、動いているという実感はまだ希薄です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	梯子は外されている？</p>
<p>
	　二〇一四（平成二六）年には日本医師会が「医療基本法」の制定に向けた具体的提言（最終報告）を発表しています。わたしたち共同骨子を発表している五団体は、日医案との擦り合わせが行なわれることを期待していますが、思うようには進んでいません。</p>
<p>
	　一方よく取沙汰される医療者の労働環境をはじめとする医療者の権利や人権擁護対策の問題ですが、それは医療基本法に含めるのではなく医療基本法に基づいて対策や制度整備が求められるものではないかと思っています。医療者の労働環境や人権問題は、他の職業と同様に重要な問題であり、患者の権利擁護の観点からも当然無関係なことではありません。</p>
<p>
	&nbsp;&nbsp;そもそも、医療の主体者としての患者自身が、その人権を保障する法律を求めて様々な活動や努力を重ねて来ましたが、その殆どは現場ではチャラにされてきました。患者の権利が保障されているという実感を求めてきましたが、結局その思いもことごとく捨てて来ました。ひたすら患者の権利が実質的に保障される日が来るのを待ってです。ですがその期待も子供のうわごととして聞き置かれるだけで、法律が出来たからといってこれまでの不満がスッキリ解消されるものではないことが分かって来ました。基本法というのは理念の骨格に過ぎないからです。仮に医療基本法が法制化された場合でも、当会が何度も推敲し改訂を重ねてきた「患者の権利法要綱案」やその後の「医療基本法要綱案」に明記されている患者にとっての重要で具体的な規定が、バッサリ切り捨てられてしまうということのようです。</p>
<p>
	　法律案は、国会議員と内閣が提出することができるのですが、当会の患者が望む法律案はどのように反映されるのか、殆ど無視されるのか塀の向こう側のことは窺い知ることが出来ません。国会議員が主体者（政策過程から医療に参加するべき主体者）の譲れない主張（核心部分）を反映する気があるのかも皆目見当がつきません。逆にわたしたち患者側の主張が少しでも聞き届けられるために、わたしたちは議員たちにゴマを擦って擦り寄って行かねばならないとしたら、料亭政治ではないですが全く基本法の精神からは外れて行きます。施し、宛てがわれるという従来然とした双方の上下関係を踏襲しその意識をさらに固定化していくことになります。しかも、議員提案されたとしてその原案を作成するのは内閣法制局です。所管する各省庁を経て行くのか法律に疎い者にはその蚊帳の中のことが分かりません。つまり、法律が成立するまでのプロセスは変えることが出来ないでしょうが、扉の入口まで行って請願を出すも、そのあとは塀の中、蚊帳の中のことなので全く丸投げになるということです。そのことが市民感覚からいって全く容認できません。市民の立場としては、慣習化した既定路線自体を前提には考えません。納得できないことは受け入れられない、それこそが健全な感覚だと思います。まためざす目的は「信頼関係」とするも、標語ありきでなく結果として患者側から生まれるものです。宛てがわれの法律では信頼は生まれません。</p>
<p>
	　「手取り足取り、一患者団体がもの申したからと言ってその合意を得られなければ何も前に進むな」ということを言っているのではなく、法律案作成に、いかに患者団体（複数の）の具体的提言を検討し反映すべきものを反映したかが、法律成立前に窺い知ることができないのはやはり我々市民はエサを投げ入れられて飼われている畜産動物の扱いと何ら変わりません。この構図が変わらなければ憲法の保障する主権者や一三条、二五条自体が無効状態になります。</p>
<p>
	国民主権だの患者主体だのとことばだけが踊らされますが、実質は紙人形でしかないのであれば昔とひとつも変わっていません。しかし、まだ耳元で「なんだかんだ言っても、水面下でのやり取り無しには何も動かないんだよ！」という先達の囁きが聞こえてくるかのようです。政治的取引でなければ、〝策〟を講じることは無論必要ではありますが。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	国会議員に期待するもの</p>
<p>
	　二〇一八年五月に行なった院内集会では、参加された衆参の議員さんがこぞって『&ldquo;医療基本法&rdquo;は必要だ。超党派の議議員連盟をつくり早々に取り組みます。』と言っていました。ん？あれは群集心理？同じ場にいて異論を発せるような空気ではなかった？と揶揄したくなる気がしてきます。いや、きっと真摯にお話しされていたと思います。確かに抱えている問題は山積しているのは分かりますがやはり、ただ医療の基本法の重要性に対し、その本気度、優先度が高くないということなのでしょうか。</p>
<p>
	　その後、日本医師会案や医師資格所有者の議員さんが主導で「医療基本法案」がまとめられようとしているという話しも聞こえてきます。患者・市民は蚊帳の外、それだけは勘弁してください。少なくとも当会が発表した医療基本法要綱案の内容から後退するような法案は決して出さないで下さい。そのことはしっかり声を大にして訴えていきたいです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	　二〇一八年一一月のシンポジウムでは、現役の医師でもある古川俊治（自由民主党）氏は、医療基本法自体に財源の問題も含めてではあるが「懐疑的だ」と述べ、出来ても現実は何も変わらないだろうとかなり後ろ向き発言をされました。しかし、最終的には「とは言うが機運が高まれば、自分も前向きに取り組む」といった趣旨の発言でまとめられました。この発言には複層的な意味が込められていると思いましたが、なぜかわたしは共感するものがありました。この「出来ても現実は何も変わらないだろう」というフレーズにです。</p>
<p>
	「医療基本法」が出来るかもしれない。でも名称は立派でも「仏作って魂入れず」では、無いも同然です。当事者が必要とする納得できるものでないと、一方的に他者の判断で「コレ、あなたのこと考えて作ったモノよ！」と宛てがわれても受け入れられません。子どものランドセル買うのと同じ、本人の体の状況を知り本人の意向を聞いて買わないと使いにくい不具合の多いランドセルになりかねません。</p>
<p>
	「医療基本法」が出来たとしても、そのあと既存の関連の個別法の法整備にまたさらに多くの時間を要するでしょう。そして何よりも、官民挙げて主体者としての医療消費者の学習の機会をしっかり確保しないと、多くに人が&ldquo;制服作って、着ないまま卒業（？）しちゃった&rdquo;ってことになりかねません。</p>
<p>
	「医療基本法が出来ても現実は何も変わらないだろう」という憶測が現実のものとならないためにも、一方的な供与とならないようにしていく必要があります。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	　ここまで悲観的な話しが続きましたが、国会議員に動く意思が全く無いとは思っていません。事実なんらかの動きがあるようです。ただ、「わたしたちに任せておきなさい！」、このスタイルは呑めません。</p>
<p>
	「わたしたち医師でもある国会議員が考えて、作ってあげます。」式はゴメン願います。「だってそうでしょ。わたしたちが動かなければ出来ないんですよ！あなたたちの主張はもう聞きました。分かった上で進めているんですよ。」と言われて、「ああそうですか、あとはいいように判断してお願いします。」と言えるでしょうか。</p>
<p>
	<img align="left" height="180" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/91e4e51c-caad-4388-99f5-cc4bbf721c5b" width="180" />　やはり、二〇一七年のシンポジウムで、当時無所属で民進党の川田龍平氏は、「国会議員になっても、政党の中の医師資格を持つ議員が医療政策担当になるという風潮があり、医療政策がどうしても医師主導となってしまう。また、患者本位の医療の実現、持続可能な医療、患者の諸権利の明記、患者の政策過程への参画については、ちゃんと患者の立場が代表されるような人が複数入るような規定というのが必要ではないか。」と発言されています。</p>
<p>
	　これまでもセレモニーとして当事者（患者や被害者や市民といった）を審議委員の一人に加えるということは行なわれて来ました。しかし、それは形式上であって外部に釈明できる形をとるためであって、積極的に優先的に当事者の意見を吸い上げる姿勢にはないと感じています。「聞いてあげる」ではなく「ぜひ聞かせてください」でなければいけません。受益者＝施しを受ける側は弱者、と捉える姿勢を変える必要があります。</p>
<p>
	　これらのことからも示唆されるように、国会議員の方々には、優越的態度で事案を対処するのでなく、謙虚さとあくまでも当事者（国民・市民）の代弁者だという自覚を持って持てる能力を発揮して欲しいと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	謙虚さは不可欠</p>
<p>
	　常にわたしは、どんな立場や職業の人にも「謙虚であれ！」と言っています。つまりどんなに有能な人でも人間としての弱さや不完全さを持ち合わせているからです。医療職の人も同じで、社会的に影響力のある職業の人はなおさらその姿勢や判断に謙虚さが求められます。やはり二〇一七年一一月のシンポジウムで、立憲民主党の阿部知子さんが「私は今回の医療基本法に必要性があるという立場だが、単に患者さんが医療を受ける権利うんぬんではなく、医療そのものがその方の自由権や社会権を時に奪うものであるということに対しての視点を持っていただきたい」と話され、さらにはハンセン病のらい予防法を例に「繰り返すが、医療や治療という名においてその方に奪ってはならないものがあるという視点をぜひ医療基本法には入れていただきたい。もちろん医療が保障される、生存が保障される、提供されるべきことは言うまでもない。そこにおいては患者の権利の基本法を作っていただきたい。」と話された。子宮頸がんワクチン問題にも触れておられたが、実際に、旧優生保護法にしてもそうですが、国や医療者たちが独占的に決めて実践した医療政策が決定的に人権侵害を犯す結果になっている例はいくつもあります。ですから、社会的に統制や影響力を行使できる立場の人には「徹底した謙虚さ」が不可欠です。その視点でいえば、医療制度に主体者（患者市民）の権利擁護を基軸に置くことはごく当たり前のことなのです。</p>
<p>
	　さらに阿部知子さんは、医師の資質についても言及し、医師たちが起こした集団レイプの事件を憂いておられました。実際、医療職の方々の職場内外での性的暴行事件やセクハラ事件は一般社会と比べてもひけを取らないかそれ以上とも思えるほど頻発している実態があります。被害が患者の場合、密室同然の部屋で無抵抗に近い状態です。医師による性的暴行は二重三重にその罪は重いはずです。職業に聖域はありません。「謙虚さ」は共有すべきものです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	患者参加権は譲れない　</p>
<p>
	　もうお分かりだと思いますが、「わたしに任せておきなさい！」「専門職として能力のあるわたしたちが作ってあげます」式はもう通用しないのです。もう古すぎるのです。ものごとを諮る時の任命者に、有識者とか第三者とかいう区切りかたに終始するのは前時代的です。当事者参加優先が原則の時代です。いじめの検証をするにも、教育機関がしがらみや組織に縛られた人材で検証委員会を構成し、しかも被害当事者の家族にも非公開で行なう検証会議などに信頼を置けるわけがありません。対象となるテーマに、自由にものが言える立場の人でなければ中立的・客観的な見方は出来ません。原則として当事者は、関係するどの場面でも参加することができる基本的権利があります。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	わたしたちの課題</p>
<p>
	　冒頭の方にも書きましたが、当会結成以来27年、それももうあと少しで28年を迎えます。当会を支えて来てくださった会員さんたちも段々思うように行動できなくなってきていても不思議はありません。道は目の前にずっと先の方まで続いているのが見えますが、バトンを渡す人が目の前に見当たりません。かといって、少し前方に医療基本法法制化への兆しというくつろげる花園がまだ見えてきてもいません。ただ、道や目標は先にしかないということだけは分かっています。</p>
<p>
	　限られた人材や制約の中、やれることに限界はあり止むを得ないのですが、やはり一番の課題は、国会議員を動かすことではなく世論の喚起でした。こと「医療基本法」という切実感のないテーマに優先的に関心を持ってもらえなかったし、それ以前の&ldquo;患者の権利&rdquo;という発想にも関心を持ってもらえませんでした。一方で、個別の問題には関心があるようで、当会のホームページにアクセスするテーマで、圧倒的に群を抜いて多いのは『カルテ（診療記録）開示』です。これが実態だろうと思います。</p>
<p>
	川田龍平さんも、「国民の中にもっと世論を喚起すること。そして同時に&ldquo;機運&rdquo;というものがあるのでその時を逃さないように」と話されていました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	　日本人は、権利を侵害されたといった意識はあまり持たないようにと育てられて来ているようです。足を踏まれていても何も言えない、言っては相手に気の毒かもくらいに考える人もいるくらいです。抗議しないのが日本の美学くらいに思っている風潮さえあります。セクハラ、パワハラも近年やっと用語が使われ出し人権侵害にあたる行為なのだと認識されはじめたくらいです。それでもまだ、自分が我慢するものだという意識はまだかなり多くの人の中には残っています。ましてや、医療過誤にあったとしてもそれは我慢するものだと考える人が多くいても不思議はありません。実際に何度も当事者の家族からそういう話しを聞くことがありますが、やはり殆どの場合問題を感じながらも言い出せません。自分や家族などが入院中の事故死や危険な目に遭ってもそうなのですから、声を挙げる人は少数派とさえ言えそうです。ましてや医療基本法の必要性を感じて行動する人が少ないのは仕方ないのかもしれません。日本人の特性でもありますが抗議の結果に期待が持てず、「どうせダメだろう」と思ったり、抗議に伴う高負担に耐えられる状況にないので放棄するということはかなり多くあると思います。これらの事情には無理からぬものを感じます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<img align="left" height="127" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/e0ed6f75-3a45-47f4-82a9-14eed85756a9" vspace="8" width="124" />　二〇一二年、九州で行なわれたシンポジウムで、パネリストのおひとり九州大学大学院准教授の鮎澤純子さんが語られた中にも課題がちりばめられています。①今なぜ必要なのかということにちゃんと答えられるものを持っていなければならない。②「共に、関係者みんなで」という考え方が織り込まれていることが知られていなければならない。③この会場にいない多くの人を巻き込んでいかなくてはならない。④進めていくためには、なにが障害になっているか。⑤医療基本法というものは、国民をあげてアクションを起こしていかなければならない&hellip;といったことなどです。</p>
<p>
	　また、同じシンポジウムで当会の常任世話人であり、当会の医療基本法要綱案の筆頭の起案者でもある鈴木利廣さんが、「医療基本法で何が変わるかではなく、何を変えるかである」として話されたが、その具体的な内容については、当会の『医療基本法要綱案』につぶさに記されています。</p>
<p>
	　わたしたちは、これらのことを含めて多くの課題を抱えています。そのうえで一見説得力に欠けそうですが、やはり継続しか無いようです。機運は継続という準備態勢なしには通り過ぎてしまいます。十分に材料を蓄えて必要な時に活かせるものを準備し続けます。ただ、当会のスローガンである〝与えられる医療から参加する医療へ〟や〝医療制度全体において国民の参加権の確立〟これだけは放棄できません。　</p>
<p>
	　また、時代が代わり医療に求められるものが変わってくることも十分に考えられます。しかし、医療基本法は恒久的な生命と人権に関しての理念として、時代によっても損なわれないものとしての〝生命倫理〟を柱としての役割が担わされています。</p>
<p>
	この医療における法整備はまさに次世代の問題なのに、当の若者はスマホやＩＴを使いこなし宇宙旅行の夢で留まっています。しかしそういう彼らも医療における想定外の現実に遭遇したら、とても脆弱な気がします。かたやわれわれ老兵の体力は段々落ちてきています。バトンを受け取る若者世代の誰かおらんか&hellip;と呟いています。</p>
]]>
    </content>
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<entry>
    <title>256号 - けんりほうNEWS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kenriho.org/news/kenrihonews/2021/02/256.html" />
    <id>tag:kenriho.org,2021:/news/kenrihonews//3.316</id>

    <published>2021-02-15T10:41:31Z</published>
    <updated>2021-02-15T10:43:00Z</updated>

    <summary> 	患者の権利に関する最近の動き　〜総会記念シンポジウムにお集まり下さい！ 	事...</summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="256号" label="256号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	患者の権利に関する最近の動き　〜総会記念シンポジウムにお集まり下さい！</p>
<p align="right">
	事務局長　小林洋二</p>
<p>
	まずは、このところけんりほうニュースの発行が滞っていることを深くお詫びいたします。そのうえで、ニュースというより旧聞に属することも含めて昨今の患者の権利に関するトピックをまとめてみたいと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	〇　第三回閣僚級世界患者安全サミット</p>
<p>
	四月一三日から一四日にかけて、東京で第三回閣僚級世界患者安全サミットが開催され、「患者安全に関する東京宣言」が採択されました。</p>
<p>
	この閣僚級世界患者安全サミットは、各国や国際機関のリーダーに患者安全の重要性を浸透させることを目的として二〇一六年にロンドンで初めて開催され、第二回がボン、そして第三回が東京で開催されたものです。</p>
<p>
	採択された「東京宣言」は、その冒頭で次のように述べています。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	安全でない医療ケアや避けうる有害事象は、防ぎ得たはずの人々の大きな苦しみの原因や、財政的にも相当な負担になるとともに、医療制度や政府への信頼の失墜にもつながることから、世界的に医療提供体制に対する重大な挑戦であることと認識する。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	全ての医療段階、医療領域において、医療サービスを提供する基本要件として患者安全の促進と実行が必要であることを認識する。</p>
<p>
	<img align="left" height="119" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/f279b771-4518-4e6c-ad0b-cc5b0a08aea4" vspace="8" width="94" />患者にとって、提供される医療行為の危険性が適切にコントロールされることは医療参加を行う前提条件であり、「安全な医療を受ける権利」は自己決定権とならぶ基本的な権利であるというのがわたしたちの立場です。この「東京宣言」の「安全」についての考え方は、わたしたちのそれと基本的に一致しています。</p>
<p>
	また、この「東京宣言」の中でわたしが注目したのは、最後の項目です。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	安全で質の高い医療の提供や医療サービスのあらゆる側面（政策の策定、組織レベル、意思決定、健康に関する教育、自己のケア）において患者及び患者家族が参加することの重要性を認識する。</p>
<p>
	二〇一六年に発足した医療事故調査制度に関する議論の中では、患者や家族の位置づけを巡って厳しい議論が交わされたことは記憶に新しいところです。患者安全の議論に患者や家族が関わるのを忌避する医師の中には、医療事故被害者の遺族を「遺賊」と表記し、「遺賊が求めているのは金と、医師・看護師への処罰であって、原因究明や再発防止は関係ない」と発言する人もいました。</p>
<p>
	しかし、医療事故再発防止策は、現実に起こった医療事故から出発すべきものです。そこに直接に関わった患者や家族の声が、患者安全を実現するために重要であることはあまりにも当然のことです。そのことが、この東京宣言で確認されたと言えます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	〇　被害者たちの闘い</p>
<p>
	昨年（二〇一七年）五月、ニュージーランド人男性が精神科病院で身体拘束を受けている間に心肺停止となり死亡するという事件が発生しました。これをきっかけに、精神科身体拘束による被害者やその遺族、支援者などによる「精神科医療の身体拘束を考える会」が発足しました。</p>
<p>
	今年五月には、摂食障害で入院した病院で七七日間身体拘束されたという女性が東京地裁に損害賠償請求訴訟を起こしました。また、七月には東京地裁、八月には金沢地裁で、身体拘束中に肺血栓塞栓症で死亡した患者の遺族が損害賠償請求を起こしました。</p>
<p>
	身体の自由を奪うばかりか生命の危険まで伴う身体拘束が、患者の権利に関する侵害であることはいうまでもありません。わたしたちの医療基本法要綱案は、「不当な拘束等の虐待を受けない権利」として、以下のような条項をおいています。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	ⅰ　患者は不当な身体拘束などの虐待を受けない権利を有する。</p>
<p style="margin-left:20pt;">
	ⅱ　患者は、緊急かつ他に取り得る手段がないなどのやむを得ない場合であって、法に定める適正な手続に基づいた必要最小限度の範囲でなければ、身体拘束等自由を制限されない。</p>
<p>
	身体拘束をいかに最小限度のものに止めるか。この課題については、医療問題弁護団が本年七月に発表した「精神科医療における身体拘束に関する意見書」が注目されます。</p>
<p>
	旧優生保護法（一九四八年〜一九九六年）は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する目的で、優生手術（不妊手術）を合法化するものでした。遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、顕著な遺伝性精神病質、顕著な遺伝性身体疾患、強度な遺伝性奇形が確認された人には、都道府県優生保護審査会がその遺伝を防止することを公益上必要と認めることを要件として、本人の意思に反しても優生手術を行うことができるとされていました。</p>
<p>
	このような強制不妊手術を受けた被害者が、これを「障害による差別」であり憲法の保障する自己決定権侵害、平等権侵害であったとして国家賠償を求める裁判が、本年一月仙台地裁に提訴されました。これに続き、札幌、東京、大阪、神戸の各地裁にも同様の裁判が提訴されています。</p>
<p>
	<img align="left" height="152" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/904efd16-b549-4ff5-bd8f-812f7de55c35" vspace="8" width="154" />本人の意思に反する強制不妊手術が違法なものであることは明らかですが、約二万五千人いると思われる被害者のうち個人が特定できるのは約三千件にすぎないといわれており、被害の認定、救済をどのような形で行うかは難しい問題だと思われます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	〇　患者の権利擁護を中心とする医療基本法の制定に向けて</p>
<p>
	わたしたちの中心的課題である医療基本法制定に向けての運動としては、五月一六日に院内集会を開催したことが挙げられますが、その準備会的なものとして三月二一日、医療基本法共同骨子の共同提案団体及び賛同団体での意見交換会を開催しました。</p>
<p>
	患者の声協議会を構成しているさまざまな患者団体や、精神障害者の患者会の方、また医療過誤原告の会のみなさんも参加して、たいへん有意義な議論ができたと思います。</p>
<p>
	わたしが特に印象的だったのは、アレルギー友の会の理事長である武川篤之さんの発言でした。</p>
<p>
	日本には「基本法」と名のつく法律が約五〇本存在しますが、そのなかには医療分野のものがいくつか含まれています。がん対策基本法、肝炎対策基本法、アルコール健康障害対策基本法、そしてアレルギー疾患対策基本法です。そういった個別の疾患（というにはやや大きなカテゴリーではありますが）についての基本法以外に、なぜ医療基本法が必要なのか。</p>
<p>
	アレルギー疾患についての基本法ができたことは、行政が継続的にこの問題に取り組んでいくことを義務付けた点でよかった。しかし、アレルギー疾患の患者は、アレルギー疾患だけではなく、いろいろな病気を持っていることが普通なのだ。医療全体についての基本法をつくらなければ、特定の疾患が優先されて、その隙間に医療難民を生み出してしまうことになるのではないか。</p>
<p>
	特定の疾患に関する患者の要求は切実です。だから、その声は社会に届きやすいし、国会議員も動きやすい。一方、医療全体の基本法というコンセプトはやや漠然として、それがいったい何の役に立つのかをイメージすることが難しい、その必要性を訴える声が届きにくい。そういった意見を聞くことが多いだけに、この武川さんの意見は、とても参考になりました。</p>
<p>
	さて、五月一六日の院内集会。正直なところ、いったい誰がきてくれるのだろうかと心配しながらの企画でしたが、約一二〇名の参加者を得て、思った以上の盛り上がりとなりました。</p>
<p>
	マイクを握って、医療基本法制定への決意を表明してくれた一一名の国会議員は以下のとおりです（発言順）。</p>
<p>
	羽生田俊参議院議員（自由民主党）</p>
<p>
	田村智子参議院議員（日本共産党）</p>
<p>
	小西洋之参議院議員（立憲民主党）</p>
<p>
	小川克巳参議院議員（自由民主党）</p>
<p>
	川田龍平参議院議員（立憲民主党）</p>
<p>
	自見はなこ参議院議員(自由民主党）</p>
<p>
	穴見陽一衆議院議員（自由民主党）</p>
<p>
	高橋千鶴子衆議院議員（日本共産党）</p>
<p>
	三ツ林裕巳衆議院議員（自由民主党）</p>
<p>
	玉木雄一郎衆議院議員（国民民主党）</p>
<p>
	安藤高夫参議院議員（自由民主党）</p>
<p>
	昨年一一月のシンポジウムに参加してくれた古川俊治さん（自由民主党）、桝屋敬悟さん（公明党）、阿部知子さん（立憲民主党）の顔が見えなかったのは残念ですが、それぞれ忙しい方々ですからね。</p>
<p>
	この院内集会を経て、九月二日付毎日新聞は、「医療基本法制定に向けて超党派の議員連盟発足へ」と報じました。いまのところ、実際に発足したとの情報はありませんが、一歩一歩前進していることは間違いありません。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	〇　総会記念シンポジウムにお集まり下さい！</p>
<p>
	以上のような情勢を受け、今年の総会記念シンポジウムは、「患者の権利侵害の予防と救済に向けて〜みんなで動こう医療基本法パートⅣ」と題して、医療の過程で繰り返されてきたさまざまな権利侵害について考える企画としました。</p>
<p>
	患者の権利宣言のそもそもの出発点になった医療事故被害、患者の権利擁護を中心とする医療基本法という発想を生み出したハンセン病問題、薬害被害救済の闘いから肝炎対策基本法を勝ち取った薬害肝炎。そして、闘いがはじまったばかりの精神科身体拘束問題と、旧優生保護法強制不妊手術問題。</p>
<p>
	さまざまな形の医療被害の経験を共有し、その回復と救済、さらには再発防止の仕組みを考えることを通じて、あるべき医療制度の姿を探る機会にしたいと思います。</p>
<p>
	　ぜひ、総会記念シンポにお集まりください！</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	本の紹介</p>
<p>
	「未来を拓く人　</p>
<p align="center">
	弁護士池永満が遺したもの」</p>
<p align="right">
	&nbsp;</p>
<p align="right">
	横浜市　森田　明（弁護士）</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	　けんりほうニュース二五五号で予告されていた、池永満弁護士の追悼集が出版された。改めて言うまでもなく、池永弁護士は患者の権利法をつくる会の設立を呼び掛け、その礎を築いた人物である。</p>
<p>
	この本の中でも、つくる会をはじめ、医療問題への取り組みについては多くの論稿を通じて紹介されている。ただ、私にとっては、医療分野でしか付き合いがなく、かつ医療分野で圧倒的な存在感を示していた池永弁護士が、他にもこれほど多岐にわたる分野（様々な訴訟、運動のほか、弁護士会、法曹養成など）で活動されていたことに改めて驚かされた。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	いろいろな分野でかかわった人々の池永弁護士に対する評価はほぼ共通している。</p>
<p>
	第一に組織作りの達人であること。目的に応じたユニークな組織を作り上げ、そこに人を集めて動かして行く。権利法をつくる会もいわばそうした作品のひとつで、その時代の状況というキャンバスに池永先生の人脈でデッサンをし、そこから自己増殖的に展開するような仕掛けをするのである。</p>
<p>
	そして多くの人が少々悔しそうに述べているのは、そのようにして運動が軌道に乗ると池永先生はさっと身を引いてしまい、またほかで新たな分野を切り開いていくことである。これを「火付け盗賊」と書いている方もいたが、私も共感する。権利法をつくる会についても、軌道に乗ったところで事務局長を退任されて、海外に行ってしまい、帰国後は患者の権利オンブズマンの設立に奔走され、権利法の活動はすっかりお見限りとなってしまった。その後の患者の権利オンブズマンの活動を見るとその意義が大きいことはわかるが、それでも私としては「見捨てられた」感を引きずったままである。</p>
<p>
	第二に、組織作りと関係するが、個々の人を育て、働かせることの巧みさである。</p>
<p>
	<img align="left" height="103" hspace="4" src="blob:http://kenriho.org/3daca765-8bd9-4a0a-b2d5-c916aac72dac" vspace="8" width="99" />これも何人もの方が書いている。「適当な役職を作り出して人をあてはめてやる気を出させる」という得意技があった。そういえば私も初期のつくる会で、「出版担当事務局次長を頼むよ」などと言われ、つくる会発行の三つの書籍の編集を担当したのであるが、冷静に考えるとそんな役職はないのであった。しかしこの編集の経験は、いろいろな人とのつながりもできて大変楽しく、勉強になったことも事実である。</p>
<p>
	多くの人が池永先生の人使いの荒さを嘆きつつも、結構喜んでいるのである。</p>
<p>
	第三に、運動に必要な資金の調達である。これも事柄により様々なやり方があったようだが、私にとって忘れられないのは、何といっても、「カンパ依頼攻勢」である。</p>
<p>
	医療問題関係のことならともかく、全然関係のない分野についても、「このような社会的意義のある運動・訴訟を私池永がやるのであるからカンパするべきだ」という依頼がのべつくるのである。</p>
<p>
	「こっちだってカンパ依頼したい運動・訴訟は山ほどあるのだ」と言いたいところであったが、おそらく池永先生は依頼されればそれにはもちろん応じるという腹があって、そういうカンパのやり取りが互いの運動を広げていくのだという考えからされていたのだと思う。</p>
<p>
	しかし私はこういうやり方には共鳴できず、応じたことはなかったと思う。患者の権利オンブズマンくらいはカンパすべきだったかもしれないと今は思っているが、権利法の運動を袖にしておきながら援助せよとまで言われることにへそを曲げて一度としてカンパしなかったことは私の狭量のなせる結果である。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	最後に、医療問題への取り組みについては、患者側と医療側を対立構造で見るのではなく、医療の改善は協力して取り組むべき課題であるととらえる姿勢が一貫していることを、改めて確認できた。</p>
<p>
	この本の執筆者の中には個人的な信頼関係でつながれた医療関係者が少なくない。医師、医療機関の側に飛び込んで状況を変えていくという取り組みは池永先生の真骨頂であったろう。それは九州の「弁護団」ならぬ「研究会」のポリシーでもあるし、権利法をつくる会のルーツでもある。理念もその延長線上にある。要求ばかりするのではなく、いろいろな原稿から、福岡では弁護団ではなく医療者を含む研究会として取り組まれ、その流れで権利法やオンブズマンの運動も対立的発想を乗り越えるべく展開してきたというルーツをたどることができることからである。</p>
<p>
	池永先生を語るには、私はそれほど親しくもなく、力量も不足であるのでこの程度にする（その割には勝手なことばかり書いてしまった。美辞麗句ばかりの書評や追悼文は書かないことにしているのでお許しいただきたい）。</p>
<p>
	購入希望の方は、このニュースに申込書が入っているはずなので、お申込いただきたい。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	（付記）</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	世話人会で急遽この本の紹介を書く役割を引き受けることになった。カンパ要請を断り続けた負い目から何となく断りづらかったのだ。そして三〇〇頁を超える本を短時間で通読した。大変ではあったが、私の若いころの写真も紛れ込んでいたりして、過去のいろいろなことが想起され、楽しい時間でもあった。読みながら「今でも池永先生にこき使われているなあ、でも何だか嬉しい。」と不覚にも思ってしまった。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>255号 - けんりほうNEWS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kenriho.org/news/kenrihonews/2021/02/255.html" />
    <id>tag:kenriho.org,2021:/news/kenrihonews//3.315</id>

    <published>2021-02-15T10:39:35Z</published>
    <updated>2021-02-15T10:41:23Z</updated>

    <summary> 	なぜ今「医療基本法」が必要なのか〜二〇一五年問題に向けて 	事務局長　小林洋...</summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="255号" label="255号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	なぜ今「医療基本法」が必要なのか〜二〇一五年問題に向けて</p>
<p align="right">
	事務局長　小林洋二</p>
<p align="right">
	昨年一一月一二日のシンポジウム「みんなで動こう医療基本法Ⅲ」については、前号に、小林展大さんのレポートが掲載されています。わたしはいま、このシンポジウムの録音データの反訳原稿を、ホームページに掲載するため、繰り返し読んでいるところですが、立法に携わる議員の方々の問題意識はさすがに的確で、改めて、さまざまなことを考えさせられているところです。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	シンポジウムは、ＨｰＰＡＣの前田さんによる論点設定、①医療政策の基本理念、②患者の権利、③負担と給付との関係、④政策決定過程への患者・国民参加、⑤ステークホルダー論を受けて、川田龍平さん（無所属／民進・新緑風会）、田村智子さん（日本共産党）、桝屋敬悟さん（公明党）、小西洋之さん（民進）、古川俊治さん（自由民主党）、阿部知子さん（立憲民主党）がそれぞれコメントするという形で始まりました。</p>
<p>
	五つの論点のうち、①、②、④、⑤についてわたしたちの考え方は、「医療基本法要綱案ｰ案文と解説」のなかで十分に展開されています。しかし、③負担と給付との関係については、附則３の「医療保険に関する検討事項」のⅲ項で、「保険医療の財源としての保険料、窓口一部負担金、公的負担の割合」を検討事項として挙げている程度です。その点については、それ自体をこの基本法の中に規定するというよりは、④政策決定過程への患者・国民参加のなかで合意形成がなされていくべきもの、というのがわたしの理解です。</p>
<p>
	<img align="left" height="159" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/34142047-b41a-46ca-9323-469cb62fe897" vspace="8" width="107" />この点、川田さん、小西さん、阿部さんの考え方は、わたしたちとほぼ同じであるように思えました。非常に重要な問題であるだけに、広く国民の声を吸い上げて議論を重ねていかなければならない、そのためにこそ、政策決定過程への患者・国民参加が重要なのだ、という考え方。</p>
<p>
	最もクリアな考え方を示したのは田村さんでした。田村さんは、社会保障費抑制を既定路線とする現在の政策を批判し、社会保険と国民保険とで、被保険者の負担が区々になっている問題を指摘します。財源については、大企業や富裕層に対して応分の負担を求めることで十数兆円規模の財源をつくることができるのだというのが田村さんの発言でした。</p>
<p>
	一方、与党議員である桝屋さん、古川さんの発言は、社会保障制度の財源を確保することの困難さを強調するものでした。二人が共通して指摘したのが、「二〇二五年」というエポックです。</p>
<p>
	一九四七年から四九年の第一次ベビーブームの時期に生まれた人たちを、「団塊の世代」といいます。二〇二五年には、この世代は七七歳〜七五歳の後期高齢者となります。国民の五人に一人が後期高齢者、三人に一人が高齢者（六五歳以上）という、人類がかつて経験したことのない「超高齢化社会」を迎える。これがいわゆる「二〇二五年問題」です。この二〇二五年あたりを境にして、社会保障のスキームは変わっていかざるを得ない。</p>
<p>
	特に古川さんが指摘したのは、現時点の医療需要を前提として養成された医師や、設置されている医療施設が、二〇二五年以降は過剰になっていくという点でした。過剰な医師や医療施設の存在は、不必要な医療支出、国民負担を生み出すことになる。それをどう回避するかが現在の課題だが、そういった点まで視野に入れた医療基本法の制定が可能だろうか。国会議員であり、かつ医師資格と弁護士資格を併せ持つ古川さんの発言には、興味深い点が多数含まれていましたが、これは具体的な医療政策をつくっていく立場からの貴重な問題提起だったと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	では、わたしたちは、この「二〇二五年問題」についてどのように考えるべきなのか。</p>
<p>
	わたしとしては、そのような時期であればこそ、患者の権利擁護を中心とする医療基本法が必要だと考えます。</p>
<p>
	もう一人の医師資格を持つパネリストである阿部知子さんは、医療基本法の必要性について、このような発言をしています。</p>
<p style="margin-left:15pt;">
	今回の医療基本法に必要性があるとすれば&hellip;&hellip;わたしはあるという立場だが&hellip;&hellip;単に医療を受ける権利を確保するということではなく、医療は、ときには患者の自由権や社会権を奪ってしまうものなのだという視点にあるのではないか。</p>
<p>
	そのとおりだ、と思います。</p>
<p>
	そもそも、「患者の権利」という権利概念は、メディカルパターナリズムに抗って自己決定権を確保するために生まれたものであり、「患者の権利法をつくる会」の原点もそこにあります。そして、日本の歴史上、医療の名による最大の人権侵害ともいえるハンセン病問題の検証会議が提言した再発防止策の柱が、患者の権利法制化であり、その提言にもとづく再発防止検討会の議論から、「患者の権利擁護を中心とする医療基本法」という考え方が出てきたというのが、今日の医療基本法を巡る議論の経緯です。</p>
<p>
	そういう意味では、患者に対してどのようなレベルの医療を保障するのか、そのための財源をどう確保するのかという議論も重要ではありますが、より本質的な議論は、やはり医療は何を目的とするものかという基本理念に関わることであり、基本的人権としての患者の権利の問題なのです。</p>
<p>
	超高齢化社会になって、勤労人口が減少し、十分な税収が確保できない社会になったとしても、患者の権利、すなわち自己決定権や生存権は基本的人権として尊重されるべきであり、それを擁護することを医療の基本理念とすべきことはかわりません。それは、財源全体のどれほどを社会保障に配分するかという観点においても重要ですし、限られた財源の中で平等な医療を実現するという観点からも必要なことです。</p>
<p>
	また、医療に配分される公的財源が乏しくなれば、自由診療の範囲が拡がります。これは一見、患者の自己決定権の拡大のようにも見えますが、医療情報が専門家側に偏在している状態では、必ずしもそうはなりません。逆に、そこを利潤追求の場と捉える医療産業を、どのようにコントロールしていくのかが大きな課題となっていくのではないでしょうか。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	今日における患者の権利の状況をどのように捉えるにせよ、「二〇二五年問題」は、患者の権利法制化の必要性を弱めるものではありません。むしろ、「二〇二五年問題」によって患者の権利侵害が多発しないように、いまから備えておく必要があるというべきでしょう。「状況は厳しいのだ、患者の権利どころではないのだよ」という声に対しては、「状況が厳しいからこそ、患者の権利が重要なのだよ」というのがわたしたちの答です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	自己決定ダイエット（最終回）</p>
<p>
	　　　「私の実践から」</p>
<p align="right">
	&nbsp;</p>
<p align="right">
	横浜市　森田　明（弁護士）</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	　最終回となる今回は、食生活に関する私の取組みをより具体的に紹介する。</p>
<p>
	　なお、私は独身で独居・自炊しており、私生活が充実しているとはいいがたいが、自分の考えのままに生活パターンや食事の内容を決められるという意味では恵まれた環境にあるといえる。（配偶者や同居の親がいる場合、その理解が得られないとダイエットは困難になる。）</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	１　食生活</p>
<p>
	（１） 総論</p>
<p>
	・基本はプチ糖質制限</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　つまり、朝、昼はある程度パン、ごはんを食べる。しかも後述のようにいろいろ糖質制限の例外を設けている。ダイエット効果が十分上がっているので、それ以上極端なことはしないというポリシーである。</p>
<p>
	・三食を大体決まった時刻にとること</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	<img align="left" height="130" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/ee1a068f-e4f5-4dc3-a017-9d3578ad30db" vspace="8" width="160" />　「食べる時間が不安定になると、身体は次に食べるのがいつか不安になるため、食べたものを目いっぱい吸収してため込もうとするんだよ」と尊敬するある先輩弁護士が突き出たおなかをさすりながら言うのを聞いて、非常に説得力を感じ、定時の飲食に努めている。一食抜くのはもってのほかである。</p>
<p>
	・大食しないこと</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　いかに糖質制限でも暴飲暴食はダイエット効果を削減するし、身体に良くない。糖質制限ダイエットをしている人が急に体調を崩すことがあるのは、糖質をとらなければ体重が増えないために食べ過ぎてしまうことがあるためと推測している。逆に糖質食でも量がわずかであれば容認している（夕食を少量のサンドイッチですませるなど）。</p>
<p>
	・ダブル糖質食の排除</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　糖質中心の料理が複数かぶっているものは極力避けるべきだが、これが意外に多い。特に「ごはんにドロッとしたものをかける」系統のものは要注意である。　</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　カレーライス（対策としてはスープカレーにしてごはんを少量食べる、あるいはごはんの代わりに豆腐や刻んだこんにゃくにかけるようにする。）、ドリア（グラタンだけであれば、意外に糖質は少ないようだ。）、麺類と丼物のセット（どう見ても絶対的にいけない。）といったものである。</p>
<p style="margin-left:17.95pt;">
	・食べる順番・時間をかけて食べること</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　肉よりはまず野菜から食べ始める程度のことはしているが、私はあまり重視していない。このことが大変効果的という人はいるし、そう思う人がそうすることに異論はない。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	（２） 各論</p>
<p>
	・朝食</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　朝食は、卵や肉類を添えたサラダと少量のパン、ホットミルクティーである。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　サラダはいろいろ考えたが、トマト、オニオンスライス、水菜（あるいはキャベツ、レタス）を基本としてほかの野菜を加えたり、、フルーツ（リンゴ、バナナ、キウイなどのいずれか）を入れ、肉製品（ハム、ソーセージ、焼いた鶏肉など）、チーズ、卵（ゆで卵、目玉焼き、オムレツなどその日の気分で形を変える。オムレツは八割方失敗するが成功したときの満足感は大きい。）を添えたりする。バナナなど糖質制限に反する食材でもプラス面があるものは一定量なら使う。毎日組み合わせを工夫してサラダを作るのも楽しい。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　ちなみに独身生活が長い結果、私は料理をすることは全く苦にならず、毎朝包丁と火を使わないと気が済まない方である。（逆にそうだから独身なのかもしれない。）</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　サラダについては、実は私はかつてポテトサラダとマカロニサラダが大好きで、休日の朝食によく作っていた。しかしこれらはいずれも糖質制限からは望ましくない。外食時に付け合わせで少量出た場合に神の恩寵とばかりに食べることはあるが、自宅で作ることは一切しないようになった。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　パンは本当は食べない方が良いが、この点は妥協策をとっている。食パンなどの「もっちりしたパン」は食べないこととして、フランスパンの小片程度、あるいはチーズやナッツ類の入ったものなど糖質分の多くないパンを少なめに食べるようにしている。パンを中心にするのではなく、あくまでサラダを食べる口直し程度にパンを用意するのである。</p>
<p>
	・昼食</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　平日は外食が中心となる。ラーメンやパスタではなく、「おかずだけで成り立つメニュー」つまり定食的なものにする。そしてごはんの大部分を残すことにする。私の母の実家は農家であり、「残さず食べる」よう教育を受け実践してきた身にとって米飯を残すのはつらいことである。しかし、これはもう生産者に感謝し、謝罪しつつも貫くしかない。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　ごはん少な目のメニューがあるところではそうしてもらうが、私が食べるのはせいぜい一人前の二、三割程度であるから、少な目にしてもらっても大部分残すことになる。「ごはん抜きの定食」というメニューが早く定着して欲しいものである。最近、近くの店の定食でご飯の代わりに多めのサラダを付けられるところが出始めた。これは朗報である。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　丼物も避けるべきだが、「載っているものとごはんの上層一センチだけ食べる」やり方を開発し、時々海鮮丼などを食べている。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　サラダランチ（サラダをメインにして小さなパンが付く程度の軽いランチ）のある店を職場の周囲で五、六軒把握している。これは前夜食べ過ぎたときに利用する。　　</p>
<p>
	・夕食</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　出来るだけ一八時前に済ませるようにする。帰宅後自炊するとやや遅い時間になるので、夕食も外食になることが多い。家から遠いところで食事を済ませると、帰宅までの間に体を動かすことからダイエットには有効である。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　自炊にせよ外食にせよ、極力炭水化物の主食がないものにする。ただ、前述のように小さいサンドイッチなど全体の量が少ないものは許容しており、例えばドトールコーヒーのミラノサンドセットで夕食を済ませるのは効果的である。（もちろん夕食後何も食べないことが前提。）　</p>
<p>
	・自炊時の工夫</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　ご飯の代わりに豆腐やこんにゃくを利用する。こんにゃくの細切り（又はしらたき）をパスタ風に調理したり、冷奴をごはん代わりにすることもある。最近は無糖質の麵も売っており活用している。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　とはいえ、メニューは限定されることになるが、麺類や丼物、炊き込みご飯などのメニューは、味の良しあしを問わなければ、すぐに何十種類も思いつくことができる。ある程度制限があってこそ創造力が発揮できるというものである。</p>
<p>
	・居酒屋等での飲み会</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　参加者が適宜注文して飲み食いする形での宴会については、糖質食を除いて注文すればよい。枝豆、冷奴、お新香といった定番のつまみの多くは糖質分は少ないし、基本的に肉や魚は食べてよいので、食べる物に困ることはない。注意すべきは「締め」のごはんものや麺類である。これは断固避けなければならない。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　なお、お酒については、以前書いたように、ビールや日本酒は避けるべきだが、ウイスキーや焼酎は良いとされている。私はもともとあまり飲めない（ビールならはジョッキ一杯飲むのが精いっぱいである）のであまり考えずに飲んでいる。</p>
<p>
	・コース料理の宴会</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　コース料理は原則としてすべての人に同じ量の同じ食べ物が供される。そんな中でも糖質制限に反する物だけは断固食べない、という選択もあるが、私はそこまではせず、あえて覚悟を決めて残さず食べてしまうことが多い。重要なことは、食べてしまうことだけですませるのではなく、「今日は明らかにいけないことをしてしまった、どこかで帳尻を合わせなければならない」という自覚を強く持つことである。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	<img align="left" height="157" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/ba209892-baf1-4f70-b900-23dfbb62afee" vspace="8" width="127" />　そして帳尻合わせの方法としては、翌日の昼はサラダランチ、夜は早めの時間にサンドイッチ一つだけをとり、食後三〇分以上歩き回る、というやり方をしている。これでたいていは基準体重に戻る。少なくとも数日続ければなんとかなる。これは一例であり、その人にとって実行しやすい「帳尻合わせ法」を持っておくとよい。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　時にはおいしいものを腹いっぱい食べたいという、人としての根源的な欲求を否定してまで原則論を貫くよりも、時には禁を破ってもよいが必ず事後的に調整するとした方が、ダイエットを長続きさせる上では現実的な方法と考える。</p>
<p>
	・バイキング（ブュッフェ）形式の食事</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　いわゆる「食べ放題」のことだが、これはむしろ「食べない放題」と考えるべきである。コース料理とは違って、糖質制限の観点から食べられるものだけを少しだけ食べても構わないという状況は、ダイエットにとって極めて有利である。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　そうはいってもついつい食べ過ぎてしまうことは（少なからず）ある。その時は前記のコース料理への対処法に準ずることになる。</p>
<p>
	・麺類との戦いと（勝訴的！）和解</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　麺類は糖質制限では大敵だが、実は私は麺類が大好きである。盛岡で二回わんこそばに挑戦し、二回とも一〇〇杯超えを達成した。　ラーメン、うどん、パスタも大好きで、むしろダイエットのためと思ってごはんに代えてこれらを食べたりしていた。麺類に対しては食習慣の根本的な転換が必要であった。具体的には次のようにした。</p>
<p style="margin-left:29.4pt;">
	① ラーメン屋、そば屋、うどん屋、パスタ店には行かない。こういう店に行って、最もウリである麺類を食べ残すわけにはいかないからである。これはほぼ完全に達成しつつある。しかしそうはいっても、生活から麺類を完全に断つことは難しい。そこで&hellip;&hellip;</p>
<p style="margin-left:29.4pt;">
	② 「自宅で、少しだけ食べる」</p>
<p style="margin-left:30pt;">
	試行錯誤の結果、私の場合、麵を通常の半分の量にして、肉や野菜、こんにゃく、豆腐等を増やして食べると、体重増加を招くほどの影響は出ないことが分かった。そこで、週末などに自宅で昼食を調理する際、インスタントラーメンならば麵の部分を半分にカットして右のように調理する。二食分使えることになりお得でもある。日本そばについてもこれまでの半分の量にしている。</p>
<p style="margin-left:29.4pt;">
	③ 経験的にうどんがもっとも肥満につながるようなのでこれは極力食べないこととした。先年、高松に出張したことがあったが、讃岐うどんの本場という環境の中でついにうどんを食べることなく過ごした。「勝った」と思った。</p>
<p>
	・菓子類との戦いと（敗訴的）和解</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　菓子類への対処も重大な問題である。しかるに私は、甘いものは大好物である。前回述べた「ケーキ総量規制」などはそれゆえの苦肉の策であった。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　ダイエット開始時の「約束事」では、自分では買わないがいただいたものは食べる、という不徹底なものになっていたが、社会生活上、例えばもらったケーキはその日に食べなくてはならないから、これは現実的な対応であった。実際、自分で菓子類を買うことをやめただけで、菓子類の摂取量は大幅に減った。（それ以前にどれだけたくさん食べていたかということではあるが。）</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　このように、長く続ける上では、原理主義に傾かず、ある程度の例外も必要である。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　平日、事務所でのお茶の時間にその場にある菓子類を食べることは、昼間であること、少量であることを条件に是としている。（事務員が、事情を分かっているにもかかわらず、「これもおいしいですよ」「もう一つどう」などと悪魔のささやきをしてくるので、これと日々戦うことになる。）つくる会の世話人会で時々お菓子が回ってくることがあるが、これについても同様の基準を満たしているか吟味したうえで適量をいただいている。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　休日の散歩の際、三〇分以上歩いて喫茶店などで一休みする際、甘味をとることは許容することとした。ファミレスの場合、ドリンクバーだけでは居づらい（？）ということもある。このような場合は食後さらに三〇分以上歩いて帰ることにしている。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　麺類の制限に比べるとやや例外が広くなっている（その意味で敗訴的和解とした。）が、甘味の摂取後の体重の推移を注意深く見て、増えていれば翌日以降減らす措置をとることを常に意識している。</p>
<p style="margin-left:17.95pt;">
	　</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　食生活の各論として書きたいことはまだまだ山のようにあるが、きりがないのでこの程度にとどめる。</p>
<p style="margin-left:17.95pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:9.35pt;">
	２　さいごに〜自己決定ダイエットとは</p>
<p style="margin-left:17.95pt;">
	（実は元の原稿では、「運動〜ウォーキングの展開」「体重測定と記録の方法」という項目があったのだが、すでにあまりに長文となっているのでカットした。）</p>
<p>
	　前述のように、私は現在自分の標準体重を五五キロと設定している。身長一五六センチの身としては決して「痩せている」状態ではなく、むしろ小太りといえるが、私にとっては、これが適切な体重と考えている。無理のないダイエットをしながら体重が落ち続けて底を打った値であり、これ以上減らせないことはないが、やや無理をすることになりそうで、それは避けるべきと考えるからである。（もっと痩せると一通り買い替えた今の服も着られなくなってしまうおそれもあるし。）</p>
<p>
	　要するに、ダイエットによりどういう状態を目指すかは当人が決めることであって、客観的・普遍的な基準で決められるべきことではない。そして、ダイエットをするかどうか自体も結局は本人が決めるべきことであり、さらにいえば、それは個人にとってのクォリティ・オブ・ライフとは何か、健康とは何かということも自己責任で決めるほかないということでもある。</p>
<p>
	　そんなわけで「自己決定ダイエット」というタイトルはあながち外れでもないと弁明させていただき、あわせてこの紙面を延々と拝借したことも若干正当化しつつ、長期にわたった連載を閉じさせていただく。（完）</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	出版のご案内</p>
<p>
	「<ruby>未来<rt>あした</rt>を<ruby>拓<rt>ひら</rt>く人</ruby></ruby></p>
<p>
	弁護士池永満が遺したもの」</p>
<p align="right">
	池永満弁護士追悼集出版委員会編</p>
<p align="right">
	木星舎刊　上製Ａ５版三三二ページ</p>
<p align="right">
	本体価格三〇〇〇円（税別）</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	　池永満弁護士は当会の発足に最も寄与した方で、当会の設立からイギリスに留学する一九九七年まで初代事務局長を務めました。帰国後はＮＰＯ法人患者の権利オンブズマンを立ち上げ、「苦情は宝」をスローガンに、患者の自立支援活動を推進するなど、「患者の権利」をライフワークとしていました。</p>
<p>
	　その池永弁護士が亡くなって五年以上が過ぎました。遅すぎると言ってもいいかと思いますが、ようやく弟子たちが重い腰を上げ、故人が携わった様々な課題にゆかりのある方々に呼びかけ、その人生の軌跡の概要を形にしたいと取り組んだ成果が本書となります。</p>
<p>
	　池永弁護士の活動分野は、司法制度改革、埋め立てや再開発などの環境問題、ハンセン病問題、中国人強制連行・中国残留孤児などの戦後補償問題、弁護士会活動、原発差止訴訟、後継者育成問題など、極めて多彩、多岐にわたります。独りの視点からでは到底その全体像を結ぶことはできません。本書には三十名を超える方がおのおのの活動における関わりを通じて触れた生き生きとした姿を寄せてくださり、結果として一弁護士の足跡をたどるにとどまらず、この国の抱える様々な問題を、広い視野から総覧するものとなっています。</p>
<p>
	<img align="left" height="95" hspace="4" src="blob:http://kenriho.org/210fad25-b2f2-4050-9e95-a3a07b7b5a34" width="97" />今のところ連休前の出版を目指しています。詳細が決まりましたら、またご案内しますが、当会のホームページでも逐次ご案内する予定ですので、どうぞご期待下さい。</p>
<p>
	また、予約も受け付けています。当会事務局宛冊数と送付先をお知らせ下さい。</p>
<p>
	（久保井摂）</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>254号 - けんりほうNEWS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kenriho.org/news/kenrihonews/2021/02/254.html" />
    <id>tag:kenriho.org,2021:/news/kenrihonews//3.314</id>

    <published>2021-02-15T10:37:09Z</published>
    <updated>2021-02-15T10:39:21Z</updated>

    <summary> 	医療基本法シンポジウム「みんなで動こう～パートⅢ」の報告・感想 	東京都　小...</summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="254号" label="254号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	医療基本法シンポジウム「みんなで動こう～パートⅢ」の報告・感想</p>
<p align="right">
	東京都　小林展大</p>
<p>
	１　医療基本法シンポジウムの開催</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	　　二〇一七年一一月一二日、明治大学駿河台キャンパス・アカデミーコモンにおいて、医療基本法シンポジウム「みんなで動こう～パートⅢ」が開催されました。シンポジウムの内容は、主催者挨拶、基調講演（論点設定）、パネリストである各政党の国会議員の発言、ディスカッションと会場発言、となっていました。</p>
<p style="margin-left: 10pt;">
	　　参加された国会議員は、無所属（現在は立憲民主党）の川田龍平さん、公明党の枡屋敬悟さん、自由民主党の古川俊治さん、日本共産党の田村智子さん、民進党の小西洋之さんです。突然の解散総選挙、新党結成等の混乱直後でありながら、これだけの国会議員が集ったことにこそ、意義があったと思います。</p>
<div>
	&nbsp;</div>
]]>
        <![CDATA[<p style="margin-left:10pt;">
	<br />
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	２　基調講演（論点設定）</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　前田哲兵さんによる基調講演では、次の５つの論点設定をしました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　論点①　医療制度の基本理念</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　論点②　患者の権利について</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　論点③　負担と給付の関係</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　論点④　政策決定過程への患者・国民参加</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　論点⑤　ステークホルダー</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　そして、これら５つの論点について、それぞれのパネリストから発言いただいた後、ディスカッションとなりました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	３　各政党からのパネリストの発言</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	<img align="left" height="139" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/e96b446c-87eb-4ba4-9f68-7a7ece142503" vspace="8" width="152" />　　各政党からのパネリストの発言は、医療基本法の制定について懐疑的な発言もあれば、医療基本法の制定を政党の公約に掲げているとの発言、医療基本法の制定は必要であるとする発言もありました。そして、日本医師会の常任理事である今村定臣氏も、日本医師会内では医療訴訟を誘発するのではないか、との懸念からそもそも医療基本法の制定の必要性に疑問を呈する意見はあったものの、現状では膨大な医療に関する法令がありながらも、これらを統括する理念を定める法律が欠けていることから、医療基本法の制定は必要と考えていると発言していました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　他にも、国民健康保険料を納められなければ、医療を受ける権利を排除してしまうという行政の実態の問題があるとの発言、医療という名の下に奪ってはならない権利があるとの発言、「基本法」と名のつく法律は、なかなか憲法と個別法をつなげることができていない実態があるとの発言、「基本法」と名のつく法律は、すべて議員立法であるとの発言等がありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	４　パネリストディスカッションと会場発言</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　会場発言は、福祉職の方からの発言、医療従事者の方からの発言、一般参加者からの発言等がありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　個人的には、国民に健康増進を求めることは、価値観の押しつけにつながりはしないか、という趣旨の発言は、その後の煙草を吸うことで他人に迷惑をかけてはならない、という趣旨の発言につながって議論を引き起こしたように思えたので、印象に残ったものです。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　そして、各政党からのパネリストのまとめの発言の場面では、前述の医療基本法の制定について懐疑的な発言をしたパネリストも、医療基本法の制定の機運が高まれば、その動きに反対するものではないとの趣旨の発言をするに至っており、全体的には、さらなる議論をした上で、医療基本法の制定に向けて動くという方向性となりました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	５　参加してみての感想</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　私は、今回シンポジウムに参加してみて、上記の国民に健康増進を求めることは、価値観の押しつけにつながりはしないか、という趣旨の発言が印象に残っています。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　患者の権利法をつくる会の医療基本法要綱案には、国民の責務について、「国民は、医療の公共性を踏まえ、その適正な利用に努めるものとする。」「国民は、自らの健康状態を自覚し、健康の増進に努めるものとする。但し、病気や障碍を、その努力義務に違反した結果であると解釈してはならない。」との条文があります。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　そして、後者の条文の解説には、「自らの健康状態を正確に知り、その改善に努めることは一般的に望ましい患者像であると同時に、結果的に病気を予防し、必要とする医療の総量を小さくすることができるという意味で、医療の公共性により貢献するものとなる。医療のステークホルダーとしての自覚を促すためにも、かかる努力義務について規定することには意義があると考える。」と記載されています（医療基本法要綱案条文と解説　二一頁）。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　しかし、国民各自が健康を増進すべきである、というのは（努力義務にとどまるとしても）、価値観の押しつけではないかとも考えられるし、上記解説の直後には、「個人の健康に対する価値観は千差万別であり、疾病に対する予防策を講じるか否かあるいは疾病に対する治療を受けるか否かも含めて自己決定の範疇である。」との記載もあります（同　二一頁、二二頁）。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　そうだとすれば、健康を増進しないという考えも、価値観・自己決定の範疇といえるのではないかとも思います。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　さらに、医療基本法は、憲法と個別法をつなぎ、憲法の理念を具現化するものであります。そして、憲法は、そもそも国家権力を制限して、国民の権利・自由を守るものであり、基本的には国民に義務を課すものではありません（国民の三大義務といわれるものはありますが）。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　それならば、そもそも国民の責務についての条文を設けるべきなのか、という議論もできそうな気がします。一方で、医療基本法は、法律であって憲法そのものではないのだから、国民の責務の条文を設けても問題はないという考え方もできそうです。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　　今回、本シンポジウムに参加してみて、まだまだ議論してみると面白そうな問題点があるのではないかという気がしました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	自己決定ダイエット（第３回）</p>
<p align="center">
	糖質制限ダイエットとどう向き合うか</p>
<p align="right">
	神奈川　森田　明（弁護士）</p>
<p>
	　</p>
<p>
	一　挫折した試みの数々</p>
<p>
	　前回からだいぶ時間がたってしまったが、いよいよ糖質制限ダイエットの話に入る。しかしその前に、私がこれまでの人生で「取り組んでみたが成功しなかった」ダイエットのいくつかを紹介する。</p>
<p>
	　さらにその前に、こういうやり方だけはしない、という基本ポリシーを紹介する。次のようなことだ。</p>
<p>
	&nbsp;ⅰ　特殊な健康食品に依存するもの</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　これはお金がかかるし、その商品が販売されなくなったらおしまいである。健康食品自体が有害である場合すらある（一般的には無害でも特定の条件のある人には有害ということもある）。</p>
<p>
	ⅱ　特定の食物ばかりを食べるもの</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　バナナ、ゆで卵、さらにはほとんど米ばかり食べるというというダイエットもある。しかしこうした食生活が長く続けられるとは思えないし偏った食事になることから健康への不安が否定できない。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　そこで実際に試みたのは次のようなものである。</p>
<p>
	&nbsp;・ごはん抜きダイエット</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　これは一番手軽にできることで、高校時代から体重が急増したと感じるとやっていた。二、三キロ減らすくらいの効果はあるが、すぐ元に戻ってしまい、結局長期的な増加を食い止められなかった。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　これは糖質制限と一見同じようであるが、そうではない（詳しくは後述）。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	<img align="left" height="134" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/f1a7fbb8-6069-4f7a-9550-b49b88d377c1" vspace="8" width="149" />　当時の私は、糖質制限という問題意識がないため、ごはんを減らした分、ざるそばならヘルシーだからいいだろう、つけ麺だって同じようなものだろう、といった発想で、そば、うどん、ラーメン、パスタをがばがば食べていたのであるから、ダイエットになるはずもなかった。</p>
<p>
	&nbsp;・カロリー制限ダイエット</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　従来の通説的見解である。食べ物のカロリーを計算し、一日当たりの摂取カロリーを所定の範囲内に抑えようとするもの。カロリーブックを買ってみたりしたものの、考え始めると食べるものがなくなってしまい、実践するのは難しい。理屈としては正しいのかもしれないが療養生活ではなく、頻繁な飲み会も含めた社会生活を営みつつこれを行うのは非現実的と言わざるを得ない。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　そもそもカロリーという概念自体に疑問を呈する医師もいる（夏井睦「炭水化物が人類を滅ぼす」一五六頁、本当かいな、とも思うが実感としては、結構説得力がある）。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　もっとも、極端な高カロリー食生活が有害であることは当然であり、意識せずに高カロリー食をとったりしないために、どのような食事にどれくらいのカロリーがあるかを知っておくことは意義がある。例えば、餃子付きラーメンライスとか、カツカレーとか、トン汁付きとんかつなどの恐るべきカロリー値。また、似たようなものでも結構カロリー値が違うものもある。菓子パンの中でもメロンパンが突出して高カロリーであること、シュークリームよりアップルパイ、天丼よりかつ丼の方がはるかにカロリー値が高いといったことも知っておいた方が良いだろう。だからと言って、シュークリームや天丼なら安心して食べてよいということではないが、それと知らずに必然性もなく食べてしまうことは避けたいところである。</p>
<p>
	&nbsp;・レコーディングダイエット</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　日々の体重だけでなく、食べたもの、そのカロリーを詳細に記録するというもの。岡田斗司夫「いつまでもデブとおもうなよ」で提唱された。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　カロリー制限ダイエットの一種であるが、カロリー制限それ自体ではなく、「記録する」ことを自己目的化することで、楽にダイエットを実現できるという点で画期的なものである。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　確かに、体重の推移を記録するだけで一定のダイエット効果はある。しかし、日々の個々の食べ物やそのカロリーを書き出し計算することを続けるのは常人にはなしえない。ただ、岡田氏自身も言っているように、そういうことを楽しみとしてできる人もいるのであり、向き不向きがあるということだろう。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　ちなみに私も以前、毎日の昼食、夕食を一年位記録していたことがある。ラーメン、カレー、スパゲティ、丼物の比率の多さに我ながら驚いたが、ごはんを減らして食べればいいか、くらいしか思わず、その恐ろしい意味に無自覚であったことに今では慄然とする。</p>
<p>
	&nbsp;・くーみんダイエット</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　歌手の倖田來未のやり方で、「一八時以降は何も食べない」ということで知られている。もっとも、他の注意事項もあり、反面「例外的に食べたときは翌日調整する」とか、弾力的なところもある。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	<img align="left" height="121" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/ae2cce73-0fb1-40e4-b624-7af7c55f5269" vspace="8" width="136" />　夕飯はできるだけ早めに、夕飯後には食べない、ということは私もそうするよう努めているが、「例外」は少なくない。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;・ケーキの総量規制（シール・ダイエット）</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　これは私の思い付きで、一九九八年ころから数年にわたり試みた。ケーキはダイエットの大敵だが、これを食べないで過ごすことは社会的礼節としても、地球環境問題としても（食べなかったケーキはただのゴミ）、私自身の幸福追求権を大きく犠牲にするという点でも妥当ではない。しかも諸般の事情から、一日に数個食べなくてはならないこともあるので、週に一個などと決めてしまうと不都合が生じる。そこで、年間の許容量を決める、つまり総量を規制するということを考えた。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　年頭に小さなシール五〇枚を用意し、ケーキ一つ（ないしそれと同視すべき菓子、アイスクリームなら大きめのもので一つ、小さな饅頭なら二つで一つ分などルールを決める。）を食べるごとにシールを弁護士手帳のその日に貼っていき、年末にいくつ残るかをチェックするというものである。これは一定量食べることを許容してしまうことになるが、私のような小心者は「少しでも多くシールを残したい」という気持ちになる。五〇枚用意して二〇枚程度は残せるようになり、主観的な達成感はあったが、ダイエット効果はあまりなかった。まあ、毎年一キロ増の勢いを抑えるための一要素程度の意味はあったかもしれない。</p>
<p>
	&nbsp;・「ジーパンダイエット」？</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　一〇年くらい前に、間違って、一〇センチほどウエストの細いジーパンを買ってしまったことがある。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　無理してはいて、ウエストを閉めると苦しくて一分も持たない。それでも、やせようと言う気持ちを持ち続けるべく、時々はくようにしていたが、もちろんそれ自体でやせられるわけではなく、何回やっても苦しさは変わらないので、そのうちこのジーパンはしまい込んでしまった。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	　ところがダイエットが成功したことで今はぴったりはけるようになり、愛用している。ダイエットの効果はなかったが、現時点では「せっかくはけるようになったのだから、再びこれがはけなくなる事態は避けなければ」という思いがあり、現在の体型を維持しようという強いモチベ&mdash;ションになっている。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	二　糖質制限ダイエットとは</p>
<p>
	⑴ 出会いと特徴</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　さて、いよいよ糖質制限ダイエット論に入る。糖質制限というやり方は当初のダイエット計画にはなく、いわば偶然の出会いである。ダイエット計画の一つに休日の散歩がある。二〇一三年一月のある日曜日、私は三〇分ほど歩いて、とあるショッピングセンターにたどり着き、そこの本屋で休憩していたところ、桐山秀樹「おやじダイエット部の奇跡」という本に巡り合った。そこにはデブのオヤジ達が糖質制限によりダイエットに成功した実話が感動的に描かれていたのであった。そこから、関係文献を読みつつ、実践を始めた。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　糖質制限ダイエットといってもやり方はいろいろあるが、その特徴を私なりに整理すると次のようなものである。</p>
<p style="margin-left:16pt;">
	ⅰ　単にご飯を食べないというのではなく、糖質つまり米や小麦粉でできたもの全般を減らす。ジャガイモに代表される根菜などいくつかの野菜や果物も食べないようにする。もちろん砂糖を大量に使う菓子類も食べない。</p>
<p style="margin-left:16pt;">
	ⅱ　しかし糖質でないもの、つまり豆腐やこんにゃくはもとより肉や魚等は特に制限せず腹いっぱい食べてよい。酒もビールや日本酒のように糖質のものはだめだが、そうでない例えばウイスキーや焼酎はかまわない。</p>
<p style="margin-left:16pt;">
	ⅲ　開始当初の三週間程度、徹底した糖質制限をする。これにより糖質制限に適した身体に「切り換わる」。</p>
<p style="margin-left:16pt;">
	ⅳ　あわせて適度な運動をする。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　糖質制限ダイエットには三つのレベルがあるとされている。</p>
<p style="margin-left:16pt;">
	① スーパー糖質制限　朝昼夜の三食とも主食抜き</p>
<p style="margin-left:16pt;">
	② スタンダード糖質制限　三食中二回主食を抜く、特に夕食は抜くようにする。</p>
<p style="margin-left:16pt;">
	③ プチ糖質制限　朝昼は主食をとり、夕食のみ抜く　</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　このいずれを選択するかは各人の状況と嗜好に応じてでよい。もちろん効果が上がりやすいのは①②③の順である。</p>
<p>
	⑵ カロリー制限か糖質制限か</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　従来の通説的なダイエット方法はカロリー制限を主とするものであった。この立場と糖質制限論者との間でし烈な議論が展開されている。紙面の制約もあるので、ごくごく大まかに要約して述べる。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　糖質制限論の理論的根拠は、糖質の摂取により食後血糖値が上昇し、ブドウ糖量が増えることからインスリンが大量に分泌され、これが肥満を招くことから、糖質摂取を抑えるべきだというものである（江部康二「主食をやめると健康になる」二二頁など）。カロリー制限論者もこのメカニズム自体は否定しないようだが、リスクが大きいことを指摘する。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　岡本卓「本当は怖い「糖質制限」」では、糖質制限で、「死亡率が上昇」「微量栄養素が激減」「頭痛や末梢神経障害になる」「糖尿病になる」「ガン・うつ病・認知症･骨粗鬆症・心臓病・脳卒中になる」などと指摘したうえで、長期的に見て効果が上がったという根拠はない（つまりどうせ長続きしない）ので、「やめなさい」としている。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　糖質制限論者からの反論としては、これらの弊害は証明されたものとはいえない、むしろいろいろな病気が治る、カロリー制限を現実に行うのは困難であり、糖質制限によるダイエット効果は明らかであるとする。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　なお、付随的な効果として、糖質制限により、頭がさえて、眠くならない、などともいわれるが、私の経験上それはさほど顕著ではない。他方、反対論者の言う、糖質制限をすると、体臭が臭くなるとか頭が働かなくなるとかいうことも、一般的にいえるような大きな問題とは思えない。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　さらに議論は人類史的なところに至り、糖質制限論者からは、そもそも人類は長い期間、狩猟を中心とした糖質などほとんどとらない生活をしてきたのであって、その方が自然なのだ、という。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　しかしこれに対しては、人類が生存を確保し、知的活動ができるようになったのは、米麦などの糖質食品で食物が確保できたためであり、その上に文明が成り立っている。糖質の食品がなければそもそもこんな議論ができる状況自体が成り立たないのだ、という反論があり、それもそうかと思えてくる。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　ただ、全般的に、糖質制限反対論者の言う危険性が、糖質を全く摂取しない前提で論じられていることには疑問がある。糖質制限を相当徹底しても、実際には糖質を完全に排除した食生活など成り立ちえないだろう。糖質制限論者であっても、糖質が身体に必要なものであることは否定していない。ただ必要以上に徹底して糖質を排除してしまう人がいることは事実のようであるが、なんであれ教条主義的な食生活をすれば弊害が起きることは当然で、それは糖質制限の正当性を否定する理由にはならないのではないか。</p>
<p>
	⑶ 私の「糖質制限」ポリシー</p>
<p>
	・糖質制限生活への「切り換え」</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	<img align="left" height="119" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/4c3e7046-13c1-4fac-a5d9-7fc9748a6833" width="114" />　糖質制限ダイエットの第一のポイントは、「初期の徹底した糖質制限」であり、これにより、（表現が不正確かもしれないが）「ブドウ糖中心の代謝からケトン体中心の代謝に切り替わる」のだと言われる。これが成功すると「身体のスイッチが切り替わるような感じ」がして、以後は炭水化物ドカ食いの誘惑を感じることはなくなるという。またこの点が単なる「ごはん抜きダイエット」とは異なるところである。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　私の場合もたしかに糖質制限を始めてから一月弱で「切り替わった」感があり、それが成功の最大の要因であったと思う。以後大きな空腹感を覚えること自体なくなり、一八時前に軽めの夕食を終えてから寝るまで何も食べなくても何とも思わなくなった。一食当たりの量も、少量でも何か食べれば満足できるようになった。そして、その後も減量が目に見えて達成されていくことでますます食べることへの欲望は希薄になっていった。</p>
<p>
	・プチ糖質制限食の継続</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　体重がある程度落ちてきて、食欲もコントロールできると思われたころから、前記のプチ糖質制限食の体制に入った。朝はサラダと少量のパン。昼は定食になりがちだが、おかずを主にして、ご飯は少しだけ食べる。夕食は基本的に主食を食べない。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　ただ、フルコースの料理を食べて後日調整するということもする。それ以外にも麺類は少しなら、甘味は一定の条件下でならとるなど原則に固執しない。その代わり、体重測定を厳密に継続し、増加した場合には速やかに対処し、運動も織り交ぜて、上がった体重を戻すようにしている。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　要するに私自身の信条・生き方（原則は原則として、適宜日和見的に対処するということ。）と嗜好に合うという視点から考えて、できることを続けてきたのである。</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	　そのあたりのより具体的な取り組みについては次回に「私の実践」としてやや詳しく紹介し、それをもってこの連載の締めくくりとしたい。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<strong><em>書籍のご紹介</em></strong></p>
<p>
	「医療基本法」</p>
<p>
	〜患者の権利を見据えた医療制度へ</p>
<p align="right">
	医療基本法会議</p>
<p style="margin-left:6pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	　日本医事法学会に所属する八名の執筆者が九つのテーマで執筆した章よりなる本書、そのきっかけとなった二〇一〇年の日本医事法学会四十周年のシンポジウムには、私も参加して、熱心な議論と詳細な資料に驚かされたものでした。</p>
<p>
	　本書は二部構成になっています。第一部は「総論：医療基本法とは何か」、基本法とは何かという基礎から、改めて学習することのできる、しかも読みやすくわかりやすいと感じました。一家綱邦さんの「医療基本法論の現在地」に付された四十頁にわたる表は、シンポジウムで配布され、私が驚き感激したものを、その後の経過も踏まえて、更に充実させたもので、今後、医療基本法制定運動に取り組んでいく上で、とても強い味方になりそうです。</p>
<p>
	　第二部は「各論：医療基本法に関わる様々な問題」として、医学教育、産婦人科医療、医療保障、精神科医療、医事関係法規の整備に関する法律など、各人の取り組んでいる課題に沿った論考となっています。私にとっては、上杉奈々さんの「医学教育における医療基本法の役割」が、わが国の医師養成政策の変遷や、現在の医学教育のカリキュラム（医学教育モデル・コア・カリキュラム＝ＭＣＣ）を概観した上で、卒前教育、臨床研修、専門医研修のそれぞれにおいて、インフォームド・コンセントをはじめとする患者の権利がどう取り扱われているのか、現状と課題を分析している点に、特に注意を引かれました。</p>
<p>
	　大学医学部や病院などで、医学生や医療従事者に対して患者の権利について講義する機会に接することはしばしばです。ある病院の臨床研修管理委員にも選任されていて、研修プログラムを拝見する機会もあります。患者の権利オンブズマンの活動を通じて、つくづく感じたのは、医療従事者が「患者の権利」を正面から学ぶ場や機会は、極めて乏しいということでした。</p>
<p>
	　先日、医学部でインフォームド・コンセントについて話したとき、ふと思いついて、「インフォームド・コンセントとは何か、説明してください」と、学生を指名してみました。返ってきた回答は、「患者に説明して同意をもらうこと」でした。やっぱり、という思いがしました。臨床現場に出る前の医学部生にして、既に、インフォームド・コンセントの主体は患者ではなくて医療者なのです。自分が何をしなければならないのか、どうしたら責任を問われないか、そういう視点からの発想になってしまうのだ、と嘆息しました。</p>
<p>
	　医学教育や、臨床での医療従事者に対する研修で、どのように患者の権利について正しく学ぶ場をつくるか。それは、患者の権利を根付かせるためにとても重要なことだと思います。</p>
<p>
	　さて、私の関心はともかく、医療基本法について、これだけまとまった論考が詰まった書籍はほかにありません。ぜひ手に取って読んでいただきたい一冊です。</p>
<p>
	（久保井摂）</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>253号 - けんりほうNEWS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kenriho.org/news/kenrihonews/2021/02/253.html" />
    <id>tag:kenriho.org,2021:/news/kenrihonews//3.313</id>

    <published>2021-02-15T10:35:19Z</published>
    <updated>2021-02-15T10:36:51Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	日本医師会との意見交換会のご報告 	事務局長　小林洋二 	&nbsp; 	七...]]></summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="253号" label="253号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	日本医師会との意見交換会のご報告</p>
<p align="right">
	事務局長　小林洋二</p>
<p align="right">
	&nbsp;</p>
<p>
	七月七日に開催された、医療基本法に関する日本医師会との意見交換会について、全体の状況については小林展大さんの原稿に譲ることとして、患者の権利法をつくる会の発言を中心にご報告したいと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	患者の権利（国民の医療に関する権利）の位置づけの明確化</p>
<p>
	日医草案一条（基本理念）には、「すべての国民が安心、安全な医療を等しく受ける権利を享受し」との文言、三条(1)には「個人の人権に配慮しつつ」、同(4)には「憲法で保障された国民の生存権を担保し、それぞれの国民を個人として尊重するとともに」といった文言が入っています。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	日本医師会との意見交換会のご報告</p>
<p align="right">
	事務局長　小林洋二</p>
<p align="right">
	&nbsp;</p>
<p>
	七月七日に開催された、医療基本法に関する日本医師会との意見交換会について、全体の状況については小林展大さんの原稿に譲ることとして、患者の権利法をつくる会の発言を中心にご報告したいと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	患者の権利（国民の医療に関する権利）の位置づけの明確化</p>
<p>
	日医草案一条（基本理念）には、「すべての国民が安心、安全な医療を等しく受ける権利を享受し」との文言、三条①には「個人の人権に配慮しつつ」、同④には「憲法で保障された国民の生存権を担保し、それぞれの国民を個人として尊重するとともに」といった文言が入っています。</p>
<p>
	したがって、憲法一三条、二五条による基本的人権の保障を、医療制度において実現するというのがこの草案の基本的スタンスであるとは思われます。しかし、その国民の医療に関する権利の位置づけが文言上あまり明確ではなく、そのことが後に述べるような問題点を派生させています。</p>
<p>
	医療制度の目的が、憲法一三条及び二五条に定められた人権の保障にあることを、より明確に謳うことが望まれます。</p>
<p>
	この点について、わたしたち患者の権利法をつくる会の医療基本法要綱案は、前文で次のように謳っています。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	日本国憲法は、生命、自由、および幸福追求に対する国民の権利について最大の尊重をすべきことを表明するとともに、すべての国民が、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有することを確認し、国が、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めるべきことを明らかにしている。医療は、人々の幸福追求権と生存権の実現に必要不可欠なものであり、医療制度は、それらの基本的人権を擁護するためにある。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	「患者の権利と義務」の位置付け</p>
<p>
	医療制度の目的が憲法一三条及び二五条に定められた人権の保障にあるとするならば、医療基本法において、「患者の権利と義務」よりも「医療提供者の権利と義務」の規定が先行するという体裁には違和感が拭えません。</p>
<p>
	まずは、憲法一三条及び二五条の規定から敷衍される患者の権利を明らかにし、それを保障するために、医療提供者にはいかなる権利と義務が認められるかを定めるのが順序です。</p>
<p>
	日本医師会という団体の性質上、「医療提供者の権利と義務」を先行させざるを得ないという組織内の状況は理解できないではありませんが、あくまでも、国民のための医療基本法であるという観点から、それに相応しい体裁を考えていただきたいと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	基本的な「患者の権利」規定の必要性</p>
<p>
	上記の患者の権利保障が目的である以上、医療基本法においては、その権利がどのようなものかをある程度具体的に示すべきだと考えます。日医草案においては、「自己決定の権利」、「診療情報の提供を受ける権利」、「秘密及びプライバシーの権利」が定められていますが、それに加えて、「最善かつ安全な医療を平等に受ける権利」も明文で定めるべきです。</p>
<p>
	わたしたち患者の権利法をつくる会の医療基本法要綱案は、以下のように基本的な患者の権利を明らかにしています。</p>
<p style="margin-left:24.05pt;">
	ⅰ　すべて人は、その経済的負担能力、政治的、社会的地位や、人種、国籍、宗教、信条、年齢、性別、疾病の種類等に関わりなく、最善かつ安全な医療を受ける権利を有する。</p>
<p style="margin-left:24.05pt;">
	ⅱ　すべて人は、医療行為を受けるか否かに関し、必要十分な情報を得た上で、同意あるいは拒否する権利を有する。</p>
<p style="margin-left:24.05pt;">
	ⅲ　すべて人は、医療政策の立案から医療提供の現場に至るまで、あらゆるレベルにおいて参加する権利を有する。</p>
<p style="margin-left:24.05pt;">
	ⅳ　すべて人は、自らの生命、身体、健康などにかかわる状況を正しく理解し、最善の選択をなし得るために必要なすべての医療情報を知り、かつ学習する権利を有する。</p>
<p>
	ⅴ　すべて人は、病気または障碍を理由として差別されない。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	患者あるいは国民の責務条項の独り歩き阻止</p>
<p>
	日医草案八条の国民の責務、二一条の患者の責務条項そのものに反対するものではありませんが、こういった条項には疾病に関する自己責任論＝公的責任の放棄に繋がる危険が含まれています。このような条項を設けるにはそれに関する配慮が不可欠だと考えます。</p>
<p>
	<img align="left" height="139" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/bdcf45ff-cd52-4801-bccc-f61e3d6d2b6b" width="140" />わたしたち患者の権利法をつくる会の医療基本法要綱案では、国民の責務条項を、以下のように定めています。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	国民は、自らの健康状態を自覚し、健康の増進に努めるものとする。但し、病気や障害を、その努力義務に違反した結果であると解釈してはならない。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	感想</p>
<p>
	時間が限られていたので、患者の権利に直接関わる部分に限定して意見を述べることにしました。</p>
<p>
	もちろん、他にも言うべきことはたくさんあったのですが、小林展大さんの報告にもあるとおり、様々な団体から、その団体なりの視点に立った意見が表明されましたので、結局のところ、言うべきことの多くは伝わったことになるのではないかと感じています。</p>
<p>
	そして、そのような「言うべきこと」は、患者の権利法をつくる会という一つの市民団体の意見として表明されるよりも、それぞれの分野で独自の課題を掲げて活動している団体の意見として表明された方が、わたしたちの目標とする「患者の権利の法制化」、「患者の権利擁護を中心とする医療基本法の制定」の実現に向けて有効なのではないでしょうか。</p>
<p>
	今回の意見交換会の直接的な目的は、日本医師会に医療基本法共同骨子の共同提案団体・賛同団体の声を伝えることでした。しかし、それだけではなく、それぞれの団体が、どのような問題意識でこの活動に関わっているかを相互に認識し、確認するいい機会にもなったと思います。このネットワークを拡げ、かつ、強固にしていくことが、患者の権利法制化の実現への道筋であるとわたしは考えています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	医療基本法に関する意見交換会の報告・感想</p>
<p align="right">
	川崎市　小林展大（弁護士）</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	医療基本法に関する意見交換会</p>
<p>
	二〇一七年七月七日、日本医師会館にて、医療基本法に関する意見交換会が開催されました。意見交換会は、主催者及び日本医師会からの挨拶に始まり、参加した約一一の各団体から日本医師会の医療基本法草案に対する意見が述べられ、その後に日本医師会からのコメントがなされました。そして、各団体と日本医師会とで意見交換をしました。意見交換会の全体の大まかな流れは以上のとおりです。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	日本医師会の横倉義武会長からの挨拶</p>
<p>
	日本医師会としては、昭和四〇年の初めに医療基本法の議論はしていたものの、医療基本法の制定には至りませんでした。</p>
<p>
	その後、平成一八年に、日本医師会に医事法関係検討委員会ができて、医療基本法の制定に向けて、再び議論がなされるようになりました。</p>
<p>
	そして、平成二二年には、「今こそ医療基本法を」と題するシンポジウムを行い、その後、日本医師会の医療基本法の条文案の提案がなされるに至りました。また、日本医師会としては、医事法関係検討委員会の条文をもとにシンポジウムを行い、条文案を修正しました。</p>
<p>
	今後は、国会に提出する法律案として検討していき、国民的な議論をする必要があると考えているとのことでした。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	各団体の日本医師会の医療基本法草案に対する意見</p>
<p>
	各団体の日本医師会の医療基本法草案に対する主な意見は、以下のようなものがありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・医療基本法には、共同骨子六項にある国民参加の政策決定を入れて欲しい。患者は、自らの視点から意見をもって政策を決定していくことが必要であり、このことは権利として担保されるべきではないか。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・広くあまねく患者参画の規定を入れて欲しい。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・医療政策による人権侵害を防止するために、医療基本法の制定が必要である。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・医療に関する国民の権利義務を定めるならば、国民の権利義務&rarr;医療従事者の権利義務の順にすべきではないか。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・最善かつ安全な医療を平等に受ける権利も定めるべきである。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・国民の責務条項は、自己責任論につながる危険がある。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・医師の偏在の是正が必要である。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・医療資源を抑制的に使う必要がある。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・医療を選ぶ権利が狭まってきている。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・患者目線に立つ理念法が必要である。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・生存権だけではなく、幸福追求権も必要ではないか。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・病気や障害等を理由に差別されることのないよう明記する必要があるのではないか。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・患者の権利擁護を医療提供者の責務に加えるべきではないか。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・現場で理念に立ち返るための法律であってほしい。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・医療基本法では、「福祉職」の位置づけを明確化する必要がある。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・トータルコンセプトは、「信頼」にある。また、原点は、患者の権利擁護にある。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・苦情は宝である。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・リスボン宣言は、医師が患者にあると認めた権利を挙げており、その権利が認められないならば、医師は団結して国家と闘え、としている。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・人は誰でも間違えることを前提にシステム構築すべきである。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・良質、安全かつ適切な医療を享受する権利は定められていない一方で、良質、安全かつ適切な医療提供のため協力する義務は定められている。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・日本医師会の医療基本法草案の四条、六条、七条に「医療安全」を入れるべきである。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	日本医師会からのコメント</p>
<p>
	日本医師会からの主なコメントは、以下のようなものがありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・医療基本法の成立を実現したい。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・政策決定への国民の関与は、大切な点なので、ブラッシュアップしたい。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・患者本位の医療は、基本的人権の具現化である。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・各団体の日本医師会の医療基本法草案に対して挙がった意見と同じような考えを述べる医師もいた。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	意見交換</p>
<p>
	意見交換の時に、挙がった意見は、以下のようなものがありました。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・患者は、必要な医療を受けたいのであって、自由にいくらでも医療を受けたいわけではない。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・適切な医療を施せば予算は減る。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・地域格差を良い方向に収れんすれば、医療の水準は上がる。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・医療費は多くは公費依存している。財源に踏み込むには関係者が多すぎて、「財源を維持すべきである」くらいしか医療基本法には書けないのではないか。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・医療を同じく提供されても、万人に同じ効果が得られるわけではない（不確実性）。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・結果が悪いと訴えられるのではない。リスクの説明をして、最善を尽くせば訴えられるわけではない。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	　・患者と医療提供者の共同事業が医療の本質である。</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:10pt;">
	医療基本法に関する意見交換会に参加して</p>
<p>
	最後に、医療基本法に関する意見交換会に参加してみて、私の感想を一言だけ書いておきたいと思います。</p>
<p>
	法律の条文の文言だけでなく、法律の条文の順序も意味を持つことがあります。だから、私は、前記の「医療に関する国民の権利義務を定めるならば、国民の権利義務&rarr;医療従事者の権利義務の順にすべきではないか」といった意見や「良質、安全かつ適切な医療を享受する権利は定められていない一方で、良質、安全かつ適切な医療提供のため協力する義務は定められている」といった意見に共感するところがあります。医療基本法という法律の制定を目指すのですから、条文の文言や順序も重要なポイントになるものと私は考えています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	中村道子さんからのバトン</p>
<p align="center">
	（追悼に代えて）</p>
<p align="right">
	小沢　木理</p>
<p>
	　</p>
<p>
	　乳がん患者の会のソレイユ（数年前に解散）の会長でいらした「中村道子さんが七月二九日に逝去された」ということを知りました。がん患者の会の先駆けともいえるソレイユを率いて、患者自らが主体的に情報を集め、乳がん患者さんのための治療法の選択肢の提示やサポート活動をされてきました。</p>
<p>
	　いまから一四年前の二〇〇三年、山梨で開催した学習会に中村さんをお招きし、乳がん治療の実態とその選択肢についてお話しいただいたこともあります。その後も権利法をつくる会の世話人会には熱心にご出席されていて、お話しすることがよくありました。その中村さん、お会いするたびにいつも満面の笑みでお話しされるので、こちらの内にある疎ましい思いは解き放たれることしばしばでした。</p>
<p>
	　詳しいことは知りませんがご自身のお話しによるとこの数年間は、「がんの転移などで入退院を繰り返していた」とのことです。でもなんともその時でさえ満願の道子スマイルでサラッと話されるので、実際にはどんなにお辛いことだったのだろうとこちらで想像することが困難なほどでした。</p>
<p>
	　常に前向き、悩むより挑戦する、結果に執着しない、周囲を明るく元気にさせる、人として垣根が低く温かさを感じさせるそんなお人柄でした。そう、それにどんなに体調不良でもビールは欠かされない。いわば男っぽさと女性の優しさを兼ね備えた方でした。</p>
<p>
	　「患者の権利法」進化して「医療基本法」、その成立の日を見ずしてまた大事な仲間を見送ることになりました。わたしが知り得ない他のお仲間の方々も、ひとりふたりと旅立たれていたとしても不思議ではありません。残されたわたしたちは、それでもひたすら前を向いて徒歩を進めます。中村道子さんや先に発たれた方たちからの目に見えないバトンを握り、道すがら新たな仲間も増やしながらこれまでそしてこれからもめざしている目標に向けて。多くの仲間の皆さん、『この先もよろしく！』。</p>
<p>
	　きっと中村道子さんも空からそう言っておられると思います。共に歩みましょう。</p>
<p>
	　中村道子さん、これまでご苦労さまでした、そしてありがとうございました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	故中村道子さんを偲んで　　　</p>
<p>
	　　　　　　　　　　　神奈川　森田　明　　　</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	　つくる会設立以来の世話人であった中村道子さんの訃報が届きました。</p>
<p>
	　世話人会に時々出てきて、あまり発言はしないものの、議論に耳を傾けて楽しそうにしておられた姿を記憶されている方も多いかと思います。</p>
<p>
	　中村さんはずっと横浜におられたので、私は世話人会のほか、神奈川の会員で独自にイベントを企画したりしていたころ（もう二〇年くらい前になりますが）、そこにも参加されて力を貸していただいたことを思い出します。</p>
<p>
	　しかし実は私も中村さんのことをあまり詳しくは知りませんでした。</p>
<p>
	　つくる会の設立過程をまとめた「患者の権利法をつくる」（一九九二年刊行、明石書店）に、中村さんは次のような自己紹介を寄せています。</p>
<p>
	「一九三二年生まれ。東京都出身。五五年群馬大学工学部応用科学科卒、保険会社外交員。一九七六年六月左乳房を切除（第四期）、この体験を生かして、一九八八年乳ガン体験者の団体、ソレイユ結成。現在ソレイユ会長。乳ガンに関して勉強すればするほど、現在の医療に対しての矛盾を感じ、患者の権利法の制定を強く願うようになった。乳ガンの自己検診法の普及、「乳ガン」と言われた時、乳ガンの再発、転移の時の正しい対処の仕方を、体験者および一般人を対象に啓蒙活動を行っている。」</p>
<p>
	　今これを改めて読み返して感じるのは、「一九三二年生まれ」というとほぼ私の母の世代にあたるのだということ、「群馬大学工学部応用科学科卒」はちょっと意外でしたが理系の分野についても臆せず積極的に勉強することにつながったのでしょう、「保険会社外交員」はなんとなくわかるような気がします。</p>
<p>
	　乳ガン体験者の団体、ソレイユを結成し、ずっと会長をされてきたことはよく知られていましたが、今般ネットを検索してわかったことは、乳ガン治療の在り方についての近藤誠先生の見解を巡って、近藤先生を支持した中村さんはそれ以前に属していた団体を追われることになり、新たに自らソレイユを立ち上げた、ということです。ソレイユは二〇一三年末に活動を終えますがその間ずっと会長として会をまとめ相談等にあたってこられた。温厚な笑顔からだけでは測り知れない信念とパワーを持っておられたことがうかがえます。</p>
<p>
	　その後もつくる会だけでなく、患者の権利オンブズマン東京の活動にも参加されてきました。</p>
<p>
	　冒頭、つくる会の「世話人会に時々出てきて、あまり発言はしないものの&hellip;」などと書きましたが、中村さんのすごいところは、体調の悪いときも多かったにもかかわらず、そのようなかかわり方を二五年にもわたりずっと続けてこられたということです。</p>
<p>
	　自らの体験に根差した活動を大切にしてきたとともに、そこにとどまらずより普遍的な課題に目を向け、常に勉強を怠らず、様々な活動に参加し続けてこられた姿勢には改めて頭が下がります。</p>
<p>
	　ご冥福をお祈りします。</p>
<p style="margin-left:11.85pt;">
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:11.85pt;">
	書籍の紹介</p>
<p style="margin-left:11.9pt;">
	「健太さんはなぜ死んだか」</p>
<p align="center" style="margin-left:11.85pt;">
	警官達の「正義」と障害者の命</p>
<p align="right" style="margin-left:11.85pt;">
	斉藤貴男著</p>
<p align="right" style="margin-left:11.85pt;">
	山吹書店　定価一五〇〇円</p>
<p style="margin-left:11.85pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	　二〇〇七年九月、佐賀市に住み、中度の知的障害を持ちながら自分らしく生きていた二五歳の安永健太さんは、仕事から自転車で帰る途中、警ら中のパトカーから「とまりなさい」と声をかけられてもとまらず、ますますスピードを出して、交差点の赤信号で原付自転車に追突して転倒しました。</p>
<p>
	　立ち上がった彼に、パトカーから降りた二名の警察官が駆け寄り、怒鳴りつけました。元々知的障害がある上に、恐らくは一種のパニックに陥ってしまった健太さんは、意味のある言葉を発することができず、「アー、ウー」といったうなり声を上げるばかりでした。</p>
<p>
	　警察官たちは、健太さんの身体をつかみ、無理矢理移動させようとしたところ、猛烈な抵抗に遭いました。それはそうです。健太さんからすれば、勢いよく転倒してしまった上、立ち上がった途端、突然力で押さえ込まれる、それはとても恐ろしいできごとだったに違いありません。</p>
<p>
	　ますます言葉を発することが困難になった健太さんを、警察官たちは、薬物中毒者と疑い、何とか手錠をかけようと争います。抵抗する健太さんを、応援に駆けつけた複数の警察官と五人がかりで抑え付け、アスファルトの上にうつ伏せに押し付け、後ろ手錠をかけたところで、ようやく警察官達は健太さんの異常に気づきます。</p>
<p>
	　心肺停止。</p>
<p>
	　病院に運ばれた健太さんは、死亡が確認され、他方、警察官達は、自分たちの一連の行為は、警察官職務執行法上の、自傷他害の恐れのある「精神錯乱者」に対する「保護行為」であり、何ら問題はなかったと主張しました。</p>
<p>
	　大切に育ててきた健太さんを失ったお父さん、そして弟さんは、健太さんの無念を晴らすべく、佐賀県警（佐賀県）を相手に刑事及び民事責任を問う長いたたかいの旅に乗り出します。</p>
<p>
	　しかし、司法の壁はあつく、刑事は付審判請求による起訴までこぎ着けたものの無罪に、そして民事賠償請求も、一審二審ともに敗訴、最高裁でも上告が受け付けられず、敗訴判決が確定してしまいました。</p>
<p>
	<img align="left" height="133" hspace="8" src="blob:http://kenriho.org/315d3cd9-ac5b-45c3-a403-65f8bd7205e7" style="margin-top:0px;margin-bottom:8px;" width="85" />　本書は、この事件の関係者から丹念に聴き取りをしたノンフィクション作家の著者が分かり易く事件の概要と問題点をまとめたものです。</p>
<p>
	　私は、民事訴訟の控訴審から弁護団の一員として参加し、この事件から多くを学ばせていただきました。刑事でも負け、民事でも負け、また事件から長い時間が経過したものの、法廷には、毎回傍聴席数をはるかに超える支援のみなさんが訪れ、健太さんのお父さんと弟さんを励まし、この事件をまさに自分たちの問題として熱心に応援して下さいました。</p>
<p>
	　一審での敗訴判決を覆すのは一般的に難しいとは言え、原審で調べていなかった警察官の証拠調べが認められたり、また改めて障害の専門家の意見書を複数提出したり、弁護団会議では全国から集まった弁護士達が長時間にわたる議論を重ね、それぞれの起案に赤を入れながら書面を研ぎ澄ますことに努めました。</p>
<p>
	　控訴審での控訴棄却、そして認められなかった上告、力を尽くしただけに敗北感に打ちのめされるようでしたが、私たちはこの事件を決して忘れない、二人目、三人目の健太さんを出してはならないという、お父さんの何よりも強い願いを、次の世代にも繋げるために、働きかけていくつもりです。</p>
<p>
	　本書は、その足がかりとなるものです。</p>
<p>
	　本書は、四つの章からなっています。事件の発生とその後の経過、健太さんってどんな人？　刑事と民事、二つの裁判のゆくえ、跋扈する優生〝思想〟に勝つ。</p>
<p>
	　とりわけ、最後の章は、昨年の相模原障害者施設殺傷事件を受け、過去に当該施設の職員でもあった「犯人」が露悪的ともういうべきやり方で表した異様な優生思想を振り返りながら、どうしてこのような思想を彼が抱くようになったのかが、全く検証されていない問題を指摘しています。事件後、当然ながら自体の重大性を踏まえ、神奈川県は「検証委員会」を設置しましたが、極めて不十分な内容にとどまっています。</p>
<p>
	　この事件では、「犯人」が事前に国会前や警察署に赴き、犯行予告をしていたにも関わらず、放置されたことも問題とされていますが、検証会議は、警察の対応を批判することは一切しない一方で、施設の対応を強く非難するものとなっているのです。</p>
<p>
	　また、そもそも「犯人」がどうしてこのような極端な〝思想〟を抱くようになったのか、全くその背景が検証されていないと言います。</p>
<p>
	　著者は、そこに「健太さんの事件と通底する何者かの〝意思〟を強く感じとります。</p>
<p>
	　私たちは、何かにつけて「多様性」ということを耳にする社会に生きています。けれども、最近のヘイトクライムをはじめとして、さまざまな同調圧力は「多様」な生き方を許さない、そんな怖ろしさも日々感じてしまうところです。健太さんが生まれたのは国際障害者年の一九八一年、それから三六年を経て、障害者権利条約を批准し、〈あらゆる活動分野における障害者に対する定型的な観念、偏見及び有害な慣行と戦う〉ことを約束した国の民として、何をめざすべきなのか、もう一度事件を振り返りながら、考えていきたいものです。</p>
<p>
	（久保井摂）</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>252号 - けんりほうNEWS</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://kenriho.org/news/kenrihonews/2021/02/252.html" />
    <id>tag:kenriho.org,2021:/news/kenrihonews//3.312</id>

    <published>2021-02-15T10:33:24Z</published>
    <updated>2021-02-15T10:35:04Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	市民活動としての「つくる会」 	事務局長　小林洋二 	&nbsp; 	前号に...]]></summary>
    <author>
        <name>患者の権利をつくる会</name>
        
    </author>
    
    <category term="252号" label="252号" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kenriho.org/news/kenrihonews/">
        <![CDATA[<p>
	市民活動としての「つくる会」</p>
<p align="right">
	事務局長　小林洋二</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	前号に掲載された小沢木理さんの『市民活動の主体性つべこべ』、とても示唆的な論稿でした。ありがとうございました。せっかくの問題提起ですので、これについてのわたしの意見を整理してみたいと思います。</p>
<div>
	&nbsp;</div>
]]>
        <![CDATA[<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	つくる会独自の活動と三団体としての活動</p>
<p>
	小沢さんの問題提起で、いま最も重要なのは、わたしたち「患者の権利法をつくる会」独自の活動と、患者の声協議会及びＨ-ＰＡＣを含めた医療基本法三団体としての活動との関係でしょう。三団体での活動が中心になれば、そこで掲げるのは三団体（現在は五団体）共同骨子ということになり、せっかくつくった当会の医療基本法要綱案もそのパンフも活用の場がないではないか、という疑問は理解できないわけではありません。</p>
<p>
	しかし、共同骨子七項目は、あくまでも「骨子」であって、法律の要綱案に代わるようなものではありません。この共同骨子で合意したとしても、それをどのように法律として具体化するかというイメージは別に構築する必要があります。その具体化が、わたしたちの医療基本法要綱案なのです。</p>
<p>
	だから、これは決して小沢さんのいうような内部向けのシミュレーション教材ではありません。各市民団体にも、国会議員にも配布していますし、全体事務局には医療基本法をテーマとした講演依頼も来ています。昨年は、全国の医学生有志で構成される医学生ゼミナールのプレ企画に呼ばれましたし、福岡市内最大規模の総合病院でお話をさせていただきました。</p>
<p>
	一方、権利法をつくる会の活動の中心を、いま、どこにおくかと言われれば、わたしは躊躇わずに三団体での活動を挙げたいと思います。率直に言えば、つくる会独自の活動と、三団体の活動の二種類がある、とはわたしは思っていません。三団体の活動をリードし、それを五団体に、二十団体にと拡げていくことこそが、つくる会の活動そのものだと考えています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	つくる会の目的は何か</p>
<p>
	患者の権利法をつくる会の目的は、「医療における患者の諸権利を定める法律案（仮称）」を起草し、その制定に向け提唱及び立法要請を行うとともに、医療の諸分野における患者の権利の確立と法制化をすすめるための必要な諸活動をおこなうことです（会則一条）。</p>
<p>
	この目的は、設立当初から、基本的に変わっていません。二〇一一年以降、中心的な法律案は、「医療基本法要綱案」に変わりましたが、これは名称こそ異なるものの、「医療における患者の諸権利を定める法律案（仮称）」＝患者の権利法要綱案の発展形であると位置付けられています。</p>
<p>
	では、「患者の権利法制化」のために、どのような運動が必要なのか。</p>
<p>
	一つには、「患者の権利」とは何なのか、それを法制化はどうあるべきなのかを具体的な姿として示し、多くの人の賛同を得ることです。患者の権利法要綱案は、まさにそのために策定されたものであり、実際に、日本における「患者の権利」概念の定着に大きな役割を果たしたと考えています。</p>
<p>
	一方、実際の法制化を見据えた場合、私たちの患者の権利法要綱案そのままの形でそれが実現できるわけではないということも考える必要があります。少なくとも国会議員の過半数の賛同を得なければ法律はできませんし、医療という非常に重要な政策分野の根幹をなす法律であることを考えれば、様々な議論の末に全会一致で可決されるという形が望まれます。そのためには、医療に関わる多くの人たちの合意を得ることが必要であることはいうまでもありません。もちろん、その「多くの人たち」には、患者のみならず、医療提供者側も含まれます。</p>
<p>
	患者の権利法要綱案から医療基本法要綱案への発展は、この二つの要請から導かれたものだとわたしは考えています。そしてその方針の延長線上に、三団体としての協同活動があります。というよりはむしろ、三団体としての協同活動の延長線上に、わたしたちの目指す患者の権利の法制化があるというべきでしょうか。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	医療基本法要綱案パンフの活用の必要性について</p>
<p>
	とはいえ、わたしは、もっと当会の医療基本法要綱案をアピールする活動が必要ではないかという小沢さんの意見には全面的に賛成なのです。わたしが時々講演に行っているだけで十分だとは思っていません。</p>
<p>
	<img align="left" height="153" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/8935ab1a-8c2c-470e-82ab-393c7d5727d3" width="219" />さきほど述べたとおり、患者の権利擁護を中心とする医療基本法の実現には、医療提供者を含めた多くの人の合意が必要です。しかし、そこで規定される患者の権利のレベルは、医療基本法の議論の中で、どれほど説得力を以て「患者の権利」の重要性、必要性を展開できるか、ということにかかってくると思われます。</p>
<p>
	そのためには、会員のみなさんが、ほんとうにこの医療基本法要綱案の必要性に納得し、その思いを多くの人に共有してほしいと思うことが大事なのではないでしょうか。そして、それを行動に移す、つまり、地域や職場で、この医療基本法要綱案について話し合うことを可能にするために作成されたのが、医療基本法要綱案の解説パンフであり、市民向けパンフなのです。</p>
<p>
	そのような企画のために、全体事務局として何かできることがあれば、ご相談に乗りますし、必要に応じて講師を派遣することも可能です。</p>
<p>
	この機会に、ぜひ、ご検討下さい。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	市民活動の主体とは</p>
<p>
	最後に、市民活動の主体は何かという小沢さんの問題提起についてコメントしたいと思います。</p>
<p>
	市民活動の主体は、市民団体ではなく、それに参加している市民一人一人である、というのがわたしの考えです。そして、市民活動とは、いわゆるボランティア活動の一つであり、他人から強制されたり、義務としてなされるものではなく、希望者が自分の意思で行う活動です。つまり、「何をすべきか」ではなく、「何がしたいか」、「何ができるか」が出発点です。複数の市民の、「何がしたいか」、「何ができるか」が重なったところに、「市民団体」ができるものだと思います。</p>
<p>
	小沢さんは、「市民活動の主体は、その時期に関わっていた人たちにあるのであって設立趣旨や活動目的ですら最終的にはその人たちに委ねられるということにもなります」と書かれています。基本的には、そのとおりだと思います。設立趣旨は設立趣旨であって後で変えられるものではありませんが、団体の活動目的を変更することはあり得ることです。ある市民団体に関わる人が、その市民団体の当初の設立趣旨に拘束されて自分のやりたいことがやれない、あるいはやりたくないことをやらねばならないと感じるようであれば、団体の活動目的を変更することを考えるでしょうし、それができないのであれば脱退するだけのことでしょう。会員個人の「したいこと」、「できること」と、団体の活動目的や方針が乖離してしまえば、その会員の脱退を止めることはできません。そういった会員が多数になれば、その団体の活動は休止し、やがて団体そのものが消滅することになります。</p>
<p>
	実際、そのようにして、多くの市民団体が生まれては消えていくのではないでしょうか。</p>
<p>
	患者の権利法をつくる会の目的は、患者の権利の法制化であり、それは設立当初から現在まで変わっていません。この目的に賛同し、自分もそういった活動に参加したい、あるいは協力したい、という方が会員になっておられるものと理解しています。</p>
<p>
	患者の権利法制化を実現するのは、会員のみなさん方一人一人の力であり、想いであると、わたしは考えています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	自己紹介と私の経験した医療過誤</p>
<p align="right">
	川崎市　小林展大</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	はじめまして。けんりほうｎｅｗｓに初めて寄稿することになりました、川崎合同法律事務所の弁護士の小林展大（こばやしのぶひろ）と申します。私は、千葉県柏市出身ですが、現在は神奈川県川崎市の川崎合同法律事務所で弁護士として勤務しています。私の事務所は、一般民事事件、家事事件、労働事件（労働者側のみ）等を多く扱っているほか、弁護団事件にも積極的に取り組んでいます。</p>
<p>
	私自身は、一般民事事件、家事事件、労働事件のほか、神奈川医療問題弁護団に所属していることから、患者側の医療過誤事件も扱っています。また、私は、建設アスベスト訴訟弁護団、マイナンバー違憲訴訟弁護団にも所属しています。最近は、患者の権利法をつくる会の世話人会にも参加させていただいています。</p>
<p>
	実は、私は約十六年前の中学一年生の時に医療過誤にあったことがあり、その経験がきっかけとなって、弁護士を志すようになりました。今回は、自分自身の医療過誤の経験について、寄稿したいと思います。</p>
<p>
	<img align="left" height="139" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/01b2ef74-cae7-4c86-8b57-1ad6ecf979cf" width="155" />中学一年生の一二月二三日、私が朝目覚めると、ひどい腹痛があり、吐き気もありました。ただ、従前から私はしばしば腹痛をおこすことがあったため、一時的な腹痛であると考え、自宅で横になって休んでいました。しかし、腹痛は改善せず、吐き気もおさまりませんでした。そこで、母親が私を病院に連れて行きましたが、病名や診断結果等が伝えられることはなく、念のため入院するということになりました。</p>
<p>
	それから数日間は、点滴や腹痛の痛み止めの注射を打つ等して、過ごしていましたが、症状は改善しませんでした。そして、一二月二八日に腹部のエコーをとると、私と母親は、当時の主治医から盲腸であると伝えられました。母親は、私が右下腹部の痛みを訴えていなかった（私は腹部の中央部の痛みを訴えていた）ことを主治医に伝えると、主治医は、腹部の中央部から右下腹部に痛みが移っていくことは盲腸の典型的な症例であると説明していました。</p>
<p>
	そのようにして、私は同日、盲腸の手術を受けました。しかし、翌日になっても、やはり症状は改善せず、流動食を口にすると、消化液ごと戻してしまうようになり、さらに症状が悪化しました。そうすると、両親は主治医から腸閉塞であると伝えられたそうですが、両親としては、病院に不信感を抱いたのか、私を転院させると主治医に伝えたそうです。</p>
<p>
	なお、母親によれば、思い返してみれば、私の血液検査をした担当者が、血液検査の結果から、盲腸と診断するには不自然な点があると言っていたとのことです。</p>
<p>
	上記の経緯で、私は一二月三〇日に転院することとなりました。しかし、転院先の病院では、両親が主治医から原因がわからないと伝えられたり、私自身は鼻からチューブを入れて腸にたまった消化液を排出したりして、苦しい入院生活が続きました。</p>
<p>
	この頃になると、もはや依存症になってしまったのではないかと思うくらい、腹痛の痛み止めの注射を何回も打っていました。そして、転院先の病院の主治医から、原因は明確にはわからないが、私の体力があるうちに手術をしてしまいましょうということになり、私は一月五日に再び手術を受けることになりました。</p>
<p>
	今度は、約二時間にわたる開腹手術でしたが、この手術により、腹部の内部にへその緒が残っていて、小腸がへその緒に絡みついたため、腸閉塞を発症したということが判明しました。そして、今度は手術後に次第に症状が改善していき、鼻から入れていたチューブも抜去し、食事も流動食から通常の食事になっていきました。</p>
<p>
	このようにして、私は腸閉塞が治癒して退院することができました。</p>
<p>
	なお、転院先の病院の主治医によれば、腹部の内部のへその緒というのは、自然に消えてなくなってしまうものだそうです。しかし、私の場合は、へその緒が自然に消えることなく腹部の内部に残存していたのであり、極めて珍しい症例だったようです。</p>
<p>
	以上が私の医療過誤の経験になりますが、私の上記経験で残念であったことは、なぜ腸閉塞を盲腸と誤診してしまったのか、という原因究明がなされなかったことです。当初の病院の主治医は、私の両親に対して、自身の経験と勘からすれば、盲腸であったという説明しかしていなかったようです。</p>
<p>
	私の上記経験から約十六年がたちますが、弁護士となって医療過誤事件を扱っていても、原因究明が不十分ではないかと思われる場面に遭遇することがあります。原因究明は医療事故被害者の願いの一つですから、これを実現できるように活動していきたいと思っています。</p>
<p style="margin-left:12pt;">
	&nbsp;</p>
<p>
	自己決定ダイエット（第２回）</p>
<p>
	「ダイエットの開始」</p>
<p align="right">
	神奈川県　森田　明（弁護士）</p>
<p align="right">
	&nbsp;</p>
<p>
	１　ダイエットの必要性</p>
<p>
	　六〇年余の人生の中で、私が「太っていなかった時期」はごくわずかである。</p>
<p>
	小１のときの通信簿には「栄養状態不良」という赤いハンコが押されていた。当時は喘息持ちで一年のうち数か月間欠席を余儀なくされていた。小２の時にはそれに加え、はしかも患ったために危うく進級できなくなるところであった。</p>
<p>
	　その喘息が小４で治まって以降、ブクブクと太り始め、中学時代の写真を見ると見事な肥満体になっている。高校に上がると顔は少しシュンとしてきたが、体格的には変わらぬチビデブのまま。</p>
<p>
	大学の後半から本格的に司法試験に取り組むとさすがに状況が変わり、合格直後に法務省中庭でＶサインをして写っている写真ではさすがにげっそりした様子で、ウエストも細い。このころ（一九七九年時点）の体重は五二キロくらいであった。</p>
<p>
	　司法修習生になったとたん食べ物が良くなり、加えて弁護士になって仕事をするようになるとストレスと不規則な生活から体重が増えることは多くの弁護士が経験するところである。私もこの「職業病」に陥り、毎年一キロ位の割合で着実に体重が増加していった。</p>
<p>
	弁護士一五年目（四二才）の一九九七年の健康診断では六七・六キロに達していた。血液検査の数値は軒並み異常値を示している。さすがにこのまま増えていったらどうなるのか不安になり、食べ物に気を付けたり（とはいってもご飯の量を減らす程度）、就寝前に屈伸運動をするなどして、増加のペースは多少減り、二〇〇七年では六九･一キロつまり、一〇年で一・五キロという低成長に抑えた。抑えた、というよりはこの身長で太るべきところまで太ってしまった、肥満が定着した、というべきかもしれない。血液検査値は改善しないままで、特に&gamma;-ＧＰＴ、総コレステロール、トリグリセライドは正常値をはるかに上回る状態が続いていた。血圧も異常というほどではないがだんだん高くなる傾向が続いた。</p>
<p>
	　そうするうちに、前述のように二〇一一年、五六才にして突然、内閣府（現総務省）の情報公開・個人情報保護審査会の常勤委員という公務員生活をすることになった。弁護士との執務環境の最大の違いは、一日中部屋にこもりきりで仕事をするということである。外出できるのは昼食時位である。当然、運動不足になる。しかもそこに勤める直前に階段で転んで膝を傷めており、運動はしにくい状態であった。「傷めた膝への負荷を減らすためには痩せる必要がある。」「痩せるためには運動する必要がある。」「太っているから傷んだ膝への負担が大きく運動できない」という古典的な「手負いのデブの負のスパイラル」に陥っていた。これは何とかしなければマズい、といよいよ焦ってきた。</p>
<p>
	２　ダイエット開始へ</p>
<p>
	一方、役所での健康診断は、それまで受けていた健診より詳しい内容であった。</p>
<p>
	そこで大腸ポリープが発見され、手術まですることになったりした。（一泊だけだが、三〇年ぶりの入院であり、説明・同意の手続きが丁寧になっていたことには驚いた。手術などの治療自体よりも説明とアンケート等への回答の方に時間がかかったくらいである。その辺のことは機会があれば書きたい。そもそもこっちの話題の方がこの紙面にはふさわしいのかもしれないが。）</p>
<p>
	血液検査の項目も多い。そして、メタボ該当者には事後対応が徹底している。</p>
<p>
	私はもちろんメタボ該当とされた。すると、健診後、「面接指導について」というタイトルの「内閣府大臣官房厚生管理官室保健係」からの通知が来て、健康管理医の面接指導を受けるように求められた。面接を受けると、その後、「区分指導通知書」というタイトルの「内閣官房・内閣府本府健康管理者内閣府大臣官房厚生管理官」からの行政文書が届いた。「府厚第３２５号」という発簡番号までついている。「あなたは以下の病名により、次のとおり指導区分が決定されましたので通知します。・・・療養に務めてください。」と書かれ、「肝機能障害Ｄ―２」「高脂血症Ｄ―１」「高尿酸血症Ｄ―２」などと書かれている。Ｄ区分は「平常の生活でよい」のであるが、それでも１、２のランクは医師にかかる必要があるという。</p>
<p>
	役所に命令されて「治療」するのは気に入らないが、メタボ対策の必要自体はすでに自覚していたところに念を押された感じで、この際何か手を打とうか、という気になった。医者にかかるのではなく、無料のメタボ相談を受けることでもよいということなのでそれを受けることにした。</p>
<p>
	　内閣府共済組合から紹介されたメタボ相談は「ベネフィットワンヘルスケア」という会社がやっていて、連絡をするとまず面談ということになり、二〇一三年の一月九日に面談することとなった。現れた相談員は保健師の資格を持つという筋肉質の女性である。確かにこういう仕事は筋肉質でなきゃいけないだろうなあ、などと思っていると、私のデータを見て、こりゃいけません、ダイエットの必要がありますとメタボの弊害を改めて説明。ダイエットのやり方については細かい指示はなく、何キロ減量するかの目標を自分で決めて、摂取カロリー量を減らす方向と、運動で消費する方向の両面から、現実にできそうなことを、何でもいいので三つ挙げるようにと言われた。</p>
<p>
	まず現実的な目標として六か月で三キロ程度減量することを目指すことにした。実はこの時は正月太りで七一キロに達しており、三キロ減は「普通に太っている程度の状態に戻す」ことに過ぎずダイエットなどといえるものではなかったのだが。</p>
<p>
	そしてダイエットの実践計画として、</p>
<p style="margin-left:22pt;">
	①　夕食後の間食はしない、間食用の菓子等を買って食べることはしない（つまり、ケーキ等をもらってしまった場合は仕方ないので昼間のうちに食べるということである）。</p>
<p style="margin-left:22pt;">
	②　平日はこれまでより毎日二〇分位多く歩く。</p>
<p style="margin-left:22pt;">
	③　休日は一時間以上散歩する。</p>
<p>
	ということを約束した。</p>
<p>
	　すると、右の三つの約束の実行状況と体重を毎日記録するよう求められ、.記入するための用紙を半年分渡された。そして毎月末にはその時点での体重を報告することになった。</p>
<p>
	　こうしてメタボ相談を経てのダイエット計画はスタートした。</p>
<p>
	　ここで読者は、「自己決定ダイエット」と言いながら、実際には役所の命令（と筋肉質の女性のプレッシャー）に屈服しただけではないか、と感じられるかもしれない。それを否定するつもりもないのだが、役所の命令だから何でも反対するというのも逆の意味で自己決定を否定することになる。要するにいろいろなタイミングが合って、強い決断ができたということである。</p>
<p>
	　なお、これだけ健康管理が徹底しているならメタボの公務員などいなくなりそうだが、私のいた職場だけとっても、決してそうではなかった。私のようなよそ者よりも、生え抜きの公務員の方が当局の命令に対してもしたたか（？）なのである。</p>
<p>
	ともあれ、私については当初計画があまりに緩いものであったにもかかわらず、予想を超える成果を得られたのは、何点か当初の想定を超える実践や計画の修正があったからである。項を変えて述べる。</p>
<p>
	３　ダイエット計画の自律的発展.</p>
<p style="margin-left:17.9pt;">
	⑴&nbsp;　ヘルスメーターの買い替え</p>
<p style="margin-left:18pt;">
	実は体重を毎日記録すること自体に大きな効果があるのだが、体重の変化を正確に記入するためには、従来使っていた、針を読み取る方式のアナログ体重計では正確に測れない。しかも斜めに見ることで一キロ程度の誤差が生じうるので変化を把握できない。自分の都合の良いように読めてしまうのである。そこで一念発起して、デジタル表示で一〇〇グラム単位まで明示される体重計を購入した。相談員との面談の二日後の一月一一日のことである。これは抜群の効果を発揮した。</p>
<p style="margin-left:17.9pt;">
	⑵&nbsp;　散歩の充実</p>
<p style="margin-left:18pt;">
	平日に二〇分多く歩くとしたのは、一駅分余計に歩く、あるいは昼食後に歩くということを想定したものだ。職場である審査会の事務局は最高裁のすぐ近く、永田町にある。そこで往路永田町駅の一つ手前の溜池山王駅で下車して歩くことを基本にして、だんだんといろいろなルートを開拓していった。例えば、議員会館裏手の道をだらだら上がっていくとか、赤坂見附駅まで歩いてから坂を上り衆参議長公邸前を過<img align="left" height="190" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/66272cdf-b152-4e7c-ae58-4de9c3d07331" width="151" />ぎるとか、その手前のプルデンシャルタワー脇の坂を上り日比谷高校の前を通るとか、溜池山王駅から構内通路で国会議事堂前駅まで行って、国会議事堂の裏と議員会館の間の道を抜けていくとかである。復路、逆ルートで一駅歩くこともあった。</p>
<p style="margin-left:18pt;">
	昼食後は最高裁、国立劇場、半蔵門あたりを巡ったり、国会議事堂正面や憲政記念館及びその周りの公園を散策したりした。桜の時期には千鳥ヶ淵公園、イギリス大使館前などに花見がてら足を延ばした。ちなみに国立劇場の桜はピンクが強く艶っぽいが、隣の最高裁の桜は白くて清廉ではあるが冷たい感じがする。などと思いながら、日本の政治と司法の中枢を散策するのは楽しく、昼休みいっぱい歩きまわることも珍しくなかった。</p>
<p style="margin-left:18pt;">
	雨降りや寒い日など外で歩きにくいときは室内を歩いた。執務室は個室で二〇坪近くあり、昼休みは扉を閉められるので、音を立てないようぐるぐる歩き回った。やや異常な行動ではあったが、要するに食後身体を動かすことが習慣になったのである。</p>
<p style="margin-left:18pt;">
	休日は家にこもりがちであった。これを改め、必ず外出して一時間程度歩くようにした。これもだんだんにルートが開拓できて、自宅中心に東西南北４方向に散歩コースができた。三〇分くらい歩いた先に喫茶店やショッピングモールがあり、そこで一休みしてまた歩いて帰る、というルートである。これが休日の習慣になった。</p>
<p style="margin-left:24pt;">
	散歩の習慣が確立できたのは、当時の仕事時間が規則的で、休日はきちんと休めるという、それまでの人生ではなかった生活環境にあったことが大きい。そこで弁護士に戻ってから維持できるかは大いに不安であったが、休日は休むように努め、これら健康的な習慣を維持できている。</p>
<p style="margin-left:17.9pt;">
	⑶&nbsp;　就寝前の軽運動</p>
<p style="margin-left:18pt;">
	「三つの約束」には入っていないこととして、就寝前の軽運動がある。以前から、風呂上がりの就寝前の時間に、軽い運動をするようにしていたが、これを意識的に習慣づけるようにし、かつ、だんだん内容を充実させていった。もともとやっていたのは大腰筋を使うことによりダイエット効果があるということで、足を上下させる運動をしていた。これに横に足を持ち上げることなどを加え、寝そべっての腹筋運動を加え、さらにダンベル（三キロの軽いもの）を使った上肢の筋肉を刺激する運動を加え、それぞれの運動についてバリエーションを持たせている。実は筋肉を鍛えると筋肉がつくことになるので減量にはならないのだが、鍛える過程で炭水化物を消化することと、ダイエットにより筋肉が減ることを防ぐためには有益である。</p>
<p style="margin-left:18pt;">
	　注意を要するのは、私のようにもともとあまり運動をしたことがない人が無理をすると続かなくなるということで、実際、私は何度も運動のレベルを高めたために挫折してきた。この点、基礎体力のある人は何倍もできるので効果は大いに上がる。とにかく継続性を重視し、時間をかけて無理のない運動を少しずつ増やしていった。それでも現時点でこの運動にかける時間は二〇分以内で汗をかかない程度にとどめている。</p>
<p style="margin-left:18pt;">
	　就寝前に軽運動をすると、寝つきも大変よくなる。</p>
<p style="margin-left:17.9pt;">
	⑷&nbsp;　糖質制限ダイエットとの出会い</p>
<p style="margin-left:18pt;">
	もう一つの、そして最大の計画修正は、食生活に関して糖質制限ダイエットの要素を導入したことである。いうまでもなく、簡単で効果絶大と、今日最も注目されているものである。しかしこれについては医学論争も含め、是非の議論が展開されている。糖質制限はこのダイエット論の中心課題といえる。そこでこれについては次回まとめて論ずることとしたい。（早速当初の執筆計画を変更することになるが、ご容赦を。）</p>
<p style="margin-left:18pt;">
	&nbsp;</p>
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	ＮＰＯ患者の権利オンブズマン</p>
<p>
	　　解散のご報告</p>
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	&nbsp;</p>
<p align="right">
	福岡市　　久保井　　摂</p>
<p align="right">
	（ＮＰＯ法人元理事長）</p>
<p>
	&nbsp;</p>
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	一九九九年七月に福岡市で設立され、一八年間にわたって患者の自立支援活動を行ってきたＮＰＯ法人患者の権利オンブズマンは、二〇一七年五月一四日に開催された臨時総会で解散を決議し、今後は精算手続を進めていくこととなりました。この間の各方面からのご支援とご協力に心より感謝申し上げますとともに、ここに一八年の活動を振り返り、解散のご報告をさせていただきます。</p>
<p>
	この活動は、患者の権利法をつくる会の初代事務局長でもあった故池永満弁護士が、イギリスとオランダでの二年間にわたる留学から帰国して呼びかけ、立ちあげたものです。</p>
<p>
	その先駆けとなったのが、一九九五年の当会企画のＷＨＯ視察でした。その前年の一九九四年、ＷＨＯヨーロッパ会議は、オランダアムステルダムで「ヨーロッパにおける患者の権利の促進に関する宣言」を採択していました。当時の起草責任者であったピネさんを訪ね、患者の権利を欧州で促進するための「戦略」としてのこの宣言について学び、日本での翻訳出版の権利を得て、対訳パンフレットとして出版しました。</p>
<p>
	この宣言は、いま読み返しても全く古びておらず、示唆に富んだものですが、その中に患者の苦情申立権と、それを実効的なものにするための苦情を受け付け解決を促進する第三者機関についての規定がありました。</p>
<p>
	一方で二年間の留学を通じて、ヨーロッパには患者の苦情に耳を傾け、そこから得られる教訓を臨床現場にフィードバックすることによって医療の質を高める仕組みがあることを学んでいた池永さんは、矢継ぎ早に医療事故が報道されていた当時の状況に鑑み、同じ様な仕組みを日本でも確立させたいと考えて、患者の権利オンブズマンの設立を呼びかけたのです。</p>
<p>
	<img align="left" height="111" hspace="12" src="blob:http://kenriho.org/404eb7cd-bf56-4dbb-bc25-ea80b120b96b" width="250" />当会も呼びかけ団体として設立に関わり、マスコミからもたいへんな関心が寄せられ、設立前からニュース番組で特集が組まれ、設立集会には多くの方々が集いました。医療における患者の安全についての不安が募っていた時期でしたから、日本で初めての取り組みに大いなる期待が寄せられました。</p>
<p>
	患者の権利オンブズマンの活動は、すべて無償で賄われ、その背後には献身的なボランティアの存在がありました。設立前のボランティア募集の説明会や、公開で開催していた患者アドボカシー養成講座、専門家を呼んで市民向けに分かりやすく患者の権利を学ぶ「市民大学講座」など、さまざまな企画を通じて、それぞれに患者の権利に想いを寄せるボランティアが集まり、研鑽を重ねました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<table cellpadding="0" cellspacing="0">
	<tbody>
		<tr>
			<td height="32">
				<table cellpadding="0" cellspacing="0" width="100%">
					<tbody>
						<tr>
							<td>
								<div>
									<p align="center">
										４月２３日に行われた解散報告集会の様子</p>
								</div>
							</td>
						</tr>
					</tbody>
				</table>
			</td>
		</tr>
	</tbody>
</table>
<p>
	患者の権利オンブズマンの活動の中心は、患者や家族からの苦情相談ですが、苦情の解決を促進するために、相談者にカルテの開示請求を助言したり、相談の際に患者が持参したカルテを検討する「記録検討支援」、医師らに説明を求める場に市民ボランティアが同行する「同行支援」といった支援活動も行いました。特に死亡事例について、遺族が死亡原因を究明するための解剖を望むものの、相手方やその関係する医療機関では解剖されたくないという場合に、九州大学医学部法医学教室で解剖を行う「承諾解剖」という新たな途を切り開いたことは、特筆すべきことでした。</p>
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	&nbsp;</p>
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	同行支援によっても解決されない苦情については、相談者からの苦情調査請求を受け、オンブズマン会議において調査相当と判断した事案については、調査小委員会を立ち上げ、つぶさに調査し、速やかに報告書をまとめて、必要があれば改善のための勧告を行い、相談者と相手方の双方に手渡し、直接読み上げるという調査点検勧告事業は、後に開始された診療関連死調査分析モデル事業の先駆けとも言えるものでした。この一八年間に二〇件の調査報告書をまとめ、いずれも勧告集として出版しています（ホームページにもＰＤＦ版を掲載していましたが、今は患者の権利オンブズマン東京のサイトにありますので、そちらをご参照下さい）。</p>
<p>
	設立当時は、まだまだカルテ開示の実践も進んでいませんでしたが、この一八年の間にとりわけカルテ開示については大きく情勢が変わり、最近は相談者の多くが初回相談時に既に医療記録を入手し、持参するようになっていました。</p>
<p>
	これまでに受け付けた相談は六五〇〇件以上、設立後に各都道府県等に設置された医療安全支援センターの相談員から紹介されて相談に来られた方も多数おられました。</p>
<p>
	しかし、五年前の二〇一二年一二月、設立者であった池永満さんが亡くなり、大きな柱をなくしたＮＰＯ法人は、不肖ながら私が理事長を引き継ぎ、池永さんの熱い思いを後世にと願う熱心なボランティアの皆さんの力を得て活動を続けてきましたが、継続的に活動を担うためのボランティアの確保や一切を会費収入と寄付金によって賄うための寄付金の確保が困難になってしまい、ついに一八年間の歴史を閉じることになりました。</p>
<p>
	解散を目前に控えた四月二三日、福岡市内で解散報告集会が行われました。設立時から深く関わってこられた副理事長の平野亙さんからの一八年間の活動を振り返る基調報告を踏まえ、ずっと市民相談員、そしてオンブズマン会議メンバーとして活動された福山美音子さんが相談や同行支援の経験から得たものを、オンブズマンの協力医療機関第一号であり、池永満さんの高校時代からの親友でもある有吉病院の有吉通泰さんが臨床医としての思いを、オンブズマン会議議長である精神科医の赤木健利さんは活動に関わってきての所感を、そしてこれからも活動を続けていく患者の権利オンブズマン東京を代表して、弁護士の谷直樹さんから東京での実践とこれからの抱負を、それぞれ述べられました。</p>
<p>
	その後、会場に集った関わりの深い皆さんから次々に発言をいただき、一八年の活動の意義をみんなで振り返った集会となりました。</p>
<p>
	解散決議を行った臨時総会の終了後、長年相談活動の場であった部屋で、特に貢献いただいたボランティアのみなさんをねぎらい、設立やその後の活動を報じたニュース番組や、一〇周年記念集会の際に上映したＤＶＤを見ながら、あれこれを語り、前向きなとてもよい総括ができたと思っています。</p>
<p>
	ＮＰＯ法人患者の権利オンブズマンは幕を閉じますが、その目指した患者の権利の確立までの途はまだまだ半ばです。これからもそれぞれが、当会の活動に参加するなどして、ＮＰＯ法人の理念を実現できる社会を構築できるよう、働きかけていきます。</p>
<p>
	この一八年間、見守っていただいた皆さま、改めて心よりのお礼を申し上げます。</p>
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